88. 限界突破
「ふむ…しつこいものですね。こうなるとお手上げです。まあ…仕方ありませんね、深く静かに潜航せよとはよく言ったものです」
言葉の通り両手を顔の横まで上げ、やれやれという表情を見せる仁科大佐。いつも通り腰をくいくい入れながら、
技本艦隊と大湊・単冠湾連合部隊の戦闘は唐突に幕を下ろした。宇佐美少将の戦闘停止勧告を受け入れた仁科大佐は、所属の艦娘にもその命令を下し現状での待機を命じた。
今、母艦の
大湊の機動部隊は戦力を減じたが健在、損害を受けた単冠湾部隊では日向と響が依然戦闘可能で、技本が勧告に応じない場合、または南洲が制限時間内に所定の目的を達せられない場合、いずれでも現状の技本艦隊を沈める程度の戦力は残っている。
◇
艦長席に戻った仁科大佐は、なぜこのタイミングで停戦勧告なのか、必要のない事を敢えてする理由とは何か…そう考え込みながら広がる海原に視線を送っていた。その目が遠くに捉えた、直掩隊に守られながら南から接近してくる一隻の箱型の輸送船。この方角に展開している部隊は一つしかない。
「…なるほど、槇原南洲、貴方が乗り込んでくる、と。いいでしょう、浄階様にはハワイ攻略と平定の鍵、と言われましたが、あれを起動させるとしましょうか。一度ならず二度までも大鳳を傷つけた代償を払わせなければ気が済みませんからね。こういう情緒的な行動は良くありませんが、どうせここまで追い詰められたのです、構わないでしょう。ですが私は槇原南洲のような無頼漢とは異なります、あくまでも紳士として戦うとしましょう」
言いながら第二種軍装を脱ぎ捨てる仁科大佐。大鳳とお揃いのスパッツと足元のデッキブーツ以外は、裸。その細身の体を帯状の黒いベルトを縦横に組み合わせ格子様に覆うだけの装束。ホットリミットスーツとも言われる、露出の高すぎるボディアーマーだが着用時にどのような効果があるかは不明だ。
その格好のまま艦長席を後にした仁科大佐は、CICに立ち寄りクルーに二言三言指示を出し、そのまま工廠の下層にある武器庫へと歩みを進める。
◇
春雨の目には南洲のその姿は異様な物に映った。木曾から譲られた黒いマントを潮風に大きくたなびかせ、その内側に見える、右脇に吊ったホルスターにある大型拳銃、タクティカルベストにはいくつもの予備弾倉だけでなく、
「南洲…全身を刃で覆っているように見えますよ? 臨検捕縛と言いながら、何人斬るつもりなんですか?」
その声に振り返った南洲は、にやりと笑いながら、黒いメイド服姿の春雨にまぜっかえすように声を掛ける。
「積極的に斬る気はないが準備不足だと
南洲の言うアイツとは、もちろん技本艦隊の指揮官・仁科大佐。この臨検は作戦活動の一部であると同時に、浅からぬ因縁を持つ南洲と仁科大佐の決着とも言える。小さく舌を出しながらにっこりと花が咲くような微笑みを見せる春雨、その頭をくしゃくしゃと撫でる南洲。それを見て引きつった笑いを浮かべる吹雪と龍驤。
「龍驤さん、目の前のいちゃこらっぽい光景と会話の内容がまったく噛みあわないんですが…」
「あー…あの二人はあれやからなあ。ほら、なんちゅーの、まあ、そういうことや」
弱々しく突っ込む吹雪に、全く答えになっていない言葉を返す龍驤。その背後から艦娘達が続々と集まってくる。部隊の九名と、飛龍と
一糸乱れぬ敬礼が行われ、がしゃがしゃと金属がすれ合う音を立てながら南洲も答礼し、比較的気軽そうな口調で話し始める。
