今回は番外編です。
人知れず消えていったバゼットさんの戦いと、ゲイ・ボルクは槍の名前ではなく投擲法だと聞いたもので作者なりの妄想をば。
「―――冬木市大火災の生存者の足取りが掴めない?」
「はい。 ゴッズホルダー」
冬木の街よりやや南方の隣町。
来るべき聖杯戦争に参加する為、魔術協会所属・封印指定執行者バゼット・フラガ・マクレミッツはここで準備を整えていた。
「……貴方に頼んだのは冬木の街の地形や霊脈などといった、戦において利となりえる要因についての調査の筈ですが?
街の歴史や戦争の被害者のその後など、どうでもいいことでしょう」
単独行動が常のバゼットだが、今回で五回目にもなる聖杯戦争、しかも見知らぬ異国の地での作戦。
これが単なる一人旅の類であれば問題は無いかもしれないが、彼女には明確な敵がいて、持ち帰るべき戦利品がある。
何がしかのバックアップが欲しいと思うのは戦士として、魔術師として当然の事であった。
今回のバックアップは三名。
皆選りすぐりの魔術師であり、その中の一人に冬木の街の事を調べさせたのだが、口を開けば街の歴史やら前回の聖杯戦争の経緯やら。
バゼットにとってどうでもいい事ばかりが口から出る。
―――手早く要点だけ言えばいいものを。
速さは力なのだ。
「僭越ながら。 愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶといいます。神代の魔剣の伝承保菌者(ゴッズホルダー)である貴女らしくもない。
・・・十年前、冬木の街を襲った未曾有の大災害。
原因は当時行われた第四次聖杯戦争。ですが、その災害の渦中にも生存者はいた。
あれだけの災害を奇跡的に生き延びた、世にも珍しい生存者。
その者達は今死んでいるのか?生きているのか?それが分からないのです。
綺麗さっぱりと足取りが、ある地点で途絶えています。 表と裏、どちらに働き掛けたにもかかわらず」
つまらない表情をしていたバゼットが、気付いた。
「・・・・誰かが黙って拾って面倒を見た? いいえ、そんな余裕のある人間が当時の冬木にいたとは思えません。
一人を除いて。 こいつは何か裏があります」
聖杯戦争の舞台・冬木の街。 そこには十年以上前から、ある人物がいる。
「なるほど。貴方が仕事熱心だという事は分かりました。 で?何が言いたいのです?」
「今回の聖杯戦争の監督役、言峰綺礼には二心があります」
十年前の災害の奇跡的な生存者は、みな言峰教会の預かりとなった。
バゼットの協力者であるこの魔術協会エージェントの男は、そこまでは何とか調べる事ができたという。
それからの先が、痕跡が全く無い。 まるで誰かが消したかのように。
「解せませんね。 言峰綺礼は十年前の第四次聖杯戦争を生き抜き、聖堂教会の代行者をも勤めていた傑物。
その彼が生存者を全員拉致したとでも? まさか、人身売買でもしでかしたと?」
もう何年も前になるか。
バゼットと言峰は仕事場で鉢合わせ、死闘一歩手前までいった事がある。
かたや聖堂教会代行者と、かたや封印指定執行者。
仕事上相容れない両者だが、その時ひょんな事から互いに共闘。苦楽と死線を共に乗り越えた。
彼は戦友と言っても差し支えない存在だと、バゼットは思っている。
実際、イイ男でもあったし。
「―――いえ、ゴッズホルダー。恐らくそれよりももっと悪い未来です。
・・・・そもそも待ちに待った此度の『聖杯』戦争なのに、聖堂教会側が恐ろしいほど静観している事が私には疑問でした。
聖堂教会は何かを知っており、隠している。そして言峰神父は災害の生存者を何かに利用している。
教会は、我々魔術協会側を出し抜こうと画策しているとみて間違いありません。
もしかしたら、聖杯をすでに所持しているのやも」
