前回話の最後に付け加え忘れましたが、照月がいます。
呉から横須賀まで通常陸路で行けば約800キロちょっとだ。だが、海上を行くとなれば多少大回りをすることになり、その距離は軽く1,000キロを超えてくる。そのような長距離航海をしかも制海権が敵に奪取されている中、さらに戦闘力が皆無である輸送船団を護衛しつつ行くというのがどういう結果をもたらすか――。
前世においてもしばしば敵の攻撃を受け、全滅若しくは壊滅してしまった例をみればそれは火を見るよりも明らかなことだった。
だが、作戦立案に当たった鳳翔にはこの輸送作戦を託すべき艦娘が呉鎮守府にいることを知っていた。他ならぬ伊勢と日向である。彼女たちは前世において北号作戦という物資輸送任務に従事していた。当時は戦局はほぼ絶望的な状況下で制海権も制空権も全くと言っていいほどない中を、松田少将の指揮下、奇跡的にほぼ無傷で任務を完遂したのである。
この伊勢姉妹のほかに作戦支援に従事した艦娘は他にもいる。足柄と天津風だった。
鳳翔はこの4人、そして葛城を作戦立案会議に招集して念入りに計画を練った。
「そんなに期待されても困るよ。だいたいあれは奇跡の奇跡の奇跡のようなものだもの。」
伊勢は肩をすくめた。
「回避運動だって、ひたすら左左左?あれ、右右右?だったかな?とにかく敵の意表を突きっぱなしだったから交わすことができたんだし。」
「それでもあなた方は無事に任務を成し遂げました。今度だってきっと成功します。」
「だといいけど・・・・じゃ、日向、あんたの意見を聞かせて。どうする?」
「伊勢の考えは?」
地図を一心に見ていた日向が伊勢を横目で見ながら尋ねた。
「私もないわけじゃないけど、あまり自信はないな。」
「私もだ。」
「ま、そうだよね。自信がお互いないのなら、じゃあせ~ので言おうか。」
「子供みたいだな。まぁいい。」
「そう?んじゃいくよ、せ~の――。」
『夜間無灯火航行。』
お互いが同じことをいい、そして同じ顔をしてと息を吐いた。陸路と違い海路では街灯があるわけではない。お互いの位置を知らしめるために、ことに夜間は船舶は灯火を付けて航行するのが習わしだった。夜間無灯火は敵が制海権を握っている海域を進む時、あるいはこちらから奇襲をかける際など、とにかく通常航行を行ってはならない場合に、一切灯火を付けないで航行するやり方である。
「やはりそれしかありませんか。」
鳳翔は顎に手を当てた。
「鳳翔さんも同じお考えですか?」
「はい。ですが呉鎮守府の私たちは夜間無灯火作戦行動を実施した経験があまりありません。」
「そこだよね。でも、夜間航行は真昼間に行くよりも敵に発見されにくいと思うな。この利点は結構大きいよ。こんな時だもの。多少の経験不足を考えても実行する価値はあると思うな。」
「ですね。」
鳳翔はうなずいた。
「わかりました。作戦行動詳細を整え次第、提督に意見具申して決済を受けます。よろしいですね?」
皆はうなずいた。
「だが、肝心の艦隊編成はどうするのだ?」
日向が尋ねた。
「とても一個艦隊で護衛できるような物量ではないぞ、これは。」
「ついでながら。」
両腕を抱くようにして組んでいた足柄が地図から顔を上げて鳳翔を見た。
「今回の輸送作戦では、敵艦隊と輸送船団との間のいわば『盾役』が必要になるわ。」
「そのためにも護衛艦隊は相当の人数を割いた方がいいと私も思うわ。どう対処するおつもりですか、鳳翔さん。」
と、天津風。
「その件に関しては提督から既に了承を得ています。」
鳳翔はきっと顔を上げた。
「私たち全員で行きます。」
「全員ですって!?」
葛城が叫んだ反駁の言葉が会議室に響き渡った。
「ええ。この作戦は私たちだけの問題ではありません。ヤマト全体の問題です。極論すれば呉鎮守府を犠牲にしてもヤマトを守り抜かなくてはならない。ヤマトが全滅して呉鎮守府が生き残っても何の意味もありません。」
覚悟はいいですね、と述べた鳳翔の体から闘気が漂っていた。
その1時間後――。
鳳翔、伊勢、日向、天津風、足柄 葛城はひそかに出立した。既にあたりは夕闇が迫り、美しいオレンジ色の残光がかすかに残っているだけだった。既に輸送船団及び護衛部隊は出立しており、物資の積み込みも始まっているはずである。各隊も順次島を目指すこととなっていた。
「大丈夫かしら?」
足柄が不安を隠せないらしく、せわしげに髪をかき上げると、鳳翔のそばにやってきた。
「ねぇ、鳳翔さん、本当に大丈夫なの?こんな作戦前代未聞よ!」
「大丈夫です。提督の許可は下りていますし、何よりこうでもしなければ物資を輸送できません。」
「それはそうだけれど!でも、それじゃ――」
「足柄。」
日向がちらと目を向けた。
「大丈夫だ。この作戦は必ず成功する。いや、させて見せる。」
日向はまるで日常の挨拶でもするように言ってのけたが、足柄は驚いた。そんな大言を吐くなど今までの日向ではなかったことだからだ。
(なるほど、今度の作戦はそれだけ死命を制することになるというわけか・・・・。)
風に髪をなびかせながら足柄は同行者たちをみた。伊勢、日向、鳳翔、天津風、葛城。そして今回の作戦に従事する艦娘たち、輸送艦隊とその乗組員。
全てが自分の命を賭けて大切なものを横須賀に送り届けようとしている。たとえその先にあるものが――。
足柄は首を振った。そんなことを考えてはいけない。物資を運ぶこと、そして皆が生きること、これだけを考えればいいのだ。
(いいわ!燃えてきた!)
