ハウスビー食品の創業者の孫として生を受けた私は双子の妹である、おりえと共に後にレトルトカレー界最大のヒット商品であるカレーのプリンスのパッケージ出演をきっかけにカレー業界へと足を踏み入れた。私とおりえはやがて同社のトップへと登り詰め、今や年間二千億円と言われる日本のカレービジネス市場に君臨するカレーの女王と呼ばれるにまで至った。
そんな私に遠月の学生といえど、ろくにスパイスたるものが何たるかを理解せずに退屈なカレー料理を出してみなさい。その時点で今後何があろうとも絶対にカレー料理に携わることは断じて許さないわ。
「叡山クンの一押しは誰なの?」
「んん……そうですねぇ、一押しというのは難しいですがその実力を見極めたい男が二人ほどいます。あちらに見える赤いバンダナをつけた彼と白いハチマキを巻いた少年です」
「ふぅん。赤いバンダナの子は盛り付けを見る限りでは魚を使ったカレーのようね。もう一人の子はーーさっきまで野菜やスパイスと米を一緒にカレーを煮込んでたとこを見るとカレーのリゾットってとこかしら」
遠目からしか分からないけど、ただの料理人では無さそうね。叡山クンは見た目はこんなナリをしていても人を見る目は養われているから期待をしても良さそう。カレーに関しては一切の妥協は許さないけれど、あの二人に関してはスパイスをきちんと理解してそうじゃない。
「なつめ嬢、あともう一人いましたよ。今大会の予選のお題に沿う男が」
「あら……誰かしら」
「奥の方に見える銀髪の少年です。神の舌と並ぶかは分かりませんが、天性の嗅覚を持っていましてスパイスの扱いには非常に長けています」
「……っ。それを先に言ってくれないとダメじゃない、叡山クン」
銀髪の彼、何処かで見たことがあるわね。汐見ゼミの汐見教授の助手をやっている子だったかしら。これはもう決まりといってもいい。彼はこのAブロック会場の予選で一位通過間違いなし。以前に一度だけ彼の料理を試食した事があるけれど、アレに勝る美食はないわ。
名前は葉山アキラだったっけ。お題に沿う料理に適しているだけじゃない、料理を作る上で最初に感じるものは香り。天性の嗅覚を持つ彼なら、どんな料理をも自由自在に作れるに決まってるじゃない。
『間もなく審査開始となります。各自盛り付けに入ってください!』
さあ、どんな料理が出てくるか楽しみじゃない。
ようやくだ。
中等部時代、俺に多くを教えてくれた黒木場リョウという一人の料理人を越える日が。この男を越えていかなければ俺は遠月の頂点には立てない。潤と俺のコンビが最強だと証明するには最も負けてはいけない相手だ。予選とはいえ、ここで実力差がハッキリする。
現在と過去、あれからどれほど俺が成長したのか見せてやるよ黒木場。昔はスパイスの扱い方から育て方まで多くのことを学ばせてもらったが今は違う。潤の理論を俺が実践で料理する、そこまでの領域にまでなったんだ。
「……絶対に負けねえ」
「調子はどうだ、葉山」
「幸平か……絶好調だ。お前の方はそれなりにやり込んできたみたいだな。夏休みの初日に会った時よりはいい面構えになってる」
「ああ、絶対に勝たないといけねえからな。葉山にも、黒木場にも。黒木場の背中を中学三年の秋からずっと追っかけてきたんだ。うちの定食屋にフラっと現れて俺の親子丼にはまだ何か足りない気がするって言ってたのをよく覚えてる」
「料理には妥協しない男だからな、黒木場は。でもあいつには勝つのは俺だ」
「俺も負ける気はないぜ。ゆきひらの看板を背負うからには誰にも負けられないからさ」
いつになく強気だな、幸平は。
夏休みの最初に会った時とは大違いだ。何かから吹っ切れたような顔持ちを見ると色々あったんだろうな。幸平も黒木場の背中を追っかけてきたっていうのを聞くと俺が知らないだけで、ここにいる選抜出場者の中にどれだけ黒木場の背中を追いかけてきたのか気になるとこだ。
