逃げ水の鎮守府-艦隊りこれくしょん-   作:坂下郁

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ビスマルク、どこまでもまっすぐです。そして大湊警備府も一旦は落ち着きそうな感じで。


70. 心の羅針盤

 南洲が顔を上げた刹那、ビスマルクはぎゅっと南洲を抱きしめ、その豊かな胸に南洲を捉える。南洲の吐息がくすぐったく、自分でも顔が熱くなるのが分かり、恥ずかしさも相まってむしろ抱きしめる腕に力が入る。

 

 しばらくの間もがいていた南洲だが、ぷはっと顔を上げる。待ち構えていたようにビスマルクが南洲の唇を奪い、そのまま二人は唇を重ねたまま先ほどより激しくもがき合う。無論南洲は逃れようとし、ビスマルクが逃がさないようにする、そんなせめぎ合いがしばらく続いたが、先に根を上げたのはビスマルクの方だった。くたっとして南洲の左肩に上気した頬を載せ、体全体を南洲に預けるようにして抱き付いている。

 

 

 「ズルいわ、こんなの…何でそんなに上手いの…?」

 

 

 やっと拘束が弱まり動かせるようになった右手で、南洲はビスマルクの背中をぽんぽんと軽く叩く。膝から降りろ、という合図だが、ビスマルクは一向に動こうとしない。あるいは体の力が抜けて動けないのかも知れないが。

 

 「………気は済んだか?」

 

 仕方ない、という感じで南洲はビスマルクをそのままの姿勢にさせているが、その代わりに声を掛ける。口調は穏やかだが、どこか聞き分けのない子供を嗜めるようなニュアンスも含んだ言い方。ビスマルクは敏感にそれを察し、ムキになったようにがばっと体を起こし南洲に反駁しようとしたが果たせなかった。

 

 「俺に何を期待してるっていうんだ」

 

 真っ直ぐに青い瞳を覗き込みながら、南洲がビスマルクの機先を制すように唐突に口を開いた。偽らざる思いが堰を切る。

 

 「お前たち艦娘を利用して何かを企んでいる三上や中臣、こいつらを止めなきゃならん、確かにそう思っている。けどな、そう言ってる俺も人間同士の醜い争いに、春雨(ハル)を、羽黒や鹿島も、お前だってそうだ、巻き込んでるようなもんだから人の事を言えた義理じゃない。それに…そもそもお前の言う『貴方』って誰の事だ? 槇原南洲(まきはら よしくに)という男なら、いつ表に出てくるか分からんが、それでも気長に待つか?」

 

 少し悲しそうな表情でビスマルクは南洲を見つめ返す。そしてようやく南洲から降り、自分の格好に気づき慌てて着衣を直す。着丈の異様に短いビスマルクの上着は、南洲の太腿に跨る様に座っていたためすっかりずり上がってしまいその中に本来隠されるべきものがほぼ丸見えになっていた。こほん、と誤魔化す様に咳払いをすると、諭すように話し始める。

 

 「少なくとも私が出会ったのは南洲(ナンシュー)よ。()()()()のことなんか知らないわ。それに、私は自分の意志で貴方と戦っているの。『巻き込んでるようなもんだ』なんてバカにしないでっ。認めないでしょうけど、貴方を動かしているのは憎しみより怒り、怒りより悲しみ。そんな人が誰かを利用するなんて出来る訳がないでしょう」

 

 やれやれ、と言った様子で肩をすくめたビスマルクだが、再び真剣な表情に戻り話を続ける。

 「…貴方には自分の未来を求める権利があるのよ、南洲。けど今それを聞いても答えがないのも知ってるわ。だから教えてあげる。正しく前を向いている限り、私は貴方と共にある。忘れたの? 初めて会った時、貴方は私の力が必要だと言ったのよ? 私はそれに応える。貴方だけじゃない、貴方が大切にしている全て、ハルもハグロもカシマもアキヅキもRJも、あとはショーカクも増えたわね…も、もうこの際何人増えてもいいわっ、いつでも光の指す方に引っ張ってあげる。その代り約束しなさい、貴方の心の羅針盤は常に私を指す事、分かった?」

 

 胸を張り得意げな表情で軽く言ってのけるビスマルクに、南洲は流石に苦笑いを浮かべて返す。

 「簡単に言ってくれるよ…。行き過ぎた正論ってのは、時に暴力と同じなんだがな。口で言うのは…いや…そうか、お前は言葉の通りに戦い抜いたクチだったな」

 

 ふと南洲はビスマルクの軍艦時代の経歴に思いを巡らす。

 

 多くの日本海軍の艦艇が、建造時に想定外だった米軍の飽和航空攻撃の前に斃れたのと異なり、ビスマルクの生涯は戦艦として納得のいく生き様と言える。通商破壊を目的としたライン演習作戦に参加、その過程で生じたデンマーク海峡戦では妹分のプリンツ・オイゲンと共に英国の戦艦フッドを撃沈、プリンオブウェールズを戦線離脱させるなど戦果を挙げ、その復讐に燃えたロイヤルネイビーの追撃戦ではまさに孤軍奮闘、被害を受けながらもジブラルタル艦隊の空母アークロイヤルによる航空攻撃と第四駆逐隊の襲撃を退け、最後は戦艦キング・ジョージ5世およびロドニー、重巡洋艦ノーフォークおよびドーセットシャーとの熾烈な砲雷撃戦の末、その身を海に還した。

