楓の木の下でまた貴方に恋をする   作:かえるくん

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第二話

 夕日が人気のない古ぼけた神社をオレンジ色に染め上げる。聞こえてくるのは木々が風に揺らされ葉を擦り合わせる音たげ。大きな楓からは絶え間なく葉が落ちる。

 

 そんな中、相変わらす私達は口を開くことなくただただお互いを見つめていたのだが、私はそっと彼の真正面まで近づくと彼の頭をゆっくり撫でた。唐突にそうしなくてはならないと思ったのだ。彼は呆気にとられたまま私を見上げていた。そんな彼の口が動く。

 

「なに…して…」

 

 彼の細々とした声で我に返る。気づけば彼の目元からは一筋の涙が溢れていて、それは夕日でオレンジ色に輝いていた。私はそれに見とれそうになるが、彼が泣いていることを理解し慌てて手をどける。

 

「ご、ごめんなさい!つい手が…。泣くほど嫌だったなんて」

 

 私は捲し立てるように謝った。それに彼は少しだけ首を傾ける。

 

「……泣くほど?」

「はい、泣くほどです」

 

 自分の右頬の上の方を指でさして見せると、彼も膝を抱えている手を右手だけほどき頬に手を当てる。その手は彼の顔に走るオレンジのラインを崩してしまう。涙で少しだけ濡れた手をぼんやりと見ながら彼は呟く。

 

「…俺は、泣いているのか」

 

 その声には少しだけ驚きが込められていた。どうやら彼は自分が涙を流していることに気づいていなかったらしい。その理由が理解できない私は先の行為を謝ることしかできなかった。

 

「あの、本当に勝手なことしてごめんなさい」

 

 思いきり頭を下げたあと、少しだけ顔をあげて彼の顔色をうかがう。彼は無表情にぼんやりと私を見つめていた。

 

「……別に嫌じゃなかったぞ」

「へ?」

 

 予想外の返答に変な声が漏れる。そう言う彼の表情は優しかった。呆気にとられる私と、私の目をとらえ続ける彼の間を一枚の楓の葉が通りすぎ彼の膝の上に落ちる。彼は親指と人差し指で葉柄を掴むと、私の前に差し出し葉をゆっくりと回しながら言う。

 

「何故か、すごく懐かしい感じがした…。昔誰かが同じことしてくれた気がするんだ。全然思い出せないけどな…」

 

 彼は楓の葉から私に視線を移し静かに笑った。その瞬間少し強い風が吹き、私は咄嗟に靡く髪を右手で押さえる。その風は彼の手に合った楓の葉を拐っていった。遠ざかっていく葉を二人して目で追うが、それは地に落ちると他の落ち葉と混ざってわからなくなる。

 

 視線を彼に戻すと、彼もちょうど私の方を向き直したところだった。自然と目が合い、なんだか可笑しくなって私は笑ってしまった。彼も私につられて破顔する。

 

「私達、さっきから見つめあってばっかりですね」

「くくっ、ホントだな」

 

 そう言うと彼は縮こまった姿勢を崩して楓の木にもたれ掛かった。その後制服の袖で目元を拭うと再び私を見上げる。

 

「よくこんなところ知ってたな。偶然か?」

「いえ、昔よく来てたんです。今日はふと思い出して久しぶりに……」

 

 私はそう返すと、彼の横に腰を下ろす。私の動作に合わせて足元の落ち葉がカサカサと音をたてた。その位置からは神社の境内をだいたい見渡すことができ、来たときよりも鳥居の影が少しだけ伸びていることに気付く。

 

「そうか。俺もだいぶ昔からここに通っていてな、この時季は楓を見に結構くるんだ」

 

 彼は落ちている葉を一枚つまみ上げると、その葉を見たがら答えた。

 

「それなら一度くらいここで会ったことあったかもしれませんね」

「どうだろうな。普通こんな人気のない所で会ったら覚えているものじゃないか?」

「ふむ、言われてみればそうですね。でも私も昔はたくさん来ていたので全く会わなかったってのは変ですよ」

「確かに、変な話だな」

 

 そう言うと彼は持っていた楓の葉をぽいっと私とは反対側に放ると、私の方に向き直りまじまじと見てくる。

 

「うーん、やっぱ会ったことあるか?なんだか初対面って気がしないんだよ」

「なんですかそれ、ナンパ?」

 

 眉をひそめてそう言うと彼は濁った目を更に濁らせる。

 

