楓の木の下でまた貴方に恋をする   作:かえるくん

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 お待たせです。


第六話

 真っ暗な中に一人の亜麻色の髪をした女の子がしゃがみこんで背中を震わせている。これは、私?

 

 そう思った途端、その少女を中心に風景が浮かび出す。足元には砂利が敷き詰められた地面が広がり、見慣れた葉を落とす楓の木、古い社、ぼろっちい鳥居が次々と姿を現した。空には綺麗な満月が昇っていて、そのほのかな光が神社とその少女を照らす。木々の揺れる音とすすり泣く声だけが聴覚を支配している。未だにしゃがんだままの少女を遠巻きに見つめていた。足は全く動かない。眺めているうちにそれが今より少し幼い自分であることを確信する。

 

 その私は泣きながら何かを呟いた。するとずっと吹いていた風が止み、音がなくなる。私はその不自然な状況に戸惑い辺りを見回す。もう一人の私も顔をあげた。その瞬間一際強い風が吹きつけ、散らばったたくさんの楓の葉を巻き上げる。目を開けていることが出来なくなりぎゅっと目を閉じて腕で顔を覆った。

 

 目を開けるとそこにはいつも見ている自分の部屋の天井があった。ゆっくりと私は体を起こす。

 

「今のは、なに?」

 

 ついそうこぼしてしまう。身に覚えのない記憶なのか、ただの夢なのか、答えはでない。ただこれでもかというくらい胸が痛む。痛くて痛くて仕方がない。涙がポロポロとあふれでてきた。

 

「いったい何なの…」

 

 薄暗い部屋で私は顔を手で覆い、その意味不明な痛みがひくのを待つことしか出来なかった。

 

 

   _____________

 

 

 

 ゆっくりと意識が覚醒していく。どうやらあのまま寝てしまったようだ。起き上がり顔にかかる乱れた髪を耳に引っかける。そこで外が少しうるさいことに気付いた。私は窓に駆けよって外をみると、しとしとと雨が降っている。すぐ上の屋根から滴る大粒の水滴が目の前を一定のリズムで落ちていく。

 

「雨だ…」

 

 夜中の件に加え雨という状況に気分は落ち込んでしまう。携帯を使って今後の天気を見てみると、どうやら夕方には止むそうだ。しかしそれでもあの神社でいつも通り作業をするのは難しいだろう。手に持っている携帯をベッドの上に放り、それに続いて自分も仰向けに倒れ込む。キシキシとベッドは音をたてた。右腕をおでこの上にのせ、ぼうっと天井を眺める。

 

「なんだかなー」

 

 私は内に溜まっているモヤモヤを全部吐き出す勢いで大きく息を吐いた。

 

 いつも通り準備を済ませちょっと早めに家を出る。雨の日は不便なことが多いのであまり好きではない。傘をさして弱い雨が降る中、学校へと向かう。傘と雨のぶつかる音、車が水に濡れた道路を走る音、雨が降ると音が極端に増える。歩く度足には水が跳ね、背負っている鞄がびしょびしょにならないように注意を払いながら傘の角度をとる。

 

 学校が近づくと地味な色から綺麗な色まで次々と門に吸い込まれていくのが見えた。私もそれに混ざり校門を通り抜け玄関で傘を閉じる。周りに気を付けながら水をふるい落とし、しっかりと巻いて留め具をパチッとしたところで顔を上げた。

 

「あ、先輩…」

 

 傘を閉じてちょうど玄関に入ってきたところであろう先輩がいた。私の声に気付いて先輩は私の方を向く。

 

「…いろはか、学校で会うのは初めてだな」

「言われてみれば…、変な話ですね」

 

 先輩は傘を巻きながら返してきた。私達はそれぞれの傘立てに傘を差し込み靴を履き替える。1年生と2年生では教室の階が違うが使う階段は同じだ。先輩を待って並んで階段を上る。そんな私達を数人の生徒が追い越していった。

 

「今日は雨なので神社、難しいですよね」

「いや、夕方には止むって予報言ってたからいくぞ」

 

