逃げ水の鎮守府-艦隊りこれくしょん-   作:坂下郁

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 一部設定紹介的なものを含みつつ、ビスマルク、決断する。


69. 違う夢を見ましょう

 択捉島 単冠湾泊地司令部棟―――。

 

 「司令官、暖かいココアを入れたわ。冷めちゃうから飲んでね」

 秘書艦の雷が大きめのマグカップに入ったココアを石村中将に差し出す。

 「いつも済まないな雷、本当によくできた秘書艦だよ」

 膝の上に座り足をじたじたとする雷の頭をかいぐりかいぐりする石村中将は、受け取ったマグカップを執務机に置き、机上プリンターから吐き出された書類に目を通し始める。

 

 「ふ、ん…ここまで『裏』を明かしてくるとは、宇佐美も本気で私を引き込もうという腹積もりか。だがここまで技本がおかしなことになっているとは…」

 

 それは宇佐美少将から送られた暗号化ファイルで、査察部隊がたどり着いた先にいる者、ある物を示している。

 

 『技本』―――。

 大本営技術本部の略称で、産官学に宗教、日本の総力を挙げた艦娘開発計画である『天鳥船(あまのとりふね)』プロジェクトを母体に発展した組織。『素体』と呼ばれる魂の器-人間を遥かに凌駕する強靭な人工生命体の開発運用を行う生体工学部門と、(コア)と呼ばれるかつての軍艦の船魂と軍人達の想念、さらに鉄と油を依代に艤装を召喚し、素体に宿らせる魂の秘術を準工業技術に変換した霊子工学部門から成る。両部門のバランスは相応に取られていたが、生体工学部門の長・西松教授が一線を退いてからは霊子工学部門の勢力が伸長、同部門の長・中臣由門浄階率いる先鋭的な一派が影響力を強めている。

 

 中臣由門浄階《なかおみ よしかど じょうかい》―――。

 浄階=神職の最高位にして、認知神経科学博士、認知アーキテクチャエンジニア。古神道に道教の陰陽五行思想や、密教などの秘儀を習合し魂返(たまがえ)りさせた船魂と想念を、『艦娘の人格』としてSOARモデルを進化させた高高度人工知能を通し基本部分を規格化した上で、経験値の蓄積による強化と個性の獲得という拡張性を与える等、生体工学分野の西松教授と並び称される異才にして、この国のオカルトロジーの頂点に立つ存在。式神を用いて艦娘の遠隔制御を行えるとんでもない人物だが、同時に制御できるのは一体のみ。近年、その研究実証領域が加速度的に狂気を帯びてきた。

 

 フォールダウン(堕天)―――。

 艦娘の魂が属性反転、つまり艦娘から深海棲艦へと魂の相が反転し、それに応じて機能や肉体までも変容する現象。霊子工学部門は、愛情、憎しみ、恨み、喪失感など感情面で極度の負荷を艦娘に掛ける事での人為的な深海棲艦化を達成。それをさらに発展させ、艦娘に掛ける負荷をDID発症レベルまで引き上げ魂を分化し、艦娘と深海棲艦とのコンバートを実用化するが安定化に未だ難あり。

 

 

 ここまで読み終えると、石村中将はファイルを机に置きココアを口にする。雷の頭を柔らかく撫でる手は止まることなく、雷は中将の膝の上で大きな猫のように眠りに落ちていた。

 

 

 「強い絆を結べとケッコンカッコカリを勧める一方で、その絆を失わせることで深海棲艦化を進める…そういうことを技本は陰で行っている、と…。その真相を追う査察部隊とそれを率いる槇原南洲…ウェダの亡霊か」

 

 それ以上石村中将は言葉を発することなく、深く考え込むと、やがて雷を膝に乗せたまま寝落ちしていた。

 

 

 

 大湊滞在七日目―――。

 

 

