―――大勢の幸福は、少数の犠牲なしには得られない。
―――時代とは、誰かの不幸なしに越える事は出来ない。
よく聞く理屈。よく聞く真実。
たとえ選りすぐりの傑物の集団を手に入れようとも、圧倒的な力を個人が持っていようとも、変えられないモノがある。
大勢と少数。大小。純粋な数の論理。
どちらが大事か? 大切か?
こう文字に起こしてみるだけで、議論をするまでも無くその答えは出ている。
二人の為に一人を犠牲に。
いや、千人の為に一人を犠牲に。
いやいや、一兆人の為に一人を犠牲に。
結果的に一人は大勢を救う事になり、その者は世界を救済する。
素晴らしい。
これもまた純粋な数の論理だ。
その一人だけが犠牲になる事で、大勢に幸福が訪れた。
その不幸な人間が一人いただけで、時代を越えられた。
世界は守られた。
その人は文句なしに英雄だ。
だからこんな声を聞く。
―――誰も、その一人にだけはなりたくない。
―――英雄になど、間違ってもなりたくはない。
よく聞く理屈だ。よく聞く真実だ。
私は英雄になど、なるべきではなかった。
◇
太陽が昇る。
夜の終わり。朝の訪れ。
景色は東雲色に染まり、白く輝く日差しは眼に突き刺さって生物の眠けを覚ます。
覚醒する身体。回る頭脳。擦る瞼を何度も開いては閉じ開いては閉じ、素早く流動する己の血潮。
一瞬の静寂と平穏。
照らされる空と大地は、昨日を乗り越えた誰かを眩しく迎え入れてくれる。
まさしく昨日とは、今日の為にあった。
多少の善悪があろうとも、毎日太陽は東から昇ってくる。それはまるで車輪や歯車のように。
昨日よりも今日。今日よりも明日。
これからの自分には、ひょっとしたら良い事があるかも。
そんな事は無く、今日という日は昨日の為にあったのだと気付くのはまだ先の話。
だが、何事にも例外はあるもの。
「まったく…!アンタのせいでとんだ労力を使ったわ!」
「こっちの台詞だ」
片やベニヤ板。片やトンカチと釘。
悪態をつく凛とツカムはそれぞれを持ち、士郎に命令されて穴の開いた床の修繕を行っていた。
ちなみにぶち壊した扉は、学校から帰ってきてからやれとの家主の御達しだった。
「……しかしアンタ、さっきといい昨日の剣技といい。…本当に英霊じゃないの?」
「君もサクラと同じ事を聞くんだな。俺は英雄なんてガラでもないし、信仰なんてされてもいないよ」
トントン、と小気味の良い音を部屋に響かせるツカム。朝からの作業は、とても腹が減ってくる。
早く終わらせたい。そんな彼の感情が凛には伝わっていた。
「じゃああの力は何なのよ?」
しかし凛の疑問はもっともだった。英霊でも無いただの幽霊が、あんな力を持っているはずが無い。
「私の毒だって一瞬で治しちゃうし。教えなさいよ、義勇軍の先輩?」
一度本気で戦って白黒つけたからなのか。
しゃがみこんでツカムを覗き込む凛の表情は、今まで彼が見た中で一番魅力的だった。
「・・・・仲間達との絆だ」
「絆?」
「俺が生前、義勇軍の隊長だった事は聞いただろう?その義勇軍全員と結んだ絆が、俺の体には残っているみたいだ」
「……ちょっと待って。義勇軍の軍って軍団って意味よね?」
「そうだが。・・・ああ、団長とも皆から呼ばれていたな。正直照れくさかった」
トンカチの動きを止めて、どこか遠くを見つめるツカムは気付いているだろうか。
普段の彼には似つかわしく無い表情を、浮かべている事に。
「そんな事はどうでもいいわ。えっと…つまりアンタは、軍団規模の人間全員分の力を持っている個人って訳?」
