楓の木の下でまた貴方に恋をする   作:かえるくん

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 長らくお待たせしました。二人の過去についての話なのですがなかなか纏まりませんでした。当初はこんなに複雑じゃなくてもっとサラッと行くつもりだったんですがやっぱりこの話の重要なところでもあるのでちゃんと書くことにしました。

 待っていてくださった方はありがとうございます。それではどうぞ。


第十一話

 あれからたくさんの記憶を見た。今の性格も、マッ缶が好きになったのも全部、先輩と出会ったからだった。どれも楽しくて温かくて、大切だった。だからきっとこの後の記憶が、酷く苦くて痛いのだろう。こんなにも知るのが怖いのだろう。だけど避けてしまっては私と先輩は進めない。だから今日ここに来た。

 

 私は立ち上がる。目の前にあるこの歪な光に右の手をのばす。あと少し、でも手は思うように進まない。これを知って今まで通り先輩を思えるだろうか、いつものように笑えるだろうか。振りきったはずの思いが込み上げて心を埋め尽くしていく。怖い、怖い、怖い……。

 

 目の前が真っ暗になってしまう直前、ふと左手に懐かしい温もりを感じた。ああ、これは、

 

「居たんですか…、先輩」

 

 目を開けて隣を見ると先輩が立っていて、私の左手は先輩の右手に包まれていた。思わず安堵の滴が溢れる。

 

「まあな、気づけばお前が隣にいて泣きそうだったから。いや、泣いてるか」

「泣いて、ませんよ…」

「また俺はノーカウントか?」

「もちろんです」

 

 二人顔を合わせて笑い合う。一方的に握られていた私の左手は向きを変えるとしっかりと先輩の指と絡まった。

 

「そういう先輩だってほんとは怖かったんでしょ」

「そんなわけあるかよ」

「うそつき。いつもへっちゃらな顔してるくせして誰よりも臆病なんだから」

「……否定できないな」

 

 先輩は苦笑いを浮かべる。気づけば心の暗雲は晴れ、違う何かで満たされていた。これならもう、大丈夫。

 

「じゃあ、行きましょう」

「ああ」

 

 私は右手を、先輩は左手を前方へのばし、やっぱり歪な光を二人の手が包み込む。再び光が私達を飲み込んだ。

 

 

   _____________

 

 

 

 大粒の雨がか細い私の体を打ち付ける。まとわりつく雨が私から急速に体温を奪った。耳にはアスファルトと水滴がぶつかり合う音だけ。けれどもそれらは私にとってどうでもよかった。それよりもずっと胸の痛みが堪えていた。私はどしゃ降りの中をひたすらに足を動かす。

 

 私が何をしたというのだろう。先輩がいったい何をしたというのだろう。私達はただ一緒にいるだけではないか。ただそれだけではないか。

 

 不意に涙が溢れそうになる。いや、もう流れているかもしれない。この頬を伝う滴が雨なのか、涙なのか、そんなことももう私にはわからなかった。

 

 

 

 

 

 私達が出会って数年が経った頃、先輩は中学生になった。先輩が忙しくなって会う機会が減るかと思われたが全然そうでもないらしく、今まで通りあの神社で二人で過ごしていた。

 

 相変わらず私も学校が終わるなり晴れの日は惜しげもなく神社に足を運んだ。宿題も、読書も、絵を描くのも、リコーダーの練習も全部そこで、先輩の隣でやって来た。その日も変わらず神社に向かおうと帰りの会が終わった後ランドセルを背負って足早に教室を出ようとした時だった。

 

「いろはちゃん、いつもそんなに急いでどこに行ってるの?」

 

 急に話しかけられたことについドキッとしてしまう。先輩に出会ったあの日から私への嫌がらせは減りはしたがなくなりはしなかった。今でもクラスには話す友達は多くないし、クラスの中核である女の子グループにはあまりよく思われていない。そうであるのに話しかけてきたのがそのグループのリーダー格の子だったことがより私を驚かせた。

 

「ちょっとね、好きな場所があるんだ」

「ふーん」

 

 当たり障りのない私の返答にその子はどうでもいいように、しかしどこか意味ありげな反応をする。少しだけそれ以上の反応を待ってみるがなにもない。私はいまいち釈然としないまま教室を後にした。

