逃げ水の鎮守府-艦隊りこれくしょん-   作:坂下郁

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 経緯はどうあれ南洲は実際に翔鶴と出会った。余裕の姿勢をを崩さない仁科大佐との間に緊張が高まる中、臨検を実施したにも関わらず、大湊での翔鶴の足取りは掴めない。


57. 不存在証明

 とにかく岩風呂(こんな所)で翔鶴に会うなど全く想像もしていなかった。だが、この機会は逃すべきではない。さりとて素っ裸で同じように素っ裸の艦娘に無思慮に近づけば、それこそ自分が逮捕起訴されかねない。岩風呂の中央の岩場から覗く翔鶴の肩に向かい、南洲は慎重に声を掛ける。

 

 「翔鶴、落ち着いて聞いてくれ。俺は艦隊本部から派遣された特務少佐の槇原南洲だ、決して怪しいものではない。この時間は誰も使っていないと聞いたから入浴していたのだが…。そ、それはともかく、君は二週間前に大本営を抜錨したんだろ? 遭難したと聞いていたが、無事に着任していたのか? まさかこんな所でこんな形で会うとは全くの想定外だが、事情を確認したい。ここを出て着替えて俺と話す時間をくれないか?」

 

 南洲は辛抱づよく返事を待つが、呼びかけに答えは無い。もう一度呼びかけて返事が無ければ、仕方ない、いったん先に風呂を出て入口で待つようにしよう。南洲はそう考え、改めて声を掛ける。

 

 「翔か-「二週間…ですか?」」

 

 南洲の言葉を遮る様に、翔鶴の戸惑いがちの声が聞こえてきた。南洲は内心ほっとしながら、言葉の続きを待つ。湯けむりの向こうから、途切れ途切れに困惑したような震える声が聞こえてくる。

 

 「私が…大本営を出発してから…二週間も経ってるなんて………本当なんですか?」

 「ああ、本当だ。今まで一体どこで何をしていたんだ?」

 「分かりません。そんな…。私は…この警備府への転属を命じられ、抜錨しました。牡鹿半島沖までは順調な航海で…。その後の記憶は………ぼんやりして………ますが、でも、でも、無事に到着して司令官に挨拶もしました。二週間だなんて、そんなことが…」

 

 今度は南洲が困惑する番だった。すでに到着済み? それなら大湊から大本営に一報あってしかるべきで、こんな話になるはずがない。記憶の欠落? 大湊に到着して以来、仁科大佐から翔鶴の話は一切出なかったが? 南洲の脳内が疑問符で埋め尽くされる。

 

 -あの野郎、いったいどういうつもりだ?

 

 南洲が改めて仁科大佐への不信感と不快感を高める中、翔鶴が言葉を継ぐ。ぱしゃりぱしゃりと水音が響く。

 

 「着任後は…艤装の調整や私の生体機能のメンテナンスということで、色々実験…? 検査…? をずっと受けて…いました。外に出たのは夜間訓練を実施した今日が初めてで…。全身ずぶ濡れになってしまい、とにかく体が冷え切って凍えそうだったので、お風呂をと思って…」

 

 南洲は唐突に立ち上がると歩き始める。

 「…分かった、君はゆっくり温まってから出るといい。俺は先に出て外で待っている。話はそれからゆっくり聞かせてくれ」

 「えっ? えっ?」

 ざばざばお湯を切り近づいてくる音にきょろきょろし始めた翔鶴を意に介さず、露天風呂の中央に設えられた岩場を右側から回り込むように脱衣所へと南洲は向かう。翔鶴は慌てて体の前面を隠したまま岩場に沿う様にして左側へと向かう。

 

 どちらにも悪意はない、ただついてなかっただけだ。

 

 湯けむりで視界が悪い中、足元に視線を落としつつ左手で岩場を確かめながら右回りに進む南洲と、岩場に沿って慌てて左回りに動いた翔鶴。岩場を挟んで向かい合わせでそれぞれ逆方向に動いた結果、岩場の端で、二人は唐突に出くわすことになった。

