お陰様で悔いは有りません。
今タイトルの読みはそのままでもヴァーサスと洒落て読んでも何でも構いません。
次回最終回でございます。
『question of honour』今さらながら、拙作のテーマです。
BGMはお好きに。
磔にされた聖者のように、イリヤは黒い泥を撒き散らしている空の孔に掲げられていた。 淡い燐光、赤い影と白い影、天の逆月。
彼女そのものが泥なのか、泥自体が彼女を黒く染め上げているのか。
「ひでぇ事しやがる・・・」
真偽は分からないが、これだけは言える。
―――その有り様を満面の笑みで見上げている神父は、もはやこの世のモノではない。
「………綺礼。 やっぱりアンタ、もう人間じゃないのね」
「さて、どうだろうな。 人間としての証左が何であるかの定義を論ずる事は、不毛な争いにしかならないが。
―――重要なのは、何事にも始まりと終わりがあるという事ではないかな?凛」
「…あ、そう。 つまり私達の始まりは十年前で、」
「終わりはここという事だ。遠坂時臣の娘にして我が愛弟子よ。 終点は目前だ。亡き父の仇はここにいるぞ? 凛」
「……――――」
決まりだった。
父時臣の死の真相に、凛は薄々感付いてはいた。でも確信には至らなかった。・・・・至りたくはなかった。
凛は軽く目を瞑り、だらんと左腕を下げ右手を縦拳に構え敵に対して半身の姿勢をとる。
いつでも大爆発を、八極を発生させられる構え。
二の打ちは要らない、一撃あれば事足りる。 それが仇であり師匠でもある男の教えだった。
「先に謝っとくわね。ごめん、士郎。桜。ツカム。慎二。………私、もう我慢できないわ」
睨みつける凛の顔には、純粋なとある『感情』が浮かんでいた。
それはこの聖杯戦争の最中に、いや、肉親と別れたあの十年前からずっとずっと凛の心の内にあり続けるチンケな一滴。
自分では気付きにくい。 誰かに指摘されて初めて解かる純粋な感情。其の名を―――
「団長権限で、それは今却下です。勝算を9:1にするつもりですか? 遠坂先輩」
「・・・・なあ神父さんよ? 一つ確認したいんだけど、アンタの願いってのはこの『黒』をばら撒いて世界を終わらせるって事でいいのかい?」
慎二がオーバーリアクション気味に、得心がいかないといった表情をあえて作る。
「真逆(まさか)。 これでも私は神に仕える身だ、そのような背反行為なぞ出来ぬよ」
桜はその表情が、今の内に凛をクールダウンさせろという合図なのだと悟った。
「―――じゃあ言峰。 お前の目的・願いってのは何だ?」
衛宮士郎が顔を怒りに歪ませながら言う。 『感情』を我慢できないのは彼もまた同じ。
慎二は身体全部でもって、そんな鉄人を止めていた。
「・・・そうだな。強いて言えば、娯楽だよ」
「………え?」
「意外かな? 間桐の娘よ。 私も感情を持つ人間だ。娯楽に関心があるのは当然だろう?」
「いえ、…そうではなく、……娯楽が目的、とは?」
「ん?解からないのか? 例えば映像作品や本だ。
実写作品、アニメ、漫画、小説、エッセイなどの作品が、物語が人を惹き付けるのは何でだと思う?
