雲ひとつない晴天の下で、ロングスカートとカーディガンといった露出度の少ない格好で街を練り歩く。
待ち合わせ時間にはまだ早い。
このままゆっくり歩いて行っても20分前には待ち合わせ場所に着くだろう。
時折、店が構える大きな窓ガラスで前髪をチェックしながら、赤く染まる頬に照れてみたり…。
ふと、待ち合わせ場所に見えるアホ毛の姿。
まだ待ち合わせの時間には早いのに。
へへ、思わずスキップしちゃいそう…。
「おーい!ヒキオー!」
「…む」
「早いね!偉い!」
あーしはぴょんぴょんと跳ねるアホ毛を押さえつけるように頭を撫でてあげる。
ヒキオはそれを嫌そう振り払うと、手をポケットに入れた。
「あーしと会うのが楽しみで早く来てしまったと…」
「はぁ、おまえの頭は甲殻類か」
「!?」
「それで、買い物に付き合えって、何を買う気なんだよ?」
「おっと、それはお店に行くまでのお楽しみだし」
「靴か?服か?それともアクセサリーか?言っておくが、俺の財布には3000円しか入ってないからな」
「ぶー!別に奢ってもらおうなんて考えてないっての。まぁ、付き合ってくれるお礼に昼飯くらいなら奢るけど?」
あーしの発言に訝しげな表情を浮かべながらも、ヒキオは了承を表すように小さく頷いた。
雑踏に紛れながら、目的地へ向かって歩き出す。
休日のためか、普段以上の人混みを見せる街は、どこか嫌いじゃない騒がしさに包まれていた。
「じゃ、行こっか」
「あいよ」
「手は繋ぐ?」
「なんの冗談だよ」
「あはは。迷子になんないでよね」
ーーーーー☆
たわい無い会話をしながら歩くこと数分。
疲れただの脚が痛いだのと我儘を言うヒキオが途端に足を止める。
何事かと思い振り向くと、ヒキオはそこから動こうとせずに、お腹に手を当てながらあーしを見つめ続けた。
「…?どしたん?」
「ざわつく…」
「は?」
「お腹がざわつく」
「お腹減ったの?」
「おう」
ざわつくって…。
お腹が減ったのならそう言えし。
頭の一つでも叩いてやろうとした時に、なんの気まぐれか、あーしのお腹もぐぅ〜、と、ざわついた。
「あーしもざわついたし」
「昼飯にしようぜ。タダ飯タダ飯」
「あんたには男のプライドがないのか」
「そんなもん妖怪に食べられちまったよ」
「なんだしそれ。…まぁ、時間も時間だしね。どこ行く?」
ヒキオはビシッと指を指す。
どうやら尋ねるまでもなかったようで、ヒキオが足を止めた場所にはファミリー層に人気なレストランが。
「サイゼ?ヒキオ遠慮してんの?もっと高い所でも良いんだよ?」
「ここには価値以上の物があるんだよ」
「ふぅん。ま、何処でもいいけどさ」
ちらりと店内を覗くとやはり家族の客が多く見られた。
あーしとしてはもう少しオシャレな所で良い雰囲気な食事をしたかったが、頬を柔らげるヒキオの顔に、落ちかけた肩が軽くなる。
「おし。入るぞ?準備はいいな?」
「おっけー」
「失礼します」
「え!?」
店内に入るや直ぐに、店員さんがあーしらをボックス席まで案内してくれた。
ドリンクバーに走る子供達が可愛らしい。
「久しぶりに来たし」
「俺も久しぶりだわ。実に3日ぶり」
「はいはい。あーし何にしようかなー」
「すみませーん。注文お願いしまーす」
「ちょ!あーしまだ決めてないんだけど!?」
…………
……
.…
…
.
.
