楓の木の下でまた貴方に恋をする   作:かえるくん

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 おひさしぶりです。どうぞ。


第九話

 木々のざわめく音が変に耳につく。私は未だ整っていない胸の中を、しっかり言葉にできるように並べていた。先輩は話を聞いてくれと言った私の口が開くのをじっと待ってくれている。優しく頬を撫でるように風が吹いた。燃え尽きた焚き火からはもう煙は出ていない。私は靡く横髪をそっと耳にかけるとゆっくり口を開いた。

 

「少し前から夢を見るんです」

 

 私の声だけがその場にはあった。先輩は特に頷くこともなく、ただただ耳を傾ける。

 

「最初は暗闇の中で男の子が膝を抱えて泣いている夢でした。顔も見えない、触れることもできない。目が覚めたら胸が痛み、涙が溢れる。全く身に覚えのない夢。これが先輩に出会う前の話です」

 

 私はその夢を頭に呼び起こしながら言葉を並べていく。やはり今になってもあの少年の顔は思い出すことは出来ない。

 

「ここで先輩に会ったあの日、先輩がその男の子とそっくりな格好であそこに居たのを見つけたときは驚きました。夢を切り取ってそこに置いたかのようなくらいにそのまんま。だから思わず手を伸ばしたんです」

 

 今度はついこの間の出来事が浮かんできた。話したことも、交わした約束も、全部鮮明に思い出せる。あの時私達は初めて出会ったはずなのに、なぜか心の奥底がうずいてしかたなかったことも。

 

「それから一度だけ、少し違う夢を見ました。男の子が出てくるのは一緒なんですが、場所がここだったんです。あの時の先輩と全く同じように。そして、その子に触れることが出来たんです」

 

 少年が顔をあげる前に目が覚めてしまい、顔は見れなかったが今はもう顔がわからなくても確信が持てる。あの少年が誰なのかなんて。

 

「あれはきっと、先輩だったんですね。諦めて、一人塞ぎこんで、寂しさを抱えたひとりぼっちの男の子。不器用で失敗ばかりの男の子です。ちゃんと手を伸ばせて、触れられてよかった」

 

 もう先輩を一人にさせたくない。そう思ったとき、ふとこの前約束したときに頭にちらついた少女と少年の映像が頭をよぎる。たぶん、あれも私と先輩なんだろう。そしてその約束が……。

 

 私は先輩の方に目をやる。目が合うと先輩はへへっと少し照れくさそうに笑った。それにつられて私も声を出さずに静かに微笑む。傾き始めた太陽は色を変え、すべてを己の色へと染めていく。

 

「そして最後の夢は、満月の下ここで私が泣きながら何かを呟く夢です。さっきおじいさんが教えてくれた条件がほとんど揃っています。もしこの夢が本当にあったことなら、私のその一言でこんなことになってしまったのかもしれません」

 

 震えそうになる声を抑えて最後まで言いきる。先輩の顔は見れないのでひたすらに遠くの空を見つめていた。細切れの雲がゆっくりと流れている。ずっと黙っていた先輩が口を開いた。

 

「そういうことだったのか。それで元凶の自分がなんとかしないとって思ったと」

「まあそんなところです」

「でも実際どうだかな」

「どういうことですか?」

 

 先輩が嘲笑うように言った言葉に反射的に聞き返した。その問いに先輩は苦い顔をしながら答える。

 

「お前が意味もなくそんなことするわけがない。たぶんお前を泣かせた、元凶の元凶を作ったのは俺だ」

「どうしてそうだと?」

「実はな、俺も最近お前と同じで夢見るんだ」

 

 先輩の意外な一言に私は驚き小さく声をもらしてしまう。先輩は膝の上で手を広げるとその掌を見つめながらぽつぽつとこぼし始めた。

 

