女神官逆行   作:使途のモノ

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幕間 《真理》が仕事をしている日

 

 

 

 ――畜生!!

 

 男は逃げていた。

 

 なぜこうなったのか。

 

 自分には才能があったはずだ、自分はツイていたはずだ。

 

 あてもなく逃げ続けることと、心の中でののしり声をあげる事しかできない。

 

 こんなはずではなかったのだ。

 

 畜生!! 畜生!!

 

 必死に走る。

 

 そして、ふと、足を緩める。

 

――なんとか、撒けた?

 

 そして、その希望はたやすく裏切られる。

 

 音が、聞こえるのだ。ずっと聞かされ続けた音が。

 

 あぁ、あの音が!! 耳に!! 耳に!!

 

 淡々と、何事もなく歩くように、淡々と、音が近づいてくる。

 

 まるで、友人の元に、何の気兼ねもなく向かうようなリズムだ。

 

 男は本当に久しぶりに両手を合わせて悲鳴を漏らした。

 

 

 

「……という訳らしくて」

 

「下着泥棒ねぇ」

 

 はぁ、とため息をつく女神官に、本当只人ってわからない、とのんきな顔を向けるのは妖精弓手だ。

 今テーブルにいるのはいつもの一党、男衆はどう反応していいやら、という様子である。

 

「ええ、地母神の神殿の寮で、あと倉庫のワインが盗まれまして」

 

 地母神のワイン、それは同じ町の酒神との共同事業でもある。なので正確には地母神のワイン、という表現は適切ではない。

 

 地母神の葡萄農園でとれた葡萄をワインにする際に、酒と聞いては黙っておれぬと馳せ参じたのが酒神の神殿である。

 

 一枚かませろ、そして飲ませろ、ということだ。

 

 かくして、この街では地母神の農園でとれた葡萄を両神殿の神官の乙女達が足踏みして作るわけである。

 

 その後の工程は酒神の神殿の妙技の限りを尽くして作られるため、単純に味自体も非常に良い。

 

 それはそれとして、神官の乙女たちの手ずからならぬ足ずから作られたワインというのは、かなりの熱心なファンがつく。

 

 両神殿の意匠が刻まれたワインは自然、値が吊り上がる。

 

 しかも、どちらかというと買い手の方が自己弁護のごとく、「これは徳が高いから……」と言いながら買いあさるので神殿側からすればどうしようもない。

 

 とまれ、その価値を知る者が盗みに入ったのであろう。

 

「同一犯なのか、別々なのか、わかりかねまして」

 

 頬に手を当てて困り顔の少女には悪いが、まぁ何にせよ神殿は彼女を担ぎ出すことに成功しているのであるから、解決は保証されたようなものであろう、というのが一党の共通見解である。

 

 少なくとも凡百の有象無象に後れを取る彼女ではなく、むしろ相手からすれば、地母神の神殿を選んだことこそが敗因ですらある。

 

「それで、どうでしょう。協力してはいただけないでしょうか。あまり部外者をむやみやたらに呼び込むという訳にもいきませんので」

 

 その視線の先にはもちろんゴブリンスレイヤーがいる。

 

「……」

 

 想像する。

 

 想像力は武器だ。

 

 神殿の寮、その洗濯物を干す場所、となると風通しはよかろう。

 

 居住区ということであれば、年若い神殿住まいの少女達の高く華やかな話声や、祈りの声等も聞こえよう。

 

 洗濯物を干すとなれば、晴れている。青い空、白い雲。

 

 この時期であれば、ふと吹く風も気持ちよかろう。

 

 洗濯紐にはためく下着……あまり想像がつかないが、寮ともなれば、幼馴染の履いている下着が、視界一面にはためいているのであろう、と記憶から勝手に拝借して想像する。

 

 女の園の、和やかな昼下がりだ。

 

 それを、物陰から息をひそめて見つめる鎧姿の自分。

 

「……」

 

 誰か来たらすぐに飛び掛かれるように、下着を見据えて少し腰を落とした体勢でいる物陰の自分。

 

 洗濯物を取り込みに来た少女達をみて、問題なし、と物陰で頷く自分。

 

「…………」

 

 ふと、気が遠くなっていた。

 

 想像力は武器だ。

 

 だが、諸刃の剣であった。

 

 深く、深く息を吐く。

 

 まさかここまで自分の姿がおぞましく感じるとは。一周回って自省や嫌悪感でなく驚きすら感じる。

 

 石を投げつけられても、《聖光》を打ち込まれても、すみません、と頭を下げてしまいそうな何かがある。

 

