穂群原学園。
士郎や凛、桜達が通う学校である。ここはその屋上。
時刻は昼時。所謂、昼休み。
屋上に自由に出入りできる学校はそう多くないらしいが、ここには、外気と景観という極上のスパイスとロマンがある。
ここで購買で買った食物を食べるもよし、持参した弁当を腹に入れるもよし。
どれをとっても、きっとハズレは無いだろう。
この冬木の街で行われる聖杯戦争において、同盟を結んだ桜達四人はここで今後の方針を話し合っていた。
勿論食事も兼ねながら。
「―――聖杯戦争に参加しているサーヴァントは計七名。その内、セイバー・アーチャー・ライダーを擁しているのが我々三人です。
そして、ランサーとバーサーカーとは既に交戦済み。
相対していないのはアサシンとキャスター二名というのが現状ですね」
「私達が断然有利。って言いたい所だけど、アサシンとキャスターに至っては何の情報も無い。
ツカム達の件もあるし、相手が私達と同じように何かしらの反則をしていないとも限らないわ」
桜の説明に相槌を打ちながら、凛は言葉を足した。
この街は戦場。つい、と油断した者から死んでいく場所。一瞬の油断が命取り。
「それにあのバーサーカー・・・、正直勝てる気がしないぞ?遠坂。
ランサーだって必殺の宝具持ちだ。ここは迂闊な行動はせず、防備を固めながら敵の情報を集めていこうか・・・」
不確定要素は極力削いでいくべき。それが士郎の主張だった。
「おいおい、衛宮!そいつはあまりにも消極的すぎるだろう!
こっちはサーヴァントが三人、あとツカムもいるんだ。確実に一人ずつ敵を潰していこうぜ」
両手を広げてオーバーリアクション気味に話す慎二は、攻撃が最大の防御だと信じて疑っていない。
状況は常に変化するもの。だからこそ悪化する前に、今こちらの全戦力でもって確実に敵を屠るべきだ。それが慎二の主張である。
「・・・殺るのは一度に一人ずつ」
「まるでハンターだ!」
「やれやれ・・・」
「―――サクラ、今後の方針の決断を」
ピリカとツカムが軽口を言い合い、アーチャーは肩を竦める。そしてライダーは主である桜に判断を仰いだ。
会話だけを聞いていると、この屋上で話し合っている人数は結構な大所帯だと思うが、
サーヴァントは霊体になる事で周りの眼から見えなくする事が出来る。それはツカム達も同じく。
つまり傍から見れば、四人仲良く飯を食っているようにしか見えないのだ。
「…私達義勇軍は、」
皆が一斉に、桜の方を見やる。
「無闇な殺生などしません。サーヴァントは霊体なので容赦しませんが、マスターは殺さずに無力化する事を第一とします」
「綺麗事ね、桜」
昔から、貴女はあまい。凛は視線でそう語った。
「……そうかもしれません。でも、だからこそ現実にしたいんです。本当は、綺麗事がいいんですから」
交錯する視線。桜の意志に、揺らぎは無い。
例えるならそれは蒼く輝く炎。またの名を、覚悟という。
彼女の覚悟は、元義勇軍隊長の手を握った時から、既に完了していた。
「…成る程ね。まあ、団長の意志だもの。一応は賛成するわ。
でも、無力化するって一体どうやって?具体的には?まさか腕ごと切り落とすとか?」
「そこでオイラの出番さ!!」
霊体を解除し、凛に対して力こぶを強調して腕をまくりながらガッツポーズを取るピリカ。
「・・・ピリカが?」
「オイラがマスターの令呪をはがしちゃうよ!シールみたいにペリペリっとね!」
これぞユグド流、拳のマニフェスト。
「…あのねピリカ。令呪っていうのはその人の魔術回路。
つまり神経に直接繫がっているようなものなのよ。そんな事したら、下手すれば廃人になるわ」
「大丈夫大丈夫!オイラはマナを運べるハードボイルドな妖精さ!それくらい朝飯前!」
ガッツポーズピリカくん。
「ふふーん。だといいが?」
「お前の話は、スカートの上から尻を撫でるようなもんだ。どうもいまひとつ実態が見えてこないな」
せせら笑う慎二と、やれやれと肩を竦めてみせる士郎。
それを尻目に、ひらひらと、シールのようなものをひらつかせるピリカ。
「おいピリカ。なんだ?そのシールみたいなもの。ゴミか?」
「シロウの令呪」
――――。
左手の令呪がない。