「いつからだったかな、たぶん修学旅行から帰って来た時くらいからか。俺がいろんなもの壊しちまった後。夢の中で俺は何かを大事そうに抱えているんだ。壊れないように、傷つけないように。でも俺は何を思ったのかそれを放してしまう。手から離れ行くそれはどこかへ消えてしまい、残ったのは空っぽの掌だけ」

 

 掌を開いたり握ったりしながら先輩は言う。その声は落ち着いていて今にもかき消えそうで、けれどもどこか重かった。定期的に吹く風が私達を通りすぎていき、その度肌に突き刺すような寒さを残していく。取り囲む木々もそびえ立つ楓もざわめき葉を散らした。

 

「それで最後に、誰かの泣いた横顔がちらつく。何回見ても俺はそれを手放してしまうんだ。あんなに大切に思ってるのに、いつもいつも。俺は全然変わっちゃいないんだ。今も昔も、バカなんだな」

 

 そう言って顔をあげると、むこうの空を眺めながら最後に鼻で笑った。その横顔につい見とれてしまうが、私はすぐに意識を引き戻す。

 

「いいじゃないですか、バカでも。それが先輩なんですから。私は離れてあげませんよ。先輩が手を離したってしがみついてやりますから。後悔してももう遅いです」

「あはは、お前は俺にはもったいないやつだな」

 

 私の方を向いて笑いながら先輩は言った。それに私は間髪いれずに返す。

 

「違いますよ。私だから先輩といれるんです」

 

 その言葉に先輩は一瞬表情を固めるが、少しだけ口の端をあげると再び空へ目をやった。何も言葉は発しなかったがそれでいいのだろう。もう言葉はたくさん交わしたから、今はその横顔だけで充分だ。

 

 私も先輩の横で肩を並べて空を眺める。橙に包まれたこの神社はただ二人だけの空間。いや、二人と一本の世界。木々の小さなざわめきと静寂がその場に交互に訪れる。けれどもそこは不思議と賑やかだった。

 

 

   _____________

 

 

 

 クローゼットを漁り、良さげな服をベットの上に放っていく。既に数着の衣服が並んでおりベッドの上をほとんど隠しってしまっていた。クローゼットから顔を出しベッドの元へと移動し、ひとつひとつ手にとって姿見の前で体に当てていく。十数回それを繰り返し気に入った組み合わせを見つけると、残った服をすべてしまいさっさと着替えてしまう。軽い化粧をし、机の上に用意しておいたバッグの中をチェックして肩にかけた。終いにもう一度姿見の前に立つと、細かいところに目を配る。

 

「よし、こんな感じでいいかな」

 

 ひとつだけ頷くとそのまま部屋を出ようとドアの取っ手に手をかける。

 

「あ、そうだ」

 

 戸を少し開いたところであることを思いつき、机に持っていた鞄をおくと横にかけてある学生鞄を手にとった。持ち手から黒猫をぶら下げているリボンをほどくと、それをバッグの方へ結び直す。

 

「これでよし」

 

 黒猫が見えるよう鏡にバッグを映し出し、指先で小さく黒猫を弾く。揺れ続ける猫を確認し、今度こそ部屋を出てリビングへと降りた。そこでは他所行きの格好をしたお母さんが慌ただしく準備をしている。

 

「あれ、いろはもお祭りいくの?」

「うん。言ってなかったっけ?」

 

私の存在に気づくとお母さんはいったん手を止めた。そういえば話していなかったような気がする。

 

「久しいわね。誰といくのかな?」

 

 少しにやけた顔でお母さんが聞いてくる。子のそういう詮索はやめてほしいが、今からいく場所は同じなので隠しても意味ないだろう。

 

「ちょっと……、先輩と?」

 

 お母さんから目をそらし、人差し指で頬を小さくかきながら答えた。それを聞いたお母さんはちょっと驚いた表情をすると口を開く。

 

「あら、懐かしい名前が出てきた。それって昔言ってたあの先輩君?」

 