「いいや、そこまでじゃないさ。精々彼らの力の一端を使えるってだけで」
「………」
面食らう凛。力の一端しか使えないといっても、その数は軍団規模だ。
サーヴァントにも直感などのスキルはあるが、ツカムのそれは種類豊富だろうし、組み合わせればどんな状況でも立ち回れるだろう。
正直デタラメもいいところだ。
「アンタ、反則じゃない?」
「何を言ってるんだ、リン。君にもその反則が今日から加わるんだぞ?もう君はサクラの義勇軍の一員なんだから」
「――――ねえ、もしかしてだけど、…金運が良くなるやつとかある?」
「はははは。―――あるよ」
「YOU ARE MY KING」
―――コイツに宝石代は義勇軍の必要経費だとか言って、金をがっぽりせしめるんだ。
「・・・凛」
この資本主義者め・・・。
もとい、悪巧みをしている凛の隣に男が現れた。
「アーチャー?何?」
凛のサーヴァント、アーチャー。身長約190センチ、髪は白。筋肉モリモリ、マッチョマンの弓兵だ。
「そろそろ登校の時刻ではないのか?朝餉も出来上がっているようだぞ?」
「あらそう。朝は食べない主義なんだけど、今朝はどこかの変態を相手にしてたからお腹空いてきちゃった」
「まだ言うか。・・・あとは俺がやるから、行ってこいよリン」
「ええ、任せたわ」
凛はそれだけ言うと、疾風の如く居間へと向かって行った。
私は人間火力発電所だ。朝餉に舌鼓を打ちながら凛がそう呟いていた事を、後にセイバーは呆れ顔で語った。
お前が言うなとは誰も言わなかった。
「さて、あともう一息だな。とその前に、はじめましてだなアーチャー。俺の名はツカム。サクラが召喚したライダーのおまけだ」
「・・・・」
何と例えたらいいのか、奇妙な表情をアーチャーは浮かべていた。
ふと何かの気配を感じて後ろを振り向いたら、そこには誰もいない。自分の影しかそこにはいない。自分の影はこんなものだったか?気味の悪さと少しの関心。
とても言葉で表現するには難しい、そんな表情。
そしてツカムは、彼の目の奥に潜む光に気付いた。
その冷徹なる意志を。完全なるそれは、もはや感情などというモノではない。
「ん?何か俺の顔についてるか?」
「――――」
何も語らぬアーチャーに素知らぬ顔で聞くツカム。
しかし驚くなかれ。彼は生粋のコメディアン。
小粋なジョークを言って場を和ませずにはいられない人種である。
「しかしアーチャー。君ってスゲエ筋肉!今も鍛えてんの?」
「――――貴様は、後悔していないのか」
「・・・え?」
アーチャーはツカムを睨み付けながら問う。
しかしそれはどこか痛々しく、まるで悲しみを背負っているかのようだった。
「異世界の正義の味方よ。
義勇軍なんぞという他人に都合のいい便利屋を営んでいたのであれば、貴様の最期は容易に想像できる。偽善に生きて、独り勝手に死んだのだろう?」
「・・・・まあ、な」
「誰かの代わりに魔物と戦ってくれる義勇軍とは滑稽だ。
さきほど軍団規模と言っていたが、それはつまり軍団規模にならなければ倒せないほど敵は強大だったという事だろう?
ならば、その被害は小規模に終わらんだろうな?
そして魔物を殺す事にかまけたばかりに、救えなかった民間人の被害は一体どれくらい出たのかな?
何故助けてくれなかったのだと罵られ、厄介者呼ばわりはされていなかったのか?
お前達こそが真の魔物であると、言われた事はなかったか?