「いきなり頭撫でてきて、自分から横に座った奴が言うことかよ」

「それは…、なんか抵抗感が全然なかったんですよねー」

「なのに今はあるのか?」

「全然ないです。さっきのは冗談ですよ」

「えー、俺デリケートだからめっちゃ傷ついたのに…」

「それは、すいませんでした」

 

 足元の落ち葉をいじくりながら彼が言ったので、それを見ているとなんだか申し訳なくなって謝った。すると顔をあげた彼はにひっと笑う。

 

「冗談だ。本当は鋼メンタルだからこれっぽっちもダメージ受けてない」

「……ふん、もう知りません」

 

 私はそっぽを向いて素っ気ない態度をとる。しかし実際は先程の泣いていた彼の儚い表情が頭に浮かんで彼の言うことを信じることができなかった。鋼メンタルの人があんな顔をするとは思えなかったのだ。ただいつも手玉にとる方の私がからかわれたという事実はちょっとだけいただけない。

 

「すまん。悪かったよ」

「まあ、別に怒ってはいませんよ」

 

 私は折り曲げた両足の膝の間に顎を乗せ、ふてくされた風に答える。彼が何か返してくるのを待っていたが黙ったままだ。再び私達の間に沈黙が訪れ、木々の遠巻きなざわめきだけがこの場を支配した。けれどもこの静かな二人だけの空間を私は居心地よく感じていた。その感覚をたまに吹く心地よい優しい風が加速させる。

 

 しばらくその雰囲気に身を委ね和んでいたが、ふと隣の彼について何も知らないこと思い出した。よくよく考えると私は見知らぬ男の隣で無防備にしている。おまけに全然人がいない場所である。通常の私なら絶対に警戒を解かないだろう。しかし、この人は大丈夫だと自信を持っている自分がいるのだ。彼のことを何も知らないはずなのに……。

 

 首を回して彼に目をやるとぼんやりと遠くを眺めていた。頭からひょっこりと出ているアホ毛が風に揺られている。この人も今を心地よいと思ってくれているのだろうか。

 

「あの、あなたも総武の人ですよね」

「ああ、そうだが」

「三年生ですか?」

「いや、二年生だ。どうして三年生?」

「それは、ほら、ずっと私にため口だから確実に年上じゃないってわかる学年かなと」

「本当だ。いつもはこんなことないんだけど…」

 

 彼はそう呟くと首をかしげ眉間にシワを作った。しばらくそうしていたが結局わからなかったのか大きく一つ息を吐いた。

 

「わからん、自然とそうなったとしか言えない。三年生でしたか?」

「いえ、一年生ですよ。あなたの一つ下です」

「そうか、なら問題なかったな」

 

 そう言って笑うとくるっとこちらを向く。

 

「にしてもよく考えたな」

「人の顔色や言動、動作を観察するのは得意ですから」

「へー、いい特技持ってんじゃん」

「そうですか? まあ使い方は誉められませんけどね」

 

 私は肩をすくめながら自虐的に笑う。私の人との付き合い方はいいものではない。でないと無理矢理生徒会長なんかに立候補させられることになんぞならないだろう。

 

「なに、そんな酷いことでもしてんの?」

「寄ってくる男を引っかけて都合よく扱ってます」

「なるほど、あれか。たまにいるやたらと男にちやほやされてる奴」

「むー、なんか言い方は気に入りませんけどその通りですよ。正確に言うとちやほやしてくるからそれに乗っかってる感じです。楽ですし」

「でもそれ女子から目の敵にされやすいんじゃないか?」

「はい、されまくってます」

「そこらへんわかってるのに続けるんだな」

「なんか染み付いちゃっているんですよ。嫌われてもいいって思ってるんですかね。全然平気なんです」

「ふーん、変な奴だな」

「全くです」

 

 面倒事は嫌いだが、嫌われることはなんともないのだ。いつからこう考え出したかは明確ではない。おかしな話である。

 

「まあお前がそれでいいならいいんじゃないか? むしろ何にも捕らわれず自分のありたいようにしているのはすごいと思うがな」

 

 彼は知らないうちに私から視線を外して社の方を向いていた。社の周辺にもたくさんの楓の葉が落ちていて、所々を紅に染めている。ここの社は明るい色があまり使われていないので余計それが際立っている。

 

「慰めですか?」

「別に、ただそう思っただけだ」

 

