逃げ水の鎮守府-艦隊りこれくしょん-   作:坂下郁

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 部隊全員が翔鶴を捜索する中、南洲は山城の説得に臨む。一方一人招かれて仁科大佐の執務室にいるビスマルクは、予想を超える大佐のエキセントリックな言動に振り回される。


58. 無理、絶対無理!!

 臨検が始まり、部隊は手分けをして大湊警備府内での情報収集と捜索を開始した。施設内の捜索を受けもったのは羽黒とビスマルクである。むろん広い敷地の中を捜索するのに二人では十分ではなく、午後からは全員で施設の捜索に当ることになっている。午前担当の二人は、いわゆる“いかにも”な場所に絞り調べている…はずだったが、何故かビスマルクは司令官室で紅茶を飲んでいる。

 

 「…それよりも、どんな情報があるっていうの? 私は忙しいんだから手短にしてよね。ああ、先に言っておくけど、私の事を『姫』呼ばわりしたらその時点で席を立つから」

 

 微かな音だけを立てアンティークマイセンのティーカップを置くビスマルク。口に残るロンネフェルトの馥郁とした香りに少し郷愁を覚え、いい趣味ね、と内心感心する。無論そんな思いは表に出さす、ビスマルクは目の前の男の問いにそっけなく答え、同時に疑問を呈する。一方のその男-仁科大佐は自席に就きうんうん頷きながらビスマルクの言葉を聞いている。南洲に対した時と同じ姿勢だが、その表情は蕩けそうなくらいににやけている。

 

 「…大佐? 用が無いならこれで失礼するわ」

 ひたすら陶酔しきった表情で自分を眺め続ける仁科大佐に嫌悪感を覚え、ビスマルクは立ち去ろうとソファから腰を浮かせる。そもそも翔鶴に関して重要な情報がある、との話で司令官室に招かれたのだ。別にドイツの誇る世界的ブランドの高級紅茶を、これまた世界的に有名なドイツ製の茶器で味わうために来たわけではない。

 

 「私としたことが、美しい貴女を眺めていると時間の経つのを忘れてしまいまして…。そうそう、彷徨える航空母艦・翔鶴の話、槇原少佐にもお伝えしたのですが、そのような艦娘(フネ)は大湊にはおりません。これでよろしいですか? それでは重要な話に入ります。既に決定事項ですが、次の作戦の終了を待って私は中将に昇進します。艦娘が軍備の中核を担う今、私のような技本出身の優秀な技官は、武官文官より遥かに重要な存在として―――」

 

 話が始まるなら、と座り直したビスマルクだが、長い話に辟易して長い金髪の毛先をくるくる丸めながら聞き流していた。当の仁科大佐は天井を見上げる顔を右手で覆ったかと思うと、両手を広げやれやれといった風情で首を大きく横に振り、かと思えば執務机に肘を置きニコニコした顔の前で手を組むなど、いちいち身振り手振りが大仰だ。

 

 だが木で鼻を括ったような翔鶴に関する話にはビスマルクも唖然とし、仁科大佐の長台詞を遮って声を上げる。

 

 「はぁ? 南洲が翔鶴と会ったと言ってるのに、貴方の話を『はいそうですか』と真に受けろって言う訳? 生憎だけど、アトミラールの指示より優先するものは無いのよ。それじゃあね。取りあえず紅茶のお礼は言っておくわ」

 

 ビスマルクは今度こそ立ち上がる。貼りつけたような仁科大佐の笑顔の中で、目だけが冷ややかな色を帯びる。どこか爬虫類を想像させるその視線に、ビスマルクはこの男の本性を見たように感じ、警戒感が一気に高まった。

 

 「成程、()は私よりもあの南洲(無頼漢)の言葉に信を置くと言うのですね? 嗚呼、何と嘆かわしい。貴女ともあろう御方が…。どうしました? 貴女は立ち去ろうとしている。それならば私が貴女を姫と呼んでも呼ばなくても同じことではありませんか」

 

 立ち上がり身をよじる様にして大仰に嘆きを訴えたかと思えば、一転しこちらを威圧するように後手に手を組んだまま一歩前に出てくる。そんな仁科大佐の姿に相対するビスマルクの秀麗な顔が歪む。

 

 

 -pervertieren(キモい)

 

 

 今度は両手を広げ、微妙にくいくいと腰を入れながら自分に向かって歩みを進める仁科大佐を見て、ビスマルクの背筋いっぱいに悪寒が走る。

 

 -pervertieren(キモすぎるっ)! 無理、絶対無理っ!!

 

 

 「貴女の事は以前から知っていましたよ。査察と貴女の警護を兼ねる部隊を設立した宇佐美少将の発想はなかなかのものでしたが、情勢は変わったのです。翔鶴の捜索に躍起になっている少佐は、行き詰まって必ず私に直接手を出そうとするでしょう。そうなれば、ジ・エンド。元々煙たがられてる存在ですから、些細な事でも軍権逸脱として少佐は更迭、部隊は廃止されるでしょうな。

 

 かつての辻柾の一件では、ドイツ政府を動かして我が国に圧力を掛けましたな。見事なお手並みと感心したものです。だがもうその手は使えない。今や艦娘を運用しているのは日本とドイツだけではありません、イタリア、イギリス、フランス、そしてアメリカ。別にドイツ政府との関係が悪化しようが我が国は困りません。むしろ困るのはあの総統閣下(ちょび髭)でしょうな。その時、貴女を誰が保護するというのか? ここまで言えばお判りでしょう、私の元においでなさい。そう、私、この私の手にっ!!」