 

 ぽよん。

 

 「む?」

 

 ふにふに。

 

 「き…………きゃぁあああああーーーーっ!!」

 

 最近このパターンばっかりだよな…翔鶴の放った弧を描く左のオーバーハンドブロー(ドラゴンフィッシュ・ブロー)をまともに受けた南洲は、下に意識を集中させ首を刈り取る、か…と薄れゆく意識の中で意味のないことを考えていた。

 

 

 

 「…目は覚めましたか? と、とにかく、申し訳ありませんでしたっ! …………男性にあんなことをされたのは、生まれて初めてで、びっくりしてしまいまして…。その…不幸な事故なので、できれば忘れてほしいと言いますか…。あの、無理はせずにゆっくり休んでから起き上がってください。あの、これ、すっきりしますから」

 

 脱衣所でノビていた南洲が目を覚ますと、ベンチに座る翔鶴が目に入った。アップにした銀髪、浴衣に褞袍を羽織った姿は温泉旅行に来ている観光客に見える。そんな彼女はぱたぱたと団扇で南洲を仰ぎながら、湯上りだけではない何かも含め上気した顔で見つめている。差し出された牛乳瓶がひんやりと心地いい。慌てて南洲が起き上がると、翔鶴はベンチから立ち上がり、風のように脱衣所を出て行った。

 

 「おいっ、待ってくれっ!!」

 

 返事はなく一人取り残された南洲は翔鶴を追う様に脱衣所を飛び出し、廊下を左右に見渡すが誰の姿もなかった。

 

 つまり、俺は翔鶴に()()され、彼女は一人で俺を露天風呂から運び出して、俺の意識が戻るのを待って立ち去った-頭をガリガリ掻きながら気まり悪そうな表情を浮かべる南洲だが、目がすうっと細まる。

 

 -着任している翔鶴を隔離隠蔽しているというのは、一体どうなっている?

 

 

 

 -0800(マルハチマルマル)・大湊警備府司令官室。

 

 「…なるほど。確かにそれは貴方の軍権に属することですね。ご自由にどうぞ」

 机を挟み対峙する仁科大佐と南洲。机の上に両肘を突き、組んだ両手で口元を隠すように、やや下側からじろりと南洲を見上げる仁科大佐は、事もなげに南洲の要請を受けいれる。

 

 翔鶴型航空母艦一番艦翔鶴の不当な監禁の疑い。

 

 昨夜露天風呂で邂逅した翔鶴。さすがに詳細は伏せるが、それを元に南洲は大湊警備府の臨検を宣した。だが、仁科大佐は慌てる様子もなく嘯いている。

 

 「…へえ、ずいぶん余裕じゃねーか。ならお言葉通りに翔鶴は探させてもらう」

 

 どかっ。

 

 机の上に腰掛け、体をひねりながら皮肉っぽい笑みを浮かべながら仁科大佐を見下し、ダメ押しと言う様に言葉を重ねる南洲だが、依然として仁科大佐は姿勢も表情も変えずに答える。

 

 「…槇原少佐、先に言っておきます。この警備府に()()()いません。いない者の報告を上げることは私にはできませんし、いない者を見つけることは貴方にはできません。それでもよければどうぞ。…それよりも、元秘書艦のカウンセリングはいいのですか? 貴方がここに来たそもそもの目的でしょう?」

 

 「………………もちろん山城とは会うさ、わざわざ大佐様に許可して頂いたしな。翔鶴の捜索は俺の部隊に任せる。言葉を借りるなら、俺の軍権でありその正当な行使だ。邪魔したきゃしてもいいぞ、そうなればお前さんごと逮捕できるからな」

 

