バイト先のレストランに走って到着した俺は、慌てて更衣室に飛び込んだ。急いでウェイター服に着替えてネクタイの位置を直す。
そして更衣室から出ると、目の前に三人の先輩方が立っていた。
思いっきり睨まれてる。俺はてっきり遅刻をどやされると思ったが、違った様だ。
「瀧!何遅刻してんだ!昨日は、お楽しみだったってか?」
「説明しろや、おいこら」
「お前、昨日も先輩と一緒に帰っただろッ」
あれ、なんだ、デジャブを感じるぞ、ってかそのまんまだ。
あー、奥寺先輩なら、俺じゃなくて三葉の仕業だってのに!……あれ、この時ってまだ三葉との入れ替わりは起きてないはずだよな。それに昨日もって?
「いや、俺記憶にないっていうか……その、記憶がおかしくなっちゃって」
「てめ、何ごまかしてんだ」
本気で男3人に詰め寄られそうになった所で、それを突き破る声がした。
「今日もよろしくお願いしまーす!」
全員の視線が女子更衣室から出てきた女性に集まる。
俺は、その明るく朗らかで、それでいてどこか抜けているような声を知っている。
忘れるはずがない。だってあの時、あの場所で聞いたばかりなのだから。
ーーー宮水三葉が腰に手を当てて、こっちを向き当然の様にさらに声を掛けてくる。
「もー、連絡したのに。やっぱり遅刻?……でも昨日は色々ありがとね、瀧くん」
開いた口がふさがらないとはまさにこの事だ。蜘蛛が口に巣を張れるほどの時間が過ぎたような気がする。それでも頑張ってようやく絞り出せたのは伽倻子のような声だ。
その間に、三葉は呆れるような表情から笑顔に変化し、それを俺に向けたまま通り過ぎていく。その時、団子状にまとめた長い黒髪にあの組紐が踊っているのが目に入った。
(本当に三葉なの……か)
男三人は、親鳥に餌を与えられたひなの様にあいさつを返している。
それを横目に見ながら俺は、呆然としたまま三葉を見送ってしまう。
……でも、間違えるはずがない。確かに三葉だ。
でも顔つきや雰囲気があの時より、大人びている気がする。
それにもしかしたら化粧もしているのかもしれない。
「み、三葉……」
俺は、ようやくかすれるような声で、三葉に声を掛けれた。
「お前、宮水先輩だろうがっ!」
だが、思いっきり嫉妬のこもった先輩の声で俺の声はかき消された。ついでにどつかれる。
一瞬、えっ、という表情で三葉は振り返るも、少し眉を下げた表情を浮かばせた後、そのままドアの向こうに消えていった。
一体全体、何が起こってるんだ?
夢かどうか俺は確かめるために、頬を思い切りつねった。
……いや、三葉との入れ替わりの時も痛かったから、この確認方法は役に立たなかったな。
そもそも、あれは夢じゃなかったし。
はあ、と俺は体を壁に体重をあずけて少し息を吐く。
ーーー宮水三葉が、当たり前の様に生きて、俺の日常の中にいる。
その事に驚くのは当然だが、俺はなぜかそれを当たり前だと理解している自分がいる事に気が付いた。
*****
今日のバイトはさんざんだった。
オーダーはミスるし、客が呼んでるのに気が付かない。ふと、ぼーっとしてしまう。
バイト初日でもこうはミスらなかったぞと思い、俺はそれでもなお、ぼーっとする。
結局、裏で怒鳴られて今は、入り口でドアボーイと客の整理をやらされている。
「これも全部、あいつのせいだ……」
怨嗟の様につぶやき、俺は視線を再び同じ場所に向けた。
ガラスの向こうでは、優雅に慌ただしく働いている三葉がいる。
ランチの客入りのせいで、あれから三葉に話しかける暇などありはしなかった。
(でも三葉の奴、めちゃくちゃ慣れてんな……)
俺の体に入れ替わってた時もなんとかこなしてたそうだけど、たぶんその比じゃないだろう。とても二日やそこらのものでなく、その場に溶け込んでいる。
職場での先輩との関係を見るも、周りに頼れる先輩とみられているようだ。
なんだかなー、と俺はまたひとりごちて、じーっと三葉を観察していしまう。
身長は低いけど、なんだろう洗練された動きの様にきびきびと、それでいてゆったりとテーブルの隙間を縫って三葉は、華麗にウェイトレス業務をこなしている。
そういや、あいつ。運動神経は悪くなかったし、巫女の舞とかやってたんだよな。
奥寺先輩のような明るい華やかさではないけど、和風美人って感じだ。
まあ、イタリアンレストランで和風ってのもおかしな感じだけど。
「たーきくん」
いきなり耳元で息と共に声を掛けられた。
慌てて振り返ると心の中で噂をすればじゃないけど、奥寺先輩が立っている。
「ねえ、今日ずーっと三葉ちゃんの事見てるでしょ」
「えっ!いや、そんなことないっす。……はい……ん、三葉……ちゃん?」
「ふーん」
典型的な嘘つきな返事をした俺を先輩は、じーっと口元に手を当てて見てくる。
俺は核心を突かれたことよりも、先輩が三葉をちゃん付けで呼んだ方が気になる。
ちょっと、こっちに来て、と次に言われて店の裏手に俺は手招きされた。
俺は身構える暇なく、先輩に壁際にぐっと迫力で押し付けられ、肩に手を置かれる。
な、なんだ?こんな状況じゃなきゃ、先輩かっこいいなと思うぐらいの余裕はあるんだが。
「ねえ、こんな事聞くのなんだけど、応援してる身として気になってね……もしかしてやっちゃた?」
がっしと迫る勢いで、顔を近づけてきた先輩に、俺は顔を少し赤くして戸惑う。
「な、なんのことすか?」
「だって、昨日あれから一緒に帰ったのでしょう?色々相談にも乗ってたみたいだしね。ついに三葉ちゃんの努力が身を結んだかなーって」
「三葉と……?」
俺がふと疑問を口に出した途端、急に先輩の肩にかけた手に力が入った。
「呼び捨て!わあ、一気に急接近ね。……これはもう一線を越えちゃった?……こほん」
先輩は軽い咳払いをして、自分を取り戻したように俺から離れた。
それから、ちょっと悲しそうな顔をして、頭に手をやって首をひねる。
「でも、なんだか悲しいのよね。あぁ、もう見逃したー!二人が微妙な距離感であれこれするのが私の大好物だったのにー!」
って感じで奥寺先輩は、身もだえている。何を言ってるんだかねこの人は……。
(一か月後に、俺と先輩と司で、糸守町に行きましたよね?)