どうだ?教えてくれないか英雄殿。貴様の歩んだ道に、後悔は一切無かったのか?」
アーチャーは口調こそ皮肉げだが、その視線は一片たりとも変化していなかった。
そう、たとえ相手が己自身でも跡形無くぶち殺してしまいたいと思うような途轍もない憤怒。鬼のような眼光を。
「・・・君が何故そんな顔をするのかは分からないが、答えを言うのなら一つだ」
「何だ?」
「無い」
ただこれだけ。
「な―――に?」
「そもそも、前提が間違ってる。義勇軍が軍団規模になったのは、ユグド大陸の何処で何が起こってもより多くの義勇軍が駆けつけられる為。
そして犠牲は出たけど、黒の軍勢は絶滅させた。俺達が」
「・・・なるほど。大を生かし大義を成す為に、小は切り捨てたというわけか」
矮小な人間が何かを為す以上どこかに、誰かに犠牲は付き物。アーチャーはそう生きてきたし、そう心に刻んでいる。
誰かを助けるとは、誰かを助けないという事だ。
だが、何事にも例外は必ずあるもの。
「分かってないな、アーチャー。・・・まあ、君みたいな事を言う奴はいたよ。
やれ大勢の為だとか、大義の為だとか。たくさんの人間が幸福な生活を送る為には少しぐらいの犠牲が出るのはしかたがないだとか。
・・・よく聞く理屈だよ。
そういうことを言う奴は多いが、自分を【少数の犠牲】の側に置く奴は見たことが無い。
結局、それは犠牲者が出ることを正当化する為の言い訳だ」
「・・・では、つまり、犠牲というのは、」
「俺達義勇軍だけさ。だからこそ、俺達は軍団規模に成らざるを得なかった」
「―――――」
魔物が現れる。人を襲う。のだが近くには必ず義勇軍がいる。義勇軍が人を庇う。義勇軍が集まる。敵を殺す。これの繰り返し。
ね?簡単でしょ?
「―――そんな真似、出来るわけが」
「出来るんだよ。
たとえ敵がどれだけ強大でも、多くても、困難でも、熾烈でも、苦痛でも、俺達は一人じゃなかったんだから。
大事なのは間合い、そして退かぬ心さ」
真一文字に結んだ口。赤く漲る眼光。今アーチャーが見ているのは、
「勿論、俺達の仲間に僧侶や魔法使いがいたから、皆体力の回復が容易だったってのは強みだった。
俺達だって人間だし、連戦はキツかったよ。でも決めた事だったからな」
―――義勇軍という名の、修羅だ。
「・・・貴様は、そんな修羅道にあの子を。桜を引きこんだのか!!」
「勘違いはよしてくれ。俺の義勇軍はもう解散したんだ。
そうなるのかはサクラ次第で、これは彼女の義勇軍。サクラが自分で選んだ道だ」
「選んだ?あの子が?」
「そうさ。結局のところ、その道の先に何も無いのだとしても、何かが有るのだとしても。その道中に後悔だけは生まれない筈だ。何故なら、選択したから」
例えばこんな昔話がある。
―――昔々あるところに、一人の男がおりました。男は機械に繫がれ支配されたまま一生を終えるはずでしたが、男に予め仕込まれていたモノのせいで、周りの人々のおかげで、男は特別な人間になりました。
ザ・ワンと呼ばれるようになったその男は愛を知りました。そう、恋人が出来たのです。愛の為に機械と戦う男。愛する人の為ならかつて繫がれていた機械の支配すら超越出来るようになった男。
しかし、悲劇は訪れました。男の恋人が死んでしまったのです。それは必然でした。何故なら男と恋人は、二人だけで機械達の本拠地に向かったからです。死が二人を別つまで。愛は終わりを迎えました。
その上で男は問われます。
何故、お前は闘うのか?何故立ち上がるのか?それは自由の為?真実の為?人と機械の平和の為?まさか愛の為?そんなものは全て幻想だろう?
全ての生命の目的は死ぬ事なのに、私に勝つ事など出来ないのに、お前は何故そこまでして闘うのだ?
