「――――お嬢様」
冬木の街の郊外の森に、好き好んで入る者はいない。
それはどこぞの迷いの森よろしく迷うわけでも、熊とか猪とか化け物が出るわけでもない。
あえていうのならば、それは神社仏閣などが持つ独特の空気の圧。
森の奥の奥に佇む古びた城。
その古城が醸し出す威圧感が、下賎な存在の侵入は許さぬと、道行く者に強く深く伝えていた。
「義勇軍を監視させていた使い魔からの映像が途切れました。おそらくは第八のサーヴァント・ギルガメッシュ王の仕業かと」
「…入念に忍ばせていた使い魔が発見、そして砕かれたって所でしょうね」
第八のサーヴァントの出現。冬木の義勇軍との衝突。
その一部始終を見ていたイリヤスフィールは、玉座に座りながら頬杖をつき、今後を思案していた。
「かの王は十中八九、ここに来るはずですお嬢様。ですからどうか我らに出撃の許可を。
我々従者は、主が歩む王道の清掃と主自身を守る事が使命であり生存理由です。―――そうですね?リーゼリット」
「イリヤは最期まで、私が守る」
従者・セラは魔術の扱いに長け、従者・リーゼリットは頑丈な身体と怪力無双といえる筋肉が武器である。
セラは先程使い魔ごしに見た黄金の王を思い出し、考え、計算し、己が主の為となる最善をはじき出していた。
すなわち、従者達総員による特攻と足止め。
―――この命に代えて、かの王をイリヤ様には触れさせない。
「死ぬわよ? セラ、リズ」
「お言葉ですが。 主を守れぬ従者など、主の盾にすらなれない従者など」
「死んだ方がマシ」
これは勝てる勝てないの問題ではない。
不屈の精神にて、我らが主の敵を食い留める。
絶対にやらなければならない類の、勇気と覚悟の問題であった。
「なるほど。二人がかりで戦い、英雄王を足止めしている間に私とバーサーカーはこの城を逃げ出し、行方をくらます。
それが貴女達の言う私を守る方法だ、と。…………二つほど、考えを正しましょうか」
イリヤが微笑みながら、右胸を指でトントンと叩いて小気味の良い音を立てる。その位置には彼女の心臓が。
「一つ。 貴女達があの黄金の王、英雄王ギルガメッシュを足止めする事は不可能。触れる事すら無理だわ。強すぎる。
無駄死にに意味は無いので、もっと有意義な事にこそ貴女達の命は使われてしかるべき」
セラとリーゼリットは、すでにイリヤの顔を見ていない。 いや、見れない。
トントンという音が大きくなる、近づいてくる。
頭を垂れる以外に従者達が今出来る事はない。
彼女達の君主が、足音も無しに歩く。
「王の目的は聖杯の器、すなわちコレ。 奪われればアインツベルンの悲願はおろか、今後の未来すら危うくなる。
私は死に、おじいさまの目標もユスティーツァの血統も終わるかも」
「―――イリヤ。私は、…私達はイリヤに生きて欲し、」
「そして二つ」
小気味の良い音が、リーゼリット達の頭上で止んだ。
「……何故、私があの金ぴかの下郎に負けると決め付ける?」
セラとリーゼリットの顔めがけて一陣の風が吹く。
発生したその風圧は、彼女達の面を上げさせた。
「出撃許可は出せないわ。ここでギルガメッシュと戦うのは私とバーサーカーの二人。
貴女達には別の命令を下します。―――冬木の義勇軍と合流しなさい。彼女達を守り、彼女達が守るべき者を守りなさい」
「ッ!? 承服できかねます!お嬢様ッ!!」
「これは命令よ。主の命令に従う者こそ従者。
聞けないと言うのなら、貴女達は従者ではないわ」
それだけ言うと、イリヤはくるりと踵を返し背中を見せる。
その背中を大英雄ヘラクレスが、バーサーカーが追随する。
