※回想の形で#50及び第4章の補完的要素を含みますので、予めご理解ください。
元々海底に眠っていた船魂とかつての軍人の想念を現界させ素体に宿らせたのが艦娘の成り立ち。何かに宿る、という意味では、今の私の在り方も一応理屈は通るけれど、異質なのは確か。
仮初めの体とさえ呼べない、一振りの刀。
この人がトラックの木曾から譲られた、銘もなき刀の形をした艤装。そしてそこに宿る私も、やはり仮初めの存在。それでも、この人は私の事を扶桑と呼んでくれる、私がただ一人の人と心定めた槇原南洲という男性。トラックでの査察を経て以来、私は刀越しに南洲と触れあい、その目を通して世界に触れている。
南洲は今、因縁深い技本の艦隊と戦うため所属の艦娘達の指揮を取っている。刻々と変わる戦局、一進一退の攻防、増える損害、そして堕ちた艦娘たちの拿捕…。
「大湊と単冠湾が連中の無力化に成功した後、俺達は敵母艦の臨検及び敵指揮官の捕縛に取り掛かる。仁科大佐の数々の不法行為による被害者の多くは保護に成功した。忘れるな、俺達は全ての艦娘の権利のための即応部隊、艦隊本部付査察部隊MIGOだっ!」
凛とした、迷いの無い言葉が居並ぶ艦娘達の、そして私の心を打つ。この人なりに紆余曲折を経て得た答えに、部隊は応えるように動き始める。そう…大湊も動くのね。山城も出るのかしら? 山城、道はどうあれ、あなたにも自分の意志で歩んでほしい、そう願っているのよ。もしあなたが戦うと心を決めたなら、私に自由に動く手足と体があれば、扶桑型戦艦の姉妹揃い踏み…いえ、それでも低速艦だった私達では後方からの浮き砲台として支援砲撃に当るのでしょうか。
そして技本艦隊を率いる敵の指揮官の名が、私の心をざわつかせる。しかも、あの子を、陸奥をそんな風にしていたなんて…。ああ、どこまでもウェダの影はこの人に付きまとう。けれど、あの時の南洲と春雨が知らない事がある。今でも記憶に残る、冴えた月と―――。
私は、騒然とする現在を離れ、かつての時に思いを沈めてゆく。
◇
それはウェダ沖海戦とそれに続く基地襲撃の後。
駆逐艦の砲とはいえ、無防備に
ここにたどり着くまでに目にした、燃え盛る基地の残骸、折々斃れている所属不明の兵士達、虚ろな表情で焼け跡に呆然と立っていた羽黒、泣きじゃくる五月雨と蒼龍の姿を見れば、何が起きたのか容易に想像がつく。
不思議と何の感情も湧かなかった。南国にしては珍しく冴え冴えとした月明かりの下、全てが現実の光景とは思えなかった。私を支える時雨は泣き腫らした目のままで、厳しい視線を相手に送っている。けれど私は、自分でも冷めた表情をしているのが分かる。むしろ薄く微笑んでいるかもしれない。人間を守るために現界した私達艦娘にとって、敵とはいえ目の前にいる人間を手に掛けるのは禁忌となる。けどそれがどうしたの? 夫を傷つけられ攫われてまで綺麗事に縋れるほど、私は
「…本当の力…見せてあげる!」
南国の濃密な空気は月明かりさえ滲ませる日々が多いけれど、たまにこんな風に澄んだ空気の夜がある。冴えた月明かりが射す中、悲鳴と骨が砕ける音が響き、血煙が舞う。中破に近い損傷、それでも
「南洲を返してっ―――」
密集隊形の敵陣で振るわれる私の力は、必死にトンネルの入り口を守る島風と青葉と、時雨さえも呆然とさせる旋風のように荒れ狂った。
半数程を斃した頃、敵の脅迫じみた叫びに、私は動きを止めざるを得なくなった。抵抗を止めた
声にならない声、でも口の動きは間違いなく私と…春雨の名を呼んでいる。自分に感情が湧かなかった訳じゃない。ただ、押し殺していただけだった。
「あ、あなたっ!! い、生きてるのっ!?」
叫びながら自分の声が涙声に歪む。口に当てた血にまみれた両手は、頬を伝う涙で洗われてゆく。その間に辻柾と呼ばれた敵の指揮官が命じ、私を目掛け野戦重砲が火を噴く。重巡の主砲並の威力ね…でも、この程度でっ!!