「………証拠は?」
「五日前の事です。言峰教会に向かった私個人の仲間が、未だ帰ってきておりません」
「ならば行きましょう」
戦士の嗅覚は自分にしか出来ない仕事の匂いに敏感だ。
迅速、的確、無駄は不要。
速さは力である。
バゼットはそう信じて迷わない。長考する・迷う等という行為は無駄以外の何物でもないと彼女は信仰している。
怪しいのならば、直に会ってこの目で見極めるまで。
「ランサー。 聖杯戦争開始前ですが、付き合って頂きます。よろしいですね?」
「よろしいもよろしくないも無いんだろ? 俺のマスターはアンタだ。いつでもいいぜ」
装備の点検を行い、召喚したサーヴァントに声をかけ、待機させていた車に乗り込む。
車のシートに腰をかけたバゼットは車両の発進を確かめると、サイドウィンドウから上空の天候を見やった。
今にも雨が降ってきそうな曇天の空は太陽をひた隠し、衆目に決して晒さなかった。
「執行者・マクレミッツ。
実はそれともう一つ、確かな証拠があります」
車内にはバゼットの他に三人のエージェント、彼女の協力者達がいた。
先程の仕事熱心な男と、黒いサングラスをかけた男二人。
「何です?」
「他ならぬ貴女を第五次聖杯戦争に呼んだ裏の理由は、あの神父の監視です」
上からの命令です。 そう言って、口を閉ざすエージェント達。
車で冬木の街に向かうバゼットの胸を、きな臭い予感がざわりと撫でた。
◇
言峰協会は冬木の街の中でもいっとう珍しい高所にある。
そこから見下ろす街の色は色彩多様で、見る者にある種の爽快感と満足感、そして絶景を与えてくれると好評の隠れスポットだ。
人気ではなく隠れ、である理由は至極単純。 あの教会には近づいてはいけないと、無自覚な恐怖が人の心を濡らすから。
「―――ランサー、貴方はここで待っていなさい」
「そりゃ俺だって好き好んでこんな教会の中に入ろうとは思わねえが。・・・マジで言ってんのか?マスター」
英霊であるランサーは感付いている。
ここには恐ろしい何かがいると。
「教会はサーヴァント不可侵という暗黙のルールがあります。なので我々が言峰神父に対して事情を聴取し、事実の確認を行います。
何かあれば令呪を使って貴方を呼ぶので、心配はいりませんよ」
「心配だ? 事情聴取が取り調べになるから言ってやってんだよバゼット」
「ならば尚更、心遣いは無用というもの。
もう一度言います。 我々が戻るまでここで待機を、ランサー」
ゴッズホルダーにして封印指定執行者バゼット及び、彼女の協力者である魔術協会エージェントの三名。その誰もが粒揃い。
最上級の封印指定魔術師でも、彼女らと相対すれば裸足で逃げ出すレベルである。
「・・・了解。ご武運を、マスター」
何かあればすぐに駆けつける。何かあれば。
ランサーはわりと本気で、マスターの無事を祈った。
◇
「―――バゼット・フラガ・マクレミッツ。 久しいな、我が戦友よ。最後に会ったのはもう何年前になるかね?」
荘厳なる絨毯が敷かれている礼拝堂を過ぎ、これまた絢爛華美な客間に通されたバゼットの心には、ある一つの確信が浮かび上がっていた。
「此度の聖杯戦争において、君がマスターの一人であると聞いた時は驚いたものだ。
それに、君の後ろにいる者達。 十年前よりも更に魔術協会は本腰を入れてきたようだな。
・・・察するにサーヴァントは既に召喚済みか」
執行者として、封印指定の魔術師どもを強制的に封印してきたというプロの勘か。
あるいは多数の戦を経験してきた百戦錬磨の戦士特有の嗅覚か。
「思ったよりも速く・・・ここへやってきたな?」
肌を刺すこの気配。神父の言葉、姿形。教会に漂う空気。
「―――魔術協会、封印指定執行者バゼット・フラガ・マクレミッツの名において、」