「これくらい朝飯前!」
「何してんだこの妖精野郎!」
「ししし!ほら、返すよ」
士郎の左手に令呪が戻る。
「おいピリカ!今度また余計な事をしやがったら口を縫い合わすぞ!」
「この羽の付いた妖精が一番反則な気がしてきたわ…」
「慣れろ、衛宮に遠坂。
でもこれで、マスターさえ見つければ何とかなりそうじゃないか?」
新事実を前に、慎二の頭には幾つかの勝機が見えてきていた。
「・・・でも慎二。そのマスターだって、自分が狙われる事くらい分かってるだろう。
どこかに篭って表に出てこないかもしれない」
「問題はそこだね・・・」
「………篭る…」
「遠坂?」
悩む男二人を前に、凛は口元に拳を当て、何がしかの閃きを待っていた。
「…そうだわ。柳洞寺よ」
「どーいうこと?赤い姉ちゃん」
「キャスターの陣営がいるのは柳洞寺の可能性が高いって事よ。
キャスターはその性質上、陣地を作成する事が出来るサーヴァントなの。この冬木で、それに適合する最も良い場所は」
「柳洞寺ってことか」
EXACTLY(その通りでございます)
「ではさっそく今夜、寺に偵察をかけましょう。
キャスターがいるとしたら周到な罠を設置している筈です。
充分、注意して行きましょう」
「もしかしたら既に防御線を築いてるかもしれないね。
地雷を張り巡らせたり、50mおきにワイヤーを仕掛けて」
「機銃弾200発とチェーンガンを、」
「 フルパック・・・! 」
「どこの馬鹿だ。地球外生物と戦おうとしてる奴は」
「そんな事言ってる場合か」
四人が展開する軽口の応酬。
しかし皆、その眼光に緩みは無い。
相手は人智を超えた英霊、サーヴァント。向かうは敵陣地。またの名を、死地という。
緊張するなという方が無理だろう。だからこそのジョークだ。
戦場にありて死を懇願した時、勝敗は決まる。
生き残った者こそ勝者である。
「おい、ヤベーって!ウチの学校に金髪の外国人が来たってよ、行こーぜ!」
唐突に屋上の出入り口が力強く開き、生徒の一人が周囲に呼びかけた。
ぞろぞろと屋上を後にする生徒達。
残っているのは桜達四人と、ツカムとピリカとアーチャー、ライダー。
心地のよい風は止み、静寂が訪れる。
何か忘れてません、か?
「セイバー・・・。来るなって言ったのに・・・」
「衛宮。黙って放っといたら奴さん誰かれ斬りかねねえよ」
風は止んだし、合図もなった。
衛宮士郎はsprinterの如く駆け出した。
一つここはブラウニーの出番ってぇ所だ。
◇
放課後、ここ衛宮邸は近年稀に見る人口密度を有していた。
「おい、衛宮。お前自分のあだ名知ってるか?
昔は穂群原のブラウニーだったが、今じゃドラえもんだってよ。ハハ、あっちの方もビッグライトってか?」
「いや、両方ついてる。切り替え自在だ」
四次元ポケット?言わせねえよ。
「…ねえセイバー。貴女、霊体化できないのになんでウチの学校に来たの?」
「マスターを守るのが私の使命です」
「それは結構だけど、男子にあれは無いでしょ」
『―――金髪の美女!?ここは日本のはずじゃ・・・?』
『残念だったな。グローバル化だよ』
『よぉネエちゃん。 今夜暇かい?』
『 クソして寝な 』
『あ、どーも。・・・・・最近のパツキンのネエちゃん、キツイや』
「目に見えるほど落ち込んでたわよ?」
「リン。この身は騎士だ。あのような軟弱者、斬られなかっただけマシでしょう」
「キツいジョークね」
「・・・なあ、あの天井に張り付いてる奴は何だい?ニンジャ?」
「ライダーだよ。ここに住んでる」
・・・・・・。
「何だよこの家は!!シュワ来ませりしかねえのか!!!仕事終えて疲れて帰ってきたのに士郎と桜ちゃんの手料理もねえ!!!
あるのは見た事も聞いたことも無い、パツキンの外国人だ!!!」
そう叫ぶのは士郎と凛のクラスの担任、藤村大河。またの名を、冬木の虎。
「・・・桜、我らが藤村先生のお戻りだ。おかえり、藤ねえ」
「今日は早いですね。藤村先生」
「お邪魔しておりますわ、藤村先生」
「―――出来る」
「妹がいつも世話になってるね、タイガー」
「たっだいまー!士郎!桜ちゃん!狭い家だけどゆっくりしていってね遠坂さん!