 同じようなことを想像したのだろう、他の二人も同じような表情をしていた。

 

「……どうでしょうか?」

 

 その視線から逃れるように、鉱人を見る。鉱人は、蜥蜴人を見る。蜥蜴人は見る人がおらず、ふと視線をさまよわせ、コルクボートへ向き、ガタリと立ち上がる。

 

 それを見て取って、二人も立ち上がる。乗るべきに飛び乗れずして、何が冒険者か。

 

「ゴブリンだ」

 

「ゴブリンでなくともよかろうよ!」

 

「しかり!」

 

 ろくすっぽに依頼内容も見ずに受付に投げつけ、「よ、よろしくお願いしますね?」という言葉を聞く間もなく駆け出していく。

 

 碌に依頼内容も見ずに駆け出した男たちがどのような冒険に飛び出して、いや、逃げ出していったか、いずれ、語る時も来るであろう。

 

 とまれ、男性陣に逃げられた女神官としては、確保できた人手が妖精弓手だけとなった。これは困った。二人で見張りの体制を回すのは難しい。

 

「あら、どうかしたの?」

 

「……あ」

 

 そう声をかけてきたのは女魔術師、後ろには女武道家と聖女が居る。水の街から帰ってからは初の遭遇だ。

 

「……ええと、おかげさまで」

 

「……何かしたかしら?」

 

 思い当たるところがなく、首をかしげる女魔術師に、貴女の死にざまのおかげでとっさに毒消しを飲めました、という訳にもいかず、適当にごまかしつつさしあたっての事情を説明する。

 

「なにそれ、許せない!」

 

 率直に怒りをあらわにするのは女武道家であり、残り二人も似たような表情である。

 

 薄汚い盗人の部屋。

 

 テーブルには戦利品が広げられ、それを見てニタニタと悦に入る盗人。

 

 呷る勝利の美酒は少女たちが手ずから摘み、その無垢な足で踏み作ったワイン。

 

 そしてその手は戦利品へと……

 

 考えれば考えるほどに、寒気と怒りがわいてくる。

 

 顔を見合わせ、頷く。

 

 少女たちの心は、一つになった。

 

 

 

 地母神の神殿の寮の裏庭は大和張りの板塀で囲われていた。

 

 一か所、裏の山と街へ至る扉があるが、それは内側から閂が掛けられている。

 

 そよ風に洗濯紐はふらふらと揺れて、役目の時を待っている。

 

「それで……」

 

 不安そうに尋ねる見習い侍祭達の手には洗われた洗濯物が籠に入っている。

 

「ええ、私たちがいます、大丈夫です」

 

 ぱぁ、と表情に光がさした少女たちはととと、と洗濯物を干しにかかる。

 

 たなびく衣類から香る石鹸の香りに目を細める。

 

「それで、具体的にどうするの?」

 

「基本は見張りです」

 

 錫杖を突きながらそう返す。周りの者も、まぁ、そうだろうな、ということで見張りの順番を話し合う。

 

 とりあえず、戦力の均一化ということで、裏庭とワインの倉庫のそれぞれに女神官と妖精弓手は別れることとなった。

 

 あとは残り三人が入れ替わりで交代するということで決まった。

 

 洗濯物を取り込んだ後はワインの収められた倉庫だけを見張る、ということになる。

 

 盗まれたワインの本数からして、居ても少数、おそらくは一人、というのが女神官の見立てだ。

 

「あー、まぁそうでしょうね」

 

 裏庭を眺めた妖精弓手が当然のように頷き、他の三人は興味深げにその視線の先を見てみるが、ただの裏庭があるようにしか見えない。

 

 野外は森人の領域だ、只人の見ることのできないことを見抜くのも、造作はない。

 

 しかし女神官が見抜いたとなると、これは技術でわかること、ということだ。

 

「男性の足跡が一種類、それも帰りの足跡がより深く沈んでいるのであれば、何かを運び込んだ商人、ということもないでしょう」

 

 ほら、と錫杖で指しながら言われても、最近斥候の修練をしだした女武道家だけようやく、あぁ、と感心の声が漏れる程度だ。

 

 とりあえず、各自場所に付き、見張りをする。

 

 昨日の今日で再犯はそうなかろうが、味を占めた阿呆は阿呆をする。

 

 来る確率も、それ相応にはあるであろう、ということになった。

 

「来たら、速攻でとっちめてやりましょう!!」

 

「いいえ」

 

「え?」

 

 そう気炎をあげる女武道家に笑顔で否定する。その時たま敵に見せる笑顔を見てうわ、と妖精弓手が声を上げる。

 