 どうやらお母さんの前で先輩と言う言葉を口にしたことがあるらしい。しかし今では何も謎ではない。私と先輩は間違いなく会っているのだから。私はお母さんの方に顔を向けるとニコッと笑う。

 

「うん、きっとその先輩。行ってきます」

 

 お母さんの見送りの声を背に家を出る。昼時だけれど外は寒かった。それでも体の芯は何故か、温かい。

 

 時間は1時。先輩との待ち合わせは1時半。場所はいつもの交差点。私はそこへ向けてゆっくり歩みを進めていた。この時期は5時にはもう真っ暗になってしまうので祭りは4時までだ。午前10時には始まっていて会場は今頃人でごった返しているだろう。祭りはこの街の商店街で行われる。車道を数本通行止めにして露店が並ぶのだ。さらにそのすぐ近くにある大きめの公園には少しの露店とステージが用意され色々な催しが開かれている。お母さんは最後にある町を大勢で練り歩きながら踊るのに参加するらしい。

 

 そしてそこはいつもの神社から少しだけ遠い。祭りが終わってから向かえばすっかり暗くなっているだろう。きっと満月も綺麗に見える。きっと、上手くいくはず。自然と上着のポケットにいれていた手に力が入る。大きく息を吸い吐き出すと、昨日の帰りを思い出していた。

 

 

   _____________

 

 

 

 帰り道、私達は口を開くことなく黙々と歩いていた。神社を出るところから言葉は交わしていない。あれからずっと居心地のいい沈黙に浸り続けている。

 

「なあ」

 

 突然先輩が口を開いた。私は返事をする代わりに顔を先輩に向ける。辺りはだいぶ暗くなっており、もうまもなく暗闇に包まれてしまうだろう。

 

「明日、最後また神社に行こう」

「何かあるんですか?」

「あれから考えたんだが、もしお前の言うことが本当に起こったのなら同じ方法を使うしかないって思ってな」

 

 先輩は私の目を見るとそう言った。つまり願いで消えてしまったのならまた願って取り戻せばいい、ということだろう。

 

「でも一人一回までですよ?」

「大丈夫だ。俺の分がある」

「いいんですか?」

 

 貴重な一回だ。もし他に手があったり、本当は違ったりしたら無駄になる。後に後悔するかもしれない。

 

「いいよ。一生に一度、それで取り戻せるなら充分だ。失敗するかもしれない、意味ないかもしれない。それでも俺は取り戻したい。例えそれがどんなものでも、胸を締め付けても、ちゃんと俺達が持っていないといけないものだからな」

 

 私も同じだ。なくした過去が綺麗でもそうでなくても、大事な先輩との数ページ。それは何にも変えがたい。

 

「そうですね。でもそれがどんなものでも私は先輩の傍を離れませんよ。私が好きになったのは今の先輩なんですから、関係ないです」

 

 にひっと最後に笑みを向ける。先輩はぷいっと首を振って顔をそらしてしまった。

 

「やめろ、恥ずかしぬ」

 

 そんな先輩が面白くて最初は笑っていたが、次第に恥ずかしさが込み上げてきて顔が自然と下を向く。結局そこから別れるまで言葉を交わすことは出来なかった。

 

 

   ______________

 

 

 

 少し余計なところまで思い出してしまい顔が熱くなっていく。心なしか靴と地面がぶつかる音も早まった気がする。気づけばいつの間にか交差点についていて、横の花壇にはコスモスが花を咲かせていた。ここ数日で数は減ったがまだまだこの灰色だらけの交差点を彩っている。

 

「よう」

「ぬぁ!」

 

 急に近くで声がしたのでびっくりして変な声が出てしまう。顔をあげるとそこには私服姿の先輩がいた。ずぼらなイメージの先輩にしては結構しっかりとした服装をしている。

 

「くくっ、なんだよぬぁって。大丈夫か?」

「もう、びっくりさせないでくださいよ」

 

 拗ねたように少し頬を膨らませて先輩を睨む。足元ではコスモスが風に揺られている。

 

