逃げ水の鎮守府-艦隊りこれくしょん-   作:坂下郁

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 軍という組織から見れば、それはむしろ好意的な扱い。それでも、一人の男としてどうしても譲れない事がある。南洲、最後の選択。


Secret Mission
99. 艦隊りこれくしょん-前編


 大本営内艦隊本部に併設された、医局の運営する海軍病院。その一角にある病室に南洲はいる。逃走防止のため厳重な警備が施され、病室はおろか病棟や病院自体に入るのにも厳しいチェックを受ける一方、いったん中に入ると訪問客の宿泊も認められるなど、比較的厚遇されているとも言える。

 

 その深夜の病室で動き始める一つの影。隣で眠っている南洲を起こさないよう静かに身を起こすビスマルク。夜目にも鮮やかな白い肌がベッドから滑り降り、素肌にシャツを纏う。首と髪の間に手を入れ、シャツの中から長い金髪を掬い上げると、金色の波が白いシャツの背中に広がる。

 

 「………行くのか?」

 「起こしちゃったかしら、ごめんなさい。…ええ、行くわ。明日は早朝からデーゲンハルト駐日ドイツ大使と会わなきゃだし。それに…これ以上いると、決心が揺らいじゃうから…」

 淡々と喋っているが僅かに肩が揺れる。引き留めてほしいと態度で示すように、ゆっくりとしか進まない身支度。

 「ありがとうね、ナンシュー、私の我儘を聞いてくれて。帰る前に、貴方の全てを私に刻み込むことができたわ」

 

 上半身を起こしビスマルクを見つめ続けていた南洲は、目を伏せたまま言葉を飲み込む。

 

 「もう一度聞くわ、ナンシュー、他に方法はないの?」

 「…………あるかも知れない。だが、今の俺にできるのはこれだけだ」

 「………分かったわ。でも、約束して。絶対に死なないって。私も、絶対成功させて帰ってくるから」

 

 ドイツの外圧を使い、これから自分が乗り出す戦いを間接的に支えて欲しい-南洲にそう言われては断れず、ビスマルクは後ろ髪を引かれながらもドイツへ帰国し、本国政府関係者と接触を図ることになった。俯いていた顔を上げ何かを言おうとした南洲の唇がビスマルクの唇で塞がれた。長い口づけの後、ビスマルクは病室を後にした。閉じたドアに向かい、南洲がぽつりと呟く。

 

 「ドイツが俺なんかのために動く訳ないだろう…悪いな、騙したみたいで。けどな、せめてお前だけでも日本海軍から離れて、俺達が何のために戦ってきたのか伝えてくれないか」

 

 

 PTSD治療のため無期限入院、寛解後は予備役編入、それが北太平洋海戦の結果として南洲に下された措置。事実上の無期限軟禁である。南洲は各拠点の査察により艦娘を守り続け、その背後で暗躍していた技術本部の非道な実験と野望を暴き出し、ハワイ侵攻という暴挙を食い止め、巻き込まれていた艦娘を救いだした。だがそれは同時に、軍と言う巨大な権力を持つ組織の暗部に斬り込むことでもあった。正しい者が勝つ、そんな綺麗事を鵜呑みにするほど南洲は青くない。だが、勝った者が正しい、そう受け入れるほどには醒めていなかった。

 

 その思いが、南洲を最後の戦いに駆り立てる。

 

 

 

 

 北太平洋海戦の終結後日本へ帰投したMIGOはただちに拘束された。理由や状況はどうであれ、味方部隊に砲を向けた事実に変わりは無く、反乱の疑いありとして母艦おおすみは接収、一命を取り留めたとはいえ予断を許さない状態の南洲は即医局送り。所属する艦娘達と保護された技本艦隊の艦娘達は、連日に渡る事情聴取を受け続け、処分決定までの間艦隊本部で待機が命じられた。

 

 前線で大規模戦力を保持したまま、上官命令に反抗し介入には脅迫で対抗、挙句の果てに所属艦娘が武力をもって味方艦隊に対峙―――これだけ揃えば反逆罪に問われても不思議はない。むしろ問わない方が不自然とも言え、全員がある種の覚悟を固めていた。だが、宇佐美少将による関係各所との折衝説得、MIGOに対し艦隊本部自体が態度を決めかね喧々諤々の議論が続いていた事など、現場の艦娘達には知る由もなかった。