 皆で一緒に食事をして以来、目に見えて査察隊と大湊の艦娘達の距離は縮まったように思える。妙に張り切ってる龍驤はともかく、春雨や羽黒は率先して大湊の連中と交流を深め、警備府の修復にもいろいろ意見を出しているようだ。秋月もそれに加わることが多い。鹿島は相変わらずのマイペースだが折々南洲(オレ)に関わる事で矢矧をからかい、その度に矢矧が『ぐぬぬ…』という表情になっている。止めておけよ、アイツ真面目なんだから…。何にせよ、二、三か月はいることになる場所で、妙な蟠りはない方がいい。そもそも、自分や艦娘達がどう希望しようと、指揮官の人事権は当然大本営にある。なるようにしかならない、そう思いながらだが一つだけ南洲の気がかりはある。

 

 -今日はついに朝食にも来なかったな。

 

 ビスマルクが与えられた部屋に一人でいる事が増えていた。昨日の午後が警備府内で見かけた最後で、夕食はかなり遅れてやってきて、自分の分を受け取るとそのまま部屋に帰ってしまった。そして今日はついに部屋から出てこない。

 

 

 こんこん。

 

 「…俺だ、ビスマルク。いるのか?」

 

 ギッと床のきしむ音と足音がして、躊躇いがちにドアが開かれる。やや愁いを帯びた表情で顔をだしたビスマルクだが、別に不機嫌という訳でもなさそうだ。無言のまま南洲のジャケットの袖口をつまむと自分の方へと引き寄せる。部屋に入れ、ということなのだろう。

 

 ベッドに腰掛けるビスマルクと向かい合うような形で、やや離れた所にある椅子に座る南洲。依然として無言のままのビスマルクは、南洲をじっと見つめ続けながら、時折所在無げにシルクの様な長い金髪を指で弄ぶ。意外と柔らかめで沈み込みがやや大きい艦娘寮のベッドの縁に腰掛けるビスマルクは、結構お尻が沈み込んでいる上に着丈の短い制服で脚を組んでいるため南洲からはかなり色々丸見えとなる。結果、南洲は目を逸らさずにいられない。

 

 「?」

 ビスマルクが小首をかしげ不思議そうな表情になる。訪ねてきたのは南洲なのに、なぜか気まずそうに視線を合わせようとしない。南洲も現状が不自然なのは感じており、とにかく何か言おうと試みる。

 

 「あー…部屋に閉じこもり気味なんて、一体どうしたんだ? 思い返せばあの時を境に―――」

 

 ぴくっ。ビスマルクの肩が揺れ、目の前にいる男性を改めて眺める。筋肉質で大柄、やや皮肉っぽい喋り方と果断な行動。それでも注意深く見ているところは見ている人なのよね…やっぱり気づかれちゃったか-ビスマルクが口を開きかけた時に、南洲が言葉を続ける。

 

 「―――仁科大佐が出奔してから元気がないような感じだが…」

 

 前言撤回。ビスマルクがジト目に変わり南洲を睨みつける。注意深く見てるんだろうけど、一体何を見てるんだか…。だがここまでトンチンカンな誤解をされたままでは黙っていられない。プンスカという擬音をそのまま態度にしたような表情でビスマルクは南洲に食って掛かる。

 

 「あのねえーっ!! 何をどう考えたら私があんなのがいなくてさびしがってるとか思う訳っ!? 違うわよ、まったくもう…」

 

 大げさにため息を付くビスマルクに対し、気まずそうにしている南洲。確かに言えば何でもいいというもんじゃないよな、と苦笑いを浮かべ、改めて口を開く。

 

 「ならどうして、皆を避けるようにしてるんだ?」

 

 避けている訳ではない。ただ、夕陽に照らされながら現れた二つの影-南洲と春雨。その光景が無性に怖かった。そんな思いは表に出さず、何も言わずにうっすらと微笑みを浮かべたビスマルクは、一つ一つ確かめるように話を進める。それは南洲の質問に直接答えるものではなく、質問に質問を返すようなものだったが、南洲は耳を傾けている。

