風が吹いている。先日までの厳しかった残暑の下では涼やかであったそれも、今ではほんのりと肌寒い、秋の訪れを感じさせるものになっていた。とはいえ、陽の光から齎される暖かさの御陰か、それもまた、心地よいものに思える。
「う、うん……」
唸り声が聞こえて視線を下ろすと、穏やかな寝顔が見えた。先程まで横を向いていたから、寝返りを打ったようだ。背は私より二回りは大きく、身体つきも立派であるのに、その寝顔は年下らしいというか、まだ幼さが抜けていないように見える。後輩にも見た目は大人びているのに、仕草には甘やかさの残っている子が居るけれど、もしかしたら私も、先輩からはそんな風に見えているんだろうか。
「……あれ」
ぐい、と胸を押された。どうやら目が覚めたようだ。退けようと押し続ける手を取り、耳元でおはようございます、と囁く。手の動きが止まったのを感じて顔を覗けば、真っ赤になっていた。
「あの、俺、今」
「それ以上はメッ、ですよ」
唇に指を押し当てると、彼はゆっくり頷いて見せた。物分かりが良くて助かる。
「あー……すいません、退きます」
少し悩むような素振りを見せた後、彼は体を徐に持ち上げた。その過程でふらついた肩を掴み、安定したのを見計らって離す。申し訳なさそうに笑いながら礼を述べる彼に、微笑みながら頷いて見せる。気にしなくていい、好きでやっていることなのだから。
「もしかして、寝てました?」
「ええ、ぐっすりと。ただ、そのままだと落ちてしまいそうだったので」
ぽんぼんと彼の膝を叩く。縁側で日向ぼっこをしている内に寝てしまったのだろう、ゆらゆらと揺れる体が危なっかしく、そのまま放っておく訳にもいかないので膝を貸した。悔しそうにしているのは、何故だろうか?
「最近、気がついたら、寝てることが多くて……だから、あんまり出歩かないように、してるんですけど……明るい時なら何とかなるかなあ、と思って……すいません、面倒をお掛けして」
「いえいえ、気にしないでください。寝顔を見るの、楽しかったですから」
「それなら、まあ、良かったです」
照れ笑う彼の姿に、胸が痛んだ。彼はこの状況を良しとしていない。だから、私達に世話になることを申し訳なく思っている。──彼の所為では、ないというのに。
「……巴さん?」
「あっ、はい、何でしょう?」
「いや、何か、声掛けても、反応無かったので。その、やっぱり、気を悪く、されたんじゃあ、ないかと、思いまして」
良い人だ。側に侍るようになってまだ半月も経っていないが、彼が気遣いの出来る人であることを知るのに不足はなかった。周囲から聞いていた年頃の男の子らしさを出すことはままあるが、それ以上に彼の気遣いに触れることが多かった。
「そんなことないですよ。私のものでドキドキして頂けて、嬉しかったりするんですから」
だから、ついついこんな事を言って、彼をからかってしまう。頬が赤くなって、ゆっくり、ぎこちなく戸惑いの感情を形作られていくのを見る度、頬が緩む。彼の感情を動かせている実感が湧くから。
「あ、や、あー……巴、さん」
「何でしょう?」
「嫌、だった、ら、ちゃん、と言って、くださ、いね? その、俺、分かんない、ので」
またそんな事を。そう言い掛けて、すんでのところで堪えた。負の感情を刺激する対応はいけない。そんな事をすれば、この人はきっと、内に篭って出てこなくなる。それは、ダメだ。
「京太郎さん」
手を握って呼び掛ける。優しさと穏やかさを意識した声音のお陰か、戸惑いや焦りはなく、ただ目が私を探すように忙しなく動いている。じっと待って、瞳の揺れが収まったのを見てから、言葉を続ける。
「貴方が今の自分に倦んでいること、もどかしく感じていること、知っています。けれど、その事で自分を下げるのは駄目です。いけないことです」
一つ一つ、確かめるように、染み込ませるように。そうでなくては、何も伝わらない。
「貴方が“そう”なってしまったことは、運が悪かった。それに尽きます。百年に一度なんてものじゃない、五百年に一度あるかどうかも怪しい程の悪運です。そのくらい、誰にも分からないことなんです。
「だから諦めないでください。これからずっとそのままかもしれません。もっと悪くなって、ある時ふっと死んでしまうかもしれません。でもそれと同じくらい良くなる可能性もあります。前よりもっと良くなる可能性もあります。今生きている貴方には、そうなる未来があるんです。だから、」
そうあれかしと。願ってください。想いを込めて、精一杯手を握る。この熱が伝わりますように。祈りを込めて、手を握る。
京太郎「遂に帰ってきたぞ」