男は答えます。
『選択したからだ』
男はその命をもって、世界を救いました。
―――ユグド大陸に伝わる御伽噺「支配」より。
「・・・人は貴様達のように強くはなれん。生きていれば後悔は必ず生まれるし、誰かを憎まずにはいられない。それが人という生き物だ」
「そして同時に、胸に炎を宿している生き物だ。自分だけの炎の宝物を。
人は一人じゃなければ、それを忘れないと俺やピリカは思ってる。
サクラは俺達の団長だ。もし団長が己を見失っても、過ちを犯そうとしても、俺達が傍にいる。俺達が支えるさ。炎が消えないように」
「―――そうか」
炎と燃えさかる、自分の宝物。己の歩む道を阻む濃い霧を払い、道を照らしてくれる炎。
それは、この男にもかつてはあったものだった。ただ動くだけの歯車のように生き、己を呪うしかなくなった英雄の胸にも。
「アーチャー。リンは義勇軍に入った。つまり君も俺達義勇軍の一員だ。今の君には、俺やサクラ達がいる。セイバーだって、ライダーだって」
「―――そうか」
「リンにも言ったけど、君にだってダチが必要だ。
聖杯にかける君の願いが何なのかは分からないけれど、どうか今は俺達を信じてみてはくれないか」
「・・・そう、か」
その英雄の人生は、孤独だった。
血潮は鉄で、心は硝子。ただの一度の敗北もなく、かわりに誰も彼を理解しない。彼は常に独りきり、されど常に己の人生の勝利者だった。
それは例えるなら無人の丘に突き刺さった一振りの剣。担い手はいないし、鞘もない。抜き身の剣。ただただ斬ることだけしか出来ない刃。
冷静に、斬るという行為を行うだけのシステム。
それが英雄の人生だったが、そこに悔いなどはなかった。あるのは、斬る事だけしか出来なかった己への憤怒。
・・・もし彼に鞘があれば、真の名剣として世に語り継がれていたのかもしれない。
だが、益体もないことだ。きっとそうなっても、彼の行動に変化はなかっただろう。
胸の炎がいかなる時も、彼をつつんでいたのだから。
―――昔、ある一つの会話があった。おそらくは、他者から見れば取るに足らない父と子の会話。
されど。
あの日父から貰った宝物は、今もこの胸に。
たとえ地獄に落ちようとも、決して消える事はなかった。
「―――いきなり何を言うのかと思えば。
貴様を信じる事など出来るか。・・・だが、しばらくは貴様を監視させてもらうとしよう」
「それでいいよ、アーチャー。こんな俺だけど、よろしく頼む」
拳を突き出すツカム。それはアーチャーも同じく。
ゴツンと、鈍い音が部屋に響いた。
「・・・いてぇ。アーチャー、貴方は誰かに野蛮だって言われた事ない?」
「よく言われた。まあ、精々慣れてくれよ。同僚?」
「そこはよろしくって言うんだ、この野郎が」
「ふん、この野郎は余計だろう?」
アーチャーの鬼の形相が、少し柔らかくなった気がした。
◇
その会話を盗み聞きしていた人物は、己の胸に手を当てていた。
人であれば誰しも宿すという宝物が、果たして自分にも有るのかと。
「―――そんなもの、ありませんよ」
それは当然の事だ。この身は人ではないのだから。
人の心など、分からないのだから。
己が歩く道はただ荒野。屍で築かれた無道の極み。
いつだって彼女は荒野を目指す。
そして叶える。
「―――私の望みを」
その者は英雄になど、なるべきではなかったのだ。
しきりに手を胸に当てながら、騎士は音も無くその場を去った。
次回予告
壊す者と守る者、そのおこぼれを狙う者。
牙を持たぬ者は生きてゆかれぬ暴力の街。あらゆる悪徳が武装する冬木の街。
ここは聖杯戦争が産み落とした、日本のどこかのソドムの市。
衛宮邸に染み付きはじめた英霊の臭いに惹かれて、危険な奴らが集まってくる。
次回「団欒」
弟子ゼロ号が飲む衛宮家のコーヒーは、苦い。