―――女教皇ヨハンナという本を読んだ事はあるかね? 清廉なるヨハンナの、意地と誇りと愛と死の物語。
最愛の男ゲロルトの名を呼び、生涯唯一彼との間の赤子だけを産み落として散っていった美しき烈女・英雄ヨハンナ。
この作品を読み終えれば誰もが胸に手を当てこう思うだろう。 貴女は素晴らしい『人間』であったよと」
「―――――」
桜達は全員、心底意味が分からないといった表情を浮かべている。
「では音楽はどうだ。
クラシック、ポップ、ロック、アニメソング、ゲーム等のBGM、それらが人の心を震わせるのは何故だと思う?」
「……えっと、それは、」
そんな事、暇人以外は考えない。
「そう、考えるまでも無い。 あらゆる娯楽、人間を悦ばせる物。それらが愉しいのは、単に人間が造った物だからだ」
「…………」
「よいか。 あらゆる創造物は人間の内より生じる物。人間とは、無限の想像力を手に入れた唯一の知的生命体。
・・・つまるところ、この世で最も愉快なモノとは人間に他ならない。
剥き出しの人間こそが、最高の娯楽となる」
神父は手を広げ、満面の笑みを浮かべて告げる。 それは疲れ果てて帰宅した人間が、晩酌をする時の表情に似ていた。
とっておきの酒、とっておきの肴。
至福の時。
「それに比べれば、人間が生み出す娯楽など二次的な物にすぎない。
―――そうだろう? 心を震わせる音楽も人々を惹き付ける物語も、愛情も憐憫も信頼も裏切りも道徳も背徳も自由も平和も幻想も真実も・・・・!
全て、全て唾棄すべき不純物にすぎぬ。 そのようなモノ、所詮は残りカスにすぎない二流の娯楽。
私が楽しみたいのは人間そのものでな。そのような余分なモノなど、もはや口に合わん」
男は胸に手を当てながら持論を述べる。 この胸を焦がす炎がある限り、神父・言峰綺礼は言峰綺礼なのだと。
「営みなどという贅肉は人間には必要ない。あらゆる生命の目的は例外なく死ぬ事だ。
そして人間は、死の瞬間にのみ価値がある。 昨今ありふれているただ人が死ぬだけの映像作品が何故大衆の涙を誘う?
散り逝く人間を描写している文学が、何ゆえ読者の胸を打つ?
―――『光』だよ、義勇軍。 フィクションだろうとノンフィクションだろうと、生存という助走距離を以って高く飛び、宙に届き尊く輝くモノがいる。
その瞬きこそが私の望みだ。 この聖杯はそれを無間に味わわせてくれる。人の身であるこの私に。
聖杯の黒に包まれ、黒に滅ぼされ、そして遂には黒に成るモノ達を。
その時彼らは一体何と言うのかな? 生きたいと言うのか?死にたいと言うのか?―――いいや、それとも?
・・・どちらにせよ純粋な『感情』を、光を私に見せてくれるだろう。私の望みなどその程度だ。
お前達が平穏を糧にするように。―――この身は、星の『光』を食べて生きている」
素晴らしい。人間は素敵だ。愛している。
口にしてしまえばなんと陳腐な言葉か。 だからこそ、神の使いである男は口にする。
「歪なカタチではあるが、私ほど人間を愛している人間はいない。 故に、私ほど聖杯に相応しいモノもいまい」
全ての生命の目的は男の娯楽の為に、死ぬ事である。
そう満面の笑顔で告げている言峰が、士郎達には本当に天上に座す何かに見えてくる。
これから訪れる愉悦に心を躍らせ全身を浸らせ、神父は口をあけた。
―――どうだ。 無念に満足に朽ちていった人間の姿、そして英雄ヨハンナの最期は、胸に迫るものがあっただろう?