そして玉座に座り直した帝王は、愛すべき従者・セラとリーゼリットに最後通牒を告げた。
「この戦に足手まといはいらないわ。私の命令のみを果たしなさいな。…ただし、帰還して報告する必要はない」
「―――――」
「………イリ、ヤ」
つまりそれは、セラ達にとって最後の任務であるという事。
生きている限りずっとこの任務を続けろという、ある種のかしり。
破る事は、辞める事は許されない。
「シロウ達を頼んだわよ。セラ、リーゼリット。
―――この私が、新しい命令をまた下すまで」
柳眉が、口元がやんわりと弧を描く。
これは悲しいさよならとか離別ではない。
また逢う日までの、少女の誓いと約束だ。
「……ハッ!! 承知致しました、我が主!」
「待ってるよ。イリヤ」
「往きなさい」
どうかご無事で。どうか、どうかまた逢う日まで。
「――――さて」
従者達は裏口に停めてある車で、士郎達がいる教会に向かった。
ドン。
義勇軍は失態を犯したと、イリヤは考える。
ドン。
あの教会は生物にとって鬼門だ。
ドン。
遠目から見るだけで、肌がざわつくほどの。
ドン。
玄関ホールに向かって歩くイリヤとバーサーカー。
「…私の物になるまでどうか生きていてね、義勇軍の皆。―――お兄ちゃん」
ドンッ!!! という騒音と共にイリヤへ向かう大剣が、狂戦士の手で弾かれた。
「あら、ようこそお客様。私はこの城の主イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。 紅茶でもいかが?」
「要らぬ。 下賎な混ざり物が」
正門を破壊し、大剣を飛ばしてきたのは黄金の鎧に身を包んだ男だった。
金色の頭髪を逆立て、血のように赤い瞳で、この城の主を見下している。
イリヤは訪れた客人に対して、優雅に一礼する。 そしてだらんと両腕を下げた。
「随分と荒々しい入城ね、とても王様とは思えないわ。客としての礼節ってものが神代には無かったのかしら?」
「・・・雑種。 その心臓を抉り出す前に正してやろう」
「何を?」
「我がわざわざ出向いたのだ。 何故頭を垂れて地に伏し、その首を差し出さぬッ!!」
武器が男の上空に現れ、イリヤに向かって射出される。その数、2。
・・・狂戦士は動かない。先程は城主の挨拶の場であったゆえ、掃除として動いただけ。
我が主にとってその程度の武器は、それこそ物の数では無い。
「・・・・貴様」
「飛び道具に頼るなんて、男児らしくないわね。闘いの基本は格闘よ?武器や装備に頼ってはいけないわ」
イリヤは両の腕で手刀を繰り出していた。
地面を震わせる脚の踏み込みと、腰の利き、あまりにも速すぎて見えない腕の軌跡。
打たずして打ち、当てずして当てるという当身技。
両断された英雄王の武具が、無残にも地に転げた。
「―――痴れ者が。 我の物にその薄汚い手で触れたな、雑種」
「―――それはこっちの台詞よ、下郎」
転がっている物体を粉微塵に踏み潰し、英雄王に一歩近づいて今度は闘気を纏わせた拳を突き出すイリヤ。
当て身とは、相手を打つ前にまず空を打つ。風を打つもの。
若干の風圧が発生し、敵に拳が届く頃にはその風圧と打撃が合一する。
・・・仮に。 もし仮に、発生する風圧が若干ではなく途轍も無くであったなら。闘気によって空を打てるなら。
それはまるで波動の拳(こぶし)のような。
まるで幻魔のような打突を、繰り出せるかもしれない。
―――英雄王ギルガメッシュが、イリヤの繰り出す入神の当て身をくらい、大きく後退した。
「…貴方は私の物であるシロウに危害を加えた。手を、出した。
運よくセイバーが防いでくれたけど、もし死んじゃってたらどうしてくれるの?
