逃げ水の鎮守府-艦隊りこれくしょん-   作:坂下郁

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 扉越しの会話を経て、少しずつ心の距離を縮めてゆく山城と南洲。そこに仁科大佐が現れることで事態は一変する。遅れて駆けつけたビスマルクと扉越しの山城の懇願を余所に、南洲と仁科大佐は私闘に臨む。


59. 遠まわしな告白

 南洲はゆらり、と立ち上がり、分厚い扉を叩き斬ろうと刀の柄に右手を掛ける。

 

 -説得なんて柄じゃねーんだよ、そもそも。だがまあ、取りあえず引きずり出してツラ拝んでから考えるか。

 

 かちりと鯉口を切った時、部屋の中からぐすぐすという泣き声と、先ほどよりは多少はっきりした言葉が返ってきた。南洲は刀を鞘に押し戻し、山城の声に耳を傾ける。

 

 「………艦隊本部から来た少佐…補佐官か副官って所かしら。どうせ長い物には巻かれろ、ってことで、『上』に言われてアリバイ作りで私に話しかけて、適当にお茶を濁すだけでしょ。…ふふふ、あんなの相手じゃそれしかできないか。…………はあ、不幸だわ」

 

 分厚い扉越しの会話、それもお互い淡々としゃべっているため、正しく伝わってない部分があるようだ。あるいは話を聞いていないのか。いずれにせよ山城は、南洲の事を大湊に着任した少佐だと誤認している。

 

 「やっと少し喋ったと思ったらそれか…こりゃあトキも手を焼いただろうな。まあなんだ、これだけは言っておく。お前がどう思おうと構わんが、俺は正すべきは正す。相手が誰であってもだ」

 

 

 扉を隔て沈黙が二人の間に流れる。

 

 「トキ…芦木中将(お父様)のこと、知ってるの?」

 「………お父様、か。お前がそう慕うトキは、俺の士官学校時代の教官だった。昔の話だがな」

 南洲は士官学校時代の思い出話を山城に聞かせ続ける。彼女の信用を得ようとか、そういう下心ではない。青年期特有の照れもあり言葉にしたことはなかったが、南洲もまた何くれとなく親身になってくれたトキを父親のように感じていた。結局どこに行ってもアンタは父親役かよ-その思い出と感傷、同じ温もりを感じていただろう山城への同情が、珍しく南洲を饒舌にさせていた。

 

 流れる沈黙が柔らかくなった。室内からずるずると何かを引きずるような音が聞こえ、山城の声が先ほどよりクリアになる。どん、と重い音がする。おそらく扉に凭れてるのだろうか。扉を隔てて背中合わせにもたれ合う南洲と山城。少しずつ、二人の会話が長く続くようになってゆく。

 

 

 「お父様は、いつも私に優しかった。欠陥戦艦なんて、一度も言われた事がなかったし…」

 「まあそうだろうな。トキは生徒の長所を伸ばすのが上手い教官だった。俺も部下を持って初めてトキの凄さを思い知らされた」

 「…そうなんだ。どこがあなたの長所だって、お父様は言ってたの?」

 「…………優しいんだとよ。けどその表現の仕方がヘタクソとも言われてたな」

 「ホントに優しいの?」

 「さあな、そんなの自分で分かるかよ。じゃあお前の長所はなんだって、トキは言ってたんだ?」

 「…負けず嫌い、諦めない、最後までやり遂げる…だって」

 

 「そんな長所がいっぱいあるやつが、こんな所で油売ってていいのかよ?」

 「…………私、お父様を助けられなかったし………それに…」

 「お前のせいじゃない。むしろお前に最後まで看取られて、トキは安心してたんじゃねーかな。まあ、他人の考えてた事なんざ分からんがな」

 「…………どんどん、私の腕の中で冷たくなっていったの…」

 「その分、最後までトキはお前の胸の温もりに包まれてたんだ、男としてそう悪い死に様じゃないさ」

 「あんなに…あんなに血を流して…」

 「吐血でもしたのか? トキは病死って聞いてるが、一体どういうことだ?」

 

 せっかく柔らかくなった空気が一気に冷え込み、山城は再び暗い声で言葉を継ぐ。

 

 「は………? ふふ、ふふふ……そっか、そうなんだ、()()()()()()()()()()()()()。やっぱり無理よ、絶対無理。悪い事は言わないわ、とにかく理由を見つけてこの警備府から離れて。大丈夫、あなたが来たことは黙ってるから…お父様の教え子を、死なせたくないし」

 

 南洲は軽く反動を付け背中を起こし立ち上がる。そしてドアに貼りつくようにして声を掛け続ける。

 

 「山城、知っていることがあるなら全て話してくれ。きっと力になれるはずだ。さっきも言っただろう、俺は正すべきものは正す、そのためにはお前の力がいる」

 「ねえ、さっきから気になってたんだけど、そこに誰か艦娘がいるの? どうしてかな、懐かしい気配、まるでお姉様がいるような…。ふふ、もう私も限界なのかな、もしかしてお姉様が迎えに来てくれてるとか?」

 

 南洲は思わず左腰に吊っている刀に視線を落とす。木曾刀に宿る魂として自分を守る扶桑、それはここにいる山城の姉でもある。

 

 

 「思いのほか会話が成立しているようですね。やはり()()の妹の事ですから、貴方にとっても他人事ではないのでしょう」

 

 

 ゆっくりと南洲が声の方を向く。いちいち癇に障る、どこまで俺の事を調べてやがる? 向きながら右手は刀の柄にかかり、左手は鯉口を押さえ、体捌きも終えている。一見無表情に近い八方眼の相貌、要するに南洲は本気で戦闘態勢を取っている。

 

 ぱちぱちぱちぱち。

 

 声の主はもちろん仁科大佐。感極まったような面持ちで拍手をしながら南洲に近づいてくる。

 「素晴らしい、流れるようなその動き、実に美しい。剣の達人、という噂は誇張ではないようですな。一方的に懲罰するつもりでしたが、良い物を見せていただいたお礼です、貴方にチャンスを差し上げましょう。乗るも乗らないも貴方次第」

 

 南洲は怪訝な表情で警戒感を維持しつつ仁科大佐の話を聞いている。何言ってやがる?

