不知火の背後にいる艦娘達も一気に騒然とし始める。艦娘が人間に危害を加えることは重罪であり、解体処分が待っている。それでも不知火の気持ちは皆痛いほど分かる、
『ようこそ、大湊警備府へ。これからは私の後をついてくると良い。目指すべき場所へと誘おう』
「目指すべき場所へと誘う、貴様はそう言った。それが深海棲艦の贄となるために北辺の海へ私たちを送り込むことなのかっ!!」
それは怒号であり悲鳴。低くくぐもった不知火の声に、耐え切れず祥鳳と龍鳳が嗚咽を漏らし始める。
「なんやなんや隊長―、深刻そうやけどどないしたん?」
龍驤が会話に割り込んでくる。彼女なりに場の雰囲気を和らげようとしての配慮である。その背後からは続々と部隊の面々が合流してくる。空母水鬼は翔鶴の人格が表に出ているようで、普通に丈の短い朱袴と白い弓道着という、どこから見ても『翔鶴』で、南洲は内心ほっとしていた。
「不知火さん、落ち着いてください、ねっ?」
状況は一目で分かる、と鹿島がさりげなく仁科大佐と不知火の間に割って入る。かつての自分の経験を踏まえ、今の不知火に話が通じるのは自分しかいない-その思いが彼女を駆り立てる。
「…邪魔をするなら、貴女も沈めますよ」
連装砲の砲口が鹿島に向けられるが、不知火の口調はやや語尾が震えている。鹿島はにっこりとほほ笑みながらそのまま前に出て、まるで連装砲を自分の胸に抱くように押し付ける。
「そんなことをされたら、南洲さんに会えなくなるので困っちゃいます。ここにいる私たち全員は、今に至るまで色んな事があったんです。それでも、こうやって心を預けられる人に出会って一緒にいられるようになりました。貴女にもきっと、そんな日が来ます。今それを信じるのは難しいかもしれません。けれど、だからと言って、変態さんのために貴女が魂を穢す必要はありませんよ」
一瞬何か言い返すように口を開きかけた不知火は、そのまま唇を噛むように俯き、それに倣う様に連装砲の砲口も地面に向けられる。そのまま鹿島は不知火を抱きしめると、あやす様に頭を撫で続ける。
「夕雲姉さんみたいですね、あの鹿島さんって練巡の方」
「…あんなに一途に信じられる司令官なんですね。ちょっと興味あるかも」
そんな鹿島と不知火の様子を見ながら言葉を交わす夕雲と早霜の姉妹だが、夕雲の方は鹿島の姿を通して南洲にも興味を抱いたようである。
「槇原南洲、貴方と違って私は忙しいんです。そろそろ迎えの者も痺れを切らしているようなので。さ、行きますよ」
「西方20kmに敵機確認、あと3分で接敵っ! 艦載機のみんな、急いで仕事や!」
「朝比奈の早期警戒所からは何も…? と、とにかく、直掩隊発艦始めっ!」
仁科大佐が口を開き誰かに呼びかけたのと、龍驤と翔鶴が声を上げたのと、そして南洲の右斜め前から、猛烈な勢いで影が迫ったのは同時だった。二歩で距離を詰め、最後に踏み込んだ左脚を軸にして繰り出される強烈な右内回し蹴り。
堪らず南洲が大きくのけぞりながらそれを躱すが、その際に仁科大佐から手を離してしまった。攻撃者は南洲を追撃する代わりに、地面に投げ出され転がった仁科大佐を抱きかかえると港に向け走り出す。援護するように現れた深海棲艦の艦載機群、それは牛の首岬西方まで進出してきた技本所属の深海棲艦艦隊が突入させたものだ。空母三、防空駆逐艦一から成る艦隊は、艦娘の姿で津軽海峡から平館海峡を経て、現在地点でフォールダウンを済ませると、海岸線に沿って海面スレスレに艦載機を飛ばし電探の警戒網を潜り抜けてきた。大湊警備府からは下北半島西部の山々が影となり電探での索敵を妨げ、至近距離での突入を許してしまった。
突入してきた深海棲艦艦載機の攻撃隊は、こちらの迎撃機の展開が遅れたと見るや部隊を二手に分けてきた。約四〇機の急降下爆撃機は警備府の各施設に殺到し、投弾後直掩を兼ねる戦闘爆撃機隊約四〇機は、港と司令部棟の中間あたりにいる南洲達の一群に襲い掛かってきた。
「撃ち方、始めて下さーい!」
「主砲、よく狙って、てぇーっ!」
すぐさま秋月を中心とした防空体制が取られ、羽黒と山城が三式弾で対空弾幕を張り続ける。散弾銃のように焼夷弾子をバラまく三式弾だが、実はその命中率はあまり高いとはいえない。それでも少なくない機が焼夷弾子を叩き付けられ爆散したが、大半は方向を変え逃れることに成功した。あくまでも一時的に。
「お任せくださいっ! この力、今こそ振るう時ですっ」
