どれほどに事前に準備をしていたとしても不運、というものはある。
「つ、掴まされた……」
地に跪いてうなだれるのは女魔術師である。
その近くに転がるのは術師のよく飲む水薬の空き瓶が転がっていた。
それが、三本。
結構な額である。
周りには気の毒気に彼女の様子を見守る一党の仲間たちがいる。
「ま、まぁ、ほら、ちょっと休もうか」
場の空気を取り繕うように剣士が皆に声をかける。
「虎の子の……水薬……おいしいごはんがまんしたのに……」
体育座りで己のとんがり帽子をつかんで目深にかぶり、ぶつぶつとつぶやく少女を励まそうと小休止の準備を始める。
水薬、冒険者の必需品ともいえる消耗品である。
これがあると無いとでは、まさしく天国と地獄、生きるか死ぬかの最重要アイテムと言っても過言ではない存在だ。
決戦を前に一服、冒険終わりに一服、毒をくらって一服、飲み過ぎたときに一服、と冒険者のどのような場面においても活躍する必須アイテムである。
今の彼女もそうであった、遺跡探索の最終局面、ここから下はおよそこの遺跡の主がいるであろう一角、そこに立ち入る前の安全地帯で回復してから突入しよう、そういうことになった。
当然、これまでの探索で消耗していた彼女は日々の生活を切り詰めて準備した水薬をあおり、そして驚愕に目を見開いた。
あわてて、もう一本、更に、もう一本、そして、ガクリと膝をついた。
いつもであれば一本飲めば気力体力が沸き立つ水薬が、碌に効果を表さない。
サラサラとして、水っぽく、気力は大して回復しない。
具体的に言うと、三本飲んでも八点ぐらいしか回復した様子がない。
「変だと思ったのよ……二本分の値段で三本買えるって……誰だってお得だなー、って思うに決まってるじゃない」
両側に座った女武道家と聖女がいいこいいこと頭を撫でてあやす。
彼らにとって、水薬は、必須であるが、安い買い物ではない。
なんとかもろもろの生活を切り詰めて確保したそれが、不良品、粗悪品であった絶望。
わかり過ぎて掛ける言葉ないとはこのことだ。
しかし、どうしたものか、というのが頭目である剣士の胸中でもある。
皆の意気が完全に途切れてしまった。
さあ、次で終局だ、というところで躓くと、どうにも張り詰めたところが抜けて、思わぬ失敗や痛手に繋がる。
それに女魔術師の呪文が無いというのは、最後のダメ押し、いざという時の一凌ぎが無いということでもある。
慎重を期すのであれば、ここで一旦帰還するというのも現実的な手である。
さてはて、というところで近づいてくる足音があった。
「! 警戒、抜刀」
その呟きだけで戦士と剣士は剣を静かに抜き、女武道家もすっと立ち上がる。
過度な緊張は無く、それでいて油断もない。
それは彼らの練度がそれなり以上にあることを示していた。
「……おっ、同業者かお?」
はたして、暗闇から近づいてきたのは、奇妙な語尾のふくよかな銀等級のローブ姿の術師と、どこか冷たく尖った印象のある癒し手であった。
「……というわけで爺さんの残した手記を本にデーモンとの戦いに使われたものを色々探してるんだお、フォースと共に……ってもうちょっとかいつまんでくれてりゃよかったのに……」
やれやれ、と大仰に手を上げる男とその横の人形のように愛想のない女。
二人は剣士たちの円陣に加わって一休みしていた。
悪魔を討つべく旅を続けている冒険者だという。
育ての親にして師匠のかつての発言から、ふと気になることがあって故郷に戻って自宅を漁ってみれば、師匠、星辰の騎士と異界の悪魔達との壮絶なる戦いの記録が見つかった。
これを解き明かせば悪魔との戦いも楽になるのではないか、と組んでいた一党から離れて探索の旅に出ようとしたところで、癒し手の少女が同行を申し出てきた。
以来、彼女と二人で東奔西走南船北馬、世界を股にかけて師匠の足跡を追っていたのだ。
「……で、ここにもそんな一品がありそうだ、という訳なんだ」
「はー、すっげぇ」