戦士は、硬化のルーンが刻まれたグローブを手早く両拳にはめた。
「―――神父、あなたを逮捕します」
「・・・・・」
バゼットの後方にいたエージェントたちが、一斉に魔術礼装・自分だけの武器を取り出す。
魔術の起動は一瞬。そして互いの死角を補う地点へと移動する事もまた、一刹那。
百戦錬磨なのはバゼットだけではなかった。
「―――私を脅すかゴッズホルダー。 治外法権の教会にすら、君達魔術師が手出しするとは」
「あなたを拘束し、我々魔術協会が処分を決めます」
「私は聖堂教会所属の聖職者だ」
「―――――」
吐き気を催す邪悪特有の、匂いが消えない。
「―――もう、違う」
状況は四対一。 いかに元代行者・言峰綺礼といえど独力でこれ崩す事は不可能。
「・・・・成る程」
そんな神父はゆっくりと、目元と口元を、
「では。 これは聖杯戦争監督役である私への、」
極上の愉悦に、浸らせた。
「反逆だな」
「―――!」
眼前に壁が迫る。
錯覚だ。だが咄嗟に、バゼットは身体を右に逸らした。
「・・・ガッ・・・」
いつの間に起動させていたのか。
神父の右手には、黒鍵という名の聖堂教会の者特有の刀剣が。
その刃先に心臓を貫かれる男。
「・・・ッギ・・・」
黒鍵とは一見、掌に納まるサイズの十字架の形をしている。
実はそれは柄の部分で、刃はない。
突如現れた刃先に喉を引き裂かれる、二人目の男。
「やはり貴様―――ッ!!!」
黒鍵の刃は、持ち主の魔力を通す事で生えてくる。
刀刃を筋肉やら何やらで押さえても、魔力を通す事を止めて消失させてしまえばそれを回避でき、
「あなた!逃げなさいッ!!!」
「・・・バ・・・ッ」
もう一度黒鍵に魔力を通して刃を現出し、投擲もしくは斬撃を繰り出す事が可能。
このように。
「何だ? これは………」
血の海の中で回想する。
バゼットはこれまで数多の強敵と戦ってきた。何も無い所で大量の水を発生させる魔術師。
どれが本体なのか分からないダミー人形を、浜の真砂ほど現出させる魔術使い。身体をバラバラにしても生きていられる死徒。
だが、これは初めての体験だった。
「・・・・・」
あるはずの無い壁が迫ってくる。急に自身の動きが緩慢になり停止しだす。
自分が今何処にいるのか?それすら分からなくなる見えなくなる。 これは幻術の類か?はたまた強力な他者暗示の力か?
理由や原理は分からないが、これだけは言える。
「―――ッフ!」
かろうじて見える神父に向かって高速の拳を繰り出す、バゼット・フラガ・マクレミッツは闇の中にいた。
「・・・流石は伝承保菌者にして封印指定執行者。まさに、人の執念か」
「黙れ」
―――まずい。
「この場で君ほどに動ける人間はまずいないだろう。 いや、これは純粋な賛辞だよ。受け取りたまえ」
「どうも」
―――ランサーを呼ぶか? いや、駄目だ。
心身に対するこの異常。バゼットはおおよその予測を立てていた。
―――この邪悪は霊魂に対して、何がしかの術をかけていると見た。
霊体のサーヴァントがもしこの場にいたなら、敵に操られる可能性がある。
強い対魔力の有るセイバークラスならもしかしたら対抗できるかもしれないが、自身のサーヴァントはランサー。
自慢の彼が敵になるとは思いたくないが、この場では不確定要素は極力排除すべきだ。
「…………ッ」
黒鍵を砕き割り、必殺の拳を叩き込むバゼット。
神父はそれを左手でいなし、一重身になりながら右の拳で冲捶(突きの事)を放つ。
・・・これだ。 単純なこの一撃こそが最も危険なのだ。
相手に何も行わせないよう、バゼットは手数を増やし、両の拳で連打につぐ連打を繰り出す。
その有り様は、高速道路を走る自動車がこちらに突っ込んでくると言っても過言ではない。