なんて、あほな事をとても聞けるような感じじゃない。三葉がここにいる事を疑問に思っている人は誰もいないのだ。これはどう考えても俺の方がおかしい様だ。
ともかく、誤解を解かないと。
「俺と三葉は、何もしてないっていうか。俺は、覚えてなくて……」
「俺と三葉……。すでに二人だけの関係……!」
自然に言った俺の言葉に、なにやら弾丸に撃たれた様に先輩はなぜか嬉しそうにショックを受けている。って人の話聞いてないし……別の意味で会話が続かない。
「んん、三葉……さんが」
「うーん?」
「宮水さん……」
「はぁー」
「宮水先輩」
「あーあ!」
言い直すたびに先輩の表情は暗く、つまらなそうになる。
ええい、とにかく呼び方なんて気にしてるどころじゃない。
「宮水先輩ってここのバイト……ですよね?いつから入ってるんですか?」
「ん?確か二年前の三葉ちゃんが大学一年のころからよ。知らなかったの?」
「あ、いえ。そう……ですか」
俺の記憶に当然あるはずもない。俺は頭に手をやった。少し熱がある様な気がする。
違和感がまた浮かび上がって、俺の心臓が早鐘をうち始める。
どうして……俺にその記憶がない?……なんで覚えてないんだ?
悩んでる俺をよそに、先輩は一回離れてジャンプすると嬉しそうな声を上げた。
「まっ、後で色々聞いちゃお。あ、そうだ瀧くん。私と三葉ちゃん、今日は先に上がるから。後はよろしくね。もうウェイター業務に戻れって」
「え?」
「気になる?今日は、三葉ちゃんの妹を迎えにって東京観光する予定なの。ああ、だめよ瀧くん。バイトさぼってついてきちゃ。三葉ちゃんにもいっつも言われてるでしょ。じゃあねー」
「妹……四葉ちゃん?」
俺の疑問はよそに、奥寺先輩は颯爽と店の中に入っていく。
続いて店内に戻ると、キッチンの入り口で別の男の先輩に肩を叩かれた。
ふっ、という鼻で笑う声とゆっくりと首を振ってくる。
言葉に出していたなら馬に蹴られて死ねって感じだが……何のことかわからん!余計なお世話だ。
店内に戻ると、すでに三葉の姿はなかった。
追いかけて行って声を掛ける事も出来たかもしれないが、俺はしようとしなかった。
本当に俺が知ってる三葉なのだろうか……。そして俺は、俺なのか?
休憩時間に俺は、店のパソコンを勝手に拝借する事にした。
ネットを起動して、まず糸守町、それからティアマト彗星について検索してみる。
オカルトちっくな記事が多い中、それでも俺は確かそうなニュースサイトを開く。
確かに彗星は落ちていた。
だが、糸守町については俺の記憶と相違がある。
負傷者は出たが、奇跡的に死者はいなかった、と。
「糸守の奇跡か……。違う、奇跡なんかじゃない。あれは俺たちでやってのけた事だ」
胸の中で熱いものが広がっていく。そうだ、やっぱり三葉はやってのけたんだ。
なんだかんだあいつは、やる女だ。確かに俺の知る三葉ならやれるはずだ。そう信じている。
(ってことは、生きている三葉が大学生になり、東京に来てここでバイトしてると……、んでもって俺とはすでに知り合い……か)
隕石から生き延びたことにより、彼女は俺と同じ時を過ごす事になったわけだ。となると、俺が知ってる世界とずれてるって事になるな。
でも本当に彼女は俺が知ってる三葉であってるのか?
三流映画の内容が色々と頭に浮かぶ、果てはゲームの内容まで。
とにかくだ、俺はこの記憶違いを色々確かめていく必要があるなと考えた。
他の情報をネットで調べたところ、別に東西で冷戦構造が続いてるとか、第三次大戦とか、頭を抱えそうな出来事は起きてなく、俺の記憶の史実と何も変りはない。
ここは確かに、俺の知ってる世界だ。……三葉以外。
「おい、瀧!いつまで休んでる。休憩時間は終わりだぞ」
「はいっ!!」
慌てて返事をしてパソコンを閉じる。
結局、一高校生に過ぎない俺は考えたところで三葉に会うしかないと結論づけた。
でも、行き場所知らないし、携帯も忘れた。……どこに行ったんだ?東京駅か?
わからない……。
結局、俺はちくちくと刺さる不安感を抱えたまま最後までバイトを続けた。
奥寺先輩、下世話すぎます。
ってことで瀧くんはようやく事態を理解し始める。
ちなみになぜ夏休みの頃に戻ったかというと、特に理由はない。……はい、嘘です。