 私の言葉に先輩は予想外の返答をしてきた。

 

「え、でも作業できないんじゃ…」

「それはそうだが、もうほとんど終わっているし今日は休みでいいだろ。それより今日は久しぶりにチャンスなんだ」

 

 先輩は楽しげにそう答えた。雨の日に何かいいことでもあるのだろうか。

 

「チャンスって、何のですか?」

「それは…、内緒だ。楽しみにしておけ」

「すごく気になるんですが」

 

 何かは全くわからないがきっと珍しいものなのだろう。おとなしく引き下がって放課後を楽しみにすることにした。先輩は一足先に教室のある階に着いたので、私に軽く声をかけた後廊下を進んでいき見えなくる。私ももう一階分の階段を上って教室へ向かった。今日の学校は雨のせいかいつもよりちょっぴり静かだ。

 

 

   ______________

 

 

 

 やっと今日の授業が終わる。この後のことが気になっていたせいか授業をだいぶ長く感じた。私は荷物をまとめて教室を出る。靴を履き傘をとって外に目をやると佇んでいる先輩が目にはいった。私は急いで近づき声をかける。

 

「先輩、待っててくれたんですか?」

「今日は俺も歩きだしな。たまにはいいだろ」

 

 少しそっけない様子で先輩は答えた。照れているのだろうか、なかなか目を合わせようとしない。

 

「でも明日も…」

「だな。自転車学校に置いておかないといけないから明日も歩きだ」

「じゃあ明日も一緒に行きましょう!待ってるので」

「わかったよ。俺が早くても待ってるから」

 

 私は先輩に思いきりはにかみを向ける。先輩はそんな私のでこを軽く一回弾くと傘をさしてだいぶ弱くなった雨の中に飛び込む。

 

「あたっ、ちょっと、待ってくださいよ!」

 

 私も慌てて後をおった。空はところどころ雲が切れていてその隙間から光が差し込む筋が見える。私達の上にはまだ水が落ち続けているが、きっとすぐに雨は上がり光が射すだろう。

 

 住宅街にはいると歩道はあまり広くないので傘をさした状態では並んで歩けない。なので私は先輩の後ろを歩いている。いつもの脇道に入るとコンクリート塀にはちらほらカタツムリやナメクジが姿を見せていた。脇道を抜け、並んで石段を上る。雨に濡れた石段は少々滑りやすくて足元が不安定だ。気を付けていたが足をちょっとだけ滑らせて姿勢を崩してしまった。そんな私の腕を先輩が咄嗟につかんで立て直してくれる。

 

「あ、ありがとうございます」

「気を付けろよ。落ちたら洒落にならんから」

 

 先輩の手から温かさが服越しに伝わってくる。すぐにその手は離してしまったがしばらくそれは私の腕に残り続けた。

 

 神社は雨に濡れ、いつもより全体的に色が濃くなっている。風も弱く、水も付着しているため楓は葉を落としていない。鳥居にこびりつく苔達は久しぶりの雨に歓喜しているように緑を際立たせていた。歩く度足元の砂利は普段よりもねちっこい音を発する。

 

 先輩は社に近づくといつも座っている少しの階段を上りきり屋根の下にはいる。私も先輩の隣に陣取り傘を横に立て掛けた。傘からは水が垂れ、屋根の陰で濡れていなかった板の床にシミをつけていく。軒先からは水滴が落ち、地面にくぼみを作っている。

 

「雨の日もここはいいところですね」

 

 晴れた日の爽やかな雰囲気とは違い、しっとりとしたいい意味で哀愁漂う、大人な雰囲気だ。

 

「まあな、雪が積もったときもすごいぞ」

「それは見てみたいですね」

「なら、今年は雪が降るといいな」

「はい」

 

 知らないうちに先輩は横で本を開いていた。ここに来たのは雨の日のここを私に見せたかったからだろうか。私も先輩に倣って時間を潰し始める。どれくらいたっただろうか。とうとう雨は止んでしまった。

 

「雨、止んじゃいましたね」

 