 十分に間を空けて答えることで、木で鼻をくくったような仁科大佐の返答にキレそうになった感情を堪えた南洲は、ことさら皮肉めいた言葉を残し、司令官室を後にする。

 

 

 

 「そっちはどうやった? いやー、ウチも慣れとるけど大湊の寒さは骨身にしみるで」

 

 部隊の集合場所に設定した中庭で、龍驤と秋月は他の皆を待っていた。空母系艦娘への聴取は龍驤と秋月が、それ以外の艦娘への聴取は春雨と鹿島が、設備の捜索は羽黒とビスマルクがそれぞれ担当し、中間報告としてこれまでの情報を共有するため集合時間を決めていた。

 

 そこに同じように分厚く無骨なデッキコートを着ている鹿島と春雨が現れる。成果を問いかけた龍驤は、二人の表情を見て収穫ゼロだったことを即座に理解した。アリューシャン方面での作戦経験のある龍驤だが、大げさにデッキコートの上から手をせわしなく上下させ摩擦熱で体を温めようとしている。鹿島は何となく龍驤を同情する様な目で見つめ、悪気のないクリティカルな攻撃を綺麗な形の唇から放つ。

 

 「鹿島もこれだけ厚着してても寒いんです。龍驤さんみたいに皮下脂肪が少ない(スリムな体型だ)と、寒さが直接骨に伝わっちゃうんでしょうか」

 女性らしい丸みを帯びた体型を形作る上で不可欠な適度な皮下脂肪、そして女性らしさの象徴でもある丸い胸の膨らみも中身は脂肪。それが冬の冷気から内臓を保護する役割を担う。分厚く無骨なデッキコートを着ている鹿島だがそのたぷんとした大きさは隠し切れていない。龍驤は回想する-。

 

 

 

 証言1

 「うーん、翔鶴さんですか? いいえ、見たことがありません。そもそも艦娘が勝手に配属されたりしませんよね?」

 もっともやな、祥鳳。せやけど今は冬やで、何で肩脱ぎなん? …同じ軽空母やっちゅーのに谷間強調系やな。ちゅーぶとっぷかぁ、ウチには無理やな…。

 

 証言2

 「翔鶴さんは卵焼き、甘めと出汁(だし)巻どっちが好きかなあ? あ、それより私の卵焼き、食べりゅ?」

 その卵焼きへの飽くなき執念、どこから来るんや? まあなんや、瑞鳳には親近感がわくっちゅーか…。せやけど翔鶴の好みを知らんゆー事は、まだ会ってないっちゅー事やろな。

 

 証言3

 「…マリアナ沖ですね、最後に翔鶴さんをお見かけしたのは。それ以来、お会いしてません…」

 昔の記憶、か…。龍鳳、アンタが気に病むことは何もあらへん、元気だしーや。むしろ落ち込みたいのはコッチや、あれか、元潜水母艦やとそんな立派なモチもんになるんか…。

 

 途中から事情聴取の主旨が変わっていたかもしれない、そう思いながら秋月は龍驤を生暖かく見守るしかできなかった。

 

 

 

 「あ、あはははー…。せやけど夏は谷間にあせもできたりするんやろ…」

 せめて季節を先取りしたデメリットを探そうとした龍驤だが、同時に水着姿の鹿島の姿を思い浮かべてしまった。同族ともいえる軽空母達に、そして今また仲間により齎された更なる敗北感に、龍驤の瞳のハイライトがオフになる。

 

 

 そうこうしているうちに、両手に六つの甘酒の缶を抱えた羽黒も現れた。部隊全員で手分けをして所属全艦娘に対するヒアリングと施設内の立ち入り調査を行ったが、ここまでの結果、翔鶴に関して知っている艦娘は誰一人いない、という事が判明した。

 

 

「…残念ですね。とにかくみなさん、甘酒でも飲んで温まりましょう。…あとはビスマルクさんの情報次第ですが…まだ戻ってないのでしょうか?」


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