「一体…何が起きているというのだ…? 陸奥っ、よせっ!!」
「何が起きてるって、目の前で艦娘が人間を襲ってるんじゃないっ」
それは私たちに追いついてきた大本営から派遣された部隊。眼前で上がる歓声と安どのため息が勘に触る。背後から急追してくる五人の艦娘。南洲に気を取られていた一瞬の隙を突かれ、私は地面を這う事になった。
「あらあら。随分派手に暴れてくれたようね。これ以上姉さんを困らせないでね?」
女性らしい柔らかな肌と鍛え抜かれた筋力、その二つを備える陸奥に組み敷かれた私。それでも私には、島風と青葉を拘束した高雄と愛宕が避難路を開放し、残存の敵部隊が我先にと逃げ出そうとしている姿の方が重要だった。そんな私を哀れむような眼差しで見やる長門が近づいてくる。その背後では、凄惨な光景に耐えきれず神通が泣き叫んでいる。
「扶桑…やり過ぎだぞ。何があったのか知らんが、これでは何の擁護もできないではないか…」
擁護ですって? 私達にここまでの非道を働き何を言うの? 陸奥に組み敷かれたまま、無理矢理頭を動かして南洲を探す。
「私は…私は…あの人を取り返さなきゃ」
トンネルに入ろうとする兵士達が引き摺っているのは、僅かに苦痛の声を洩らす南洲と
陸奥に構わず立ち上がろうとする。彼女の狼狽が伝わってくるが構いはしない。邪魔をするなら排除します。このままなら、南洲は間に合わなくなる。
「抵抗するなら…撃つわよ」
「主砲、副砲、撃てえっ!!」
恐らくは威嚇射撃で陸奥が副砲を斉射したのに対し、私は全門を斉射した。対応防御の観点で言えば、その攻撃ではお互いの装甲を撃ち抜くことはできない。だが、当たり所というものがある。陸奥の第三砲塔の付け根にある僅かな歪み、そこにゼロ距離から私の斉射を受けた彼女は膝を地面に付き、倒れ込んだ。無論、元々装甲が脆弱で、かつ中破していた私は、陸奥の副砲で受けた被害に加え、誘爆を起こした自分の砲弾により指一本動かせなくなり、仰向けに寝転がり空を見上げるしか出来なくなった。
「扶桑、司令官は取り返したよっ! 早くにげ、な…」
混乱の中敵の手から南洲を取り返し、泥だらけの笑顔で私に呼びかけた時雨が凍りつく。
「陸奥と相打ち、か。
「………あの人を…助けて…お願いだから。何でも、するから…」
もう一つ、影が差す。見慣れない顔。その声はなぜか嬉しそうだった。
「その有様でも一途ですな。素晴らしい、この仁科、感動しました。分かりました、その願い、叶えてあげましょう。よろしい、その男をいったんパラオに緊急搬送します。このままではその男は持たないでしょう。容態を安定させた後技本に送ります。駆逐棲姫、扶桑と陸奥は技本へ直接搬送。面白いと思いませんか? 人間と艦娘の生体融合試験―――」
願いを叶える、その言葉を最後に意識を失った私は、この仁科という人が何をしたのか、後で知ることになった。
◇
ごとり。
腰から外され棚に置かれた衝撃で私は現実に引き戻された。ここは…武器庫のようね。
「少佐、ご用命の装備は準備しておきましたけど…本当に敵母艦に乗り込む気ですか」
その声に南洲は頷くだけで言葉は発しなかった。装備を身につけ終えた南洲から感じる強い視線、ぼんやり光る赤い右眼、あれはかつての自分の目、そして伸びてくる右手、それもかつての自分の手。その手が
仁科大佐を中心とする技本のグループは、私の身体機能だけでなく、私の魂の一部まで南洲に埋め込んだ。人は残酷な生体実験というかも知れない。客観的に見ればそうでしょうね。
でも―――。
少なくとも南洲がそれにより命を繋いだ事は事実。春雨もその後のこの人をずっと支え続け、今いる艦娘達もこの人の帰る場所になってくれている。そして今の私は、この人が前に進む道を拓くための力。愛する人が前に向かい始めた歩みを支える、その助けになれるだけ私は幸せだと思う。それでも、不安は残る。
どの貴方が、本当に望む貴方なの?
問うても答えが無いのは知っているけど、今の状態はそう長く続かない、そう思えてならないの。南洲、貴方が何を選んでも、私は最後の瞬間までご一緒しますからね。