逃げ水の鎮守府-艦隊りこれくしょん-   作:坂下郁

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 帰ってこない春雨を迎えに港にやって来た南洲。ウェダで初めて会った日を彷彿とさせる僅かな時間が二人に訪れる。

 前半は南洲の視点で、後半は春雨の視点で、物語は進みます。


68. リプライズ

 盛り上がる艦娘達の輪を静かに抜け、さりげなく港への道を徐々に、やがて駆け足で急ぐ南洲。自分の中の何かが自分を急き立てる、まるで自分の中に別な自分がいるような感覚。鼓動が激しくなり、嫌な汗が止まらない。いつか思い出せないが、この感覚、前にも味わったことがある。

 

 

 『春雨は…敵の反跳攻撃(スキップボミング)をまともに受けて…そのままマノクワリ沖で…』

 

 

 それは誰の言葉だったか。確か時雨だったよな。第二次渾作戦、ウェダから出発した強行突入部隊に参加した春雨は、帰ってこなかった。それ以来、暇があれば港へ出向いて当て所無く春雨の帰還を待ち続けていた日々。扶桑との関係が深くなった後でさえ、極力欠かしたことはない。

 

 

 『俺は春雨に必ず帰ってこいって言ったんだっ! あいつは約束を破るような奴じゃないっ!!』

 

 あの時の俺は、自分の気持ち以上に春雨の気持ちを理解していたと思う。確かなものなど何もなかった俺達の関係を知っていて一方的に押し付けた約束かも知れない。けれど絶対に果たされると信じていた約束。あのクソみたいな渾作戦を押し返せなかった俺だが、それでも、ただ無事に帰ってきてさえくれればいい、そう思っていた。

 

 -春雨が無事戻ってきたとして、俺はどうしたかったんだろうな。

 

 Ifはいくら重ねてもIfでしかない。それでも思わないことはない、照れ屋でちょこちょこしていて、本当は戦いが嫌いで、それでいて何に対しても一生懸命なままの春雨と、俺はずっと一緒にいられたのだろうか―――?

 

 

 夕暮れの港は、全てのものがオレンジ色に彩られている。波に揺れる海面は夕陽を眩しく照り返し、思わず目を細めずにはいられない。手で庇を作る様にして見回す港の片隅、黄色く塗られた係留柱(ビット)に腰掛ける一つの人影。薄桃色の長い髪をサイドテールにまとめた黒いメイド服を着た少女が、悴む手に息を掛け温めている。いつの間にか当たり前になっていた棘鉄球(モーニングスター)ではなく、背負い用の固定鎖を付けたドラム缶をビットの横に置き、ふうっと疲れたようなため息を付いている。

 

 「…こんなところで何を黄昏てるんだ、春雨(ハル)?」

 

 逆光で表情は良く分からないが、それでも春雨が少し泣き出しそうな表情をしているのは何となく分かった。ゆっくりと手の届く距離まで近づいてゆく。ビットに腰掛けたままの影がぽすんと頭を預けてくる。

 

 「南洲の好きなアジの群れを見つけて、追いかけてたら遅くなっちゃったんです」

 「ああ」

 「なめろう、また作ってくれますか?」

 「ああ」

 「…大湊というか、北の海は寒い、です」

 「ああ…」

 「お外でお料理するの、とても楽しかった、です」

 「…」

 「二人だけで、ご飯を炊いて、なめろうを作って…。夜は干物を焼きましたよね」

 「…」

 

 訥々と、震える声で言葉を重ねる春雨。彼女が語るのは大湊での事ではなく、今は存在しないウェダ基地の初日、未完成の基地で二人だけで過ごした日のこと。ああ、訳もなく楽しかったな。

 

 「でも、貴方には大湊でもよかったの、かな? 私にはウェダしかなかったよ?」

 「…」

 

 不意に俺の顔を見上げる春雨の顔は、大粒の涙で濡れている。俺はそっと指先で零れ落ちる涙を拭うが、涙は溢れるばかりで止まらない。ウェダ基地は潰滅した。それは春雨も知っている筈だ。それでも、俺の心の中でも、僅かに消え残る熾火がある。それはささやかでも心許せた時間。それがあるから、狂わずにいられたのかも知れない。

 

 

 「どうして、どうして私たちこんな所にいるのかな? 私の帰る場所、貴方が待っている場所って、もうないのかな? 人の嫌な所をたくさん見て、たくさん殺して殺されそうになって、貴方が身も心も傷ついて壊れていくのを見て、たどり着いたのはこんな北の海だったのかな。ここは寒い、です」

 

 俺はそのまま春雨を抱きしめ、耳元で一言だけ言った。

 

 「大丈夫だ、春雨」

 

 ありきたりな言葉、それでも届くと信じて。春雨もそっと俺を抱きしめ返してくる。泣き腫らした目のまま、春雨は俺を見つめてくる。何か言ってほしそうだな。

 

 「どうした、春雨?この世の終わりみたいな顔をしているぞ?」

 

 その言葉を聞いた瞬間に、春雨はきょとんとして、泣くような笑うような不思議な表情になる。俺、変なこと言ったか?

 

 「あの時と同じ…帰ってきたの?」

 

 あの時-初めて扶桑と会った春雨が、あまりの境遇の違いに、扶桑を受け入れる事で自分の想いを否定されてしまうように恐れ俺の元にやってきた。初めて春雨が自分の想いを俺に吐露した時だ。俺が帰ってきた? よせよ、帰ってきたのはお前だ。

 

 

 「やっと帰ってきたな、春雨(ハル)。待たせすぎだよ」

 

 

 聞き覚えのある、でも微妙に違う声のトーンに私は思わず固まります。見上げたその先にあるのは南洲の顔。でも、こんなに安心しきった表情で、優しい目を見たのは、いつ以来でしょう………!!

