(20170530 一部表現修正)
「あら、春雨…待っててね、すぐこっちを済ませて、次は貴女の番ですから」
「春雨、何してるっ!? 早く逃げろっ。すぐにこいつを殺して俺も行くから」
ほぼ同時に扶桑と南洲から上がった声に、ビスマルクの修復と着替えを終え、工廠から駆け付けた春雨は完全に棒立ちになった。
-こんなの…違う。二人とも…何かが、おかしい。
目の前で何が起きたのか、頭では分かっていても心が拒む。
嬉しそうに歪んだ笑みを貼りつけながら、南洲の、かつて夫と呼んだ男の右腕をもぎ取った、その男に妻と呼ばれた艦娘、扶桑。その妻と呼んだ艦娘に、憎悪を叩き付けるように『殺す』と平然と口にするその夫。扶桑に対しても
一方ビスマルクは、その光景を見た瞬間は驚愕の表情を浮かべたが、すぐさま厳しい相へと変わり、無言で艤装を展開する。身にまとうのは、そこにある中では唯一まともだった、胸辺りまでの丈の鋲だらけのレザージャケットと、膝上20cmほどで腰までスリットの入った超ミニのレザースカート。インナーはない。着ないよりまし、その程度の衣装だが、今はそんな事を気にしている場合ではない。
「
ぐいっと春雨を押しのけ前に出るビスマルクが砲撃体勢に移行し、四基の主砲を動かし始める。
-けど、このまま撃てばナンシューを巻き込んでしまうわね…。どうすれば…一瞬でいい、フソーの注意を逸らせれば…。
「油断シマシタネ。次弾、装填済ミデス」
後部甲板左舷後方、舷側近くにうず高く積み上がった瓦礫が吹き飛び、扶桑の右後方から猛然と襲い掛かる一つの影。扶桑の最初の砲撃で吹き飛ばされた後、瓦礫の中で虎視眈々とチャンスを窺っていた
扶桑の右斜め後ろから襲い掛かった神通に対し、扶桑は上体をひねると無造作に右手に持つ刀を突き出した。刀が神通の足先に触れた刹那、切っ先がほんの僅か下がる。ただそれだけ。後はカウンターの要領で、足裏から脹脛を経て太腿の裏まで、神通の右脚は切り裂かれズタズタに破壊され、勢いを失いながら糸の切れた人形のように甲板に倒れ込む。
勝負に負けたが試合には勝った-時間にすれば僅か数秒の間で行われた攻防の最中、飛び出したビスマルクは南洲を確保し、くらまの艦尾すれすれまで後部甲板を飛ぶ。
「
ここで砲撃、あるいは
「所詮
右手に持った刀を振るいながら、扶桑が春雨の方に向き直る。同じ声帯のはずなのに、全く違う澱んだ暗い男性の声。ゆっくりと春雨に近寄りながらも、その舌は滑らかに回り続ける。
「この
春雨の目の前にやって来る少ない歩みの間、誰に聞かせる話でもなく、ただ扶桑、正確には扶桑の負の感情を利用してその体を操る中臣浄階が語り続ける。
「ナ、ナンシュー!?」
ビスマルクを押しのけるように、ふらふらと立ち上がった南洲は、よろけながら前に歩き出す。満身創痍、それでも南洲は、倒れ込みぴくりとも動かない
「春雨、早く帰ろう。さすがにキツいな、はは」
-コイツ、
「ヨシクニ、さん…?」
南洲の口から繰り返し出る『帰ろう』の言葉、それがもう一つの違和感の正体-春雨は扶桑と南洲を交互に見ながら、自分自身にもまた違和感を覚え始めていた。
「仁科なんぞに任せたのは我が不明、
近づく南洲の気配に反応した扶桑は、首だけを南洲の方に向け、空虚な笑みを向ける。
◇
「大佐…艦内にはまだ敵の艦娘が複数いるはずです。対応はどうすれば」
「大鳳、私の向きを変えてください。…そう、それでいいです。で、走りにくいでしょうが、その姿勢を維持してください。これで背中の砲塔が前後に動かせます」
おおすみの艦内をラボに向かって駆ける一組-大鳳と仁科大佐。大鳳は仁科大佐の指示に従い、お互いの顔が向きあう形、つまり正面から仁科大佐を抱きかかえている。南洲により四肢を切断されたものの、依然としてそれ以外の部分は正常に機能している。
