遠月離宮の一室。
四ノ宮シェフに退学を言い渡された私は荷物をまとめている。極星寮のみんなに直接会ってお別れを言えないのは凄く悲しいけど、会ったらこんなみっともない姿を見られちゃうのは恥ずかしいし、これで良かったのかもしれない。涙を流し過ぎて腫れぼったくなった瞳、真っ赤な顔を見られるのは嫌だな。これからどうしよう、実家に帰って普通の高校に通いながらお家の、旅館のお手伝いでもしながら料理を学ぼうかな。
「これで……本当に終わりなんだなぁ」
そう考えるとまた涙が溢れそうになる。
「終わりじゃありませんよ、恵ちゃん」
「ほ、ほぇ……? なんで乾先輩が……」
部屋の扉の前に立っているのは乾日向子さん。遠月茶寮料理學園の八十期卒業生。女性料理人にして、最高位の十傑第二席に座するなどかなりの実力者。現在は日本料理店“霧のや”の女将をしている。 割烹着に身を包んだおっとりとしたマイペースな女性に見えるが、在学時代は霧の女帝と呼ばれ恐れられていたらしい。 そんな凄い人が退学の烙印を押された私に何の用だろう。
「つい先程、四ノ宮先輩から恵ちゃんが退学になったことを電話で聞きました。本来は宿泊研修を終えた後にでも話そうと思っていたのに、悪魔でひねくれ者の四ノ宮先輩が恵ちゃんを退学にしたせいで、居ても立っても居られずに来ちゃいました。一目見た時から料理に対する健気な心があるのはプロの料理人として、分かっていました。もしーーあなたさえ良ければ住み込みで日本料理店、霧のやで料理人として修行しませんか? 退学は取り消せませんが、遠月学園を去って料理をやめるのは非常に勿体ないと私は思うんです」
「私なんか……ミスしてばかりで使いものになんか」
「料理人に大切なものは、心です。日本料理界を背負う者の一人として断言しますよ、恵ちゃんは四ノ宮先輩なんかより立派な料理人になれちゃいますからねっ!!」
「う、うぅ……こんな、私なんかを……」
捨てる神あれば拾う神あり、なのかな。
一日の課題を終え、遠月離宮の大宴会場。
今日のゲスト講師の一人である水原シェフに出された課題は私の舌を唸らせるようなイタリア料理を作りなさいという無茶振りと言わんばかりのものだったが、無難にこなした。食材は指定されたエリアから自由に採ってきて使うというもので俺が作った品はイタリアの家庭料理である、チキンカチャトーラだ。
カチャトーラとはイタリア語で狩人、猟師のこと。狩を終えた猟師さんが獲物と森で採れるものをささっと集めて作った料理、と言われていることから、この課題には最適だと俺は判断した。遠月学園第七十九期卒業生であり、イタリア料理店、リストランテ・エフのシェフを務める彼女の舌を唸らせるにはただ普通に作ってもだめなので、隠し味に山椒を使ったが幸いし、少々毒舌ながらも良い評価をもらった。
良い評価をもらった、のは良かったものの満足はしていない。イタリア料理自体、最近作っていなかったので料理の腕が少し落ちていた。おそらくは誤差の範囲内だと思うけど、それは自惚れを生む。薬膳料理、イタリア料理と俺の料理人としての改善点が浮き彫りになり、とても充実した研修だと思う。
「あら、リョウくん。いつも以上にぼーっとしてるけど何かあったの?」
「あー、この研修で自分の料理人としての改善点が見えてくるから充実してるなあって考えてました」
「研修で自分の改善点を見つける余裕があるのはリョウくんくらいじゃないかしら? 無難にこなせるけど、そこまでは頭が働かないわよ」
それはお嬢が頭を使わないだけなんじゃ、と考えたがすぐにやめた。視界に映った幸平の様子がどこかおかしい。いつもなら極星寮の面子と話すあいつは愉快そうに笑っているのに、幸平どころか極星寮の面子全員が葬式よろしくと言わんばかりに重い空気を周りに散らしている。何かあったのだろうか、いや俺から話しかけるのも気まずいから向こうから話すまではそっとしておこう。
「そういえば、制服に着替えて大宴会場に集合って何なのかしら」
