逃げ水の鎮守府-艦隊りこれくしょん-   作:坂下郁

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 リムジンの中、仁科大佐の饒舌が南洲を苛立たせる。厳重に秘匿されているはずの経歴を、なぜ知っているのか、と。さらにあり得ない場所での翔鶴との邂逅。


56. 日なたの氷

 僅かなエンジン音だけが車内に響き、雪による凸凹を柔らかく越える以外は震動らしい震動もない超高級車ベースのストレッチリムジン。

 

ごく当たり前のように慣れた様子で足を組むビスマルク、緊張気味の羽黒と秋月、龍驤は半分ウツラウツラとし、南洲は車窓から暗い外を眺め、春雨はその彼の左腕にしがみ付くようにして満足そうな表情を浮かべている。冷えたシャンパンとオードブルが乗せられたテーブルが設えられた車中だが、さすがに誰も口を付けようとはしない。思い思いに過ごす南洲たち一行に苦笑を浮かべつつ、少し離れた位置に座り長い脚を組む仁科大佐が口を開く。

 

 「元秘書艦のカウンセリングの真似事を依頼するのは私としては不本意なのですが、前任者の最期の願いということもあり無碍にするのも忍びなく、今回のような仕儀に至りまして…。ところで、せっかくのクリュグなので私は頂くとしましょうか。それでは、謎の特務少佐の歓迎に、そしてドイツの姫君との出会いに乾杯」

 仁科大佐は自分でシャンパンクーラーからボトルを取り上げグラスに注ぎ、一人満足そうにグラスを軽く持ち上げ口を付ける。

 

 謎の特務少佐? 龍驤と春雨を除く艦娘達が顔を見合わせる。龍驤はすっかり寝落ちしてしまい、春雨は『何を言ってるんだか』という表情で目もくれない。その気配を察したかのように、仁科大佐が話を続ける。

 

 「おもてなしの基本にして真髄は相手を深く知ることです。そのために()()調べさせてもらいましたよ。外地生まれ、米軍に範を取ったNROTC(予備役士官訓練課程)を修了した予備士官(ミジップマン)として軍歴を開始。以後セレター軍港で補佐官を経た後に参謀本部に栄転、作戦運用を担当。今はビスマルク姫の護衛を兼ねた査察部隊の部隊長に就任した特務少佐…という触れ込みのようですね。そうそう、そう言えば、インドネシアでのKIA(戦時死亡者)にも同名の司令官、千葉生まれで先任司令が教官時代の教え子、がいましたね。何が事実で何が嘘なのか、いやあ非常に興味深い。詳しく調べようにも外地、閉鎖済みの基地、大本営中枢、そして技本の情報は容易に取れませんからね、色々上手くできていると評価させてもらいますよ」

 

 「手前(てめえ)…そのよく回る舌ぁ縮めた方がいいんじゃねーか。手伝ってやってもいいぜ」

 艦娘達の注目が集まる中、南洲の表情がみるみる険しくなり、刀に手がかかる。本当に抜く気はないが、これ以上喋らせ続けるのは本意ではない。

 

 査察官としての南洲は、顔と名前と所属階級程度の情報は調べれば知ることができる。そうなると南洲の身元を洗い弱みを握って事を優位に運ぼうとする輩は必ず出てくるが、多少調べた程度では()()()()経歴に辿りつくよう情報は操作されている。仁科大佐のように徹底的に調べた者であっても、今度は経歴と氏名の不一致に眉を顰めることになる。氏名が正しいならインドネシアのハルマヘラ島で戦死したという男が浮かび上がるからだ。

 

 ウェダで起きた真相は徹底的に隠蔽されているが、基地の潰滅自体はそれなりに知られている。無論軍以外で南洲を元々知る者もいるが、戦死公報まで出ている以上その戦死を疑っていない。流石に公報の偽装を念頭に置く者もそうはいないからだ。加えて、ウェダ潰滅時に重傷を負った南洲は、元となる写真等の資料がないまま頭部や顔面の修復形成が優先され、面影は残しながらも元の顔と異なる印象の顔に形成されている。事ここに至ると敵対者は悟り、諦め始める。これは艦隊本部が主導しているものであり、これ以上の深入りは艦隊本部そのものを敵に回すとー。

 

 

 経歴、氏名、顔、その全てが繋がらない灰色の男と出会うのは基本的に一度限り、査察なら捕縛の上収監、特務なら文字通り死人に口なし。結果、戦死者の名を名乗る謎の特務少佐-槇原南洲という存在はそう認識される。本人が本名を名乗っているだけだが、今の南洲は死人が歩き回っているようなものだ。

 

 

 そんな彼について正確な情報があるのは技術本部(技本)、艦娘との生体融合実験の被験者としての詳細な記録が秘匿されている。一見接点のない戦死者と技本を繋ぎ、かつ絶望的に困難なセキュリティを突破して部分的にでも南洲の情報を手に入れたのは、これまでの所大坂鎮守府の情報室室長・電脳戦のエキスパート漣だけである。

 

 

 だが仁科大佐は、その厳重に秘匿された経歴と繋がりを知っている、と仄めかしている。

 

 

 南洲はすうっと細めた目から厳しい視線を送るが、仁科大佐は一向に意に介さない様子でにんまりとした笑みを崩さない。

 「今回の貴方の立ち位置ですが、そもそもカウンセリングは貴方の軍権に含まれません。私が寛大な心で許可しただけですから、そこは間違わないでください。それに同じ佐官同士とはいえ、私は大佐、貴方は少佐。軍人ならもう少し階級に配慮した言葉遣いをすべきですね。まったく、姫ともあろう方が、このような男を護衛にするとは嘆かわしい」