「それで大佐、先ほどのお話ですが」
「ふむ…。私はエンジニアですので魂云々の事はよく分かりませんが、およそ魂とよばれるモノは、喜怒哀楽好悪善悪それらが混然一体となっています。浄階様が行ったのは、魂を機能別に分類し移植し、その制御機能を別に設ける、ということでしょうね。あの扶桑は、おそらく怒り哀しみ、憎悪といったネガティブな感情を源とし、浄階様が暴力的な力の発現を担っている…なぜそんなことに興味を持つのですか?」
「…大佐が死んだと思った時、私も我を忘れました。全て壊し殺し尽くして、大佐の後を追おうと…」
「大鳳、許しませんよ、そんなことは。貴女は最強の空母の一角を担う存在です。何が起きても、どこまでも誇り高くありなさい」
その言葉に大鳳の足が止まり、ぎゅうっときつく仁科大佐を抱きしめる。
「大佐、あなたがいるから、私は大鳳でいられます。…でも、扶桑さんは…」
「た、大鳳、力を入れすぎです。…そうですね、方法は色々検討できますが扶桑の中身を全て入れ替えるか、分割された残りと統合しそちらが制御を担えばいいんです。設備…大湊の機材があれば、私も色々楽しめたと思うのですが…。とにかく今はラボへ急ぎなさい。さっさと四肢を結合しないと、貴女のスパッツさえ替えてあげられません」
頬を赤らめ頷きながら艦内を急ぐ大鳳だが、不思議と一人の艦娘に会わず、一切の抵抗なく目的地に辿りついた。
◇
「いい加減にしろよ、鹿島。お前は俺を本気で怒らせたいのか? それとも南洲の差し金か?」
低く抑えたトーンながら、怒りを隠さずに宇佐美少将は鹿島に詰め寄る。
現在、おおすみ艦内に残っているのは明石だけ。おそらく満身創痍で帰還するであろう南洲やくらま突入組の手当や入渠に備えてである。他の艦娘達は、おおすみとくらまから北西約一〇kmに陣を敷いていた。
二五分―――宇佐美少将の最後の猶予を経て現れた大湊機動部隊の攻撃隊は、展開する南洲隊に阻まれ目標に近づけずにいる。
前衛には萩風と
「南洲さんがこんなことを知ったら、きっと激怒します。私たちにはさっさと退避しろ、って命令してましたから」
ツインテールをふわふわと風にゆらしながら、鹿島が涼しげな声で宇佐美少将に応える。
「…ならお前らの独断か、とんでもない連中だな。惚れた男、それもお前の方を向いてない奴のために死ぬってか」
揶揄するようなニュアンスを含んだ宇佐美少将に、全く動じることなく鹿島は微笑む。
「そうですよ、うふふ♪ 可哀そうですね、宇佐美少将はそこまで人を好きになった事が無いんですね」
「そういう問題じゃねーんだよ、ったく、この色ボケどもがっ!」
「ソノ何ガ悪イ? 艦トシテひりひりスルヨウナ鉄火場ニ、万全ノ準備デ放リ込ンデクレル。女トシテアノ大キナ手デ抱カレル喜ビ、ソノタメナラ何デモデキル。オ前ニハ分カラナイダロウガ、マ、ソウイウ事サ」
「済まんなあ、ほんまに。でもしゃーないで、宇佐美のおっちゃん。強いてゆーたら、あんな男を隊長に据えたおっちゃんが悪いわ、あれは大体の艦娘は惚れてまうで、うん」
噛みあわない会話を、強引に締めくくったのは普段は大人しい羽黒だった。
「宇佐美少将、この成り行きは本当に申し訳ないと思います。ですが、私達の隊長は今も戦い続けています。後を託された私たちが逃げ出すなど、艦娘の誇りにかけてできません。処罰は後でどのようにでも。ですが、今この戦場は私たちに預けてくださいっ。…今まで本当にありがとうございました」
スピーカーの向こうで宇佐美少将がまだ何か言ってるが、鹿島が満足げに頷きながら通信を終了する。そして両手で小さくガッツポーズを作り、改めて全員に向かい宣言する。
「みなさん、頑張りましょうっ! 南洲さんは必ず戻ってきますっ。そしたら…思いっきり甘えちゃいましょう♪」