音もなく、蜘蛛のように低く速く、そして殺意に容赦なく。
白と金の影が煙が漏れ出るように近づき、まとわりつく。
ガラスのようながらんどうな青い瞳が敵を見据え、訓練を積んだ機械的な動きがゴブリンの頸椎に打撃を走らせる。
出口で見張りをしていたゴブリン2体は《沈黙》を纏って滑るように忍び寄った女神官に絶命させられた。
「……よし」
がさり、と物陰から出てくるのはみすぼらしい鎧姿の冒険者、ゴブリンスレイヤーである。
「結構使えますね」
ニコリと笑みを浮かべ、ぬらり、と血に塗れた布でくるんだ金槌を満足げに眺める。
無音、というものは見えにくい。いや、気取りにくい、というべきか。
熟練の戦士であれば矢や礫の風切り音だけで見もせずに飛び道具を避けてのける。
地を駆ける際に鳴る足音、呼気、装備の風切り音、全てが敵に自分の到来を知らせる。
それが一切なく、死角から忍び寄られればどうなるか、答えは躯となったゴブリンが教えてくれる。
「では、残りのゴブリンを殺しましょう」
色々試したいことがあるんです。
乙女が胸に秘めた思いをそっと明らかにするように、そう窺うように彼女が打ち明けてきたのだ。
いや、実際に乙女ではあるのだが、例えとして、である。
無論、その胸に秘めたものは男への恋慕の情や恋をものにする妙案、などではない。
もっと、陰惨で血に塗れた、そしてこれから多くのゴブリンを血の海に沈めるためのものだ。
ゴブリンを使った、ゴブリンを殺す実験。
自分も散々してきたことだ。
彼女にするな、という筋合いは、無い。
何より、試行錯誤をせず、それで危険にさらされるのは、彼女なのだ。
自分にできることは、彼女の実験が、上手くいかなかった際のフォロー、バックアップだ。
やるべきことをやり、備えるべきを備えれば、ゴブリンは死ぬ。
今回は自分が手を下さずにも、済むであろう。
だが、だからといって、楽で助かる、と前向きに思えるわけもない。
「…………」
ふと、重いため息が漏れた。
ゴブリンは憤っていた、見張りの奴達が戻ってこないのだ。これまで呼びに行った者もだ。
捕まえた只人の女を玩具にすることも出来ず、くすぶっていた不満の炎は、しかし、嗅ぎつけたのその匂いに残虐に、いやらしく表情を歪ませるものになる。
只人の、女の匂い、小水の匂いだ。
それが漂ってくるということは、見張りの奴等が女を捕まえたということだろう。
帰ってこないのも当然だ、たまりにたまったうっぷんを思う存分、偶然手に入れた女で憂さ晴らししているのだろう。
小便を漏らし、ピイピイと悲鳴を漏らし、命乞いをする女、それを思うだけで足は早まり、股間はいきり、鼻はさらにならされる。
洞窟を出て、見張りは居ない、当然だ、洞窟の中の同類にすぐ見つかるようなところで楽しみはしない。
だが、漂ってくる臭いまでは隠せない。若い娘、只人の小水だ。
「GOBBBGB……?」
俺も混ぜろ、と繁みに顔を突っ込み、首をかしげる。
誰もいない、しかし、地面は濡れており、臭いは確かにする。
小水で濡れた地面に鼻を近づけ、確認し、そしてそのゴブリンの意識は途絶えた。
「十二……結構釣れますね、
今度貰ってきましょう、とつぶやき心の中でメモをつける。
「…………やめてやれ」
淡々とゴブリンの死体を引きずり移動して殺害の形跡を隠し、好奇心が鎌首をもたげた様子の女神官にその思い付きを実行しないように釘を刺す。
していることは単純だ、彼女が草むらで小水をして、その匂いを《送風》でそれとなくゴブリンの巣穴に送り込み、釣れたゴブリンをその近くで潜んでいた女神官が流血しないように布を巻いた金槌で不意打ちし、殴り殺し、隠す。
釣果は上々……といえばいいのだろうか。順調に彼女の小水の臭いに釣られたゴブリンを淡々と殺している。
少なくとも、ゴブリンスレイヤーは今度から自分のことを自虐的に俺は奴等にとってのゴブリンだ、とは言わないようにしよう、と心に決めた。
「結構装備がそろっていますね」
これまでのゴブリンの死体を見て頷く。
「後は……田舎者と取り巻きが何匹か、というところか」
「トーテムもないですし、英雄、ということもないでしょう」
少女の言葉にこくり、と頷き、剣を抜く。
「準備は良いか」
「はい」
見れば彼女も刃を構えている。次の実験は前に出た場合らしい。