聞き入っていた戦士がため息を吐く。
一つの遺跡踏破が一大事の自分たちとは居るステージが違う、と思い知らされたのだ。
「……で、そこのおにゃのこはなんであんなに沈んでいるんだお? 別にだれかお亡くなりってわけでもないんだお?」
最初から最後まで沈んだ様子の女魔術師に術師の興味が向く。
「えーっと」
「ハズレの水薬をつかまされたのよ」
横の女武道家があやしながらそう話す。それを聞いて術師もあちゃー、という顔をしている。誰もが通る道であるのだ。
そして、その言葉でようやく術師の横の女性が反応を示した。
「……怪しい薬に手を付けるぐらいなら、砂糖水を良薬と思ってんだ方がましです」
「まー駆け出しのころは仕方ない、目利きも出来ないとなおさらだお」
よっこいしょ、と言いながら荷物を漁って術師が出してきたのは上級水薬である。
「……なんです?」
自分では手の届かない高級品を目の前に置かれてじろりと術師に視線を向ける。
「これから決戦なんだから使ってほしいんだお、それで、出来れば俺たちもそこにに加えてほしいんだお」
視線を向ける先は一党の頭目たる剣士だ。
「後ろからノコノコ来て、虫のいい話だとは思う、でもこの遺跡にあるものは爺さんの遺したものなんだお、それをどうしても俺は欲しい。こちらから出せるのはこういった水薬といくらかの対価、後は戦力、それでこの遺跡の財宝の内、爺さんのモノを俺達に譲ってほしいんだお」
むう、と頭の中で計算する。
正直、そこまで悪い話ではないと思う。
水薬が他人持ちで報酬も上乗せ、しかも銀等級の二人が戦力になってくれる。
実入りが減る恐れはあるが、それにしたってタダでくれ、と言っている訳ではない。
「わかりました、よろしくお願いします」
考えをまとめた剣士はそう言って手を差し出した。
最奥の間は悪魔の巣窟となっていた。
ギイギイと蝙蝠の群れのように天井の近くにはインプがおり、上から飛び掛かれるようにこちらを見ている。
「じゃ、まずは俺が雑魚を散らす。癒し手」
「ええ、討ち漏らしは私が」
「頼むお」
ずるり、と重量感のある斧を構える癒し手に術師は一つ頷き、ポケットから鏃を取り出す。
それを両手でパンと合掌し、ジャリッと180度回転させるとまるで手品のように16枚の鏃の花が咲く。
「《矢……必中……投射(S・C・R)》!」
右手で頭上に掲げた鋼の花の花弁はそれぞれが意思を持った猟犬のように花開き、インプ達がバタバタと射抜かれて落ちる。
《力矢》の雨だ、逃げられるものは居ない。
――ならば術師を潰す!
そう悪魔達が考えるのは当然である。
「ふっ!」
しかし、それを迎え撃つのは無情な斧の刃である。
力いっぱい頭蓋を勝ち割る斧の一撃は女性の一打とは思えないほどに豪胆で決然としている。
「うっわ、流石ねぇ」
聖女のつぶやき通り、初手で悪魔達は半壊している。術師の立ち回りと癒し手のフォローは噛みあっていた。
あの二人だけでも、何の問題もなく悪魔達を駆逐できたのだろう。
「よし、じゃ、俺達も!」
だからといって、棒立ちしていては、何が冒険者か。
先陣は切ってもらった。
準備は万端。
剣士と戦士の刃に女魔術師の呪文による魔力の煌めきが宿り、二人の身を聖女による守りの加護が覆う。
横には共に死線を潜った戦友、であれば、何も恐れることは無い。
「いくぞ」
「おう」
横合いからの追撃に悪魔達は切り崩されていった。
「これから二人はどうされるんですか」
「んーそうだおね」
街への帰途を歩く。
術師は巨大な燭台を背負って答えた。
女魔術師は水薬の目利きのコツを教えてもらって喜色満面だ。
「前まで一緒に冒険してた騎士と盗賊がこのあたりに居るはずだから落ち合って動こうかな」
「辺境の街まで来たら声かけてください」
「遠慮なくいかせてもらうお」
「では、また」
「ええ、また」
冒険者の別れとは、あっさりとしたものだ。
道が分かれるままに、彼らは別れた。