「だって来たと思ったら全然俺に気づかないし、おまけにそこの花壇眺めて動かないし……」

「それは、すいません。けどちょっとさっきのは記憶からデリートしてください」

「いや、いろはとの大事な記憶だからしっかり焼き付けとく」

 

 先輩は今にも笑いそうになるのを懸命に堪えて精一杯の真顔でそんなことを言ってきた。折角いいこと言っているのに台無しだ。

 

「へっ、もういいです。さっさと行きましょう」

 

 私は先輩の横を通りすぎて祭りをやっている商店街へ続く道を黙々と進んでいく。先に歩きだした私に追い付こうと先輩が少し駆け足で私の斜め後ろについた。道にはこれから祭りへ向かう人や帰ってきたのであろう人がちらほらと見える。

 

「そろそろ機嫌直してくれよ」

 

 黙ったままの私に先輩が顔を覗き混みながら横に並ぶ。私は相変わらず黙ったまま。

 

「よし、ならなんかひとつ奢るから」

 

 その言葉に私はふっと顔をあげて先輩を見る。

 

「やった、待ってましたその言葉。約束ですよ」

 

 そんな私の顔には拗ねても怒ってもいない、ただちょっと意地悪な笑みがあった。それを見た先輩は顔をひきつらせると苦笑いを浮かべる。

 

「やられた」

 

 そう言って先輩は肩をすくめた。それからは二人肩を並べて歩いていく。

 

 商店街が近づくにつれ人の数が増える。私達と反対側に歩いていく人、つまり祭りの帰りの人たちは子連れの家族が多い。それに対し商店街へと入っていく人には学生が多いようだった。おそらく部活帰りなどであろう。気づけば私達も商店街の入り口の前に辿りついていて、往来が少しばかり激しい中を離ればなれにならないように進んでゆく。入り口から遠ざかるほど露店の密集具合は増していき、人もそれにつられ多くなっていた。

 

「いろいろあるなー。にしてもあと二時間で終わるのに相変わらずの人だ」

「皆ぎりぎりまでいるんじゃないですか? 私たちみたいに。それにそこそこ広いですからね。全部見て廻るってだけでだいぶ時間潰せちゃいますよ」

 

 私達はひとまずいろいろ物色してみることにした。露店の値段はどこも似たようなものだから気にする必要はないが、どうせなら一番美味しそうなところで買いたい。粉ものは特に。ラインナップはほとんど夏祭りと同じだ。違うところと言えば寒いのでかき氷屋がほとんどないのと、焼き芋や温かい汁物を出す屋台が増えているところくらいだ。

 

 しばらく歩いていると立ち並ぶ屋台の中にリンゴあめ屋を見つけた。祭りに来たときくらいしか食べる機会がないそれに他のものと比べ一段と興味をそそられる。ついついぼーっと眺めながら歩いていると先輩が口を開いた。

 

「あれ食いたいの?」

「そうですね、こんな時しかチャンスありませんし」

「そうか…」

 

 そう残すと先輩は屋台へと向かい、ひとつだけリンゴあめを買った。私の元へと戻ってくるとそれを差し出してくる。

 

「ほれ」

「くれるんですか?」

 

 私の質問に先輩は差し出した手をさらに突き出し答える。

 

「奢るって言ったからな」

「ありがとうございます。では、ちょっと待っててください」

 

 先輩からあめを受けとると、私はリンゴあめの屋台がある方とは反対の方へと向かう。ひとつの屋台の前へとやって来ると店番をしているおじちゃんに声をかける。

 

「すいません、これひとつください」

「へい、まいど」

 

 小銭と引き換えに大きめの袋を受けとると、先輩を残してきたところへ戻った。

 

「何買ってきたんだ?」

「これですよ、わたあめです」

 

 半透明の袋には白色のもふっとした物体が詰められている。私はそれを先輩に差し出した。

 