おい今タイガーつった奴表出ろ」
時にはニコニコ、時にはキリッと。そしてまたある時は虎の顔。
必殺・藤村百面相。
「あれ?もしかしたら彼女は二十面相の娘の子孫とかいう設定だったら面白いかも。チコちゃん超可愛いし。―――てゆーかもう一回言うよ?・・・何なのよこの家は!?」
そこまでにしておけよ藤村。
瞬時に、ライダーとツカムとピリカは霊体となった。
アーチャーは最初からここにいない。
「貴女!!そこの金髪の貴女誰!?」
ビシィッとセイバーを指さす美人教師。
昼の金髪美女学園乱入事件は、士郎のおかげで大河には知られずにいた。
「私はとある事情で、キリツグと縁が有った者です」
「………え」
固まる大河。
キリツグとは衛宮切嗣、士郎の義理の父の事である。
大河の知る限り、切嗣は外国を奔放としていた。外国人の知り合いがいてもおかしくはない。
聞けばこのパツキン美女は、彼を頼ってこの日本に来たとの事だった。
「そっかあ…。切嗣さんを訪ねて来たんだ」
「はい。つきましては、他に行く当てもないのでこちらにお世話になります」
「……へ?」
「藤村先生。私も今日からお世話になりますわ」
「先生。私も」
「タイガー。僕も」
「どうぞどうぞどうぞ。
・・・・・なんて言うと思ったかこのバカチン共がああ!!!!」
獅子戦吼。
「何だよ、藤ねえ。大勢いたっていいじゃないか。料理を創る身としても腕が鳴るってもんだ」
「ブッブー!士郎の料理は至高だけど問題はそこじゃありませーん。
ここは士郎の家だけど私の家でもあるのでーす。桜ちゃんは昔からこの家に来てるのでオッケイ!
だけど一見さんはさっさとカ・エ・レ♪」
「そんな無茶苦茶な・・・」
「この家に厄介になりたくば!私を倒してからにするがいい!!!」
今宵の虎竹刀は血に飢えておる・・・!
―――もう一回言うよ?そこまでにしておけよ藤村。
「成る程。分かりました」
と、
声の主はセイバー。そして、何故か場の空気が変わる。
一言で言えば、剣気に満ちはじめている。
「見たところ、貴女は剣士のようだ。剣で語れというのならば話が早い」
「上等だよ。ついて来な、パツキン嬢ちゃん」
藤村大河とセイバー。
二人はずかずかと外の剣道場に向って歩き出す。竜虎は相打つのか。
「いやいや衛宮。何この展開。タイガー達行っちゃったぜ?止めないのか?」
「ああなった藤ねえは止めらんないよ。
まあ、セイバーにボコボコにされてせいぜい頭を冷やしてくれって感じだ」
救急箱はどこにあったかな?
「英霊に唯の人間が勝てるわけないだろうからな」
◇
藤村大河は、剣道五段の腕前である。
竹刀を手繰れば右に出るものなどそうそういない。
全うな試合であれば、あの黒い桐でできた探し物名人の妻にすら打ち勝てると巷では言われるほど。
天稟が彼女にはあったのだ。
「うわぁぁぁぁぁあああん! ヘンなのに士郎とられちゃったーーーー!」
しかし剣道の立会いであるとはいえ、対戦カードは英霊・セイバーと人間・藤村大河。
予想通り、二人の立会いはまるでお話にならなかった。
大河の振るう竹刀はセイバーにかすりもせず逆に奪われ、
『―――まだ続けますか?』
実力の程を見極めた大河は降伏を宣言した。
この勝負、勝者はセイバー。
「ほら言わんこっちゃ無い。早く腕見せろよ藤ねえ。捻ったろ?」
「藤村先生…。痛くないですか?」
「まさかこの私が・・・。この藤村大河、剣道の中で剣道を忘れた・・・!
竹刀の振り方すら雑になるとは・・・!!」
よほど気持ちが入っていたのだろう。大河の振るう竹刀は速度及び軌道が常人のそれを超えていた。
されど相手は剣の英霊。常人離れした剣速など、超越してからがその身の始まりである。
「だがしかし!!!セイバーちゃんは私に勝ったから良しとして、遠坂さんや慎二君!君達は早くおうちに帰んなさい!!」
「―――それは藤村先生。貴女もではないのですか?」
「………え?」
最も危険な罠。それはあかいあくまと不発弾。
自爆・誘爆・笑みを浮かべたらご用心。
「衛宮君と昔馴染みなのは話を聞いていて分かりましたが、仮にも教師と生徒です。
一つ屋根の下にいるというのは、世間的にどうなんでしょう?」
「うぐッ…!!!」
「それに先程、衛宮君を『盗られた』などと。もしや、二人はそういう関係なのですか?」
「ち、違うよ!?遠坂さん!!私は士郎の保護者であってそんなんじゃ―――!」
「なるほど。藤村先生は教師であり保護者の鑑ですね。
―――では、私も衛宮くんとはただの同級生なので、ここにいても構いませんよね?」
「アッハイ」
「終わったな・・・。所詮、タイガーはタイガーってわけだ」
「おいさっきからタイガーつってる慎二君オモテ出ろ」
慎二の腕を掴む冬木の虎。
追い込まれた虎は、人間よりも凶暴だ。
「―――さて!今夜は腕によりをかけて料理を作ろうかな!桜、手伝ってくれ」
「はい!先輩」
「衛宮君、私も手伝うわ。住まわせてもらって何もしないなんて遠坂の流儀に反するしね」
「助かる、遠坂」
「おい!助けてくれよ!!お前達には分からないのか!!?今僕がタイガーに引き摺られッ」
「オモテへ行こうぜ……。ひさしぶりに……きれちまったよ…」
◇
「いや~、中々騒がしい人だったね。ツカム」
「・・・・・」
ピリカとツカムは霊体のまま、ボコられる慎二を見ていた。
「ツカム?」
「・・・・・」
何か気になるワカメでもあったのだろうか?
