「話……というよりお前にしか頼めないことだ」
沈んでいく夕陽を背にした黒木場の背中がいつもよりも大きく見えるように感じてしまう。黒木場が食事処ゆきひらに来て以来、現在に至るまで俺が料理人としての毎日を過ごす上で何か一つでも勝っていると思える部分なんて一つもない。
予選でえびのココナッツミルクカレー、審査員曰く至高のカレーとも呼べる料理を創り出した天性の嗅覚を持つ料理人である葉山をもいとも簡単に降した実力はAブロック、Bブロック共に黒木場が現在のトップであるということが証明されてしまった。
そんな料理人が俺に頼み事、なんて言うからには穏やかな内容じゃないんだろうなってすぐに予想がつく。
「秋の選抜本戦で俺はある奴と食戟をする。俺が敗北した場合、学園から去ることを条件にな」
「え? 学園から去ることを条件にしなきゃいけないほど重要なことなのかよ」
「ああ、重要だ。あいつは俺が尊敬する料理人を宿泊研修の時に客達の面前で罵詈雑言を吐いて侮辱しやがった」
自分の為ではなく他人の為に退学を賭してまで闘う、それは生半可な気持ちで出来ることじゃない。客達の面前で料理を作った料理人に恥をかかせるなんていうのは絶対に同じ料理人がやっていいことじゃないのも分かるけど、黒木場が覚悟を持って闘わなきゃいけないほどの料理人があのメンバーにいるのか。
「……それで頼みってなんだ? まさか、黒木場が負けた時の仇討ちとか」
「もしも俺が学園から去らなきゃいけない状況になったら、ほんの少しだけでいいからお嬢を守ってやってほしい。うちのお嬢、天然なところが多いから人様に迷惑かけるだろうからな。あ、えりな嬢に緋沙子も守ってやってくれよ。頼みを聞いてくれるなら、お前がお望みなら毎日でも料理対決の相手になるぜ」
暗くなっていく空を眺める黒木場の表情は一切分からない。けど、不安にも似たようなモヤモヤした気持ちが俺の胸を覆っていくのが分かる。
黒木場がこの先の学園生活でミスを犯したり、食戟に負ける姿なんて想像もつかない。自分の大切な人を他人に託す行為そのものが黒木場らしくない。
「お前らしくねーよ、黒木場」
「っ。そうだな、俺らしくはねえな」
「自分にとって大切な人達は絶対に自分の手で最後まで守れ、大切な人達の前から急に居なくなるのも駄目だ。残される側の身にもなってみろ! 凄く、凄く辛いんだぞ!!」
黒木場には田所や俺の辛さや痛みを味わってもらいたくない。もちろん、薙切や新戸だってそうだ。
秋の選抜本戦、一回戦第一試合。
対決テーマはお弁当。どのようなテーマでも良かったのだけれどまさかいきなり、幸平クンと当たると思わなかったわね。リョウくん可哀想、せっかく予選を勝ち残った幸平クンが一回戦でいなくなることになるなんて。
リョウくん、幸平クンとの料理対決をした後はいつも凄く楽しそうに語ってくるから少し妬いてたの。私の持ちうる全ての力で相手をして差し上げるわ。
「幸平クン、残念ね。せっかくの大舞台なのにアナタの料理を一回しか見られないなんて」
「俺に負けたら二回戦から客席で見られるじゃん」
「それは無理だと思うの。曲芸頼りの職人芸と古臭い発想はリョウくんと似ているけれど、正直に言うとアナタはリョウくんのいる領域にまで達してない。それに、黒木場リョウという料理人と一緒に長く時を過ごす、ということはどういうことなのか分かってるの?」
小さい頃から今日に至るという日まで毎日、リョウくんに泣かされてきた身なのよ。時を一緒に過ごしてリョウくんの料理人としての技術は盗めるところは盗んで盗めなかった部分は教わって意地でも習得する。そんなことを繰り返してきたんだから幸平クンくらいは簡単に倒してあげないとね。
「へぇー、そっか!! じゃあ今日アンタに勝って得るもの全部、俺の血肉にして帰るよ」