「少し、怖い目にあってもらいましょう」

 

 妖精弓手は女の身であっても、少しその盗人に同情した。

 

 

 

 月のない夜、全身薄茶色の男が木の柵を軽く揺らして一人、裏庭から忍び込んで来た。

 

 自分が盗みに入ったことで、夜回りの神官が回るようになったのか、しゃん、しゃん、と錫杖の音が灯りの消えた寮で響いている。

 

 最初は、幸運(クリティカル)で、不幸(ファンブル)な出来事であった。

 

 ある風の日、ふとこの板塀の近くに居た自分に、風に飛ばされた下着が一つ、舞い込んできたのである。

 

 期せずして手にはいったものに、らしくもなく浮かれながら風の神に祈りの言葉を捧げたのを覚えている。

 

 目撃者がもしもいたら、平謝りして返却して、ちょっと忘れることのできない珍事、ですんだであろう。

 

 しかし、目撃者は誰もおらず、辺りを窺った後、男は家へ帰りおおせた。

 

 完全な、成功である。

 

 そして、それで、(ハンドアウト)()差した(得た)

 

 いやダメだ、もしもばれたらおしまいだ、そう自制する心も、あるにはあった。

 

 だが、悲しいかな、冒険者でなくとも、彼にはささやかながらの盗賊の才能があったのであろう。

 

 神殿の少女達の目を盗み、忍び込み、風にたなびく下着を失敬して、さらに忍び込み、自分の安月給では一杯だけでも結構な贅沢であった地母神のワインを何本も持って逃げおおせることに成功したのだ。

 

 最高の気分であった。竜の巣穴から財宝を持ち帰ったらこういう気分か、と勝利の美酒に酔いしれた。

 

 そして、その美酒を飲み尽くして、またその酒を、成功を、味わいたくなった。

 

 成功は、失敗への入り口である。成功の体験が、破滅への道をいざなう灯という記憶となって、人を失敗まで歩ませてしまうことがあるのである。

 

 そういった成功は、どれほど成功を積んだとしても、向かう先は断崖絶壁なのだ。

 

 足音を立てないように、靴底の下に布を当て、何もつるされていない洗濯紐を残念そうに眺めながら、そろそろと建物へ向かう。

 

 しゃん、しゃん、という錫杖の音は、男の冒険がもう一段階難しいものになったことを示している。

 

 なあに、前も大丈夫だったんだ、いけるいける。

 

 簡単な話である。錫杖の音が近づけば隠れてやり過ごす、そういったルールが追加されただけである。

 

 むしろ戦意を高揚させ、運よく開いている裏口の扉を開けて、男は部屋へ入っていった。

 

 それが、竜の口に飛び込む方が、はるかに生易しいものであるとも知らず。

 

 

 

 女子寮の中の空気を、自分の体に染み込ませるように、深く鼻から吸い込みながら、鼻の下を伸ばしてそそくさと進む。

 

 目指すは倉庫である、だが、何か思わぬ収穫があるかもしれない、と他の少女たちの居住空間なども回るつもりであった。

 

 前回の"冒険"である程度、間取りは把握してある。

 

 一つ一つ、宝箱を開けていく気持ちで回るつもりである。

 

 先ず入ったのは食堂、である。さて、何かあるだろうか、と見回しているうちに、しゃん、しゃんという音が近づいてくる。

 

 物陰に隠れて、長柄を付けた小さな手鏡で出口の方を窺う。

 

「……」

 

 年若い女の神官である。左手に持つ錫杖が薄く光を放って、その胸元を幽かに照らしている。

 

 ちらり、と食堂を一瞥し、またしゃん、しゃん、と歩き出す。

 

 それを聞き、ふぅ、と息を吐き、そしてにんまり、と笑みを浮かべる。

 

――先輩が後輩に泣きつかれたか。

 

 自分の戦果におびえた少女たちが先輩たる今の女神官に泣きついている光景を想像し、悦に入る。

 

 まるで自分がおぞましい悪魔か、何かにでもなったような気分だ。

 

 争い事はなすべきではないと教え育てられた無垢で非力な少女達だ、さぞ心細かろう。

 

 漏れ出しそうになる笑い声を噛み殺しながら食堂を出る。手にはスプーンやフォークが握られていた。

 

 次は談話室だ、部屋の奥には小さいけれども本棚があり、読書好きな少女などはここを根城としていたりもするのだろう。

 

 ソファなどに寝転がったり、腰かけたり、そうしてとりとめないおしゃべりに花を咲かせているのだろう。

 

 さすがにクッションを盗むのは嵩がかさみすぎるか、と見送り、他に何かないだろうか、と胸中で鼻歌を歌いながら物色する。

 

――おお!!