 

 そして艦隊本部が下したのは、南洲の無期限入院とMIGO解隊だった。

 

 入院中の南洲には、MIGOとのパイプ役として毎日見舞いと称して訪れていた明石が状況を伝え、南洲も自分の部隊が解隊、所属の艦娘が新部隊に配属された現状は把握していた。

 

 「横須賀鎮守府、か…」

 

 横須賀鎮守府は元より大本営と敷地を共用し、大本営の予備戦力及び防衛を担う東日本最大の軍事拠点であった。だが北太平洋海戦と前後して行われた、大坂鎮守府が主導した大規模人事異動により戦力を引き抜かれ、同じように戦力を引き抜かれた各拠点の戦力補填のためさらに戦力を吐き出した事で開店休業に近い有様となっていた。高練度の艦娘が揃うMIGOに厳しい処分が降りなかったのは、この戦力不足も大きく影響している。

 

 刷新された艦隊本部の指導部は実情を踏まえつつ、横須賀鎮守府を純粋な専守防衛の鎮守府として位置付けた。とは言いながら三上元大将と技本の引き起こした一件の余波はあまりにも大きく、鎮守府の提督人事でさえ難航するという異常事態はまだ収束していない。一方でMIGO勢の多くが南洲の命令以外は聞かない、と強硬に主張したことで、さらに面倒な事態になっていた。

 

 「一度は共に戦った仲である。私が行ってみよう」

 石村大将自らが上級参謀数名を連れMIGO勢の元へと足を運んだ。一昼夜に及んだ協議の末、通常時は近海海域の航路護衛及び掃海、敵侵攻時には拠点を攻勢的に防衛する役割を担う、横須賀鎮守府付拠点防衛任務部隊への配属が正式に決定した。ただし部隊長については所属艦娘の強い総意として空席、鹿島が部隊長代行を務めるという異例の人事が行われた。査察中の戦闘や北太平洋海戦で鹿島の見せた高い指揮能力が評価され、その要望を叶える事を後押しした。

 

 「要するに横須賀の壁役っちゅーことやな。石村のじいちゃんもエグいことするで、ホンマに…」

 「確かに龍驤さんは壁かも知れませんが、鹿島はこれでいいと思いますよ。少なくとも、どんな形でもいつの日にか南洲さんが帰って来られる場所は確保できましたから。うふふ♪」

 

 

 

 さらに技本艦隊の堕天艦の一部は医局付で洗脳解除と脳機能回復の治療措置、明石は技術本部へ配属、MIGOでも技本艦隊でもなかった扶桑はトラック泊地に配属…曲がりなりにも軍組織に属する以上、考えうる範囲で最も軽い処分…そう自分を納得させようとしていた南洲が考えを変えたのは、ある日明石から齎された、Grp.3と称された技本艦隊所属艦娘の処遇に関する情報だった。

 

 Grp.3:翔鶴、神通、神風、霧島

 移送先:舞鶴鎮守府

 処置:欧州各国に譲渡交渉中、決定し次第大陸国経由で移送

 備考:抵抗ある場合は舞鶴鎮守府にて処分

 

 ここでいう処分は無論解体を意味する。Grp.3に含まれるのは、DIDモデルと呼ばれる()()()堕天(フォールダウン)艦。マインドコントロールで疑似的に堕天するBW(ブレインウォッシュ)モデルと異なり、治療にかける費用対効果が悪すぎると判断されたのだろう。ならば利用価値があるうちに利用する-石村大将が考え付く案ではないが、軍内部での権力基盤がそこまで強くない彼にとって、他のMIGO案件を穏便に落ち着けるため苦渋のバーター、おそらくそんな所だろう。

 

 

 「全ての艦娘の権利を守るなら、翔鶴や神通達だって救われねーとな。俺が槇原南洲(まきはらなんしゅう)であり続ける以上、自分の言葉を裏切る訳にいかない」

 

 