『全員、ステージに注目、集まってもらったのは他でもない。明日の課題について連絡するためだ。課題内容はこの遠月リゾートのお客様に提供するのに相応しい朝食の新メニュー作りだ。朝食はホテルの顔、宿泊客の一日の始まりを演出する大切な食事だ。そのテーブルを派手やかに彩るような新鮮な驚きのある一品を提案してもらいたい』
騒がしかった大宴会場が堂島シェフの一声によって静まり返る。明日の課題について連絡をするならば普通は明日にでも済むだろうに、そうせずに今日の夜に伝えるということは早急に取り掛からないといけないような課題。確かーー朝食作りだったっけか。
一日の始まりを新鮮な驚きのある一品って結構な無茶を言うぜ。二日目の課題を終え、実力者達ですら余裕とまではいかないにしろ、精神的にも体力的にも大分削られているのに、ここで止めを刺すように派手やかに彩る料理を創作するとなると時間はかなりかかる。
『メインの食材は卵。和洋中といったジャンルは問わないが、審査は明日の午前6時だ。その時刻に試食出来るよう準備をしてくれ。朝までの時間の使い方は自由、各厨房で試作を行なうのもよし、部屋で睡眠をとるのもよしだ。解散!!!!』
まずは睡眠、じゃないな。
宿泊客の一日の始まりを派手やかに彩り、驚かせるような一品。しかも卵料理と来たもんだ。とりあえず、厨房にでも行って卵を眺めていれば吃驚するような卵料理を思いつくかもしれない。お嬢はどうするつもりだろう、負けず嫌いだろうから、必然的に厨房には行くだろうけど。ここの厨房にはお嬢が料理に使う設備は整っているかが心配だな。まあ、今はお嬢の心配していられるほどの余裕はないな。
「私は料理に必要な設備がある厨房を使うから、リョウくんとはここまでね。あっ、私よりも先に寝るのは許しませんからねっ」
「うす」
今日は徹夜コースだな。
朝の始まりで食べる卵料理。
今回は試作をお客さんに食べてもらえるように準備することを言われていたな。それは最もだが、手に取ってもらわないと食べることはない。どうせなら、たくさんの人に俺の料理を食べてほしい。
たくさんの人が来るのを仮定するとビュッフェしかないだろうな。料理がテーブルにまとめて載せられ、ゲストが料理を取りに行くという食べ放題形式の食事スタイル。好きな料理を好きなだけ食べられるのが特徴だが、それは同時に冷めていても美味しくなければいけない。
赤いバンダナを頭に巻く。
「ーー試作の開始だ」
どのタイミングでどれを取るのかは客次第。見栄えを持続させ、冷めても美味しそうに見える料理。確かに見栄えも大事だが、ビュッフェ形式となると料理人が客に見られるだろう。それを活かすとなるとライブクッキングだ。客の目の前で料理を見せることで魅了し、俺の料理の腕とその料理自身の美味しさを目で見て肌で感じてもらう。そして料理を食べてもらい、美味さと驚きを届ける。
「手始めにスパニッシュオムレツを作ってみるか」
ジャガイモの皮を剥き、縦に二等分にし一ミリにスライスし、玉ねぎも二等分にして一ミリにスライスする。鍋にオリーブオイル、ニンニクのみじん切りを入れて中火で炒めていく。香りが出てきたらスライスした玉ネギを入れ、コショウで味付けし、しんなりするまで炒める。ジャガイモに塩を加えたら、鍋に加えて約二十分、焼き目をつけるように炒める。この時点でスパニッシュオムレツは選択肢から外れるな、時間がかかり過ぎているのでアウトだ。
卵はコシを切るようにしっかりと混ぜる。炒めた具と塩を加え、混ぜていく。ソースは卵、ニンニクみじん切り、塩、オリーブオイル、EXバージンオイルをハンドブレンダーで撹拌する。鍋二つにオリーブオイルを加えて煙が出るまで強火で熱し、油は捨てる。鍋に炒め用の油を再度加えたら卵と具を合わせたものを流し入れ、高速でスクランブルする。卵に七割程火が通ったらもう一つの鍋に移し、形を整える。そして焼き色がついたら裏面にも焼き色をつけて完成だ。
「盛りつけて……いざ、試食。美味い……けど、時間がかかるんだよなあ」
色々考える必要があるな。
読んでいただきありがとうございます(`•∀•´)✧