ツカムは外をじっと見ていた。
「・・・あの女性の眼。美しかった」
先程からツカムは彼女の眼を見ていた。
それは見つめる先の人物も同じく。
「なに?惚れた?」
「違う。とても研ぎ澄まされていた。まるで刀剣そのものみたいに」
「そりゃあ剣道?五段だもの。それくらいの気迫は持ってるんじゃない?」
「・・・・・それならいいが」
その瞳は誰かに似ていた。
それも、昔毎朝見ていた誰かの眼に。
「う~ん…、あの虎の姉ちゃんがいるんじゃ今夜の偵察は無理かな」
「だな。サクラ達に伝えてくる」
夕餉の後に出されたコーヒーは、思いのほか苦かった。
◇
その夜、最初に気付いたのはセイバーだった。
寝所から起き上がり、部屋の外に出る。廊下を歩き、隣りの部屋の前を通った。
己がマスターの部屋からは、ぐっすりと眠っている士郎の気配。
規則的に聞こえてくる寝息が、彼女に安心感を与えていた。
また少し歩き、庭に面した縁側に出る。
天気は生憎の曇り。月は見えず、星は光らず。凍てつく寒さを運んでくる風も、草が空気に触れて揺れる音も何もしない。
草木も眠る丑三つ時。縁側から衛宮邸の庭を見やると、そこには大きな土蔵がある。
今日も士郎はそこで魔術の鍛錬をしたのだろう。微弱な魔力の残り香が感じられた。
黒滔々たる闇の中、土蔵はまるで羅生門のようにそびえ立っている。
…そこから出てきた自分は下人か、老婆か。はたまた数多の屍骸の一つか。
戦装束を顕現させ、庭に出る。
そして、セイバーは人影を視界に納めた。
「―――やはり」
「・・・・・」
その人物は、まるで遠くに見える山を見据えるようにごく自然に立っていた。
この闇の中で常人がその傍を通っても、誰も気付かず見えずに通り過ぎるだろう。
ただ、その出で立ちはいささか珍しい。服装は胴着袴姿という古風なもので、左腰に大小二本の黒色木刀を差している。
何か武道の稽古の帰りだろうか。見る者にそんな印象を感じさせるがしかし、眼光だけは常軌を逸していた。
しかしそこに気迫は無いし、威圧感もない。それこそが異常であった。
「力を隠していたのですね?」
「―――そうでもないよ」
あれが自分の実力で、全力だった。竹刀を持った剣道の上では。
「竹刀を手にとっても?」
「ご自由に」
セイバーはごく自然な足運びで、道場に入った。
竹刀を選び取る今の彼女には、緊張も気負いも何も無い。
あるのはただ、シンプルな闘争心だった。
相対するは、虎。
「お待たせしました。…一つだけ聞きたいのですが、何故このような真似を?」
「お前はあの子を不幸にする」
―――お前は何も知らない。初めてこの家に来た時のあの子を。初めて自分と話をした時のあの子の瞳を。あのがらんどうを。
お前は、あの子にそれをまた与えるだろう。
「……不幸になど、騎士の誇りにかけて致しません。私は彼を、―――シロウを守る」
「・・・分かっていない。お前には、何も分からない。
他人の事など何もかも。だから、そんな眼ができる。
手にしたモノ、その全てを失った眼を。そんな奴は、あの子の傍にいちゃいけない」
「………」
「私達の家にお前達のような得体の知れないモノは、住まわせやしない。
―――大目録術許し、藤村大河。
この家に厄介になりたくば、私を倒してからにするが良い」
大目録術許しとは、免許皆伝を表す言葉である。
明かり無き深夜、藤村大河は虎の拳をその手につくった。
次回予告
巡る、巡る、すべてが巡る。
巡る、巡る、誰もが巡る。
求めるものを知らず、縋るべきを知らず。幾多の妄執を胸に、幾千の渇えたる心が眼前の敵へと行進する。
我も行く、宿命のままに。 焼けた大地に、孤影を踏んで。
次回「虎ノ眼」
我が求めるは、ただ一つ。