 

 「さて、槇原南洲特務少佐、私と勝負しなさい。これは()()です。所詮は剣の腕が立つだけの無頼漢、ドイツの姫君の心身を穢した罪を贖ってもらいます」

 仁科大佐はそう言いながら白い手袋を脱ぎ、南洲に向かい投げつけてくる。ぱすっと軽い音と共に手袋が南洲の体に触れ、床に落ちてゆく。ドイツの…? ああ、ビスマルクのことか。言う事為す事いちいち気持ち悪いんだよ、コイツ。

 

 「条件はお互い武器を持たずに戦う。…それともその刀無しでは怖いですか? 私が勝てば姫君は私の所有物とします。貴方が勝てばそこの元秘書艦を連れて行きなさい」

 

 後手に手を組み、南洲をじっと見つめる仁科大佐。その視線を正面から受けとめる南洲は、にやっと笑うと首をコキコキと鳴らす。

 「俺、と…? 自分が何言ってるのか分かってんのかね? 何のつもりか知らんがいい加減ムカついてたんだ、その話、乗ってやるよ」

 

 我が意を得たり、と言わんばかりに目を見開き、空を抱きしめるように両腕を高く上げる仁科大佐は宣する。それはぜえぜえと肩を大きく揺らし荒い息のビスマルクが駆けつけてきた時と同時だった。

 

 「よろしい。古来より騎士は高貴なる存在のために戦うことを至上の名誉としてきました。それは現代でも変わらぬはず。さあ槇原少佐、共に奏でようではありませんか、闘いのファンファーレをっ!! …よろしいですね、姫」

 「…いたのか、ビスマルク。ファンファーレ、ねえ…遠慮しとくよ。お前さんの悲鳴をBGMにするだけで十分だ」

 

 自分を巡り激突しようとする男二人を、何とか止めようとするビスマルク。正確には二人を止めたいのではなく、南洲が巻き込まれるのを避けたいだけだが、やる気満々の二人を見ると手遅れのようだ。すでに自分が勝った後の事でも想像しているのか、陶酔した表情を浮かべる仁科大佐と、素手で殴られたいらしいからな、と言いながら刀を自分に預けようと近づいてくる南洲。

 

 「ダメよ南洲っ!! そいつ、普通じゃないわっ!!」

 「ああ、知ってる。どう見ても変態だ」

 

 それはそうなんだけどそういうことじゃなくてっ-ビスマルクが声を上げようとした瞬間、仁科大佐の到着以来沈黙を守っていた山城が必死な叫びを上げる。同時に部屋のドアに何かがぶつかるような大きな音がする。

 

 「ダメよっ!! ソイツに関わっちゃダメッ!! …逃げて、早く逃げてっ!! お願いだから…」

 後は言葉にならず、山城のすすり泣く声だけが微かに扉の向こうから聞こえるだけだ。

 

 その光景を眺めていた仁科大佐が、気の毒そうな表情で南洲に語りかける。

 「これほど艦娘達に心配をかけるとは…。かつて貴方は『狗』と呼ばれていたそうですが、狗は狗でも負け犬か愛玩犬のことなんでしょうか」

 

 その場で仁科大佐に殴りかかろうとする南洲の左腕にがしっとしがみつき押しとどめるビスマルク。ふるふる頭を振り、その青い瞳には涙が浮かんでいる。しばらくの間怒りの相を露わにしていた南洲だが、やがて軽いため息を付くと、右手で頬をぽりぽり掻きながら南洲は苦笑する。

 「やれやれ…そんなに心配されるとは俺もヤキが回ったもんだな。大丈夫だビスマルク、アイツが何だろうが、お前のために俺は負けない」

 

 言いながら自分の頭をぽんぽんとする南洲の表情を見て、自分の中の不安を消そうとするビスマルク。それに、さっき自分が覚えた不安や懸念は単なる勘違いかも知れない。事実南洲のように短時間なら艦娘と伍して戦えるほどに鍛え上げている人間だっている。鍛えた人間同士なら南洲が負けるはずがない-自分を納得させるように、ビスマルクは頬を染めながら南洲に一つ頼みごとをする。

 

 「…お願い。私の言う事、繰り返してくれる?」

 「なんだよ、指切り拳万みたいなもんか? …まあいいけど」

 南洲の左手を手繰り寄せ、指を絡めて握るビスマルクが口を開き、南洲もそれに倣う。意味は分からないが、ビスマルクが納得するならそれでいいだろう。

 

 

-Du bist mein Ein und Alles.

-ドゥ ビスト マイン アイン ウント アレス

 

 

 「…相変わらず酷い発音ね。でも…ありがとう、嬉しいわ」

 小首を傾げながら微笑むビスマルク、その目に浮かんだ涙を南洲の無骨な指が拭う。

 

 「…気は済みましたか? それでは少佐、私について来てください」

 不機嫌そうな表情の仁科大佐は、くるりと背を向けるとすたすたと歩きだす。目の前を進む、自分より頭一つ半ほど背の低い、細身の男の後ろ姿を眺めながら、南洲は殺さない程度に叩きのめすにはどうすればいいか、そんなことを考えていた。


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