ーーーーで。
運ばれた料理を食べ終え、食後のコーヒーに落ち着いている頃。
ヒキオは窓の外を眺めながら、コーヒーカップを丁寧に傾けている。
そんな姿に少しドキっとさせられるも、テーブルに散乱したスティック砂糖の数が雰囲気をぶち壊した。
「あんたの身体は半分が糖分で出来てるんだろうね」
「…なにそれ、めっちゃ素敵」
ふんわりと柔らかく頬を緩ませる笑い方。
下手に作り笑いをしないヒキオが、こうやって優しく微笑んでくれるとどこか心が温かくなる。
あーしと一緒に居て楽しいんだ、と、安心できる。
「ヒキオは、心がふわふわすることってある?」
「…あー、山積みの仕事と納期の近いタスクを見ると心がふわふわするな」
「違うっての。なんて言うか、非日常って感じの…」
例えば、中学生の頃に経験した初めてのデートとか、高校生の頃に大人ぶって開催した合コンとか、まるであーしは特別なのだと勘違いしていたあの頃のような高揚感。
気付けば大人になり、男と出掛けても、プレゼントを貰っても、そのふわふわとした幸せな感覚は味わえなくなる。
映画やドラマを見て、偶にその感覚を思い出しても実感することはなくなっていた。
「…ヒキオは、す、す、す、好きな奴と居るときに、どきどきしたりするの?」
「…ぷっ、なんだよどきどきって。つまりは恋愛感に理性を失うかってことだろ?」
「小難しい言い方すんなし」
「…んー、俺は中学生の頃の黒歴史が強すぎて、そうならないように自制してる所があるからな」
「自制…?」
何かを思い出すように、それでも柔らかく、ヒキオはふわりと言葉を紡ぐ。
「雪ノ下や由比ヶ浜には偶に揺らいだし」
「そそそそそそそれって!す、好きだったってこと!?」
「好きだったのかもなぁ…、今となっちゃ分からんが」
「こ、こいつ…、あっけらかんと…」
「でも、結局分からず終いだ」
「そ、そうなんだ…」
困ったような表情を浮かべながらも、ヒキオは淡々とその話をしてくれる。
もう、割り切ってしまったのだろうか、それとも、その感情を失ってしまっているのか。
少なくとも、大人になって失われるその感情が、あーしには戻りつつある。
どきどきして、身体が熱くなって、笑顔が溢れそうになるような感情。
この年齢になっても尚、女性は皆乙女なのだと。
あーしらしくもない事を考えて。
「そ、そのどきどきを……」
「あ?」
「そのどきどきを!!」
「お、おい、あまり大きな声を出すなよ」
慌てるヒキオを他所に、あーしは膝で強く握りしめられた自らの手を見ながら、ふわふわとした思いを抑制することもなく勇気を振るう。
「そのどきどきを…、あーしにも感じてくれたら…、嬉しい…です…」
……………
………
……
…
.
.
当時流行っていたSNSで、
か細く綺麗な首筋と、きめ細やかな肌に膨らむ胸。
顔は口元しか写っていないものの、その画像の被写体が可愛らしく若々しい女性であると、その露出された胸が言い示す。
ホテルのベットらしき所で撮られたであろうその画像は、瞬く間に学校中に広がった。
裸の彼女を包み込むような筋肉が程よく付いた腕。
男性の物であろうその腕からは人物を特定することは出来ない。
だが、女性は違った。
整った顎元の輪郭と、柔らかそうに艶のある唇。
…首に光るシンプルなピンクのネックレス。
無関係な者には分かりようのない小さな証拠だが、学校内で彼女に関わる者には明らかな証拠となった。
ふと、思い出す。
そのピンクのネックレスを
皮肉にも、そのネックレスが彼女だと特定される証拠になるなんて。
『…なに、これ…』
彼女は小さく呟いた。
朝のホームルーム前の時間に、彼女が教室へ到着した頃にはその画像はクラス中に出回り、挙句、人物まで特定されていた。
ざわつく教室で、例の画像を見た彼女は絶句する。
好奇の眼差しに晒された彼女に、あーしところか、隼人でさえも救いの手を伸ばすことは出来ずに。
『ねぇ、結衣ちゃぁん。この画像、まさかじゃないけど結衣じゃないよね?』
相模がわざわざ皆んなに聞こえるよう大きな声で質問する。
『わ、私…、こんなの…』
『でもさー、この画像に写ってるネックレス、結衣ちゃんのと同じだよねー?』
その問いに、彼女はネックレスを大切そうに握りしめる。
それでも外そうとしないのは、そのネックレスの送り主への心遣いか、それとも…。
尚もざわつく教室。
ふと、ホームルームの鐘が鳴る寸前に、
『……ヒッキー…』
『…え、なにこの状況。なんでおまえ泣いてんの?』
『…私、違うの…っ!』
隼人が事情を掻い摘んで話すと、何かを察したように、そいつは静かにため息を吐く。
『…違わんだろ。コレ、どう見てもおまえじゃん』
『っ!』
そいつは冷たく言い放つ。
冷たい言葉、それなのに、表情はどこか優しく困ったような。
手の掛かる妹を助ける兄、そんな感じ。
『ひ、比企谷!待て!』
その表情を見た隼人が慌ててそいつに向かって何かを言おうとしたが、それよりも先に、そいつは口を開く。
『……。俺が腹いせにやった。…おまえに振られた腹いせに、無理やりホテルに連れ込んで、寝てる時に撮った写真だ』
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…
……
………
…………