三式弾での対空砲撃で落とせればそれでよし、だが真の目的は、敵機に回避行動を強いて秋月の射撃圏内に追い込むことにあった。秋月は言葉の通り、13号対空電探改と高射装置を組み合わせた長10cm砲による正確無比な砲撃で次々と撃墜数を増やしてゆく。そこに体勢の整った翔鶴の烈風隊が突撃を始め、散々に敵の戦闘爆撃機を追い散らしてゆく。一方、司令部施設を襲った急降下爆撃隊は、龍驤の紫電改隊と、彼女の指揮の元防空戦に参加した大湊の軽空母戦隊の加勢もあり、地上施設に大きな損害を与えたものの全機撃墜され壊滅した。
「すごい…あんなにいた敵機があっという間に…」
「練度が上がって改二になれば…。な、なによあれくらいっ! 私だってっ」
ぼんやりと空を見上げる霰に対し、負けん気の強い霞は左手に装備した連装砲で対空射撃に参加しようとする。統制の取れた南洲隊に手を焼き撤退し始めた残存の戦闘爆撃隊は、鬱憤を晴らすかのように霰と霞に狙いを定め機銃掃射を行いながら突入してきた。
「うあ…あ…あ………や、やめてよ、止めてったらっ!!」
この警備府で建造され戦闘経験の少ない霞は、剥き出しの悪意を叩き付けるような急降下爆撃を受けるのは初めてである。恐怖に身が竦みながらも、それでも霰を庇うような姿勢を取り、きゅっと目をつぶる。
轟音と爆風にさらされる。だが生きている。思わず顔を上げると厳しい声で叱責を受けた。
「そこの子たち、ちょろちょろしないっ!! 早く避難しなさいっ」
ビスマルクの38cm連装砲四基の斉射で放たれた零式通常弾。榴弾の爆散効果で霞たちに突入中の編隊二つを文字通り吹き飛ばした。呆然としていた霞は荷物のように小脇に抱えられ、腰を抜かしていた霰は背負われ、一気に防風林まで運ばれると、どさっと地面に降ろされる。
「痛っ! って、何よもうっ! 私はまだやれるわっ!!」
お尻を押さえながらの涙目で、目の前に立つ影に食って掛かろうとした霞は言葉を思わず呑み込む。右手に提げた日本刀、赤く光る右眼。
「死にたくなけりゃここで大人しくしてろ、分かったな」
低く、淡々とした物言い。怒鳴られた訳でもないのに、霞はこくんと頷き、素直にはい、というしかできなかった。
「いい子だ」
左手が頭に載せられ軽くくしゃくしゃとされる。思わず猫のように細めた目を開けた時には、黒い影は風を巻いて防風林を後にして疾走していた。
◇
「いたたた…。やっぱり鹿島はこういうの向いてないですね、えへへ…」
南洲が急いで港に向かう最中、春雨も追いついてきた。二人がさらに走る速度を上げ港に迫ると、力なく笑う鹿島が街路樹に凭れるように体を支えていた。仁科大佐を抱えて逃走した艦娘-神通ごと取り押さえるためいち早く追走を始めた鹿島は、慣れない近接戦闘を神通との間で余儀なくされ、ほぼ一方的に打ち据えられ動けなくなっていた。痛みを堪え無理に微笑みかける鹿島を南洲はそっと支える。
もう喋るな、と鹿島の耳元で囁くと、力の抜けた鹿島を春雨に預け、再び仁科大佐と神通を追おうとする。
「南洲っ!」
不安そうな眼差しで春雨が訴えるが、南洲は首を横に振り走り出す。
「鹿島を頼む。連れて帰って入渠させてやってくれ…設備が生きていれば、だが」
「仁科大佐及び軽巡洋艦娘神通、ただちに武装解除の上投降せよ。さもなくば実力をもって捕縛するっ」
ROEに従い警告するが、最早ただの名目だ。両足の親指の付け根に力を込め、南洲は抜刀し一気に跳躍する。瞬時に間合いを詰める
南洲の刀は、歯をむき出しにした艤装に文字通り白刃取りされた。目の前にいるのは、前髪を左右に分けた漆黒の長い黒髪で、川内型の制服に良く似た真っ黒な衣装をまとった深海棲艦。顔の上半分が両サイドを鋲で止めたフェースガードで覆われ、額から2本の太い角が生えている。魚雷発射管と融合したような生物状の艤装を構え、両腕の上にはいくつもの単装砲塔を乗せている。
「コナクテイイノニ…ナンデ クルノヨォォォ!?」
そう絶叫し
「痛ぇなこの野郎…肋骨左三本やっちまったか」
放り投げられかなりの距離が開いたはずだが、数歩の踏込で一瞬にして距離を潰し
「アア…私ハ…私ハ…
どさり、と地面に落とされた南洲の頭上を掠めるように、金属のすれ合う音がして
自分を抱き起す春雨の涙声を聞きながら南洲は、痛みで朦朧としながら
-アイツ…俺を知ってるのか? 俺の知っている神通は…ウェダで……。仁科、お前は、いや技本は一体何を企んでいる…?