prologue 前編
黒木場リョウ。
それが俺の名だ。物心がついた時には包丁を片手に北欧の港町にあるレストランで荒くれ者の船乗り達相手に料理を振るっていた。ああ、ここでもう気付いただろう。食戟のソーマの世界じゃん、やべえよ。何この鬼畜世界。
前世では大衆食堂を営んでいた料理人だが、ベッドに入って目が覚めたら北欧に居て黒木場リョウになってた。ああ、ぶっちゃけ俺も何言ってるんだか分からない。ただ一つ言えるのは、店を追い出されればのたれ死ぬしかないということだ。
厨房は戦場、料理はねじ伏せる物。まさにその通りだった。大人に混じって料理を作り続けるのには非常にプレッシャーがあった。これは恐らく身長差のせいだ、と俺自身に言い聞かせた。そうでもしないと自我を保てそうになかった。
そんな荒くれた幼少期に薙切アリスこと、お嬢が現れ、俺を拾ってくれたのだ。料理勝負を挑んできたので日本料理を作って返り討ちにした、一瞬の出来事だった。その一戦以来、来る日も来る日も勝負を挑み続けてくるアリスは負けに負けを重ね続けた。
見るに見かねたアリスの両親は俺に従者の話を持ちかけてくれた。どうやら、アリスが家に帰るたびに従者にして毎日勝負したいと言っていたらしい。あと、野良犬みたいで可愛いと。野良犬は余計だ。
「ところで、リョウくん」
「なんすか、お嬢」
「えーっと……食事処ゆきひらって言ってたかしら? 本当にそこの料理美味しいの?」
「まぁ、風の噂で聞いただけなんでなんとも言えないすけど」
「今までリョウくんが自分の料理以外で美味しいなんて聞いたことないから味は確かでしょうね♪」
遠月学園の中等部三年の秋、従者としての生活にようやく慣れた俺はお嬢に食事処ゆきひらの名前を出した。この世界での元・十傑第二席のレベルがいかがなものか、料理人としての血が騒いで仕方ないので秋休みを使ってお嬢に食べてみようと進言してみる。
ダメ元ではあったけど、結果はオーライ。お嬢自体、昔から貪欲にいろいろな味を求めていたが日本の大衆食堂には数えるくらいしか入ったことしかないのも含め、俺が進言したことで興味がわいたのかもしれない。
「あら、着いたようね。じゃあさっそく入りましょう♪」
「うす」
食事処ゆきひら。
まさか本当にやって来る日が来ようとは。心做しか胸が躍るじゃねえかよちきしょう。楽しみで仕方ない。一つの皿に料理人の魂は宿る。その皿に料理人の人格から人生、そんなものが滲み出てくるのだから幸平城一郎さんという料理人から一体、どんなものを感じられるんだろうか。
「毎度、いらっしゃい!!」
「あら、元気良いわねっ♪」
出迎えたのは額に傷がある赤髪の少年だった。恐らくは幸平創真だろう。握手してサイン貰いたい欲求を抑えてメニュー表へと目を通す。
横からお嬢が意味深な視線を送ってくるのでとりあえず視線だけ向ける。何故かお嬢が頬を膨らませていた。
「むーっ。メニュー表、一つしかないのにリョウくんだけ見てるからでしょ! レディファーストって言葉を知らないのかしら!?」
「すんません、お嬢の存在忘れてました。あ、俺は親子丼でお願いしまーす」
「もうっ馬鹿!! とりあえず私も同じのお願い!!」
「親子丼、少々お待ちを!!」
お手並み拝見といきますか。残念ながら厨房には幸平城一郎さんの姿は見えない。どうやら幸平創真が作るらしい。
それはそれで楽しみであるのだが、お嬢が頬を膨らませながら俺の頬をつんつんしてくる。やめい。
「ふーん、さっきのホールの子が料理を作るのね。見た感じ同年代っぽいけれど……彼、私達と同じ匂いがするわ。気のせいかしら」
どうやら、お嬢も気付いたらしい。手際の良さもそうだが、同じ料理人としての血が騒ぐのだろう。まだ遠月学園に編入していない時点でも幸平創真という料理人のレベルの高さが垣間見える。
果たして今日の料理を食べてみて、今のお嬢が自分の料理をどう思うか。恐らく今はまだお嬢が上だろうけど、現状維持かそれともさらに高みを目指すか。でも、お嬢はプライド高いしめちゃくちゃ子供っぽいとこあるからなあ。
「ゆきひら流・ふわふわ卵の親子丼、おあがりよ!!」
「いただきまーす♪」
ふぅん。普段は荒々しかったり、静かだったり忙しない駄犬のリョウくんが進めてきたお店だけあってなかなか良い品が出てくるじゃないの。
柔らかい鶏肉とトロトロの玉子が絡み合って香ばしい香りが際立っているわ。んっ。これは胸肉じゃないの。パサパサしがちな胸肉に片栗粉をまぶして柔らかお肉に変身させたのね。
しかも片栗粉を使ったおかげでさらに玉子までふわふわに仕上がっている……これ本当に彼が作ったのかしら。遥かに学生のレベルを超えている一品だわ。
「お、美味しい……!! まるで鶏肉と玉子が奏でるハーモニー!!」
「……!! 美味い!!」
「へへっ。そうだろ? でもまだこの親子丼の真価はこんなもんじゃない!! 箸をもっと進めてみてくれ!!」
箸を進めると玉子の下には散りばめられた刻み玉ねぎ。玉ねぎに玉子が染み込み、さらに香りに深みが出て香ばしくなってしまうじゃない。
美味しくて箸が止まらない。私やリョウくんの料理には敵わないけど、この料理にはどこか温かみがあって優しさを感じる。
「美味しいけど……この親子丼にはまだ何か足りない気がする。お嬢もそう思いませんか?」
リョウくんが真剣な表情でそう、呟いた。
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