 

 靴箱で上履きを履き替え家とは別の方向へ歩みを進める。今日は何をしようかと色々考えているうちに目的地は近づく。それにともなって先程の不自然が産んだ一抹の不安は塗りつぶされていった。神社に着くと私は楓の木の傍に腰を下ろす。先輩はまだ来ていない。

 

「先輩まだかなー」

 

 空を見上げるといわし雲が漂っていた。よく見ればそれに紛れて二本の飛行機雲がどこまでも交わることなくのびている。楓の木がざわめいた。塗りつぶされたはずの意味不明な不安が徐々に浮き出てくる。私は頭を大きく振った。

 

「大丈夫、気のせいだよ」

 

 つい一人でそう呟いていた。きっといつものように先輩はひょっこり表れて、私の隣でぶっきらぼうに慰めてくれる。私は気を取り直してランドセルから宿題を取り出すと取りかかり始めた。それが終わっても本を読んで待ち続けた。

 

 けれどもその日、日が落ちるまで先輩が神社に来ることはなかった。

 

 

 

 何かが屋根と窓を叩く音で目が覚め、微睡みの中それが雨であることに気付く。いまいち眠気をふりきれていないのと、心地よいブランケットの温もりのせいで体を起こす気にはなれなかった。横たわりながら今日は雨かとなんともなしに思うが不意に昨日の夕方のことを思い出して言いようのない不安に取りつかれる。

 

やっとの思いで体を起こすと枕ものと目覚まし時計のアラームを切る。唯一の大仕事をなしにされたそれはどこか寂しげに見えた。ベッドからおりて窓をに近づきカーテンを開けるが雨のせいかそこまでの光は部屋に入ってこない。ところどころ水に濡れ、向こう側を見にくくなった窓に近づき空の様子を伺う。軒先からポタポタと落ちる滴の先に見える空は酷く灰色に濁っていて、少なくとも今日一日は雨を降らし続けてやるといっているようだ。見ていても面白くないそれに背を向けて部屋を出る。やはり昨日の事が尾を引いているのか体は重い。

 

 

 

 本当に雨は止まなかった。放課後となった今も空は朝と同じ顔色をして雨を降らし続けている。わかっていたとはいえ、頭のどこかでつい止まないかなと願っていたせいか残念な気持ちがこみ上げてくる。どんなに思っても空が私のそれを汲み取ってくれるわけもないので仕方なく帰ることにした。教室も廊下も雨のせいで嫌に湿気っていて気持ち悪い。靴箱までやって来ると朝濡れて未だ乾かない靴を取り出して履き替える。足に不快な感覚がまとわりつくがどうにもできないので我慢する。傘立てから自分の傘を見つけ出し玄関から出たところで不意に肩を叩かれた。

 

 何事かと振り返ってみるとそこには同じクラスの男子がいた。顔立ちは整っていて人気者だが私にとってはただのクラスメイトでしかない彼にぶっきらぼうに何のようだと聞く。ただでさえ沈んでいるところに面倒後とは嫌だなと思いながらもこうして呼び止められたからには無視することもできない。けれども目の前の彼はなかなか口を開かなかった。そんな私達の横をそろそろと人が通っていく。

 

「何にもないの?」

 

 口をつぐんだままの彼に問いかける。視線をあちらこちらに飛ばしていたがやっとそれを私の方に向けると口を開いた。

 

「今日は、その、急いでないんだね」

 

 確かに授業が終わってからしばらく席を離れずに空模様を眺めていたからいつもより教室を出る時間は遅かった。ここまでやって来た足取りもいつもみたく軽いものではない。

 

「雨、降ってるから」

 

 私はぬかるんでいる校庭と多くの波紋を作り続ける澱みを一瞥してから端的に答えた。

 

「そうなんだ。そういえば、あれ、本当なの?」

 

 目の前の彼は私の顔色を伺うように聞いてくる。けれども彼の言うあれ、に全くの心当たりのない私はその問に答えることができない。

 

「あれ?」

 

 少し首を傾げて聞き返す。

 

「中学生の男の人と良く一緒にいるってやつ」

「どうしてそれを?」

 

 私は静かに声を荒げることなく問いを投げつける。しかし表情にも言葉にも出しはしなかったが内心酷く動揺していた。

 