お兄ちゃんに手を出していいのは私だけ。家族である、このわたしだけなのよ」
「―――ハ、下らん想念だな。歪んだ愛情か」
「真っ当な愛憎よ。 貴方と一緒にしないでほしいわ」
男が右手を掲げる。
それは生前から行ってきた〝彼〟の神判であり、かつて王国全土に響き渡った〝王〟の裁きの鉄槌の準備動作。
判決は死刑。被告はいつも前方。
「消えろ、目障りだ人形」
「はぁ…。戦の作法も知らない王様なようだから、特別教えてあげるわ」
対する〝イリヤ〟は、開戦の号砲を城中に轟かせるようにして名乗った。
「―――私は南斗鳳凰拳伝承者、〝聖帝〟イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。
帝王の前で頭を垂れるのはお前の方よ、下郎」
バーサーカーとギルガメッシュ、そしてイリヤスフィール。
神話の戦いが今、幕を開けた。
◇
教会は小高い丘の上にある。
桜達義勇軍の面々は、ツカムが発動した速度を上げる絆アビリティによって窮地を脱し、ここに駆け込んでいた。
黄金の鎧に身を包み、セイバーとは違う禍々しい金髪と、真っ赤な眼。
『アーチャー』と呼ばれたあの悪魔のようなサーヴァントへの恐怖が、今の義勇軍を包んでいた。
「こんな夜更けに我が教会を訪れるとは。 迷える子羊よ、神の導きが必要かな?」
まるで厳かな神父のように、この言峰教会の主にして聖杯戦争の監督役・言峰綺礼は義勇軍一同へ告げた。
「邪魔するわよ、綺礼」
「これは穏やかではないな。一体どうしたのだ?凛。 サーヴァントが敗れて逃げ込んだ、というわけでもないようだが」
「………八体目よ」
「何がだね?」
「ついさっき、八体目のサーヴァントに会った。
…金ぴかに光る黄金の鎧。金色の髪。真っ赤な血の色をした眼。アイツ、尋常じゃないわ」
遠坂凛は魔術の腕も拳法の腕も一級品の魔術師である。
それ赤魔道士じゃないの?と言われても間違いない。 言った瞬間、そいつは石壁の中にいるだろうけど。
その凛が、尋常ではないと言う程のサーヴァント。『アーチャー』はバーサーカーとは別次元の脅威である。
「――――な、に・・・?」
そんな話聞いたことが無い。
神父の目は驚きに見開かれ、言葉も無くただ立ち尽くしている。
ありえない事だ。まさかそんな事が。
「…どういうことよ、綺礼。聖杯戦争は全部で七騎のサーヴァントの筈じゃなかったの?」
「・・・・・・・」
「アンタ、何か情報を掴んでいないの?」
「・・・私にも、そんなサーヴァントが活動しているとは初耳だ。聖杯戦争の監督役として、その件はこちらで調べよう。
今夜はここで休むといい」
腕で客間を促す神父の目には、ある種のスゴ味があった。
やると言ったらやるという、誠実な大人の覚悟が。
「私達が休んでる時に、あの金ぴかサーヴァントがここに攻めてくるかも知れないわよ?」
「そうならぬようこちらで調べると言っているのだ、凛」
足早に二階の自室へと向かう神父。
その手には携帯電話だろうか? 何処かへと連絡をとっているようである。
「………ツカム。大丈夫?」
第八のサーヴァント『アーチャー』に四肢を射抜かれたツカムはしかし、
咄嗟に霊体になる事で致命傷を負う事だけは避けていた。
「・・・」
「ツカム?」
だがあの攻撃はまさに天災という他ない。
素人了見でも、さぞ名の有る武器と見受けた『アーチャー』の得物。
そんなものに四肢を貫かれては、さしものツカムも―――
「何だこれはッ!!! あの金ぴか野郎この俺をあんな安物の武器で刺しやがって!!!?」
「意外と元気そうね。 心配して損した」
「騙されちゃいけません。空元気ですよ、遠坂先輩」
咆哮するツカムの手を握り、回復の為の魔力を通す桜。
元気なはずが無いのだ。バーサーカーじゃああるまいし。
「ツカムさん、絆アビリティはあの時…?」
「ああ。 あの時絆アビリティの発動は問題なく行われてた。いつものように、最速でこの一撃を叩き込める筈だった。
・・・だがあのサーヴァントがこちらを見た時、身体中から力が抜けた。自分の剣が相手に届く前に、こちらの四肢が射抜かれてしまっていた」
絆アビリティの無効化。
あのサーヴァントには、彼らの絆が通じないという事実。
ツカム一人の膂力で戦い、敵を打倒するしかないというこの現実。
「皆さん。あのサーヴァントは、この冬木の聖杯戦争は自分が脚本した演舞だと言っていました。………そして、もう幕引きだと。