負けじと。 神父は紙一重でそれをかわす、手で弾く。冲捶を打つ。
弾く、打つ、弾く、打つ、弾く、打つ、弾く、打つ。
そんな互いの腕と腕との間隙を縫いながら。 注意が疎かになったバゼットの心臓目掛けて、神父は掌底を突き出した。
「・・・・破ッッ!」
相手の後ろ足を踏み潰す勢いで大きく踏み込み放つ、一つの絶招。
それは神槍と呼ばれた拳鬼が得意としたとされる、ある流派の妙技であった。
「――――!!!」
バゼットは急激に身体を捻り、空いている方の腕肘で心臓を防いだ。
神父・言峰綺礼の放つ一撃一撃は、もはや牽制の一手すら必殺の域に達している。
何故かくも単純なこの拳法を使う神父に、そんな事が出来るのか。
バゼットは知らない。 この拳の使い手は一撃で相手を倒す膂力・功夫(コンフー)を養うとされ、
深遠八方向の極の果てまで力が往き渡るよう全身を使うと云う事を。
すなわち、八極。
―――構えを直すバゼットの腕の痺れは未だとれない。
八極とは、大爆発の事である。
―――敵の攻撃はその全てが一撃必殺の『魔拳』。 ならば今、私が為すべき事はただの一つ。
バゼットはそう心中に期すと、後方に飛び退き間合を取った。
そして手袋で包まれた右手の甲を、神父に向ける。
「 アンサラー 」
其の名、後より出でて先に断つ者。
握り拳を作ると同時に発した彼女の周囲に、どこからともなく鉄球が浮遊し獲物の心臓を抉らんと狙いを定める。
『魔剣』と呼ばれているこれが断ち斬るモノは時空。応えるは、ただ主の御心のみ。
魔拳と魔剣。 ・・・勝機を手中に収める事が出来るのは。
震脚が鳴る。大爆発が、神父の冲捶が飛び込んで迫り来る。
何か手を打たなければ致命傷を負うだろう事は明白。
先手を盗られた。
・・・だが今や腕の痺れをも己の力に変換させた、フラガの家系バゼット・マクレミッツは。
いつも通り、先手を放っていた。
「 フラガ・ラック 」
―――問題1。先手と後手、さてどちらが速い?
状況。 敵手は自身より先に八極の一撃を放ち、今まさに心臓を潰さんとしている。相対する自分はその後に拳を放った。
・・・答えは明快。 先と名が付く方。
よしんばバゼットが筋肉的な何か、体技の錬度の厚みで神父を凌駕していたとしても。
先に放たれたのは神父の突きで、後に放たれたのは執行者の拳であるという事実は変わらない。
良くて相打ち。 普通以下ならばバゼットの心臓のみが打たれるだけ。
だがゴッズホルダーは、彼女はその運命を捻じ曲げる。
―――問題修正。 先手と後手、さてどちらが速い? ただし先手の者は、己の一撃を放つ瞬間心臓が潰れ即死するものとする。
このように。
魔剣フラガ・ラック。 その正体は時間を逆行し、先手を放つ前の敵を斬り殺す神の御業。断ち斬るモノは時間と空間。 そして、両者相打つという運命。
死人に口無し。敵手の行動は全て起き得ない事となり、ただ地に這い蹲って消えるのみ。
バゼットが、フラガの家系が現代まで伝えきった、放てば敵を必ず抉り斬る事の出来る神代の魔剣(システムアート)。
後手でありながら先手を凌駕する、一撃必殺の逆行剣であった。
其の名、斬り抉る戦神の剣。
「――――と、」
・・・・取った、と言いたいのか。
「――――……た」
はたまた。
・・・・取られた、なのか。
「――――、…どうしてだ」
どうして、
この胸に、縦に握られた拳が叩き込まれているのだろうか。
「破、・・・フ、シュゥゥゥゥ―――」
叩き込んだ者は他でもない。
心臓を魔剣で抉り斬られた筈の、神父であった。
「ガ、フッッ…!」
喀血するバゼットがたたらを踏む。
流石の彼女も理解が追いつかない。一体全体何処の世界に。
何処の世界に、己が必殺によって心臓が潰れても生きていられる生物がいる・・・?