「知らないの? 結構噂になってるけど…」

「なにそれ、知らなかった…」

 

 確かに不思議なことではない。かれこれ先輩と会うようになってから数年は経っているわけで、帰りやたまに出掛けるときに人に見られていても全くおかしくない。ただ私達にとってそれはどうでもいいことで、人になんと思われようと邪推されようとたいした問題ではなかった。ただここに来て、今になってそれがなぜ芽を出したのかが私にはすぐに理解できなかった。これまではなんともなかったのになぜ急に。

 

「その、もう行かない方がいいよ」

 

 突然目の前の彼は考え込む私にそんなことを言ってきた。行かない方がいい、つまり先輩と会うなって言っているのだ。ただの一クラスメイトにすぎない彼になぜそれを言われなくてはいけないのだという軽い苛立ちを感じながらも私はその真意を問いかける。

 

「なんで?」

「なんでって、危ないよ。そいつあんまいい噂ないしなにされるか、それに中学でも評判良くないみたいだし…」

 

 いまいち要領を得ない彼の言葉と、見ず知らずのはずの先輩のことを知っているかのように悪者にする彼に先程とは比べ物にならない怒りが生まれる。

 

「そうなんだ。で、結局何が言いたいの?」

 

 そう聞きながらも本当は彼の言いたいことはだいたい推測できていた。ただこうも意地悪な返しをしてしまうのはきっとこの扱いきれないこの怒気のせいだろう。

 

「だから、まあ、いろはちゃんにはそんなやつよりもっと釣り合いのとれる人が、いる、と思うんだけど……」

「……例えば?」

 

 ひどいとは思っている。別に流してもいいことを無理矢理吐かせようとしているのだから。でも止められなかったのは目の前の彼に今にも平手をかましてやろうとする自分の右手を抑え込むのに必死だっだからに違いない。こんなことをすればこれからどのような仕打ちが自分を待っているかとか、そういうことを考えている余裕もなかった。

 

「え? 例えばって、その、……おれ、とか」

 

 私はその言葉を静かに聞いていた。別に心が揺れるようなことはないし、悪寒が走るようなこともない。ただ、本当に言わせてしまったと少しの罪悪感が芽生え始めていた。

 

「そう、でもごめんね。それには応えられないから、じゃあね」

 

 私は少し早口でそういうと踵を返して外に出た。傘をさして雨を凌ぎながら家へと歩みを進める。その間ずっと自分の大人げなさとやってしまったことを嘆いていた。確かに先輩のことを悪く言われて腹がたったが、その怒りをああいう形でやり返してはいけなかったと今になって本気で反省する。

 

 私は先輩を好いている。これでもかというくらい大好きで、ずっと一緒にいたいなと思っている。その感情を知っている私が、彼の私ほど大きいとは言わずとも抱いている似た気持ちを弄び踏みにじってしまった罪は大きい。その気持ちを笑われる辛さも、潰される苦しさも想像するに難くないのに。そして何より、こんなことをしでかしてしまった自分が先輩へ気持ちを向けることを許されるとは思えなかった。

 

 このままでは先輩に会わせる顔がないと悔やみながら、明日ちゃんと謝ろうと、でもってきちんと嫌だったことを言ってやろうと心に決める。あんなに憎んでいた雨だったが、この時ばかりはついありがたいと思ってしまった。

 

 

 

 次の日も雨だった。早めに学校へと向かった私は例の彼が来るのを自分の席から濁った空を眺めながら待っていた。こういうことは引っ張るほどやりにくくなるものだからどうしても朝のうちに片をつけたかったのだ。思いの外早くやって来た彼をまだ全然人がいない教室から呼び出して全てを話す。どうなるかと思ったが意外にもあっさりと話しは進み、向こうまでもがすまないと謝ってくる始末だった。心の荷を下ろすことが出来た私は軽い足取りで教室に戻る。時間は結構経っていておそらくクラスメイトのほとんどが既に教室に来ているだろう。私は閉じられた教室の扉に手を掛ける。その向こうからは朝からえらい元気だなというレベルの騒がしい声が聞こえてきた。手に力をいれて少し重たい戸をひくとカラカラと音をたててゆっくりと扉は開く。

 