 

 そこにあったのは籠だ、布が詰まっている。震える手で一つ広げれば、それは質素なワンピースであった。

 

 急いでそれらを全て背嚢に放り込み、世界の頂点に君臨したような気分になる。まるで、自分が世界を救ったとて、ここまで大業を成した気にはなれまい。

 

――勝った、自分は勝ったのだ。

 

 わけのわからない全能感に支配されながら、立ち上がる。

 

 後はこの勝利を完全なものとする美酒があればいい。

 

 

 

 倉庫への道も、また彼からすれば他愛のないものであった。

 

――あぁ、あの女神官は落ち込むだろう。

 

 自分がついていながら、とその表情を曇らせるだろう、後輩の少女達に非難されたりするかもしれない。

 

 そう考えるだけで胸中が愉悦で満たされる。

 

 格別の勝利だ。

 

 ワインを三本、厚手の布で覆ったうえで背嚢に仕舞い込む。割れてしまっては事だ。

 

 さあて、凱旋だ、と意気揚々と、しかし慎重に立ち去ろう、そう倉庫を出たところで

 

 

 

 しゃん

 

 

 

 ほとんど、真後ろでその音は鳴った。

 

 むわ、と生臭い匂いが流れてくる。

 

 びくり、と振りむく、横手にドアこそあるが、ドアが動く音のみならず、衣擦れの音、呼吸の音、何の音もしなかったのだ。

 

 自分と倉庫の間に、何者もいるはずがない。

 

 

 

 女が、いた。

 

 

 

 金髪の、小柄な少女だ。

 

 左手には幽かな光を宿した錫杖がある。

 

 ああ、だが、

 

 なぜ、彼女は、ようやく出会えた、というような穏やかな笑みを盗人へ向けてくるのだろう。

 

 なぜ、その神官衣が赤黒く汚れているのだろうか。

 

 なぜ、その右手にはぬらりと光る刃が握られているのだろうか。

 

 なぜか、相手の青い瞳の瞳孔が、きゅう、と広がるのがよく見えた。

 

 匂いの正体に、見当がついた。

 

 血と、臓物だ。

 

 しゃん、と一歩が踏み出される。

 

 男は逃げ出した。

 

 

 

――街へ逃げ込みさえすれば!!

 

 それが男の中にただ一つある思考であった。

 

 忍び込んだ時とは対照的に無遠慮に建屋の裏口から転げ出て、柵の裏口の閂を引き出す。

 

 しゃん

 

 その音が響くたび、男の思考の自由が削られる。

 

 どれほど男が走って逃げたとしても、淡々と歩くように、そのテンポが乱れることなく距離を保って音は追ってくる。

 

 目の前に広がるのは裏山と街へと至る道、無論街への道へと駆け出す。

 

 街へ、街へさえ、逃げ込めば、なんとか撒ける。

 

 何の保証もないことを、確信をもって男は行動していた。

 

 そして、駆け出し、壁にぶつかった。

 

「!? な、う、あ!?」

 

 取りすがるように、許しを請うようにその不可視の壁に手を這わせるが、鉄壁のごとし、とばかりに男の体が前へ進むことはない。

 

 目の前に、見えるのだ、街の明かりが、あそこへ、あそこにさえ行けば、

 

 殴りつけようが、押そうが、爪を立てようが、その不可視の壁が揺るぐことはない。

 

 しゃん

 

 ぬちゃり、と女の赤い唇が三日月を描く。

 

 しゃん

 

 音が、近づいてくる。

 

「!!!!!?????」

 

 男は、明かりも持たず、夜の山へと飛び込んでいった。

 

 

 

 途中、拾った棒切れに取りすがるように、男は逃げている。

 

 なりふり構わず、走り、跳び、しかしそれでも錫杖の音は淡々と近づいてくる。

 

 山の中に入り、直接その姿を見ることはないが、確かに錫杖の音はある。

 

 ひい、ひい、と声を漏らしながら、逃げる。全身くまなく泥だらけ、顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。

 

 そして、錫杖の音が突如途切れる。

 

「ひっ? あ、う? あ……」

 

 言葉にならぬ声を漏らし、がくがくと震えながら、わずかな希望を持って、自分の来た道を振り返ろうとし。

 

 しゃん

 

 音が、前から近づいてきた。

 

 かくん、と膝から力が抜ける。

 

 しゃん

 

 音が、左から近づいてきた。

 

