逃げ水の鎮守府-艦隊りこれくしょん-   作:坂下郁

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 間章その5-数奇な運命を辿る扶桑と、心の傷から再び立ち上がる山城。二人の心中を通して描かれる、胸に秘めた思いとは。今回は出撃する決意を固めた山城の目を通した風景。


間章 りこれくしょん-5
86. 姉の想い、妹の決意


 技本艦隊の追撃戦が開始される前まで時間は遡る―――。

 

 

 

 単冠湾泊地に期間限定で派遣され着任した私は、執務室でぽつんと待ち続けている。提督の石村中将は作戦直前で慌ただしく動き回っていて、着任の挨拶さえ満足にできなかった。『ちょっと待っててくれ』と言い残しそのまま執務室を後にしてしまい、秘書艦の雷はその中将の後をぱたぱた付いて回っている。

 

 「やっと辿りついたら待ちぼうけ………はあ………不幸だわ」

 

 ソファーに座りながら室内を見回す。大湊も冬は寒かったけど、択捉島はもっと寒いんでしょうね。二重窓で気密性の高い窓と暖炉、そして壁に付いている床暖房用の操作パネルが冬本番の寒さを物語っているようだ。きょろきょろ室内を見回していたけれど、やっぱり暇を持て余す。私は立ち上がり、提督の執務机の後ろにある窓まで歩いてゆく。薄曇りの空の下に広がる港、その先に続く鉛色の波荒い海。

 

 「…………………」

 私は無言で振り返り提督の机に視線を泳がせる。石村中将の忙しさを反映するかのように、やや乱雑に、取りあえずで整理したような机上。ふと平積されたファイルの中で、中身の紙がはみ出ている一冊に気付いた。そして、そこに書かれた名前を見た瞬間に息が止まりそうになった。

 

 「………扶桑、姉様? どういうこと?」

 いけないとは知りつつ、私は震える指先を伸ばしてファイルを机から取り上げると、最初のページから読み始める。私は知らなかったけれど、これは宇佐美少将から石村中将に送られたレポートで、技本の裏の顔や槇原少佐率いる査察部隊に関する内容らしい。

 

 

 槇原 南洲(まきはら よしくに)

 大本営艦隊本部付査察部隊隊長、階級は特務少佐。かつてニューギニア戦線で行われた渾作戦のためハルマヘラ島ウェダに設置された前線基地の元司令官。軍上層部と対立した結果、ウェダ基地は味方の手で攻め滅ぼされ、自身も右腕と右眼を失うなど瀕死の重傷を負い、艦娘の生体組織と分霊を移植する生体実験の被験者として奇跡的に生きながらえる。現場復帰後は諜報・特殊作戦群に所属し暗殺を中心とした汚れ仕事に春雨を伴い従事した。改組新設された査察部隊の隊長に就任、複数の拠点での不法行為を摘発するなど実績を上げる。凄惨な現場を生き残った代償として解離性同一性障害(DID)を発症、現在表出している人格は第三人格の『南洲(ナンシュー)』。

 

 これって、あの少佐の…。次のプロフィールへと進む。

 

 白露型駆逐艦五番艦 春雨。

 現査察部隊秘書艦役。棘鉄球(モーニングスター)を特殊装備に有する。パラオ泊地から旧ウェダ基地へと転属後、秘書艦として南洲と基地を運営する中で彼を慕う様になる。参謀本部から無謀な作戦遂行を強要され、窮地に陥った南洲のため第二次渾作戦に参加したがマノクワリ沖で戦没。その後駆逐棲姫として再び現界しウェダ基地に帰還。ウェダ戦には、大本営が派遣した連合艦隊相手に単艦で挑み駆逐艦四隻を大破させるなど大暴れ。因果関係が特定できた最初の堕天(フォールダウン)艦であり、瀕死の槇原南洲の治療を条件に技本の研究に協力、DIDによる人為的堕天の実用化に力を貸した結果となる。メイド服を着用する料理上手で駆逐艦にしてはいいモノをお持ち。

 

 最後の一文が意味不明なんですが。次のプロフィールへと進むと、表情がこわばったのが自分でも分かる。これ、姉様の…。

 

 扶桑型戦艦一番艦扶桑。

 槇原南洲に移植された艦娘。佐世保鎮守府から旧ウェダ基地へと転属。佐世保での経験で着任当初は心を閉ざしていた。南洲や他の艦娘と出会い、少しずつ心を開き明るくなり、同時に南洲への思慕を自覚する。第二次渾作戦では強行突入部隊の支援に動けず、春雨撃沈の報に接し自責の念を強める。それを契機に、お互いに依存するように南洲と関係を持つ。その後二代目秘書艦として、かつ練度の関係で正式なものではないが、南洲から指輪を受け取る。ウェダ失陥後、南洲と春雨奪還のため基地攻略部隊と交戦し大破、技本に連行される。南洲の復帰後は彼に宿る超常の力として現界していたが、現在は南洲の刀に宿る霊力としてのみ存在。愁い顔の美人で超弩級なモノをお持ち。

 

 妙に特定部位に目を向けた不思議なプロファイルね、一体誰が書いたのかしら。ここまでファイルを読み進んだ私は、それ以上先に進むのが怖くなり、元あったようにファイルを提督の机に戻す。胸に手を当て何度も深呼吸をする。呼吸に合わせて胸が大きく揺れ、当てた掌に早鐘のように鼓動が伝わる。さらっと()()()の事が触れてあるけど、あれはこんな簡単な言葉で言い現せるものじゃないわ。何となく扶桑姉様を侮辱された様な気になり、私は物言わぬファイルを厳しい視線で一瞥すると、再びソファーへと戻る。