 だがそこに待っていたのは突然の薄気味悪い小さな喧騒と複数の視線だった。

 

 何事だと、まず私の頭を埋め尽くしたことはたったそれだけ。私は首筋がちくちくと痛むのを感じながら自分の席へと座る。一番始めに思いついた可能性は昨日の件。しかし先程話をつけた感じだと彼があれこれ私のことを触れ回ったような感じはしないし、何よりもその本人が今の状況に驚いている様子を見せている時点で検討外れなのだろう。そういえば彼は一応人気者だったなと、昨日のことは関係ないと確定しようとしていたところでふと頭をよぎる。もちろんクラスの女子からも人気があるわけで。ちらっとこの前話しかけられた彼女がいる集団に視線を向けた。案の定いくつかの視線と薄い喧騒の発生源はそこだった。例の彼女にいたってはこんな状況の私を見て口の端を少しあげている。

 

 ここでようやくこの前の不自然なやりとりの意味がわかった。あれは牽制みたいなものだったのか。きっと彼女はどこかで彼が私を好いていることを知って私の様子を伺ったのだろう。普段から颯爽と教室からいなくなり特に男子にも興味を示さない私が彼をなんとも思っていないことはわかっていただろうが一応。しかし昨日の件が災いしてこのような事態になってもおかしくはない。あのやりとりをしていたのは人の行き交う玄関だったのだから他人が知っていてもなんら不自然ではなかった。

 

 ただ、それだけにしては他の視線が多い気がする。他にも要因があるとでもいうのか。そこではたと昨日のことを思い出す。なぜ私は昨日怒ったのか、それは彼が先輩のことを悪く言ったからだ。しかしその前私は何を疑問に思った? そこまで考えて胸に言いようのない焦りが生まれる。

 

 噂だ。彼はそういったのだ。別に今までも軽くあったが気にするべき噂は私たちの事ではない、先輩のことの方だったのだ。これまで何ともなかったのは先輩がただの年上の人だったからではないか? しかし今はどうだ、彼は先輩のことを悪い奴と解釈している。そんな噂が広がっていると言った。私のいる小学校は中学に上がるときに半分に別れる。片方は今先輩がいる中学へ、もう片方はもうひとつのところへ。私は後者で先輩と同じ学校になれないことを嘆いたのは記憶に新しい。まあそれは置いといてこういった先輩の噂がこの学校にたどり着くのは別におかしな話じゃない。寧ろ私と先輩の話が広まっているなら自然とも言える。

 

 それのせいで私達の噂が悪変換されたのならこの視線の数も頷ける。もしかしたら私が気にしていなかっただけで今までもあったのだろうが、今日途端に浮き彫りになったのは昨日の事が引き金になったからか。

 

 火のないところに煙は立たない。と言っても私は別に先輩が何かしでかしたとは思っているわけではない。寧ろ先輩が意味もなく悪事を働くことはないとこの世界で一番胸を張って言えると自負しているほど信じている。そして先輩のことを他の誰よりも……。だからこそ、今私の内側を無数の不安と焦りが侵食しているのだ。

 

 先輩に何かあったのかもしれないと。

 

 昔からあまり恵まれない境遇にいることは知っている。初めて会ったあの日みたいにどこかくたびれた様子でやって来ることがこれまでにも数回あった。しかし今みたいな事態になったのは初めてで、先輩にふりかかった不幸が前例より酷いものである可能性がかなり高い。あの日も、あの場所にこれなくなるくらいの何かがあったのではないか?

 

 そこまで思考が至ったところで涙が溢れそうになる。何故先輩がそんな目に会わなくてはいけないのかと、どうしてあのただ優しいだけのあの人が傷つかなくてはいけないのかと。先輩はどんな仕打ちを受けても相手の前では平気な顔をするかもしれない。消して人の前で泣くこともないのかもしれない。でもそれは先輩が強いからなんかじゃなくて、ひどい痩せ我慢なだけで、本当はずっと心で泣き続けているんだ。なのに先輩は自分のことなんかそっちのけで私に手を差しのべてくれるような人なんだよ。

 

 机の上にのせていた拳に勝手に力が入る。今すぐにでも先輩のところへ飛んでいきたい気持ちに駆られるが今は何もできない。今思えば連絡手段はないし、放課後に確実に会える保証もない。今日も生憎の雨だ。でももしかしたらあの神社にいるかも、という僅かな望みに今はすがることしかできなかった。