 

 「南洲(よしくに)…さん?」

 

 「何だよ、改まって。時雨からお前が敵の反跳攻撃(スキップボミング)をまともに受けたって聞いてさ。なかなか帰ってこないから、俺は毎日港に迎えに来てたんだぞ。…もう、どこにも行くな、命令だ」

 

 いたずらっ子のようにニカッと笑う南洲。記憶が混交している…? そうなんですね、私が沈んだ後の貴方はそんな風に…。ああ、私は貴方の元にやっと帰ってきたんですね…。今は事情も知らず皆普通に呼ぶ『南洲(ナンシュー)』、下の名前の音読みですが、私しか知らない意味がある。

 

 技本で繰り返される検査の日々。その中で知らされた、南洲の中にいる四つの人格の事。眠り続ける元々の主人格(ヨシクニ)、私を失った日で止まっているハル、そしてみんなが南洲だと思っているナンシュー、ジゴロ的なモゲロ…。実験を終えた南洲が安定するまで、ひどい有様でした。見たこともない攻撃的なナンシューに私は戸惑い、夜になり目覚めたハルが私を探しに行こうとするのを引き止める…おそらくあの頃、南洲はろくに眠っていなかったはず。症状が酷い時は鎮静剤が欠かせず、私は南洲の喜怒哀楽の全てを受け入れ続け、ようやく安定させることができました。最終的に南洲は、技官の人の話によれば、ヨシクニとハル、ナンシューとモゲロが組み合わさって表出する形で安定したそうです。ですが、結果としてナンシューが支配的になりました。それほどウェダの惨劇は、彼の心を壊してしまったのです。

 

 私が駆逐棲姫として現界したのと同様に、貴方もまた破壊と復讐のためナンシューとして帰ってきた。私は貴方といるから『春雨』でいられる。でも貴方は私と居てもナンシューのままだった…時折、ううん、頻繁にモゲロとかいう変なのも混ざってるけど…。でも、今私の目の前にいるのは―――。

 

 「やっぱり貴方は…南洲(よしくに)さんは変わってない。それとも、()()()()()()()()。やっぱり、貴方と一緒ならどんな海でもいい、北でも南でも構わない、よ。私たちは一つです、はい…」

 

 -くぅ~

 慌ててお腹を押さえます。色々働きすぎてお腹が空いちゃいました。不覚です。

 「…聞こえました、よね?」

 「もうそんな時間か、なかなか正確な腹時計だな」

 「もぉ~っ!!」

 

 南洲はにっこり笑うと、ドラム缶の方へ進み背負おうとしますが、無理だったようです。あの…いくら鍛えてるといっても、海水とお魚でいっぱいのドラム缶は人間には無理ですよ。南洲に代わって私が背負います。私がひょいっとドラム缶を背負うのを見て、南洲は苦笑いを浮かべながら大湊の司令部棟へと歩きはじめます。

 

 

 港と司令部棟を繋ぐ道は、雪と氷で滑りやすく、背中に荷物を背負った私は及び腰でよちよち歩きます。小さく滑って声を上げる私に南洲は手を差しだします。司令部につくまでの間、真っ赤な顔をしながら私はその手を離さず、むしろぎゅっと握っていました。

 

 

 

 

 警備府に着き、皆の喧騒がする中庭へと向かってゆきます。

 

 

 「遅かったね、春雨ちゃん。心配しましたよ。…でも大丈夫みたいですね」

 羽黒ちゃんが本当に心配そうに駆け寄ってきて、私と南洲を見て「ああ…」という表情で納得し、「野暮なことをしちゃいましたね、ごめんなさい」と言いながら去ってゆきました。

 

 ごめんなさい、って…? いったい羽黒ちゃんは何を言ってるのでしょう? 南洲と私は思わず顔を見合わせてしまいました。

 

 「ああーもう、またイチャイチャしてるー。もう、隊長さんと春雨さんは、やっぱり仲良しですね。次は鹿島の番ですよ、えいっ♪」

 

 言いながら南洲の空いている方の腕にしがみ付く鹿島さんを見てやっと気が付きました。さっきから私と南洲は手をつないだままでしたっ!! さすがに慌てて手を離しますが、もう時すでに遅し…です。今度は大湊の艦娘さん達が騒ぎ出します。

 

 「あー、そういうことだったんだ」

 「なるほど、くちくかんはアリなんですね」

 「ぴゃーっ! 矢矧お姉ちゃん、ぴんちだっ!」

 

 すでに陽は暮れ、南洲が作った数基の竈には火が入ってます。煌々と灯り風に踊る炎を南洲はじっと見つめています。表情を失い、炎の照り返しで赤く染まった顔に私は不安を覚えて思わず呼びかけます。

 

 「…南洲(よしくに)、さん?」

 「………ああ、どうした春雨(ハル)?」

 

それは先ほどまでの温かい笑顔ではなく、どこか狂気を隠した笑顔が私を振り返ります。…南洲(ナンシュー)、ですね。

 

 

 私の中に、僅かに消え残る熾火がある。それはささやかでも心許せた時間。それがあるから、貴方を信じていられる。どこにいても、何をしても、どの貴方でも、私には南洲です。


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