「あと一五分ほどか、俺達は技本艦隊母艦くらまに接舷、乗船後は指揮官の仁科大佐を捕縛する。当然相手の抵抗が予想され、それを突破しなければならない。くらまはセミオートオペレーションのようだが、それでも乗員は一〇〇名弱に上ると見込まれる。今から名を呼ぶ五名…ビスマルク、筑摩、吹雪、秋月…そして
全員が一斉に返事をし気合の乗った表情へと変わるが、鹿島や龍驤、飛龍が自分も行く、と異を唱えた。南洲は左腰の木曾刀に触れ、少しだけ困ったような表情で、それでもハッキリと言い切る。
「悪いな、部隊は
扶桑を含めた六名の部隊、南洲は言外にそう言っている-羽黒と飛龍は納得したように、鹿島は悲しそうに、龍驤はぽかんとした表情で、それぞれに受け止め方は違うが、南洲の意志は決まっていると明確に伝わり、それ以上の議論にはならなかった。
◇
「コード処理はこれで完了しましたが…浄階様は一体何をご用意されたのか」
物理的ロックと四重の電子ロックはすでに解除した。残るのは幾何学文様にも見える呪式の施された封印の帯。それが物語るのは、このコンテナの中にあるものが単なる兵器ではないということ。
「エンジニアとしての浄階様は真に尊敬に値する鬼才ですが、もう一つの顔、神職と言うのは私の理解を超える世界ですね」
言うほどの敬意が感じられない軽い手つきで、封印の帯を破いた仁科大佐の表情が変わり、青ざめる。コンテナの中から伝わってくる気配は極めて分かりやすい。虚無にして荒ぶる力、それ以上の説明が必要ない。分厚い金属音がし、コンテナの扉が内側から蹴破られたように仁科大佐目がけて飛んでゆく。何とか受け止めようとした大佐だがそのまま支えきれずに扉ごと壁まで吹き飛ばされた。その扉の影からちらりとのぞき見たその姿は、ゆらりと通路を進んでゆく。
「は…は…はははっ! 浄階様も人が悪いっ! まさかこんなものを用意されていたとはっ! さすがの私も驚きました。おお、いけない、私もこんな所で遊んでいる訳にはいきません」
◇
「鹿島、手はず通り頼むぞ。頼んでおいて悪いが、おそらく形式になってしまう可能性が高いがな」
「はい、南洲さん。でもやっぱりちゃんと手順を踏んでから臨検しないと、査察部隊じゃなくて海賊になっちゃいますからね♪」
「えっと、技本艦隊のみなさーん、こちらは艦隊本部付査察部隊MIGOですー。これからその船の臨検、および仁科大佐の逮捕を行いますので、邪魔したりせず今すぐ武器を捨てて投降してくださいね。邪魔する場合は交戦規定に則り、抵抗は排除しちゃいます、うふふ♪」
警告と呼ぶにはあまりにも可愛らしい鹿島の口調に、南洲は頭を抱えてしまう。そんな南洲にビスマルクは肩をすくめ文句を言う。
「だから私に名乗りを上げさせな「南洲さんっ、て、敵艦、突っ込んできますっ!!」
ビスマルクの声をかき消すように鹿島が絶叫する。停止状態だったくらまが、突然猛烈な加速でおおすみに向かって突進を始めた。タービンを全開にした強烈な加速は船首が持ち上がるほどで、左右の展開する潜水艦娘達も呆気にとられ対応できなかった。
「な、ちょっとっ! 何て加速なのっ」
「やだやだやだ、射線におおすみも入っちゃうっ。これじゃあ撃てないよっ」
このままだと右舷中央部にくらまの艦首が突っ込むことになる。鹿島の必死の操船により、丁字の衝突は避けられたものの、おおすみの右舷とくらまの右舷が接触し、激しい火花を散らせながら船体が軋み破壊される音が大きく響く。衝突の衝撃で全通甲板上に待機していた部隊は大きく吹き飛ばされてしまう。
「クソッタレ、初っ端からやってくれるじゃねーか、変態野郎が。鹿島、全員の安否確認っ! あと宇佐美のダンナに手を出したら殺すぞ、そう言っとけ」