 そして舞鶴への移送日を明日深夜に控え、南洲は動き出す。

 

 

 

 北太平洋海戦後、医局製の義手に置き換わった右腕。その動きを確かめるように南洲は右腕を動かす。

 「まあ、無いよりは遥かにマシだが、な」

 人工骨格、可動部のモーター、そして人工筋肉とその発する微弱電流を検知する筋電センサーを備えた高性能な義手で、日常生活なら全く不便がない。だが、最大0.5秒程度の反応遅れと微妙な動きを制御できないのは、刀を振るい戦う上で致命的な差となり現れる。

 

 病室前、病棟出入り口の警備兵に音もなく忍び寄り、苦も無く排除する。どうせモニターで自分の動きは監視されている、増援が来る前に病院を出なければ。最後は正門前の連中…のはずだったが、そこには気絶した複数の兵士がチェーンで拘束され転がっていた。

 

 海軍病院をぐるりと取り囲むコンクリート製の高い塀によりかかる、一人の少女。頭にホワイトブリム、フリルで飾られた白いエプロンを付けたミニスカート仕様のメイド服、そして棘鉄球(モーニングスター)。サイドで結んだ長い薄桃色の髪が揺れ、赤い瞳が南洲を見上げる。

 

 「春雨(ハル)、おまっ、なっ!!」

 驚きのあまり南洲の言葉が中途半端なまま口からこぼれる。

 

 「…すみません、でも…私は…」

 

 ぺこりと頭を下げる春雨を、南洲は苛立った表情で見ながら頭をがりがりと掻く。

 「…自分がやってる事を分かってるのかっ!? ここから先は俺が軍に喧嘩売る話なんだぞ? お前がこんな荒事に首を突っ込む必要なんかない、黙って横須賀に戻れ、いいな?」

 

 「私の事は十分巻き込んだじゃないですかー。隊長、ご用命のヤツです。はっきり言って自信作ですっ」

 話を遮る様に明石が顔を出し、布でくるまれた長細い物を抱えながら南洲の元にやってくる。お前は技本だからいいんだよ、と言いながらそれを受け取った南洲は幾重にもまかれた布を解く。その中にあるのは、西洋の剣の拵えをした、分厚い両刃直刀の長大な剣。鍔元の刃渡り約45cm、切っ先に向かいやや細くなる形状の刀身は1.5mにも及ぶ。両手使いを前提とした長く伸びる柄まで合わせると、南洲の身長とほぼ変わらない大きさになる。

 

 かつてのような精緻な刀捌きができない南洲は、堕天艦の救出を決めた時点で、技より力、重い一撃で相手を叩き伏せる戦法に合う拵えの刀を用意してほしいと明石に頼んでいた。それがこの剣である。背中の上部に留め具を付け剣を背負った南洲は、両手で柄を掴むと一気に振り下ろす。今までと違う、低く鈍い風切音と激しい刃風が広がる。

 

 「明石、いい出来だ。ありがとうな」

 

 いやあー、と照れたような表情で頭を掻く明石は、さらに南洲が驚倒する情報を続ける。

 「春雨さんの件は、もう仕方ありませんよ。だって書類上は解体されちゃってますから。あ、これは鹿島部隊長代行の許可がありますからね。つまり、隊長が春雨さんを見捨てたら、春雨さん、どうなっちゃうのかなー」

 

 しれっととんでもない事を言い放った明石は、にやにやしながら南洲に視線を送り、春雨もまた目をうるうるさせながら南洲を見つめる。表情を改めた明石が、真面目な相で南洲に向きあう。

 

 「隊長、どこに配属されようと、私達の魂は永遠にMIGO所属です。だから、春雨さんは私達全員の想いを背負って、私達を代表して隊長を護り続けますっ!」

 

 しばらく沈黙を続けていた南洲は、はあっと大きなため息をつき、言葉を発する。

 「春雨(ハル)、お前案外バカだな…知らねえぞ、まったく」

 「…そう、ですね。きっと南洲(ナンシュー)のが感染(うつ)ったんです」

 

 南洲が左腕で乱暴に春雨の肩を抱き、身長差のある春雨は右腕を南洲の腰に回し、二人は歩き出す。


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