 

 

 

 嫌に長い授業の終わりを知らせるチャイムが学校じゅうに響き渡る。私は机に広げられた教科書とノートをさっさと片付けて筆箱に鉛筆をしまい帰りの支度を始めた。朝から私の胸にずっしりとした重石が乗っかっている感覚は相変わらずだ。けれどもあの奇妙な視線は時間がたって興味が薄れたせいか少なくはなった。もしくは触らぬ神に祟りなしといった方がいいか。それでもやはり私の方を見てひそひそしている連中はいる。気にならないと言えば嘘になるがそれよりも先輩への不安が数倍も勝っていた。

 

 こっちこそ触らぬ神に祟りなし、と心の中で一人ごちりながらランドセルを背負って教室の扉へと向かう。絡み付く視線を振り切るように少し急ぎ足で生温い空間から飛び出した。じめじめした廊下を抜けて自分の靴棚から靴を取り出したところで中で何かが転がる違和感を手に感じる。逆さにするとそれはコロンと落ちて地面とぶつかり、チリンと小さな金属音を発して少し先の床で止まった。画鋲、それを認識すると嫌な汗が額に浮かぶ。まさかここまで来ているとは、先輩の心配ばかりしていたが思いの外私の境遇もなかなかに危ういところに至っているらしい。ひとまずこれを放置していると危ないと思って出入り口付近の掲示板に突き刺す。そのまま私は学校を後にした。

 

 怖くない訳ではない。本当は今も恐怖心は増幅している。でも私は折れるわけにはいかない。今にも折れてしまいそうな大切な人がいるから、私が折れたらその人も折れてしまう。だからくじけてはいけない、それだけで私は今立って足を動かしていた。雨はだいぶ弱まってきている。

 

 雨の日も神社はいつもの神聖さ保っていた。すぐそこの水溜まりに一枚、紅の掌が漂っている。しかしそれに目をやることもなく私はこの場所にいる唯一の人の元へ駆けた。

 

「おじいちゃん!」

 

 そこにいたのはここの神社の管理人であるおじいちゃんだった。こんな日にここにいるなんて珍しいなと思いながらも藁にもすがる思いで呼び掛ける。

 

「おう、嬢ちゃんか。久しぶりじゃのう」

「お久しぶりです。あの、先輩来ませんでしたか?」

 

 少し荒れる息を落ち着けて目をみて問う。その様子におじいちゃんも真剣な顔をして逆に質問してきた。

 

「嬢ちゃんは八幡に何があったか知っておるのか?」

 

 私は否定の意を込めてブンブンと首を振った。それをみておじいちゃんは肩を落とすと、そうかいと小さく呟く。

 

「おじいちゃんは何か知ってるの?」

 

 おじいちゃんの不自然な態度にもしやと思い少し食い入るように聞いてしまう。

 

「いや。じゃが昨日ここで奴に会った」

「え?!」

 

 驚いた私は思わず声を張り上げてしまった。昨日は雨だったはず。それなのにここに来ていたと言うのだ。昨日は雨天のうえ色々あって帰ってしまったが、昨日の雨に安堵していた私に憤りを感じる。

 

「社が雨漏りしとらんか確かめに来たら八幡のやつがびしょ濡れであの木の下で縮こまっておった。何事かと思ったのじゃが奴はなにも言わないまま行ってしまってな。もしかしたら今日も来とるかもしれんから見に来てみたんじゃが、外れだったかのう」

 

 先輩のことだ、一人になりたくてここに来たのだろう。雨だから私も来ないと思って。どうやらおじいちゃんはそこそこ長い時間ここにいるようで、昨日先輩に会った時間はとっくに過ぎているようだ。

 

「そうだったんだ。やっぱり何かあったのかな」

「おそらくな。八幡も昔から苦労してるしのう。ただこれまでよりも酷く窶れて見えたもんだから心配じゃな」

 

 おじいちゃんは両眉を下げると力なさげにそう言った。おじいちゃんに知れてしまったので先輩はしばらくここには来ないかもしれない。きっと心配をかけないようにとでも考えているのだろう。

 