―――フラガ・ラック。
敵手が行動する前の時空に跳び、息の根を止める事によって攻撃を無効化させて勝つ因果逆転の魔剣。
勝てる者などいない。 この業は速度差という物理的な問題ではなく、時間という概念的な問題を孕んでいるからだ。
・・・・だが。
「バゼットよ。 神代の剣の斬れ味、実に見事だった」
神父の胸に刻まれた傷痕が塞がる。
「この身を滅ぼすつもりで来るならば、いかんせん数が足りなかったな」
―――問題初期化。 先手と後手、さてどちらが速い? ただし先手の者は己の一撃を放つ瞬間心臓が潰れ即死、しても行動できるものとする。
「――――この化け物め…!」
そう。 これは最初から時間や速度などといった人間の問題ではなく、化生といった人外の問題であった。
「・・・さて、」
神父の黒鍵が、息も絶えだえな無防備のバゼットの左腕を捉えた。
「その令呪、快く頂こう」
断ち斬られる左腕。奪われる令呪。
「………ッグ…」
―――バゼットの命運は、尽きた。
「ある物は使わなくてはな。死に往く君には勿体無いだろう?」
「・・・バゼット!!!」
「――――ラ、ンサー…」
サーヴァントの気配を感じる。
痛みで消し飛ばされゆく意識と、崩れ折れる脚。だがかろうじて、その場に踏みとどまる。
びたびたびたと、傷口からの大出血が絶えない。
もはや容易に息も出来ないバゼットの命脈が今、尽きようとしていた。
「首…を…刎ね、頭を潰しなさい……、ランサー」
かろうじて声を出す。
敵は心臓が潰れても生きている魔物。ならば、頭部を破壊するまで。 首がちぎれて生きていられる生物はいない。
例えこの命尽きようとも、この化け物はここで屠らなければ。
「・・・・ehwaz 、 raido 、 algiz 、 isa」
ランサーが発し、指先で書くのはそれ自体が力を持つといわれるルーン文字。
敵に対する備えだろうと、バゼットが安心したその時、
「は………? 何の…つもりですか、ランサー……?」
徐々に徐々に消え往く自身の身体。見れば、左腕の傷口が止血されている。
「・・・許せバゼット。 どうやら俺は、また寄り道が過ぎたらしい」
「――――」
声はもう喉から出ず。
ただ化け物の声だけが、最後に聞こえた。
「令呪によってサーヴァントに命じる。 命令に従え、クー・フーリン。私がマスターだ」
擬似的な転移魔術が、バゼットを完全に包みこんだ。
◇
――――そんな事もあったな。
青き槍兵は回想を終える。
とうの昔から黒泥に塗れていた神父に己が意志を、勇を見せつけた少年・衛宮士郎の前に男は立っていた。
「これは何の真似かな、ランサー?」
はっきり言ってしまえば、少年の啖呵は陳腐だった。
どのような欲望にも脇道にも負けずに己が道を貫く。
この坊主が、果たしてそんな事が出来るのかよと。
「・・・・言峰」
魔槍の穂先を神父に向ける。
冬木の義勇軍がこの教会から退却しようとした瞬間、神父はランサーとギルガメッシュに追撃を命じていた。
逃がすなと。このつまらぬゴミ共を塵芥にせよと。
だがそれを。 ランサーのサーヴァント、勇者クー・フーリンは五体全てでもって止めていた。
「穏やかではないな、マスターを裏切るとは。 死に様が潔く、主神ルーの御子にして英雄の中の英雄の君が、主人を裏切ると?」
「ぬかせ。 俺が従うのは人間のマスターだ、別次元の獣なんかじゃ断じてねえ」
「―――、成る程」
「ランサー!? いかに貴公といえど、彼奴らを相手取るのは!!」
「―――悪いが、こっちは行き止まりだ。 お前らもこいつらもな」
「・・・・ランサー」
「いきな坊主。 お前の旅路の終極は、こんな所じゃあ無い筈だぜ」
―――想定・敵二人。 レンジ・若干中間(ちゅうま)寄りの遠間。 場所・横幅と天井が充分広い地下空間。 勝機・全て。
槍兵は魔槍を順手で構え、五体を低く低く地に沈めた。
突進力を遺憾なく発揮し、かつ空気の抵抗を限りなくゼロに近付けるにはこの態勢が最も適している。
「武運を祈ります。 ……ランサー」
「そんなモンいらねえよ」