「・・・・て、めえ」
「それが、お前たちが求めた質問の答えだ。
そして理解してくれたか。アレはお前達にも等しく『光』を与えてくれるモノなのだと。 君達は好きだろう?光を掴む事が」
「―――ふーん、そうか成る程ね。 だいたい解かったよ神父さん」
地面が割れる音がする。 士郎が唸り、慎二が笑みを浮かべる。全員が足に意識を集中している。
敵は人間ではなく異様で、神聖な化け物。義勇軍は襲い掛かる寒気を掌で強く握り締め、
「―――とりあえずさ。 オマエが、『光』になれよ」
全力で、黒の軍勢である言峰に向かって突撃した。
「兄さん! あぶない!!!」
「・・・・!?」
桜の声に、慎二だけでなく他の義勇軍の面々すらも驚愕に顔を染める。
そして同時に右膝に力を集中し、横方向に全速で跳んだ。ライダーは慎二を抱えている。
隣りを見やると、さっきまで自分がいた場所に黒い焦げ跡がびっしと刻まれていた。
「触ると死ぬぞってヤツか。・・・・今どき流行らないモノを」
「そう無体に言う事もあるまい。 これは君達の望みを叶える代物なのだからな」
空に穿たれた大孔より出ている黒き泥が蠢く。
それは胎児のようにいじらしく、生命の息吹を感じさせる赤子の仕草に似ていた。
「見たまえ、孔より溢れ出ているこの泥を。 聖杯の器たる少女を介して生まれようと健気にもがいている、この世全てを覆いつくす純粋な『感情』を」
―――出たい。出たい。産まれたい。
―――皆の願いを叶えてあげたい。
泥の跳ねる音が、声に聞こえた。
「聖杯は願望機だ。誰かの願いを叶える為だけの。 あれが欲しい、これが良い、こうあれ、ああしろ。
そんな誰かの願いを叶える為に、コレは生まれようとしている」
「私達はもう、聖杯に叶えてもらいたい願いなど有りませんッ!」
「お前達はそうかもしれん。 だがこの聖杯は既に汚染され、ある事実を知っている。
元々は無色な力の塊であるコレはな、たった一滴の人間の想いによってそれを知った」
「―――――ッ」
跳ねりながら迫り来る泥を必死になって避ける。
遠距離から狙撃をする暇もない。触れば死ぬ、霊体でも死ぬだろうし、必ず殺す。
それはまるで純粋な――――
「人間が抱く願望の根本だ。気づいた事はなかったかな? 望む、願う等といった想いは、ある一つの『感情』から生まれていると」
「………感情ですって?」
「そうだ。 ちょうど、君達が今私に対して抱いている物だよ」
「―――――」
金が欲しい。 男が欲しい女が欲しい。強さが欲しい永久が欲しい。全てが欲しい。
考えてみれば、そもそも何で今の自分では到底叶えられない願望なんてものを持ったのか。そもそも何故こうなって欲しいと、自分は思ったのか?
始まりの理由。 生きている内に、人間の十中八九が忘れてしまう全ての発端。
それは自身が受けた屈辱から? 他人が受けた数々の侮辱を見聞きしたから? 我慢ならない何がしかが起こったから?
それとも天に昇るほどの極上を味わったから?
いやいや。 もっとシンプルな事柄だよ、それは。
「――――其れは太古の昔より、遥かなる未来まで千古不易なるモノ」
「平和なる時も、混乱の世にもあらゆる場所あらゆる時代に、生きる事への火ダネとなるモノ。
それは人間が存在する限り永遠に続く、純粋な一つの『感情』なのだ」
其の感情の名を『憎しみ』・・・・あるいは、
「 この世全ての悪(アンリマユ) 」
その瞬間、黒き泥が桜達の全身を襲った。
お前が憎い。君を逃がさない。 これは人類が今も抱き持ち、猿人原人旧人新人より続く始まりの想いである。
死んでくれと誰かが祈り、
一生のお願いだからわたしの目の前から消えてくれと誰かが願う。 そして世界よ、どうかどうか己の思うままになってくれと誰かが真摯に呪った。
―――じゃないと・・・・わたしはひどく気持ちが悪い。
純粋な願望。石器時代から変わらず人間だけが持っている心と『感情』を、コレは知ってしまった。
二百年にも及び、第五回目にもなるこの聖杯戦争の戦利品、聖杯はついに知った。
―――感情とはこのちっぽけな脳髄と心が生み出しているチンケな一滴。 だがそれは自己を覆い、世界を覆し、他者を抹殺する絶大宝具。
誰しもが簡単にそれを使う機会を秘め、当たり前であるが故に誰も気付かず誰も気にしない。
叫び声は二つ。
おまえが悪いと声高に。わたしは悪くないと金切りに。
叶えて。叶えて。叶えて。
叶える。叶える。叶える。
絶対に。
「―――これが剥き出しの人間だ。 まこと美しいとは思わないか?素晴らしいと誇らないか?」
「・・・・・」
「人間の本質はコレだ義勇軍。 この純粋(ピュア)な『感情』こそが人類の歴史、人理を造ってきた」
「・・・・・・何を、」
「違うとでも言うのか? では何ゆえお前たちは今日まで戦ってきた? 生きる為、望みを叶える為、自己の存在の証明の為?