「どうしたらいいんだろう……」

 

 どう手をうてばいいのか、この先何が起こるのか、何もわからない。不安だけが募っていく。弱まっていた雨は再び勢いを取り戻し始め、無数の滴を地面に、屋根に、楓の木に打ち付ける。雑音がこの空間すべてを支配していた。

 

 不意に、それに紛れておじいちゃんが私に向かって言葉を落とした。突然で少しの間反応を示すことができなかったが、意味を認識すると急に顔が熱くなる。

 

「ははは、そうかい。八幡はわかりにくい奴じゃ。不器用だし、ひねくれとるし、本心は滅多に言わん。全部自分で背負いこもうとするような奴じゃ。そんな八幡がここ最近はものすごい身軽に見えた。笑っている姿も、ぼーっとしている姿も、わしの手伝いしてくれるときもな」

 

 おじいちゃんは淡々と、けれども何かを懐かしむように口を動かし続ける。

 

「あれはお嬢ちゃんのおかげなんじゃろ? 八幡と出会ってからあんな表情を見たのは初めてじゃ。わしじゃ奴の柵を取り払うことは出来ても、近くで拠り所になってやることはできなんだ。それが出来たのはお嬢ちゃん、お前さんだよ」

 

 そういうとおじいちゃんは優しく笑った。でもその目にはどこか寂しさが滲んでいる。おじいちゃんにとっても先輩は可愛い孫のような存在なのは間違いない。そんな先輩が苦しんでいるのに荷を全部なくしてやれない、支えることができない。そんな無力を感じているのだろうか。

 

 実際はそんなことはない。おじいちゃんは間違いなく先輩にとって気を許せる数少ない人だ。助けられたこともたくさんあるだろう。でも、きっと今、なのだ。今までで一番大変かもしれないときに何もできなかった、先輩に手を伸ばせなかった、伸ばしてもらえなかった。だからきっと……。

 

「いくら距離は離れていてもお前さんの心は八幡の隣にある。だから今、そんなに苦しそうなもどかしい顔をしておるんじゃ。本当は、どうしたらいいかはもうわかっておるのだろう」

 

 そうだ。本当はわかっている。私がどうするべきか、否、私がどうしたいかは。それでも足は地面に張り付いてしまったように動かない。

 

「でも、そのせいてもっと悪い事が起こるかもしれない。もっと先輩が傷を作っちゃうかもしれない。そう思うとどうしても……」

 

 この事態には十割私も絡んでいる。私が火種かもしれない。そうじゃなくても私が出ることで事態を促進させる可能性だってある。そうなれば先輩はもっと傷付く。私にも火の粉が降りかかれば先輩はまた一人でいってしまうかもしれない。それがどうしても恐かった。

 

「……お前さんは本当に八幡が大好きなんじゃな。奴はこんなに思ってもらえて幸せもんじゃ。大丈夫、お嬢ちゃん達ならきっと大丈夫じゃ。わしには何もできないかもしれんが、二人を近くで一番見てきたのはわしじゃ。だからそれだけは自信を持って言える」

 

 おじいちゃんは私の目を見て諭すようにゆっくりと言葉を紡いでいく。それは私の心にじんわりと染み混んで、私の足の硬直をそっと溶かしていった。

 

「お前さん達なら絶対に、何があっても最後はなんとかなる。八幡を頼めるかい?」

 

 その問、願いに私は強く頷きながら一言だけ。

 

「うん、任せて」

「…ありがとう」

 

 今にもかき消えてしまいそうな小さな声でおじいちゃんはそういうと、私の頭を壊れ物を扱うような優しい手つきで撫でた。その手は私が知らない手だった。ごつごつしていて頼りがいがある、けれども少しか細くて弱々しい。私達では思いもつかない苦難を数々乗り越えてきたのであろう、酷く安心感を与えてくれる手だ。

 

 ゆっくりと私の頭から手を離すとおじいちゃんは1つ別れの挨拶を置いて神社を後にする。その背中がいつまでも脳裏に焼き付いていた。

 

 

 

 





 なんか前に後2話で終わるとか言った気がするけど嘘になりました。申し訳ないです。でもってこの話で過去も終わらないしほんとすいません。

 頑張りますのでよろしければ最後までお付き合いください。では、また次回。

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