『第一試合、お題は弁当!! 制限時間は二時間となります! 調理開始!!』
対決テーマである、お弁当。
普段からリョウくんが創り出すお弁当を伊達に見てないのよ。料理人がお弁当に込めるのは料理だけじゃない、想いを込めなければいけない。食べる人がホッと温かくなるような料理と真心を乗せる。
私が作るのは冷めても美味しいお弁当、それはごく普通で当たり前のこと。ただ当たり前の料理を作る、ということほど難しいものはないの幸平クン。このお弁当というテーマは食事処ゆきひらの料理人である、アナタにとっては自分のフィールドで闘うのと同じことじゃないかしら。でもね、お弁当はアナタだけのフィールドじゃないのよ。
『リョウくん、何か作ってるの?』
『うす。お嬢がいきなり、ピクニック行くとか言い出すんで、目的地が遠そうなので冷めても美味しいお弁当を作ってます』
『冷めても美味しいお弁当? そんなものが作れるの?』
『もちろん作れますよ。コツはーー』
一人で戦っているわけじゃない。私の隣にはいつもリョウくんがいてくれる。だからこそ勝たなければいけないの。共に過ごしてきた時間を無駄だと思われたくない。何一つとして幸平クン、アナタには血肉としてあげたくはないわ。
私が作るお弁当は三色弁当よ。
フライパンにオリーブ油、温まってきたら卵を溶きほぐしてから砂糖、塩を加えて混ぜ、火を中火に切り替える。菜箸4~5本を使って混ぜて卵が半熟状になったら一度火からおろし、鍋底をぬれぶきんに当ててさましてから再び火にかけ、細かいいり卵になったら火からおろす。
きぬさやは、縦筋を除いてにんじんは薄い輪切りにして梅型で抜く。塩少々を加えた熱湯にきぬさやを加えてゆでて冷水にとる。水けをきって斜め細切りにしていく。ボールに酢、砂糖、レモン汁、塩を少量合わせて大根、にんじんを入れて10分ほどおいてからしんなりしたら、汁けをきる。大根とにんじんを5枚重ねて巻く。
鍋にひき肉としょうゆ、白煎り胡麻、酒、みりん、生姜汁、塩、胡椒を入れ混ぜて全体に調味料がなじんだら中火にかけて汁けがなくなるまでいり煮にする。
最後にお弁当箱にご飯を詰める。ご飯の上に炒り卵、肉そぼろ、きぬさやを空いたところに梅型にしてある大根と人参を詰めて彩りよく飾れば完成よっ。
一回戦第一試合の対決テーマはお弁当。帰国子女でもあるお嬢にとって、日本独自の文化として世界でもリードする弁当は食事処ゆきひらの看板を背負う幸平とでは分が悪いだろう。おそらく仕出し弁当は厨房に立ち続けた幸平にとって朝飯前。作ることはおろか、食べるであろう相手の気持ちも汲むはずだ。お嬢も分かってて相手のフィールドで戦いを挑む。いつだってお嬢は俺の作った弁当を食ってきた。弁当を作り、食べるその気持ちだって理解してる。
「アリスは幸平くんに勝てるかしら、黒木場くん」
「正直厳しいです。日本の弁当をお嬢が知るには遅すぎた……けど日本式の弁当なら今まで俺がお嬢にたくさん作ってきたので。作る側の気持ち、食べる側の気持ちの両方をお嬢がちゃんと分かってればこの対決テーマは十分闘えるって俺は信じてます」
「幸平くんのレベルでアリスには勝てないって思ってたのだけれど評価を改めないといけなくなるなんて。彼は弁当に対して浅知恵しかなかったのに」
「浅知恵ですか。ただの浅知恵、ただの職人芸、ただの古臭い発想だけの料理人だったら今頃はこの学園には残ってなかったと俺は思いますよ、えりな嬢。幸平の強さは別にあります」
勝てよ、お嬢。
これからも頑張って更新していくので生暖かい目で見守っていただけたら幸いですっ
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