 

 

 「ねえ南洲、ウェダってどんなところだったの?」

 

 出し抜けに訊ねられ、きょとんとした南洲だが、どこか懐かしそうな表情を浮かべながら、何もなかったハルマヘラ島に文字通りゼロから前線基地を立ち上げ、徐々に仲間が増えていったことまでをビスマルクに語り、そこで口を閉ざす。

 

 「…貴方にとっての『黄金時代』だったのね、その時点までは。でも、ウェダの真実はむしろその後よね?」

 

 今度は南洲がぴくりと肩を動かし、表情がさすがに険しくなる。何が言いたいんだ、とビスマルクの真意を掴みかね訝しがる。ビスマルクは気にする様子もなく、掌を上に向け肩をすくめながら話を続ける。

 

 「貴方は、初めて司令官として基地を任され戦った。心を許せる艦娘達と出会い、誰かを愛した。そして全てを失った。それが今の貴方を形成したのよね。…ねえ、気づいている? ここまでの話、全部過去形なのよ。ハルはずーっと貴方の傍にいた、フソウもそう。それはきっと必要な事だったと思うわ。けれど…それでも、二人は貴方を過去へと縛り付けている、違うかしら? 貴方が復讐を成し遂げても、時計の針は元に戻らないのよ?」

 

 「………」

 

 無言の南洲を気にしないような素振りで、やや身を乗り出す様にしてビスマルクが話を続ける。どこか思いつめたような表情で、核心に斬り込もうとしている様子に窺える。

 

 「南洲、よく聞いて欲しいの。貴方は生きているのよ。生きている限り人は前に進まなきゃならない。それは私がこの体に生まれ変わって一番強く理解した事だわ。ハッキリ言うわ、あなたとハルを見ていると、とても不安で怖くなるの。あなた達二人はどこも見ていない。ただウェダという、思い出の中にしかない場所に囚われ続けている。…ハルといる限り、あなたは前を向こうとしない。前を向いてるつもりでも、心は常に後ろを見ている」

 

 長い長い沈黙の後、南洲は短い言葉をビスマルクにぶつける。片方の唇の端だけを上げた顔を歪めた笑み、そしてビスマルクが南洲と初めて会った時と同じような、昏い狂気を孕んだ目線。

 

 

 「お前に何が分かる?」

 

 

 「分かる訳ないでしょうっ!! 貴方は後ろを見ているけど、私は前を見ているの。分からない? 貴方に必要なのはウェダでも大湊でもない、真っ新な場所よ。何にも囚われない、何にも縛られない心が自由になる場所。も、もちろん、貴方がどうしても、っていうなら私が一緒にいてあげないこともない…わよ?」

 

 そこまで言うとビスマルクは俯きながらふるふると頭を振る。そしてがばっと顔を上げ、きっとした目で再び南洲を見つめるが、その頬は真っ赤に染まっている。

 

 「ああもう、私にここまで言わせるなんて…前も言ったけどもう一度言うわ。南洲、私と一緒にドイツに行きましょう。どうしてもドイツがいやなら、ドイツ語が通じる所なら有り難いけど、貴方が望む場所ならどこでもいい。私と一緒に、前を、前だけを見て生きていきましょう?」

 

 ぎっと軽くベッドが軋む。立ち上がったビスマルクは、何も答えず俯いたままの南洲に歩み寄るとその膝に跨り、上体を密着させるようにして体を預ける。

 

 

 「ねえ、南洲…前を見なさいよ…」

 




 インフルでダウンしたり、治ったかと思ったら大阪に行ったり、遅れて昨日からイベント参戦したりなどなど忙しくてやや間が空いちゃいました。

 イベはE1でざくざく掘ってます。E2もいい加減行かないと。

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