足柄は一人うなずくと、落ち着きを取り戻したように艦列に戻っていった。
「葛城さん。艦載機の扱いは大丈夫そうですか?」
鳳翔が尋ねた。
今回の出立に当たり、葛城に大急ぎで艦載機を渡したのだが、彼女がそれを使えるかどうかは未知数だった。
「わ、わかりません。でも大丈夫です。鳳翔さんが下さった艦載機、絶対うまく発艦できるように頑張りますから!」
葛城は顔を上気させていた。
「そんなに力みすぎなくていいですよ。力を抜いて自然体でいれば離発着や攻撃指令などはすぐにできるようになります。」
「はい!」
葛城は髪をなびかせながらうなずいた。大先輩の鳳翔から励ましの言葉を受けただけで、もう充実した気持ちになっている。だが、その気分は前方の黒々とした影を発見して吹き飛んだ。夕日を背にしているため、逆光で識別が不可能だったからだ。
「あれは?」
身構えた葛城を鳳翔は制した。
「心配しないで。味方です。」
一人海上にあって味方を待っていたのは綾波だった。
「お疲れ様です!」
「準備の方は?」
と、鳳翔。
「はい。既に輸送船団の進発は完了しました。」
「ご苦労様でした。私たちもすぐに向かいます。」
「こちらに。」
綾波に案内され、一同は進路を変えて西に向かった。ほどなく夕日は沈みあたりは真っ暗になった。だが、誰も灯火を付けようとしない。わずかに鳳翔の腰にあるごく小さな赤いライトが点滅しているだけだった。艦娘たちはそれを目印に、各人の間を慎重にとって進んだ。鎮守府時代に無灯火の航行訓練は受けていた艦娘たちだったが、これほど緊張した航海は初めてだった。
「鳳翔さん。」
そっと小声で話しかけられて、鳳翔は綾波を見た。
「どうしましたか?」
「あ、いえ・・・こんな時にこんなことをと思われるかもしれませんが・・・・。」
綾波は心持顔を赤らめたようだった。なぜか暗闇の中でも鳳翔にはそれがわかった。
「私、ようやく鳳翔さんのお役に立てます。今度の作戦で私、頑張りますから!」
『ようやく』の意味を鳳翔は理解するのにしばらくかかった。
「初陣の時、鳳翔さんに命を救われました。ずうっとずっとその時のご恩返しをしたいと――。」
「そんな必要はありませんよ。誰しもが『初めて』を経験し、成長していくものです。私はその過程に立ち会っただけ、綾波さんがここまで成長できたのは綾波さん自身の力であって、私のせいではありません。」
「でも、私は鳳翔さんとご一緒できてとてもうれしいです。」
一瞬白波が月明かりを反射し、綾波の笑顔は鳳翔の眼に映った。とても純粋で美しいと鳳翔は思った。
「ありがとう。でも無理をしないでください。先は長いですし、この作戦が終わってもまだまだやるべきことは沢山あるのですから。」
「はい!」
綾波はうなずいた。
それからは一行はずっと無言だった。
「見えました。」
先行していた綾波が突然速度を落とし、集まってきた艦娘たちに小声で言った。
「えっ?どこに?」
「しっ!」
鳳翔が葛城を制した。
「来た。」
日向がつぶやいた。闇の中を黒々とした物体が徐々に表れ、白波を静かに蹴立てて進んでいる。
「輸送艦だわ。さすがのタイミングね。」
と、伊勢。輸送艦隊は一定の速度を保ったまま艦娘たちのわきを静かに通過していく。その中に艦娘らしい姿もある。先行した第6駆逐隊や利根たちが既に配置についているのだろう。
また、特筆すべき事項として、横須賀から回航されたばかりの最新鋭艦娘として防空駆逐艦の照月が加わっている。輸送船団にとって、上空からの艦載機の機銃攻撃も脅威だった。防空駆逐艦娘の存在は敵の艦載機に対して大きな防御となるだろうが、惜しむらくはただ一人だということだ。せめて四~五人いれば話は違っただろう。
「皆さん。」
鳳翔は皆を見た。
「ここからが本番です。既に各隊は所定の位置について行動しています。皆さんも定められた通りの位置につき、護衛任務を開始してください。全艦隊は完全無線封鎖、非常時を除き、無線の使用は不可とします。」
皆は一斉にうなずき、所定の場所に散っていった。
「葛城さんは私と一緒に。」
「え?でも、いいんですか?私、雲龍姉や天城姉のところにいった方が――。」
「いいえ、お二人の事なら大丈夫です。」
そうまで言われては従うほかなく、葛城も鳳翔と一緒に輸送艦隊の前衛第二陣につくこととなった。既に綾波、そして不知火と由良の後姿が見える。この3人が再前衛として輸送艦隊全体を引っ張っていくこととなる。
全艦隊は、周辺警戒を厳にしつつ、漆黒の海を航行していくのだった。