取り巻き共はあえなく殺された。
押し入ってきた戦士と女の神官にそれぞれ一刀のもとに命を絶たれた。
殺す、そして犯す、後は、後で決める。
贄として攫った女どもを全部孕ませ、目の前の女も孕ませ、自分が一大勢力を築いてもいい、もしくはくらい尽くして、別の群れの用心棒に収まってもいい、なんにせよ、目の前の連中を殺してからだ。
「GBBBUU……?」
戦士が一歩さがり、神官が前に出る。
女の手で血に塗れた黒ずんだ毒の刃が構えられる。
何かはわからないが、一人ずつかかってくるのであれば好都合だ、そう思い、こん棒を振り上げ、相手の斬撃がこちらの首筋めがけて放たれる。
鋭いが、良く見える、受けても、避けても、何とでもなる。
「《いと慈悲深き地母神よ、闇に迷えるわたしどもに、聖なる光をお恵みください》」
「GBRINNN!!??」
刀身から斬撃よりも先にほとばしる閃光に目を焼かれ、その刃の軌道を見失い、その刃をなすすべもなく喉元に受ける。
かつて、本当の駆け出しのころですら、走って飛んで振り返って唱える、といった芸当が出来たのだ。一太刀と共に唱える事など、造作もない。
ぱっくりと切り開かれた首、噴水のごとく吹き出る鮮血、返り血を浴びながらもつまらなそうにその迫りくる死にのたうち回る田舎者を見下ろす。
「動転して振り回した武器のまぐれ当たりが怖い所ですね」
あまり使えませんね、これは、と言いながら返り血に汚れた神官衣を見下ろす。
傷一つなく、ただ返り血に塗れたをふと見つめ、そして何事もない様子でゴブリンスレイヤーに微笑みかける。
「じゃあ、帰りましょうか、ゴブリンスレイヤーさん」
攫われた女達は、無事であった。
その純潔を証明するために、後日《看破》の使える至高神の所へ連れていき、至高神の神殿の印が押された証明書を発行してもらうい、もし故郷の村で生活し辛いのであれば、と地母神の伝手がきく遠隔の開拓村の紹介など、アフターケアにも奔走することになった。
門を入ったところで、待ち構えたように近づいてくる影があった。
すっ、と前に出たゴブリンスレイヤーの前に、うわわ、とたたらを踏んだのは女神官の後輩の一人である見習い侍祭である。
「あら、どうかしましたか?」
「せ、先輩、えっと、神官長様ができたら早くに神殿に来てほしいと」
そろそろお戻りらしい、とギルドで聞きまして、とゴブリンスレイヤーにやや胡散臭そうな目を向けながら女神官に寄っていく。
――ええと
ちらり、とゴブリンスレイヤーを見れば、好きにしろ、という様子だ。
「すみません、ゴブリンスレイヤーさん、神官長様にお話を伺ってからギルドに向かわせてもらってもよろしいでしょうか」
「構わない、俺は先に戻っておく」
「わかりました、では、また後で」
そう言って別れる。
薄汚れた神官衣を後輩の少女は痛まし気に見つめる。
「先輩……その、お疲れ様です」
「ふふ、ありがとう」
笑顔を返し、しゃんしゃんと錫杖を突きながら笑顔で道を歩く。
辺境の街は来る収穫祭へ向けて木組みの塔やのぼりに旗などがはためき、いつもよりも手狭で、街の皆がどこか浮ついたような様子だ。
たどり着くのは地母神の神殿、親の顔より……親の顔など見たこともないが、見慣れた門構えだ。
おかえりなさーい、という後輩たちの声に手を上げて答えつつ奥へと進んでいく。目指すは神官長室である。
「お久しぶりです、ただいま戻りました」
「はい、おかえりなさい、急ぎで呼び出してごめんなさい、早め早めに伝えておいた方がいいことだったから」
女神官を見て目を細める。書き物をしていたのだろう、ペンを机のホルダーに立てて、女神官も座るように促す。
「……さて、前々から伝えていました通り、収穫祭の神事の舞手、お願いしますね」
「……はい」
突かれたくないところを突かれた、という表情だ。確かに神事で纏う戦装束はかなり煽情的で、それゆえ貞淑な彼女からすれば羞恥心が掻き立てられ、抵抗も大きかろう。
「それに加えまして、せっかくですので、それ以外の差配などについても経験してもらおうと思います」
「それ以外、ですか?」
「ええ、収穫祭は地母神としても辺境の街としても、年に一度の行事です。それゆえ様々な仕事がありますし、この時でなければ積むことのできない経験というものも、多々あります。」