 

 「………まだ来ない。はあ……帰ろうかしら」

 言葉でそう言ったものの、軍令で派遣された身としてはそんな勝手な事ができるはずがない。それにしても、何がそんなに忙しいのか知らないけど、ちょっと待たせすぎじゃないかしら。両手を上げ背筋を大きく伸ばす。思わず声が漏れる。

 

「 ん~~~~~~って…ひゃあああっ!!」

 

 反射的に手をおろし、体を守るように前かがみになる。誰っ!? 背中越しに私の胸を触るのはっ!! 制服をまとう細い手が私の着物の袷の中に入り込んでいる。

 

 「хорошо(ハラショー)、この胸肉は力を感じる…。けれど、そんな風にされると手が抜けなくて困ってしまうな」

 

 言うほど困ってなさそうな声ね。あっ、そこは…。私は小さな手から逃れるように、体をひねりながら立ち上がる。振り返った目の前には三人の駆逐艦娘がいた。やっぱり牛乳なのでしょうか、と思案顔の電。そこ問題じゃないから。両手をじーっと見つめながら何かを確かめるようにわきわきする響。私の着物に手を入れてきた犯人ね。だから暁も、こっそり耳打ちして「おっきかった?」とか聞かないの、見たまんまよっ。

 

 「あ、あのっ…。大変お待たせしてしまったのです、山城さん。これよりガンルームへご案内するのです」

 両手で胸を隠すようにした私は、ジト目で三人を眺める。何よ、広い場所で私を弄ぼうっていうの? はあ…ふこ…へ? ガンルームっていうことは出撃ってこと?

 

 「提督と雷は、新知島の監視から引き揚げてきた部隊の入渠と補給、装備換装の手配で忙しくてね。だから私たちが迎えにきたんだ」

 表情を変えずに響がそう告げ、すたすたと歩き出し、暁がそれを追う様に急ぐ。はわわわと私と姉妹を交互に見ていた電は、私にぺこりと頭を下げ、一緒に来てください、と手を取る。

 

 

 

 「おお山城、済まなかったな、せっかく来てくれたのにロクに相手もできず。よし、これで全員揃ったな。いいか、これより我々単冠湾部隊は、大湊警備府の部隊と演習を行う。大本営令により作戦行動は禁止されている今、我々は練度を維持すべくここに大規模演習を行う事を決定した。大湊の指揮は宇佐美少将が取り、演習海域は北太平洋、航路指定はこちらから行うが合流地点は…おそらくミッドウェー島周辺海域と見込まれる。編成は日向を旗艦とし、以下伊勢、山城、阿武隈、響、電の六名。艦隊速度は山城に合せ二四ノットとする。山城はほぼ主機全開となるが、我慢してくれ」

 

 今まで放置されたと思ったら、いきなり命令を下す石村中将。にしても、私、演習のためにわざわざ派遣されたのかしら…。きっと表情に不満とか不信とか、そういう感情が出ていたのかしら。雷を膝に乗せかいぐりかいぐりしている石村中将は、不意に表情を引き締め驚くべき事を語り出す。

 

 「…とまあ、この辺は建前でな。山城、我々は技本艦隊を追いかける。この連中こそ、お前の姉の扶桑、その指揮官であり夫でもあった槇原南洲を手に掛けた挙句に狂気の実験を行った連中だ。そしてお前が父と慕った芦木中将殺害の実行犯でもある。北方から水上打撃部隊の我々、北西から大湊の軽空母機動部隊、そしてすでにミッドウェー沖に展開中の槇原南洲率いる部隊、三方向から技本艦隊を挟撃する。山城、これはお前にとって姉と父の仇討ちでもある、しっかり頼むぞ」

 

 私以外、すでに作戦目標は伝達済み、ってことね。自分でも表情がこわばり青ざめているのが分かる。技本が扶桑姉様とお父様の仇…それは間違いない。きっと以前の私なら、この言葉に促されたかもしれない。

 

 でも…でも…違う。

 

 あれは大湊防衛戦。槇原少佐に扶桑姉様が宿る愛刀を渡すため手にした時、姉様が私に流れ込んできた。そして分かったのは、扶桑姉様は本当に槇原少佐との時間に幸せを感じていた事。そして誰も恨んでなんかいないし、むしろ少佐が復讐のため自分の全てを黒く塗りつぶしていた事に心を痛めていた事。少佐に宿る姉様の力を少佐が振るうほどに、その力が彼自身を歪めてゆく。だから姉様は少佐の呼ぶ声に心を閉ざすようになった。でも…トラック泊地での戦いで、再び少佐の声に応えた姉様は、瑞鶴を堕天(フォールダウン)から救うのと引き換えに霊力を大きく失った。少佐の刀に宿っているのは、扶桑姉様の霊力というよりは、記憶とか想い。刀に宿る、というより刀に宿る事しかできない。それでも姉様は、想い人のために在り続けようとしている。

 

 知ってしまった私は、姉の名誉のため、どうしても言わなきゃならない事がある。

 

 「扶桑姉様は…仇討なんて望んでいません。そんな理由のために、私は戦えない…そんなの…不幸だわ。でも、私は姉様とお父様の想いに応えるため、槇原少佐を守らなきゃ…だから…」

 

 

 芦木中将(お父様)の教え子でもあり、扶桑姉様に幸せをくれた人。私が心から大切にしていた二人が心から心配している人を守る、それ以上の理由は、私にはいらない。

 

 

「扶桑型戦艦山城、出撃します!」

 


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