 なんともなさそうに彼は言う。けれどもそんな彼の態度とは裏腹に私の中には懐かしさを思わせる温もりが生まれていた。

 

「あの、私一色いろはっていいます」

「え?」

 

 私の突然の自己紹介に驚いたのか、彼は社に向けていた顔を私へと戻す。

 

「名前です、名前」

「一色?」

「いろはです」

「いろは、ね。一色いろは…」

 

 そう呟くと彼は口に手を当てて、不思議な顔をする。

 

「どうかしました?」

「いや、変に馴染んでるなと思って」

「知り合いに似た名前でもいるんですか?」

「心当たりはないな」

「んー、まあ一応生徒会長立候補者ですしどっかで聞いたことあるんじゃって、その程度じゃ馴染みはしませんね」

「へ、お前生徒会長なるの?」

 

 彼は私の言葉を聞いて素っ頓狂な声をあげた。そんな彼に私は苦笑いをしながら答える。

 

「あはは、似合いませんよね」

「そんなことはない、見た目に似合わずお前結構真面目そうだしな。ただとんだ大物と話をしてたんだなってビックリしただけだ」

「どうせ私は軽そうな奴ですよー」

「おい、なぜそこだけを受けとるんだ…」

 

 拗ねる私を見て彼は呆れたように言った。私は膝を抱え直して、膝の上で腕を組みその上に顔の側面を乗せてため息を一つ吐く。

 

「まあやりたかったわけではないんですけどね」

「……どういうことだ?」

 

 少しだけ眉をひそめる彼に私は淡々と告げる。

 

「ほら、さっき女子には嫌われるって言ったじゃないですか。その彼女たちに無理矢理されたんです」

「そんなことって可能なのか?」

「現に起きてますからねー。不都合が重なったってのもありますけど」

「なんとかなりそうなのか?」

「…心配してくれてるんですか?」

「え、まあ、人並みには…」

 

 彼は歯切れ悪く答えるが、その目は濁りはしているものの優しかった。私は縮こまった姿勢を伸ばし、楓の木にもたれ、足を投げ出す。

 

「なんともなりませんね。そろそろ生徒会長になる覚悟しなきゃなってところです。今日も現会長と平塚先生に連れられて相談に行ったんですけどねー、手応えはありませんでした」

 

 そう言って彼の方を見ると、先程とは打って変わって複雑な顔をしていた。私の言葉に悪いところがあったのだろうか。不安になった私は思いきって聞いてみることにした。

 

「あの、何か気に障ることでも…」

「ん? あ、いや、お前の相談に行った所って」

「えっと、奉仕部?でしたっけ。雪ノ下先輩と由比ヶ浜先輩がいました」

「やっぱりか」

「やっぱり? 先輩知ってるんですか?」

「まあ、部員だし」

 

 彼の口から衝撃の事実が出る。どうやらこの人があの時話していた比企谷なのかもしれない。

 

「先輩の名前って比企谷ですか?」

「そうだが、なんで?」

「今日そこに行ったときに聞いたので」

「そうか…」

 

 彼はそれだけ言うと黙ってしまう。しかし私はそんな彼の表情を見て踏み込まずにはいられなかった。

 

「何か、あったんですか?」

 

 私は恐る恐る聞いてみる。すると彼はまた遠くを見たまま答える。顔が私とは別の方向を向いているため彼の表情は見えない。

 

「…ただ俺が間違っただけ、なのかな。いつもそうなんだよ。俺が繋がりを求めると、決まって壊れてなくなっちまう。手を伸ばせば霧散する。だから、俺は欲しがるべきじゃないんだろうな…、求めてはだめなんだろう…」

 

 夕日の当たる彼が、その姿が物凄く小さく見えた。今にも折れてしましそうで、風でも吹けば崩れて消えてしまいそうで。

 

「なら、私が傍にいます」

 

 気付けばそう口走っていた。

 

「何言って…」

「だからそんな寂しいこと言わないでください。私がちゃんと傍にいますから」

 

 彼はしばらく呆然としていたが、静かに首を振ると弱々しく笑いながら言った。

 

「それは、無理だ」

 

 オレンジに染まる空を見上げると、彼は続ける。

 

「俺は怖いんだ、失うのが堪らなく怖い。だからもう、手は伸ばせない、信じることができない。でも、ありがとな。嬉しかった」

 

 彼は立ち上がって近くに置いてあった鞄を掴み、鳥居の方へと向かう。私は少しの間動けずに彼の去る後ろ姿を眺めていたが、彼が鳥居をくぐる直前ににその硬直は解ける。彼をここで逃がしてはいけないと強くそう思っていた。