神事、それはただ決められた動きをして祈りを捧げればできるということではない。
場所取りに会場の設営、外部の街からの応援の受け入れに、仕事の差配。
街の行政へ申請書を提出し認可をもらうのだって、手を合わせ、神に祈れば終わる話ではない。
とかく神事は俗事の積み重ねでできる、水面に浮かぶ一角なのだ。
とはいえお役所への申請などはもう終わっているため、実際に行うのは現場の設営指揮を少しと、ある程度の地位の客人の対応だ、あくまで今年の彼女の役割は舞手である。だが裏を返せば本番とそのための打ち合わせやリハーサル以外はほぼほぼ暇である。
ゆくゆくは自分の跡目に、と目している少女に早いうちから様々な経験をしてもらいたい、というのは神官長が常々心に留めていることである。
「わかりました、精一杯務めさせていただきます」
そして、さらり、とむしろ安心した様子で受ける娘。
冒険に出れば、一皮むける、ということはままある。
しかし、それにしもて、彼女の場合、人が変わったというか、何というか、一気に肝が練られ、据わったようだ。かつての初々しい神官姿はなく、一種の貫禄すらある。
冒険者のなりたての頃は素行不良もささやかれたが、最近は落ち着いていると聞いて胸をなでおろしたものだ。
「ええ、よろしくお願いしますね」
うわキツ
鏡に映る自分の姿に思わず壁に手を付き、長く息を吐く。
白い肌、昨日は休んだから髪の艶だって結構いい。
凹凸は少ないが、それなりに肉付きもあるには、ある。
問題は、そこではない。
その体を覆う布だ。
肌を覆う面積を削れるだけ削ったような布、端々の金具、自分の瞳と同じような青い石。
以上、それだけ。
戦装束といえば聞こえがいいが……つまりは下着鎧である。
申し訳程度の追加である飾り袖は舞う際にその動きをより大きく映えるようにするための物である。
客観的に見れば、年若い少女のあられもない姿である。嬉しいという男性陣はそれなりの数が居るであろう。
はぁ、と息を吐く。
精神的には80を超えてのコレは、正直キツいっていうものではない。
一回こっきり、と思えばこそ、何とか着ることのできたものである。
――透けるんですよねぇ、これ
白い布で、一舞いすれば、もちろん秋の夜とはいえ、汗ばむ、汗ばめば、もちろん透ける。
動きによっては、普通に色々食い込んだり、ずれたりと男からすればうれしいアクシデントの博覧会だ。
前回は、それを知らずに望むことが出来たからこそ、思い切り舞うことができた部分はある。
「どうだい、どっか直すか?」
更衣室の外から掛けられる声は鍛冶場の老爺に、大丈夫です、と返して、意を決して外へ出る。
「うっわ、すっげぇ、ここで丁稚やっててよかった……」
徒弟の少年が青臭い欲情のまま無遠慮な視線を投げかけてきて、それについ両手で体を隠す。
それにさらに少年は猛り、
「ばっきゃろう」
老爺の鉄拳制裁が下る。
「いでっ!?」
「丈はいいみたいだな」
「あ、はい、おかげさまで」
気を取り直して返事をすると注文していたフレイルが手渡される。
「少し、動くといい、ぶっつけ本番、舞っている最中にばらけて脱げた、なんてことになっちゃあ、表歩けねぇだろ」
「……はい、ありがとうございます」
しゃん、しゃらん、と振るわれる祭祀用のフレイル。鳴金が用いられた、美しい音を響かせるためのものだ。
奇跡の発動体として使えなくはないが、直接の殴打には向かない。魔法使いの杖に近いものだ。
それはそれとして、自分はこの収穫祭を機にフレイルを好んで使っていた。
間合いを詰められるとその先端についた重りが振る動作の邪魔になって、使うのは自然と減っていったが、それでもかなり長く共に戦った武器である。
さて、何かいいものがないだろうか、と棚を見回していると店の隅の方により分けられたようにいくつかの武器が置いてあり、その中に鎖分銅があった。
愛着は思考の選択肢を狭めるのであるが、使い慣れた武器はそれはそれとして生存率を高める。
いざという時のロープ代わりにも使える鎖分銅は一つぐらい持っていてもいいだろう。
戦装束を畳み、ゴブリン退治の報酬で買い上げたそれを荷物に入れ、ギルドを後にした。
神殿に戻れば、直前のリハーサルが待っていた。