 家を出るときは嫌っていた雨も幾分か好きになっていた。そのため止んでしまったことに一抹の寂しさを感じてしまう。私の言葉を聞いて先輩は本から顔を上げる。

 

「やっとやんだか」

 

 そういうと本を鞄の上に置いて軒下を出た。そして空を見上げる先輩に私は聴く。

 

「先輩は雨、好きじゃないんですか?」

「別にそんなんじゃないぞ。もう少し待てばたぶん…」

 

 私の問いかけに先輩は笑って答えた。戻ってきた先輩は再び本を手に取る。私はさっぱり状況を掴めないまま、また時間潰しに興じた。

 

 雨が上がった神社はすっかり静かになり、たまに水が跳ねる音だけが聞こえる。雲もだいぶ流れて隙間からはほんのりと光が漏れていた。そんな中、突然西の方から眩しさを感じる。おそらく夕方の太陽が雲から顔を覗かせたのだろう。

 

 先輩もそれに気付いたようで、小さく声を漏らすと本を鞄に放り込む。そして今度は勢いよく軒下を飛び出した。そのまま境内の真ん中まで走るとこっちを振り返って叫ぶ。

 

「おい!いろは、来てみろ!」

 

 呼ばれて先輩のもとまで駆け寄る。

 

「なんですか?」

 

 先輩は私の肩をつかむとくるっと私を方向転換させる。西日が眩しくてつい目を閉じてしまった。

 

「見てみろ」

 

 耳元で聞こえる先輩の声に従いゆっくりと目を開ける。そして、息を飲んだ。 

 

「き、綺麗……」

 

 雲の間から夕日が雨に濡れた社と楓の木を照らしていた。軒先に溜まる水滴、濡れた瓦、水で光沢を持った葉、今にも溢れ落ちそうな葉の先の水玉、それらすべてが夕日を反射してオレンジ色に輝いている。楓の木は葉の紅色と橙の光彩が混ざり合って全く違う姿を見せる。社もいつもより新しく見える。ぐるっと他も見渡してみても、鳥居も、周りの木々も、あるものすべてが新鮮に見えた。この神社に小さなオレンジの宝石が降り注いだ、そんな光景だった。

 

「うまく、言葉にできないですけど…、こんなの初めて見ました」

「だろう? 雨が降った後、夕日が雲から出てこないと見れないんだ。俺も今までたくさんチャレンジしたが数えるほどしか見れていない。ラッキーだったな」

 

 先輩は景色に見とれ続ける私に微笑みながら言う。私はとうとういてもたってもいられなくなり、境内のあちこちからこの景色を見るために先輩の手を掴んで駆け回る。

 

「おわっ、ちょっ、なんだ?」

「先輩見て見て、ここからもすっごい綺麗…」

「おお、ほんとだな」

 

 子供のようにはしゃぐ私に先輩は付き合ってくれた。境内を一周して最後に楓の木の下へとやって来る。濡れた枝葉の隙間から見える夕日もまた別の顔を持っていた。

 

「おい、あまり楓に近づくのはおすすめしないんだが」

「え? 何でですか?」

 

 私が先輩の方を振り向き首をかしげた瞬間、今までぱったりと止んでいた風が吹いた。すると楓の木から大粒の水滴がバタバタと落ちてくる。木の下に入りきってはいなかったが、先輩と二人で立っていた位置は充分楓が水を飛ばす射程圏内だった。

 

「きゃ!」

「うお、ほら、言わんこっちゃねえ」

 

 私も先輩も頭からたくさんの水滴を被る。制服には水の染み込んだ後の丸いシミが多くできた。先輩に謝ろうと顔を向けるが、互いに見つめ合って固まってしまう。

 

「先輩、輝いてますね…」

「お前もな…」

 

 髪についた水滴が周囲と同じくオレンジを反射していた。私達は静かに笑い合う。その反動で数滴溢れ落ちるが、地面や服にぶつかり姿を消すその瞬間までそれは光るのをやめなかった。

 

 そんな二人は未だ輝く神社に違和感なく溶け込んでいく。どこかで水が一つ、落ちる音がした。




 また次回。

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