 

 私は楓の木の下から飛び出すと、急いで彼を追う。足を強く踏み込む度に、足元の砂利が大きな音をならす。

 

「わっ」

 

 石畳に差し掛かり少し躓きかけるが、なんとか持ちこたえ走り続ける。硬い靴底と石畳はぶつかって甲高い音をたてる。走る先に、階段を下りようとしている彼の背中が目にはいった。勢いよく鳥居の下を駆け抜け、神社の境内から出る。

 

「待って!」

 

 私は階段の前で急ブレーキをかけると彼に向かって叫ぶ。階段を少し下りたところにいる彼はゆっくり振り返った。私は呼吸を整えるために2回深呼吸して彼に言う。

 

「なら、最後にしましょう」

「…最後?」

「はい、先輩が誰かを信じるのを、私で最後に。諦めるのは、これがダメだった時にして……、最後に、私に賭けてください」

 

 私は階段を下りて彼のいる二段上で止まる。

 

「私は絶対に見限ったり、離れたりしませんから」

 

 彼は私の言葉を聞くとゆっくり問う。

 

「なんで、今日会ったばかりなのにそんなこと言い切れるんだ。どうして初めてのはずなのに、こんなにも懐かしいんだ。お前の声を聞く度、顔を見る度に胸が痛む、この後悔の念はなんなんだ……」

 

 終いに彼は私に背を向けて石段に座り込み、頭を抱える。私は彼の正面に移動して答える。顔の高さは同じくらいになった。

 

「…わかりません。でも、私も同じです。先輩のこと知らないはずなのに、なんだか知っている気がするんです。きっと一緒に、ここに居ればわかるって思いません? あの楓の木とか教えてくれそうじゃないですか」

 

 彼は顔をあげると苦笑いを浮かべる。

 

「なんだそれ…」

「なんとなくですよ。じゃ、約束しましょう」

「え、なんの?」

「私がちゃんと傍にいるって約束です」

 

 私は彼の右手を左手で掴むと、彼の小指に自分の小指を絡ませる。

 

「ほら、ゆびきりです。嘘ついたら、そうですね…」

 

 

 

『じゃ、約束! ゆびきりしよ!』

 

 

 

 突然だった。小学校中学年くらいのまだ幼さの残る女の子が同じくらいの男の子にそう言ってゆびきりをしている映像が、急に頭をよぎった。しかもその場所はさっきまで二人でいた楓の木の下だ。私は不意の出来事にわけがわからなくなる。今のは……、私?

 

「どうかしたか?」

「え、あ、いや、なんか急に身に覚えのない記憶が…」

「なんだ、お前もか」

「へ?お前もって?」

 

 そういう彼に思わずそのまま疑問を返してしまう。

 

「いや、たった今小さい男の子と女の子がゆびきりしてる絵が浮かんでな、顔ははっきりしなかったんだが場所は…」

 

 そして彼は神社を振り向いて言う。

 

「あの楓の木の下だった。案外、お前の言うとおりかもな」

「え?」

 

 彼はまた私の方に向き直り、笑う。

 

「楓の木が教えてくれるかもってやつ。俺もそんな気がしてきた」

「そこは上手いこと言ったつもりだったんですが、私も強ち間違いじゃなかったかもって思います」

 

 私もそう言って笑い返すと、二人の視線は繋がったままの小指に向かう。しばらく見つめた後、同時に目線を上げ目が合う。

 

「で、嘘だったら何してくれるんだ?」

「なんでもしてやろうじゃないですか。嘘じゃないですから」

「言ったな、覚えとけよ」

「もちろんですよ。じゃあ、せーのでいいですか?」

「おう、いいぞ」

「じゃ、いきますよ。せーの」

 

「「ゆびきった」」

 

 私達は小指を離すとしばらく静かに笑いあった。優しい風が夕日に照らされるそんな二人を撫でる。サワサワとなる木々の音の中、遠くから他の木とは違った細かい囁きが聞こえてくる。それはきっとあの楓の木なのだろう。

 

 

 

 

 




 いかがだったでしょうか。結構頑張ったつもりです。おかげで完結していないのに達成感に満ち溢れています。

 分かりにくいと思われるところが多々あるようですがそれはすいません。なるべくなくなるように努力します。

 では、いつになるかわからないですけど次回。

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