「何、くれんの?」

 

 先輩は意味がわからないと言いたげな顔をしながらそう言った。

 

「はい、奢ってもらうとは言いましたが奢らないとはいってないです。一人だけ食べてるのは寂しいですし、それに一緒にって約束でしたから」

「でも、なんか手間だな」

「手間だからいいんですよ。そっちの方が一緒って感じがして」

 

 私は先輩が出した手の上に袋を置きながら微笑んで答える。先輩はそれを受けとると袋を見つめながら首を捻った。

 

「そうか? ……そうかもな。ありがと」

 

 終いに私の方を向いて不器用に笑いかけてきたので、私もそれに微笑みを返すと再び二人で歩き出す。私はリンゴあめを包んでいるセロハンを外し一口かじる。先輩は袋を閉じているゴムを取り、一掴みの綿を口へ放り込んだ。

 

「甘いな…」

「そうですね…」

 

 周りの喧騒が少しだけ遠くに聞こえる。私達の傍を数人の子供達が駆け抜けた。それに続き、子を連れた親子やジャージ姿の中高生とすれ違う。そして小学生の男の子と女の子とも。

 

「あれは…」

 

 つい声を漏らして振り向いてしまう。そこにはこの前神社へ向かうときに見かけた彼らの仲睦まじい後ろ姿があった。男の子は持っているフライドポテトを女の子の口と自分の口に交互に運んでいる。そんな彼らの姿もすぐに人混みに紛れて見えなくたった。

 

 私は少しだけ開いてしまった先輩との距離を駆け足で0にする。一回手に持っていたリンゴあめに目を落とすと、それを横を歩く先輩の顔の前へと突き出した。

 

「ん、なんだ?」

 

 先輩は突然目の前に現れた赤色の物体を見ると私へ顔を向ける。

 

「一口あげます」

「いいのか?」

「はい」

「なら、ありがたく」

 

 私が頷きながら答えると、先輩は一言礼を言いそれをかじった。先輩の口が離れたのを確認して自分の元へと戻す。きっと今の私の顔はこの少しだけ小さくなったリンゴあめとそっくりな色をしているに違いない。

 

 視界も自分自身も真っ赤になっているところに不意に白が混ざる。柔らかそうで優しい白だ。隣を見ると、先輩がちぎったわたあめを私の目の前に差し出していた。

 

「ほれ、お返し」

「あ、ありがとうございます」

 

 私はそれに口をつける。わたあめはすぐに口の中で姿を消し、かわりに甘さを残していく。しばらくその甘さに浸っていると、私が食べきれなかった分を先輩が自分の口に入れた。私はその手の動きをずっと見ていたので最終的に目は先輩の顔へと向かう。ふと先輩と目が合った。

 

「ん、なに。なんかついてる? というか顔赤いけどどうした」

「どうかしたというか、その、先輩は気にしないのかなーと思って」

「何を気にする……、あ」

 

 どうやら気づいてなかっただけのようだ。その証拠にそっぽを向いた先輩の顔も私と同じで赤みが増していく。

 

「その、悪かったな」

「別に悪くはないですよ、嫌じゃ…なかったし」

 

 二人とも上手く声が出せず、つっかえつっかえ言葉を絞り出していた。それからしばらく二人を沈黙が包み込む。そんな二人の頬はリンゴあめとわたあめを混ぜたような淡い桃色をしていた。

 

 

   _____________

 

 

 

 気づけば時間は4時、祭りの終わりだ。屋台が次々と撤収の準備を始める。人も皆、名残惜しさを残しながら後ろ髪引かれる思いで自分の家へと帰ってゆく。私達もその流れに乗り、来た道を戻っていた。

 

「やっぱ最後の躍りの行列はすごかったな」

「そうですね。実はあの中に私のお母さんいたんですよ。私達には気づいてなかった見たいですけど」

「え、まじか」

 