衛宮先輩とツカムさんへのこの仕打ち、断じて許せません。 義勇軍はこれより標的を、あの『金ぴか』へと変更します」
「サクラ。 アイツ、全ての存在を見下した眼をしてたよ。
自分が気に入らないという理由だけで、何もかも滅茶苦茶にするタイプだね」
いつもは陽気なピリカが、険しい目で眼前を睨みつけている。
妖精にも分かる事が一つある。
あの金ぴかは敵だと。 我々の敵だと。
「じゃあまずは情報収集から始めようか。
・・・セイバー、お前はアイツを『アーチャー』と呼んでいた。知ってる奴なんだな?」
「―――俄かには信じがたいことですが。
彼は十年前、第四次聖杯戦争において『アーチャー』のクラスで召喚されたサーヴァントです」
「何だって!? という事は剣のねーちゃんは、前回の聖杯戦争にも参加していたのかい?」
「その通りです、ピリカ」
「聞いてないぞ?セイバー」
「聞かれませんでしたからね、ツカム」
「あの金ぴかに俺の物だとか言われてたようだけど、何? 前回求婚でもされたわけ?セイバー」
双眸を細める、銀の騎士。
「全く癇に障りますがその通りです。 最も、この剣で斬って捨てましたが」
急いで歩いている時に、泥で出来た大きな水溜りが足元にある。
邪魔だろうし、煩わしい。
そんな水溜りを見る目付きをセイバーはしていた。
そして隣にいるマスター・衛宮士郎を想い直し、チラと見た。
「・・・だけど、その『アーチャー』がこの冬木の街にいた。聖杯を掴み、受肉して。 それは十年前の戦争の勝者という意味。そして、セイバーが、」
「――――」
「そう、敗れたという事だ。
今回ならいざ知らず万全だったであろう前回の君が、最優のサーヴァント・セイバーが負けたという事」
士郎の言葉を継ぎ、発したのは凛のサーヴァント・アーチャー。
あの時、金ぴかの攻撃を防ぐ事が出来たのは他でもない、この弓兵がいたからである。
「口惜しいですがその通りです、アーチャー。
前回私は彼に手も足も出なかったばかりか、真名すら看破できなかった。まさに完敗でした」
「・・・・」
絶大な対魔力と、壮絶なる剣椀。そして切り札である宝具。 それらを十全に活かせたこの銀の騎士・セイバーの敗北。
静寂が訪れる。
その事実に、義勇軍は閉口するほか無い。
「でも真名が分からなかった?キツいジョークでしょセイバー。 だってアイツ、あんなにも宝具を使ってたじゃないの」
「では逆に聞きます、リン。 『アーチャー』が何という真名の英霊か言ってみて下さい」
あの金ぴかは武器をこれみよがしに射っていた。
それの正体から逆算すれば、英霊たるサーヴァントの真名を看破する事は造作も無い。
・・・はずなのだが、
「―――嘘。 …だってあの槍、絶対貫通の槍とかいうヤツでしょ? あの剣は敵の血を吸い終わるまで鞘に納まらないっていう北欧の魔剣だし…。
ちょっと待って。 じゃああの紅い杖?いや剣は、焦熱世界の巨人が振るったって云われてるあれ?
いやもっとある……!?」
全てが有名どころであり、凛の思い描く英雄・英傑にヒットする。すぐに答えは出た。
金ぴかの正体はヘクトールでありホグニでありスルトである。
・・・誰がどう見聞きしても、それは異常だ。
「あ、でも待って。あれ全部がパチモンで、見た武器をコピーできるとかいう能力だったら…!」
「全部本物だと思うぞ、遠坂。 ダーインスレイフにドゥリンダナ。ランサーのゲイボルク。
突けば槍 払えば薙刀 持たば太刀 杖はかくにも 外れざりけり。 あの紅い杖はレーヴァテインだな」
士郎がその鑑識眼から宝具の正体を述べるが、いよいよもってあのサーヴァントの正体が分からなくなる。
百人が百人、そんな英霊聞いたことが無いだろう。
「宝具は英霊一体につき、基本一つの筈なのに…」
「そこにあの英霊の正体が隠されているのだろう。・・・だが、見極めるのは難しいな」
アーチャーすらもお手上げの宣言をする。
だがその鋭い鷹の眼は、考える事を諦めてはいなかった。
「シンジがいれば何か分かったかもしれませんね。こういう時、頭が回るのが彼ですから」
「ライダー。 兄さんには連絡を入れておいたわ、今のところ無事みたい」
「・・・ダメだ、ヤツの正体が分からない。 ちょっと外の空気を吸ってくる」
「ここ息苦しいよね、兄ちゃん」
「アイツが神父やってる教会だもの。 こんな事態じゃなきゃ死んでも来たくなかったわ」
「シロウ、俺も付き合おう」
眉間にシワを寄せながら客間を出て行く士郎に、ツカムが追随する。
彼らはまだ、ここが黒い泥でできた水溜りの底である事を、知らない。
続く。