 

 左手を胸に当て、右手をまっすぐ斜めに伸ばした姿勢、自分の言葉に酔った恍惚とした表情。全てが癇に障る-ビスマルクの苛立ちは頂点に達し、爆発した。

 

 「ふざけないでよっ、誰が貴方みたいな気持ち悪い男の元なんかにっ!! 自分の生き方は自分で決めるわっ! 誰の手も借りる必要なんてない。私は自分の意志で南洲の傍にいることを選んでるのよ、部隊があってもなくてもどうでもいいことだわ」

 

 ビスマルクは右手で長い金髪を後ろに送ると、胸を張りキッと仁科大佐を睨みつける。だが仁科大佐は動じずに演説を続ける。

 

 「ふむ…怒った表情もまた素敵ですな。さっと朱が差した白い頬、その意志の強い瞳、素晴らしいっ! 嗚呼、この気持ちを何と呼べ良いのか…そう、これこそ愛! ビスマルク…私の愛する艦娘(フネ)よ。あのような無頼漢に与していた旧罪は赦します、さあ私の手を取りなさい」

 

 

Ich liebe Bismarck(愛してる、ビスマルク)

 

 

 南洲の口から聞きたい-目の前のpervertieren(キモ過ぎる変態)はどうでもいいが、ほんの一瞬だけ自身の想い人に想いを馳せたビスマルクの動きが止まる。その隙を逃さす仁科大佐はビスマルクの眼前まで迫ると手を取り、長手袋などお構いなしに舌を手に這わせようと口を大きく開ける。

 

 

 「南洲以外が私に触れることは許さないわっ! 身も心も私は南洲のものよ、いい加減、その汚い手を離しなさいっ!!」

 

 キレたビスマルクは強引に手を振りほどくと、思わず仁科大佐を突き飛ばした。ふわっと浮き上がるように後方に跳んだ仁科大佐は自分の執務机のあたりまで戻される。そんな彼は顔を伏せ、やがてぶるぶると痙攣のように体を震わせると、感情をむき出しにした。

 

 

 「ファーック! サーック! ビーッチ!! 何という事だあっ、あのような下賤な輩に心も体も許している艦娘(フネ)だとう!? これは…これは…槇原南洲、貴様は万死に値するっ!! 貴様を成敗し穢れを取り除かねば!!」

 

 憤怒の形相で机の傍らに立てかけてあった軍刀を引っ掴むと、自分を一顧だにせずドアをけ破るような勢いで駆けだしていった仁科大佐を、ビスマルクは呆然と見送ることしかできなかった。

 

 

 「いけませんね、私としたことが。少しばかり取り乱したようです。そう言えば少佐は剣だけは一流の腕前でしたな。そんな相手に刀を持ち出すのは藪蛇、ここは潔く体一つで相対するとしましょう」

 

 先ほどの勢いが嘘のように、冷静な表情で司令官室に戻ってきた仁科大佐は、ぶつぶつと独り言を言いながら自分の軍刀を元の位置に戻し、そしてまた何事もなかったようにすたすたと歩き去ってゆく。

 

 

 ばたん。

 

 誰もいなくなった司令官室で、ドアの閉まる音で我に返ったビスマルクは、自分の両手をじっと見つめている。

 

 

 -私、()()()()()突き飛ばしたわよ。

 

 

 先に無礼な所業に及んだ仁科大佐に対し、身を守るためとはいえ思わず突き飛ばした。当然、一気に吹き飛んだり床に転げたりするとばかり思っていた。艦娘の自分が人間相手に力を振るえば過剰防衛として罪に問われるほど隔絶した差がある。だが仁科大佐(あの男)は、平然と自分の力を受け止め、余裕を持って自分から後ろに跳んで受け流した。

 

 「南洲……!」

 

 ビスマルクはとにかく南洲に合流しようと司令官室を後にして走り出した。

 

 

 

 一方、自身不在の間に完全なる敵認定された南洲はというと―――。

 

 司令官室を後にして部隊に指示を出し、その足で山城の部屋へと向かった。部隊が龍驤を中心に艦娘達への事情聴取を行い、ビスマルクが司令官室で仁科大佐のエキセントリックな言動に翻弄されていた間、南洲は山城の部屋のドアに凭れて廊下に腰を下ろし脚を投げ出している。

 

 大湊警備府では艦娘用の寮はすべて個室で一階に配置され、山城の居室はその中でも一番端、出撃用ドックまですぐの距離にある。ぐるりと建物の外周もチェックした南洲だが、規則的な配置で窓が続く中、唐突に窓のない一角が端にあった。建物の内部に戻り廊下を進む南洲の左手には同じように規則正しく等間隔でドアが並び、その突き当り、外から見た時の窓のない一角にある山城の部屋、彼女はそこに引き籠っている。

 

 

 

 「おい、聞いてんのか?」

 「…………うるさいわね、聞こえてるわよ」

 

 くぐもった弱々しい声がドアの向こうから微かに聞こえてくる。ドア越しの会話、といえば聞こえはいいが、南洲はぽつぽつと言いたい事を言い、気が向いた時だけ山城が返事をする、というやりとりが朝から途切れ途切れに続いているだけだ。

 

 「ふふふ、うふふ、ふふふふふ……。無理よ、絶対無理。だから放っておいてよ」

 「お前のためじゃない。二人ほどお前のことを心配してるのを知ってるからな。そいつらのためだ」

 

 芦木中将(トキ)、扶桑、多少荒っぽくなるが許せよ-南洲は強硬手段も止む無しか、と木曾刀に手を掛ける。


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