 

 「そうね………約1時間半で約400発、一対四で滅多撃ちにされたけど、それでも私は戦い抜いた。誰に恥じる事のない戦い、だから悔いはないわ。貴方も同じよ、傷だらけになっても戦い抜いたんでしょう? そんな貴方を誇りに思うわ。たまには昔を振り返ってもいいわよ、でも立ち止まったり戻ったりしないことね。…私はできない人には多くは求めないわ。貴方なら大丈夫、絶対にできるわ。私がついているのよ? って、何でここまで言わせるのよっ! ほんとにもうっ!」

 

 再び距離を詰めるビスマルクは、少し震えながらぎこちない動きのまま、ゆっくりと目を閉じながら南洲に顔を近づける。躊躇いがちに、少し震えながら伸ばされた細い指は、南洲の頬に触れ、そのままその頭を支えるようにして自分に引き寄せる。そしてその指先はそのまま南洲の首元へ、胸元へと滑り降りる。

 

 

 「一緒に前に進みましょう、南洲…」

 

 

 

 気配を殺すのには慣れている南洲だが、それでも物音を立てないよう部屋を出て、ノブの回る音にさえ立てないようにし、ドアをそっと閉める。眠っているビスマルクにはおそらく気づかれていないと思うが…ドアの前を離れ、壁に寄りかかり天井を仰ぐ。

 

 「振り返ってもいいけど、立ち止まったり戻ったりしない、か…」

 

 ビスマルクの言葉を借り、ひとり呟く南洲。朝食後に訪ねた彼女の部屋だが、今はすでに午後を回り夕方に近づこうとしている時間になってしまった。左手に持っている第一種軍装のジャケットを羽織り直し、歩きながらボタンを留める南洲。頭を巡るのはこれまでとこれから-復讐と復権のため、そう思っていた。だがいつしか艦娘のため、そう思う様になった。そのためには三上や中臣の企てを暴き止める。だがその後、その先の自分の人生に何があるのか、まったく想像もできない。

 

 「想像もできない『その先』を探す…そういう生き方も悪くないか」

 

 

-一緒に前に進みましょう

 

 

 その言葉を反芻し自分自身に言い聞かせるように、南洲は艦娘寮と指令部棟を繋ぐ渡り廊下に続く扉を開ける。冷たい風が吹き込み髪を揺らされると、自分から漂うビスマルクの移り香に気が付いた。

 

 「…風呂、入るか」

 

 幸い大湊自慢の露天岩風呂は先の空襲でも被害を受けず無事だった。この時間艦娘達は演習や遠征でいないはずだし、岩風呂を使うにはちょうどいいだろう、と南洲は入り口の暖簾を青地に白抜きの『男湯』に付け替え、貸切露天風呂と洒落込む事に決めた。

 

 「そういや何か予定があったような気がしたが………まあいいか」

 

 

 大湊所属の艦娘と南洲隊のほぼ全員を、新装開店となった間宮に集めた宇佐美少将は話を切り出す。

 

 「…いないのは南洲だけか…。ったくあのバカチンがっ。仕方ない、定刻になったので説明を開始する。槇原南洲特務少佐率いる艦隊本部付査察部隊だが、当初予定を変更、明朝俺と一緒にUS-2に同乗し大本営へ帰投することになった。これにより大湊警備府は明日0000(マルマルマルマル)を以て、石村中将の監督下に入り中将が司令官を兼任する」

 

 「なっ!! どういうこと!? 話が違うんじゃないの?」

 机をばんっと叩き真っ先に立ちあがったのは矢矧で、それに続く様に多くの艦娘達が疑問や不満の声を上げ、間宮が騒然とした空気に包まれる。深海棲艦の攻撃から自分たちを救った指揮官、という分かりやすい憧憬を引き起こすある種の狂騒を過ぎ、短い時間ながらも『素』の槇原南洲に触れたことによって、大湊の艦娘達は、改めて南洲の着任を期待するようになっていた。事実彼の上司もそのようなことを仄めかしていたにも関わらず、いざとなって梯子が外された-大湊の艦娘達の不満も当然と言える。一方の宇佐美少将はにやにやしながらその喧騒を眺めながら、いい加減不満が出尽くしたころを見計らい、次の話題を取り上げる。

 

 「人の話は最後まで聞くもんだ。これより大湊警備府は、石村中将の主導する北方海域作戦への参加準備に入る。今は亡き芦木中将が遺した情報によれば、色丹島と新知島(しむしるとう)に深海棲艦艦隊が秘密裏に展開しているとのこと。本作戦はこの捕捉殲滅を狙うものだ。査察部隊は一度艦隊本部に帰投、新装備を受領し完熟訓練の後、貴様らと合流、南洲の指揮の元で石村中将の作戦行動に参加する」

 




 次回からは次章に入ります。更新ペースが落ちてますが、引き続きぼちぼち書きますので、皆さまお暇な際には引き続きお立ち寄りいただけますと超絶嬉しいです、はい。

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