 

 大げさな手振りで天を仰ぐような素振りをする仁科大佐に、満面の不愉快さを表に出しビスマルクが反駁する。

 「…何なのよ、さっきから『姫、姫』って、気持ち悪い。私はヴィッテルスバッハ家もホーエンツォレルン家も関係ない、ハンブルグで生まれた艦娘よ。それに私は南洲のことを誇りに思ってるの、貴方に嘆いてもらう筋合いなんかないわっ」

 「その気高さこそ『姫』なのですよ、ビスマルク姫」

 陶酔したような表情で胸に手を当て一礼をする仁科大佐を見て、この男には何を言っても無駄、そう判断したビスマルクは仁科大佐のまとわりつくような視線を無視して、南洲をじっと見つめ続ける。車は程なく衛兵が警備する門を潜り、司令棟と思しきレンガ造りの二階建ての建物の前で静かに止まった。従兵が素早く車を降りドアを開け、まず仁科大佐を、つづいて南洲たち一行を下車させる。つかつかと大きな両開きの扉の前まで進んだ仁科大佐はくるりと振り返り、両手を広げて南洲達に宣する。

 

 -この男、いちいち言動が芝居じみている。

 

 南洲は苦い物でも食べたように顔を顰める。この手のタイプは好きじゃねーんだよ…無論心の声は口には出さないが、南洲の態度にはありありと出ている。どうやら他の艦娘達も同じ印象のようで、何となく身を寄せ合いながら仁科大佐から距離を取る。分けてもしつこく姫呼ばわりされたビスマルクは怒り心頭で、視線を合わせようともしない。

 

 「さあ大湊警備府に到着です。お客様は、まず大湊自慢の露天風呂に浸かって旅塵を払ってください。後程ディナーを用意させていただきます。お部屋までお届けしますので、今夜はゆっくりお寛ぎください」

 

 

 「ふうー、自慢というだけあっていい風呂だな」

 

 冷え切った冬の空気に湯気がもうもうと立ち上る露店岩風呂。時間は深夜0200(マルフタマルマル)、この岩風呂が所属の艦娘と共用と聞いた南洲は、裸で鉢合わせするのを避けるため誰も利用していないこの時間に訪れていた。

 

 司令官の仁科大佐はとにかくいかすけない男でどうしても受け付けない。部屋割り一つとっても、階級主義を感じさせる。南洲用の部屋、ビスマルク”姫”の部屋、他五人の大部屋、いったい何のつもりでアイツはビスマルクに絡むんだか…。

 

 だがまあ、風呂に罪はない、夜空を見上げながら湯につかる南洲は満足そうに目を細める。南洲は知らないが、大湊警備府のこの露天風呂は、約10km離れた矢立温泉から通された地下パイプラインを通して引き込んだ天然温泉を加熱保温している。

 

 

 -カウンセリングは貴方の軍権に含まれません。

 

 筋は通っているがいちいちムカつく野郎だ-南洲は手で顔を拭いながら、お湯のしょっぱさに驚く。矢立温泉はナトリウム塩化物強塩泉のためお湯を舐めると塩分を感じられる。仁科大佐の言葉を思い返し、水音に消される程度にぼそりと呟く南洲。それは士官学校自体の教官だった先任提督(トキ)の願いということだけでなく、南洲が大湊を訪れる決断を後押しした理由。

 

 「山城、か…。扶桑の妹だよな」

 

 -いつも『姉様姉様』って私を慕ってくれてたんですよ。私は佐世保からこのウェダに、妹の山城は大湊に、北と南で離ればなれになってしまいました。いつか南洲(あなた)にも紹介しないと。あ、でもちょっとだけシスコン気味というか、人見知りで臆病な所があるので、砲を向けられてもびっくりしないでくださいね。

 

 「こんな形で会うことになるとは、な」

 

 先任提督の死後、自室に閉じこもったきりの山城に何ができるのか? かつての扶桑の言葉を思い出しながらため息を付いた南洲は、そろそろ出るか、と立ち上がる。さあっと冷えた夜風が吹き渡り、湯気が流されてゆく。

 

 

 

 視線の先に立つ、長い銀髪をアップにまとめた真っ白な裸身の翔鶴と目が合い、二人で声も出せず固まり見つめ合うこと数秒。機械仕掛けの人形のように、南洲の視線は上下に彷徨う。翔鶴の視線もまた南洲に釣られるように上から下へゆっくり降り…ある一点で止まる。そしてみるみる真っ赤に染まる頬。

 

 

 

 再び湯気が二人の間を遮る。南洲は慌てて背を向けざばりとお湯につかったが、ハッとする。この鎮守府には翔鶴はいない、ならば俺達が捜索していた翔鶴が無事に到着していたということか? だとすれば彩雲の謎も解ける。格好が格好なので躊躇いはあるが、とにかく風呂から出て話をするように伝えなければ-南洲は意を決して声をかける。

 

 「翔鶴、落ち着いて聞いてくれ。俺は―――」

 

 

 再び夜風が吹き湯気が流れる。

 

 

 南洲の視界には、広々とした露天風呂の中ほどにある、大小の岩を組み合わせ設えた岩山と、その陰に隠れるようにしている白い肩が映っていた。


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