『これより審査に入ります! 審査員は五名、一人ずつ持ち点20をお持ちです。つまり合計100点満点で料理を評価! その得点上位四名が本戦へと進むわけです! ではーーまず一人目!!』
「チキンダールカレーです!!」
『……はい、ダメね。スパイスに関して何も分かってないわね。評価するに値しないわ』
「え、ええ!?」
『そ、それでは得点をどうぞ!! 合計23点です!! え、23点!?』
たったの二十三点。
ハウスビー食品の千俵なつめ審査員は点数すらつけていない、なかなか厳しいな審査員達。あの生徒の名前は知らねえけどチキンダールカレーとしての完成度は高い。インド北部でよく食べられるとされる大衆料理をきちんと表現出来ているが、問題はスパイスだけではないな。この香りは柚だ。チキンダールカレーに使われたスパイスとナンに練り込まれた柚が反発しあって味を殺しているのか。
『で、では気を取り直して!! 二人目!!』
『ーーこんな品に点数をつけろっていうのが無理ね』
手厳しい、まともな点数がつかない。Bブロックも同じような感じなのか。審査員の食器の音だけ響いて会場の雰囲気がどんどん冷めていってるじゃないかよ。調理中の方が会場にまだ熱気あったぞ。三人目、四人目と品を重ねるに続けてさらに静かになる会場。この会場の雰囲気を変える料理人は誰だろうな。この順番からいくと先に品を出すのは黒木場のようだ、お手並みを拝見といかせてもらおうか。
『では……次の方、黒木場リョウ選手お願いします!!』
「俺が作ったのはブリ大根のスープカレーだ」
『あら、やっとまともな品が出てきたようね』
まともな品なんていうレベルじゃないぞ、これは。スープカレーのホールスパイスにどれだけのスパイスを使ってるんだ。アジョワンシード、カルダモン、クミンシード、クローブに香りの嗅ぎ分けが出来ないほどのスパイス。
考えたな、黒木場。あのブリ大根をスパイスの力で優しいスープカレーに変えたというわけか。これからまだまだ選手達の味の採点をしなければいけない審査員達へ胃腸の働きを活性化するとともに胸焼けや胃酸過多に効果的な料理を作り出した。
『おお、日本食のブリ大根とは全く異なる、ブリの旨みとだしにあっさりとした大根、そしてスパイスの奥深い香りが素晴らしい!!!』
『なによ……これ。美味しい、美味し過ぎるわ!! ブリ大根の旨みをスパイスでさらにあげてるし……審査員の私達の身体をも気遣った料理ね』
『なつめ君、それはどういうわけかね』
『彼はブリと大根による悪玉コレステロールを低下させ動脈硬化予防と貧血予防効果に更には大根に豊富に含まれている消化酵素で胃腸の働きを活性化するとともに胸焼けや胃酸過多などに効果的になる品を作ったのよ。もはや、学生の域を越えているわ。スパイスの扱い方に長けているだけじゃない』
黒木場は胃腸や胃酸過多だけじゃなく、動脈硬化や貧血にも予防効果を狙った料理を作ったのか。読みが甘かった。カレー料理にはスパイスが最も重要視されるとずっと思ってた、しかし黒木場はスパイスの扱い方のみならず様々な食材へのアプローチで自分なりのカレーを生み出した。おそらくは黒木場が学んだ数々の料理の中から掛け合わせたものなんだろう。
『では黒木場リョウ選手の得点をお願いします!! 得点はーー97点です!!』
壁が高いほど越えた時の達成感は大きい。
「よう、葉山。お嬢の恩に報いるために、この大会で絶対に倒さなきゃいけない奴がいるからには立ち止まってはいらねえからな」
「……黒木場。俺は本戦なんかでは待ちきれないからな。今ここでお前を倒すぜーー」
今こそお前を越える時だ。
最後まで読んでいただき感謝です(*^^)