―――いいや、本当は違うだろう?」
・・・・・。
「教えてやろう。 戦いを愉しんでいるのだよ、お前達は」
「………違う」
「愉しかっただろう? 今まで使う機会のなかった術、力、己の五体。その全てを出し尽くしての殺し合いが。
現に、お前達はアサシンとキャスターを全力でもってその手で殺してきたではないか。
トドメを刺す時のお前達の顔は・・・・実に生気と憎悪に満ちていた」
「違うッ!!!」
「戦う事の愉しみ。 それを卑下する必要は無い。それが人間の本質で、生きる意味だ。
誰かと戦って殺し、誰かと戦って殺される。生きるとは戦いだったかな? それはそうだとも。
人生とは多少の善悪をその身に秘め、少しずつ汚れてゆきながらも高く飛び、最果てにて光り輝く為の期間ゆえに。
・・・なればほら、こう思うのは当然だろう?」
己の人生は、生きる事は面白いと。 死とは何とまぁ美しいのかと。
まるで閃光のように、一瞬で消える眩い炎のようだと。
「異世界だろうと何処だろうと、人間もこの聖杯も私もお前達も。灯り続ける光がある。
それはこの世が終わるその時まで燃え続ける、消えない想いだ」
誰しもがこの世全ての悪となり、誰もが生きるという戦いを、勝者と敗者のオセロを行うクロマニヨン。
どこぞの隊長が口癖にしている、『光』を掴むとはそういう事。
其の光の名を『憎しみ』・・・・あるいは、
「 『オディオ』という 」
「 光をつかむ 」
絆アビリティ発動及び武装選択。
【 】
【武装:キクイチモンジ】
いち早く黒き泥アンリマユを斬り払ったのは冬木の義勇軍・団員ツカム。
彼は桜や士郎、凛達に迫る黒をもその手で斬り伏せている。
「――――違う」
虚ろな目で口にする。 神父の言う事は、人間として否定しなければならない類のモノ。
俺達はそんな単純でふざけた理由で日々を生きてはいないし、もっと複雑な生き物だと。
「・・・・違う」
震える口が言葉を紡ぐ。
全絆アビリティの酷使、英雄王との戦い、死闘の連戦で彼はもはや己の武装しか顕現できない。
でも口にする、否定する。―――例え、
「・・・、違う」
亡者が刀を振るう。斬る。転ぶ。
転ぶ。転ぶ。
「―――ちが、」
「どう違う。 もはや生きてもいない亡霊よ」
生者ではないツカムはその場に転んだまま動かない。
生きる事を既に終えた存在だからこそ、彼には。 いや彼らには強く否定できない。
アーチャー達英霊は気付いてしまった。 憎いという感情は決して消えないと。今この瞬間も。
「死した君はここに来た。この戦争の渦中に、黒の軍勢が詰まっているこの聖杯の御許に。
それは君が望んだからだ、更なる戦いを」
「人間は皆戦わなくては自分を保てない。
勝者と敗者を明確に、自分の心で決め付けなくては生きていられない美しい生物だ。・・・では君は?」
「生きてもいない君は何故戦う?」
・・・目を瞑る。
「生前自分で決めた何がしかの選択の為か? 死してなお戦い、己が未練や望みを果たす為か?
―――違うな。 教えよう、黒の軍勢をユグド大陸より滅ぼし、この冬木の街に追いやった元義勇軍隊長よ」
・・・・何も見えない聞こえない。
「君は、こうする事でしか歩けない」
「生きる為でもなく目的も無く、ただ剣を振るい続ける以外に世を渡る術を知らぬ」
「偶々この街に召喚され、偶々マスターを汚す魔物を殺し。偶々聖杯を巡るこの戦いにおいて力を振るい続けた」
異世界の部外者が、厚顔無恥にも。
親の顔が見てみたいとはこういう輩を見た時にのみ言う言葉。
「そういう奴をこの世界では何と言うか知っているか? ツカムくん」
「―――邪魔。 と言うんだ」
ゆえに去るべし。 この世界の理に従い、黒き泥がツカム達をすっぽりと覆った。
続く。