・・・敵が何者でも化け物でも関知せず、ただただ肉体を破壊するという一点に集中させた技術の粋。
冷静に、情熱に。 ただ投げ擲つ一振りの魔槍。師匠譲りの、彼らだけの体技。
『魔槍』 ゲイ・ボルク
「俺は、俺の信条に肩入れしているだけだ」
「貴様も聖杯は要らんというのか? 猛犬」
「もとより俺は二度目の生なんぞに興味はない。
そもそも英霊なんて連中はな、どいつもこいつもそんな物に興味はねえんだよ。
オレたちはこの世に固執してるんじゃない。 果たせなかった未練に固執するのみだ」
―――まあ、テメェみてえに欲の皮がつっぱった怨霊共には分からないだろうがな。
「成る程。 死に際が鮮やかだった男は言う事が違う。全く己が信念を貫くのは厳しいな、ランサー。
・・・褒美だ、一欠けらもこの世に残さぬ」
「―――・・・・」
それはこちらの、台詞だ。
――――ランサーが地を蹴った。
初速を経て全速へ。ではなく初速=全速という怪奇をやってのける事がこの『魔槍』の第一歩。
その状態でジグザグ左斜め、右斜めと動きながら、まるで雷の軌跡のように疾走する。
敵へと遠ざかっているような、近付いてさえいるような。
「 ゲイ 」
前進しようとした神父とギルガメッシュの眼球に、鋭い刃が差し込まれた。
槍の柄尻を掴むランサーの腕が、大きく突き出されている。
僅かな、ほんの一刹那の眼球の閉鎖。
その瞬きと同時に、ランサーは飛翔していた。 疾走、そのままに踏み切り。
運動力を損なう事なく。
槍投げという機構(システム)に五体の全てを移行させ、
ランサーは今こそ必殺の『魔槍』を、敵めがけて腕肘を撓らせながら全身全霊で投擲した。
「 ―――ボルク !」
其の名、突き穿つ死翔の槍。
『私が好むのは、勇気ある者だ』
其れは他者に勇を示し、己に勇を刻み。 遥か彼方におわす我が師に、勇を見せる時のみ使用する事を自身に課した魔の槍術であった。
・・・まるで横回転でもしているのか。
上空より不可解な軌道を描いて迫る魔槍は、降り注ぐ数多の鏃の様。
撓らせながら投げ、今や音速を超えた彼の槍はそれ一つで軍勢に匹敵する。
突かれればその凶悪な運動エネルギーが人体をズタズタにし、まるで無数の棘が身体の中で炸裂したかのように見えるだろう。
ランサーの師は、足でこの技法を完成させる。
心臓必中の呪いは無いが、個人がこれを防ぐ事は不可能に近い。
防ぐには城壁もかくやと言う程の盾を持ってくるか、槍自体を跡形無く消滅させるしかない。
「――――ゲイ・ボルク。 影の女王より賜わりし魔槍とその術。しかと見せてもらった」
そんな魔槍の着弾点、もしくは爆心地に響く声。
「だが足りんよ、ランサー。 全くもって何ゆえ、お前の槍は当たらんのだろうな」
「・・・・・ッ!」
槍兵の心臓を貫き刺している、英雄王の宝物が一。 紅き魔杖・レーヴァテイン。
土埃を払いながらその場に立つ神父とギルガメッシュは、盾のような何がしかに守られていた。
「さて英雄王よ、そこの小娘の心臓を聖杯降臨の供物にしようではないか?」
「残念だが言峰。そやつを無下に扱う事はこの我が許さん。 なに、もちろん御預けでは無いぞ?
この五体全てでもってアレを顕現させるまでだ」
「ほう・・・! やはりそうか私もそう思っていたのだ。きっと、素晴らしい事となるに違いあるまい」
神父はイリヤを抱き上げ、己がサーヴァントと共に地下を後にする。ランサーには目もくれない。
愉悦に満ち満ちた表情は、ただ己の好物を食すだけの天堂地獄。
荘厳と慈愛に満ちていた。
「―――ッハ。 精々今の内に愉しんでるこったな・・・・」
消え往く槍兵に、二人は目もくれない。
「生前から嫌と言うほど見てきたぜ。てめえらみてえな輩の末なんざ」
耳は聞こえていたのだろう。
扉が閉まる音が、心なしか強く地下に響いた。
「・・・・片棒担いだ俺と同じさ。跡形無く、ここから消えるだけだ」
後悔は無い。未練も無い。
ランサーはついに己の限界を魂で感じ、
「―――俺の槍以上の何かで、ヤツらを跡形無く消し飛ばすしかないぜ? 義勇の軍団さんよ」
跡腐れなく、この世界から霧散した。