 横で先輩が驚きの声をあげる。商店街から出たばかりは人が多かった道も、いつもの交差点が近づくにつれ閑散としていく。太陽はずいぶんと傾いていて、空ではまん丸の満月が存在感を強めていた。

 

 交差点につく頃には周りにいた人はすっかりいなくなっており、街頭が薄暗い道を照らしている。肌寒さも少し増した。

 

「よし、行くか」

「はい、行きましょう」

 

 あの日から何度も通った道を進んでいく。目立たないコンクリート塀に挟まれた狭い脇道、小さな山に沿った道、多くの木々に囲まれた石段。一段一段噛み締めるように上る。幾度となくくぐった古ぼけた鳥居をぬけ、月明かりに照らされた境内へと踏み込んだ。社へと続く石畳を無視して砂利の散らばった上を歩く。そして、その先には相も変わらず堂々とたたずむ楓の木。

 

 先輩と私は二人で並んでそれを見上げる。やはりいつ見てもこの楓には心打たれるものがある。

 

「いろは、大丈夫か?」

 

 右隣の先輩が楓を見上げたまま聞いてきた。

 

「はい、大丈夫です。先輩こそ大丈夫ですか?」

 

 私も同じことを聞き返す。

 

「ああ、大丈夫だ。と、言いたいところだが、やっぱ少し怖いかな」

 

 笑いながら先輩はそう言った。ここに来てから初めて先輩の顔を見るが、その横顔は言葉のわりに案外平気そうだ。もしかすると私の方が不安な顔をしているかもしれない。本当はこの先の未知が、道が不安で仕方ない。口ではいくらでも強いことは言えたが、もうそれを誤魔化すことは難しい。震えそうになる体を押さえ込むので必死だ。

 

 一人葛藤していると、突然右手が温かいものに包まれる。手に目を落とすと先輩の左手が私の右手を掴んでいた。

 

「何が大丈夫だ。震えてんじゃねーか」

「そんなの、先輩だって同じでしょう」

 

 私の手を握った先輩のその手も少しだけ震えていた。

 

「違う、これは寒いからだ」

 

 先輩はみえみえの強がりを続ける。そんな先輩を見ているとなんだか笑えてきた。そのせいか強ばっていた体から力がぬけてゆく。

 

「なんですか、それ」

「なんでもねーよ。忘れてくれ」

「忘れませんよ、大事な思い出ですから」

「おいそれ…」

 

 顔を合わせると私達は小さな声で笑い合った。繋がった手を中心に私達を温もりが包み込む。

 

「んじゃ、始めるか」

「そうですね、始めましょうか」

 

 私達の頭上では満月か輝いている。風が止み、木々のざわめく音もなくなり沈黙が訪れた。そこに先輩の声だけが響く。

 

「いろはの願い事を取り消して、俺達の過去を、記憶をもとに戻してください。お願いします」

 

 頭を下げる先輩に続いて私も腰を折る。しばらくそうしていたがどれくらいたっただろう、私達は揃って顔を上げた。

 

「何か、変化はあったか?」

「いえ、特には」

 

 二人で首を捻る。はずれ、だったのだろうか。静まりかえった神社も楓の木もなんの変化もない。私達にも、私達の記憶にも。

 

「違ったのか?」

「また、考え直さないといけな」

 

 そのときだった。強い風が私達に、神社に、楓の木に吹き付ける。あまりの強風に私は言葉を引っ込めざるおえなかった。私達は互いの手をさらに固く握りしめる。吹き続けるその風はどんどん楓の葉を巻き上げ視界を埋め尽くしてしまう。それに耐えきれず私達は目を強く閉じた。

 

 そして、意識は手放される。

 





 まず、遅くなってすいません。待っていてくれた方には申し訳ない。こんなこと前回も言った気がする。

 おそらくこの話も次回で、もしかしたらその次で終わりです。たぶん。

 読んでくださりありがとうございます。また投稿したときは読んでくれると嬉しいです。

 ではまた次回で。

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