 しゃん

 

 音が、右から近づいてきた。

 

 しゃん

 

 音が、後ろから近づいてきた。

 

 しゃららららららん

 

 音が、呼び集めるように真上で鳴った。

 

 

 

「めでたしめでたし、でしたねー」

 

 そう朗らかに祝杯をあげる女神官。結局、使ったのは《沈黙》と《聖壁》だけであった。

 

「まぁ、私は正直木の上で錫杖鳴らしただけなんだけど」

 

 うわぁ、という表情を浮かべ、報酬の一環として得たワインをあおるのは妖精弓手だ、他の面々も所定の位置へと追い込まれた男へ向かい錫杖を突きながら歩いただけである。

 

「裁判、結局神殿ではできなかったそうですね」

 

 女武道家がそう言う。

 

 失神した盗人は正式に逮捕され、裁判が行われることになった。

 

 無論、至高神の神殿で、である。

 

 神殿に連れて行かれそうになり、男は半狂乱になって失禁しながら暴れたため裁判の予定は延期となった。

 

 もう適当に私刑して放り出せばいいではないか、と思う向きもあろうが、そうもいかない事情があった。

 

 不逞の輩が忍び込み、盗みを働いた、そこで何も知らずに就寝していた少女達の名誉である。

 

 不逞の輩に狼藉を働かれ、何人かの少女が泣き寝入りしているのではないか、と下種な勘繰りをするものは必ず出てくる。

 

 そういった、周囲の声をある程度断つための権威としての至高神の裁判である。

 

 《看破》を使用しての答弁は彼女たちの潔白を示すものであり、これに異を唱えるのは地母神のみならず、至高神の神官が偽りの裁判を行った、と弾劾するようなものである。

 

 下手をすれば、この街だけで収まることではならなくなる。

 

 正直、地方辺境において、農業系に支持者を多く持つ地母神と司法を司る至高神、これらにまとめて喧嘩を吹っ掛けたい、というのはただの狂人だ。

 

 とはいえ、神殿に入れようとするだけで自害しかねんほどに暴れられては手に負えない。殴り倒して気絶しているのを転がしておけばいい、という話でもないからだ。

 

 また、至高神の神官といえ、人間である。神殿に立ち入ることを嫌悪恐怖する、神殿に盗みに入った盗人。被害者で不安におびえるのは奉じる神こそ違えど、神に仕えし少女達、となれば、もちろん心証でいえば最悪である。

 

 裁判というものは、これが意外と感情的かつ主観的なことが多く、つまりは心証というものは非常に重要なのである。

 

 泣きじゃくり、力の限り暴れて抵抗する男にほとほと困り果てた至高神側は、それでも地母神側からのなんとしても裁判を執り行ってほしい、という請願と代替案を受け、神殿外に宗教色の無い法廷を作り、そこで裁判が開かれることになった。

 

 いっそのこと、広く大々的に、と街の公園の真ん中で行われたそれを、辺境の街の住人はこぞって見物にでかけた。

 

 最終的に、財産没収の上、神殿への侮辱的行為に対する罪と窃盗罪、住居侵入罪等で、盗品の返却あるいは賠償、そして晒し者にする恥辱刑の後、街からの追放、というスピード判決になった。

 

 余談であるが、地母神の男性神官から「いっそ、死をもって贖わせてあげては……」という非常に"残虐"な提案がなされたが、次の日には「慈悲深き地母神は無分別な刑罰を望まない」と意見を撤回した。

 

 それはそれとして関係のない話であるが、職場での保身というものは、非常に大事である。女性陣に死ねばいいのに、という視線にさらされながら座る職場の椅子は、座り心地が悪い。何の関係もない話であるが。

 

 また、どんな父親でも自分の娘にゴミを見るような目で見られ、娘の視界に入るだけで舌打ちを打たれる家庭生活を送りたい、というものは少ない。

 

 話がそれた、とまれ、円満に結論は下されたのだ。

 

「罪を犯せば……罰に肩を叩かれます、どんな形であれ」

 

 そういうのは、聖女だ。

 

 罪には罰。

 

 それが、世界の《真理》であり、盗人も、その《真理》から逃れることはできなかった。

 

 ただそれだけの事である。

 

 冒険者ギルドに、がちゃりと扉を開けて、くたびれた三者三様の男たちが帰ってくる。

 

 男たちの冒険も、また、なんとか無事に終わったようだ。

 

 女神官は何事もなく、笑顔で彼らを出迎えた。

 

「おかえりなさい、皆さん、いい冒険でしたか?」

 

 

 

 


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