「壇上への階段の上り下りは先ず右足から、そして左足で一段、しずしずと、厳かに」
「はい」
女神官が頷く。
「四方の錫杖は舞手の足をよく見て、登壇の歩みとリズムを合わせて!」
「「「「はい!」」」」
「……そう、その後は小刻みになって消えていくように! そう、そう……」
監督の中堅神官の声が飛び、侍祭たちが返事をしつつ女神官の歩みを見ながら錫杖を鳴らす。
いくつかのパートを中抜きしたリハーサルではあるが、ほぼほぼ頭から終わりまで通しのものだ。
「お疲れ様です。先輩!」
そう言ってハーブの香りのついた水を持ってきてくれたのは後輩の侍祭だ。
「ありがとう」
「頑張ってくださいね! あと神官長様がお呼びでした」
「わかったわ、すぐに向かいます」
機嫌よさげに去っていく彼女もそろそろ十五。成人として孤児院を出て独り立ちを始める頃であろう。
絶対に成功させよう、と決意を新たにしたところで、思い出す。
彼女たちが来たのだ。
「こんにちは! あなたが舞手の神官の女の子?」
そうにこやかに近づいて女神官の手を取るのは勇者、後ろには剣豪と賢者がいる。
これが、初めての顔合わせだった。
かつての未来では、挙兵した私へ差し向けられる暗殺者でもあり、私の祝福を受けて魔神討伐に旅立つ勇者でもあった。
時に逃げおおせ、時にハメ倒し、よくもまぁ我ながらこの三人をあしらい抜いて生き延びたものだ。
――下手に誰か殺すと、復讐鬼になってもっと危険、とは言え、無理が過ぎましたよ、本当。
「はい、このたび舞手の重役を仰せつかりました神官になります。拝謁の機会を賜りましたこと、まことに感謝いたします、勇者様」
本来は膝をついて礼をすべきところであろうが、手を握られていてはそうもできない。
せめてそれなりに格式ばった口上を上げると、勇者はこそばゆそうに頭を搔いた。
「そんなー、固くならなくっていいのにー、っていったぁ!?」
「礼儀は大事、それにここは一応公式の場」
するすると後ろに近づいていた賢者がぽかりと杖で勇者の頭を叩き、勇者が抗議の声を上げ、それをやれやれと剣豪がやり取りを眺める。
変わらない三人である。
ははは、と乾いた笑みを浮かべながら、三人の様子を見て、勇者はともかく他二人ならなんとか行けるだろう、と軽く戦力のあたりをつける。
二度とやり合いたくない相手ではあるが、今の力量を見ない理由もない。
常識からすれば今でも軽く逸脱している実力ではあるが、それはそれとして、自分が目にしたものはその超越的な存在がさらに数多の冒険を駆け抜けた末の出鱈目なまでの完成体であり、あの頃に比べれば勇者すら付け込みどころが満載のチーズチャンピオンに見える。
だがまぁ、勇者は勇者である、正直すべての直感と推測と前準備があてにならない
「……当日は精一杯お役目を務めさせていただきます、何卒宜しくお願い致します。」
そう、しずしずと頭を下げた。
今度は、どうぞ敵となりませんように。本当に。
部屋に戻り、神に奉げる祝詞をさらさらと書き上げたものを見直す。
流麗な筆致で綴られるそれは、偽りない信仰と多大な慣れによるものだ。
かつての未来では、自分の書く祝詞が一種のスタンダートですらあった。
しかし、ふと、と視線が止まる。
そんな、手に染み付いたものを手なりに書くよりも、思う存分胸の内を差し出したほうがいい。
技術を捨てる事こそが信仰の一つの極致である、と気づいたのはいつの事であったか。
世事は世事、信仰は信仰、いっそかぶくべきなのだ、思う存分胸の内を高らかに唱えるべきなのだ。
ふと、彼を想う。
筆は恐る恐る、しかし確実に動き始めた。
「ええ、そこはそう、後ろの列は半分横にずれるように……そうそう、そういった感じでお願いします」
日が明け、席の配置指揮をしながら、自分の舞台を外側から下見する。
彼も、見てくれたらしい。
そう思うだけで、ぐ、と拳に力が入る。
「せんぱーい、幕持ってきましたー」
「ありがとう! えーと、こっちから、あっちへ、紐は足りる?」
テキパキと指示を飛ばす、更に上流の仕事に慣れ過ぎて、現場の指示出しなどある意味久しぶりですらある。
とはいえ、任された範囲を十二分にこなすぐらいはできる。
「えっとー……はいっ! 行けます」
「よろしくね」
俗事を積み、後は神事が待つだけだ。
そしてその後の一暴れ。
夜が来る。