逃げ水の鎮守府-艦隊りこれくしょん-   作:坂下郁

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 とあるクリスマスの一日。


間章 りこれくしょん-3
51. 思いがけない夜


 「…………………………………………」

 

 ぴりぴりと張り詰めた空気が玄関ホールに満ちている。ドアベルが鳴るやいなやインターフォンで相手を確認することなく、満面の笑みでドアを勢いよく開け放した春雨。開口一番の発言に来訪者たちは固まってしまった。

 

 「お帰り。食事の後に私にする? 食事の前に私にする? とにかく私にする?」

 

 どう答えても選択の余地はない。エプロン姿、しかしエプロン以外に何か着ている様子のない春雨は、すぐに自分の失敗を悟りぎこちない動きで後ずさるように部屋の中に戻り、そのままキッチンに隠れるように引っ込む。今さらのようにインターフォンで『何の御用でしょう?』とモニター越しにも伝わる凍てつく波動を予定の無い来訪者たちに向け放つものの、その対応は五者五様である。

 

 平然とした表情で胸を張り室内に入ってゆくのはビスマルクで、その手にはやや横長の箱が提げられている。いつもの黒い軍服様の制服とは違い、膝丈ほどの白いファーコートに、同じく白いファーの帽子と白いショートファーブーツ。唯一アクセントになっているのは首元にあしらわれた赤いリボンで、それを除けば元々の透けるように白い肌とシルキーな金髪と相まって雪の妖精といった風情である。

 

 対照的にニコニコと微笑みを崩さず同じく室内に入るのは鹿島。何かのボトルを大事そうに抱えている。サンタ帽に上半身は赤いサンタ服風のニットセーターにケープを羽織り、足下も赤いショートブーツ。こちらは首元に緑のリボンをあしらっている。

 

 「は、羽黒さん、やっぱり私たち場違いなのでは…」

 「う、うん…でも、今さら帰るっていう選択肢が…」

 春雨の凍てつく波動にやや涙目になりながら、抱き合う様にお互いを庇う秋月と羽黒も、普段の制服ではない。秋月はスキニージーンズにボルドーのふわふわセーター、羽黒はグレーのニットワンピにキャメルのブーツというガーリーなコーデ。共通しているのはサンタ帽である。

 

 「春雨(ハル)は、まあなんや…。にしても、ビス子と鹿島(あの二人)は気合入れすぎっちゅーか…。せやけど君らもたいがいやで。体のラインまる分かりやん、その格好。ええなあ、そういうの似合って」

 

 瞳のハイライトを消しながら二人をぐいぐい押しているのは龍驤である。裾と肘付近に白いファーが付いたサンタ服風の制服、頭のバイザーはサンタ帽に変わっている。普段の白いハイソックスの代わりに黒とオレンジのチェック柄のタイツが新鮮な印象。首の勾玉も金の鈴に変わり、背中には大きな袋を担いでいる。

 

 

 簡単に言えば、五人の浮かれたガールがクリスマスに南洲の部屋に突撃してきたという訳だ。無論南洲が春雨と一緒に住んでいることを知っての上でのことである。ビスマルクと鹿島は、南洲との間に特別な、他の人では代われない絆があると確信している。羽黒は南洲の過去と現在の両方を知る数少ない一人。秋月も龍驤も南洲に対しある種の想いを抱いているが、秋月のそれは純粋で憧れの範囲をまだ出ておらず、龍驤のそれはむしろ部隊長としての信頼感ともいえる。とはいえ、当人たちは何も言わないが、南洲と春雨の結びつきの深さ、そしてある種の歪さについては皆感じている。そして春雨と同じような形で、南洲の心に住むことは無理だろう、とも。

 

 だが、同時に思う。

 

 南洲との関係性を他者と比較するから話が複雑になる。誰かを蹴落とす必要もなければ諦める必要もない。誰がどうであれ、自分と南洲の間だけで成立する確かな何かさえあれば、それでいい。南洲は軍人だが組織上は『提督』ではなく、それが齎す制約に縛られる必要もない。指輪があろうがなかろうが関係ない。自分さえその気で、南洲もその気になれば、超えるべき一線は僅かな物。だから、クリスマスのようなイベントは最高のきっかけになる。そう決心したビスマルクと鹿島、せめてプレゼントくらい渡したいと思った羽黒と秋月、とにかく今日は楽しめればそれでいいと唯一気軽な龍驤、それぞれ密かにいろいろ準備してきたのだが、そう思っていたのは自分だけではなかったようだ―――。南洲への宿舎へ向かう道すがら、また一人、また一人と増え気づけば五人全員揃っていた、そういう絵柄である。

 

 

 そんな南洲の宿舎。春雨もビスマルクも鹿島も、それぞれに対しここまでの攻めっ気を出していることに危機感を覚えていた。それは南洲と二人きりになるためには、非常手段を取ることを躊躇ってはいけない、女の本能がそう告げる。そしてそれに完全に巻き込まれる形となった羽黒、秋月、龍驤は気の毒だが、最早何も言うまい…。

 

 

 

 当の南洲はと言うと、実は不在である。健康診断を強制受診させられることとなったのだ。当然南洲は何だかんだと理由を付けてサボろうとしたが、宇佐美少将の一喝で黙ることとなった。

 

 「やかましい、いつもサボりやがって。大淀を監視役に付けるから、必ず行って来いっ」

 

 かくして大淀に引きずられるようにして南洲は医局へと連れて行かれ、1日がかりの精密検査を受けることとなった。

 

 

 

 「…なるほど、みんなでクリスマスをお祝いしようと?」

 いつまでもエプロン一枚という事もなく、春雨はパステルピンクのタートルニットワンピに着替えている。キッチンで作業の手を止めることなく、ジト目で春雨が五人を見渡すが、皆興味深そうに覗き込んでくる。今日春雨が準備しているのはイタリア料理、前菜(アンティパスト)三種、プリモピアットにはペンネアラビアータ、セコンドピアットには舌平目のムニエル カプリ風が用意されている。さらに今日はクリスマスということで季節料理(スタジオーネ)もあり、アワビのリゾット トリュフ添えも準備万端である。他にもチーズ盛り合わせ(フォルマッジィ)やカフェ…と続く。いずれも彩り鮮やかで見るからに美味しそうな仕上がりである。

 

 …即効性の鎮静剤が混入されていなければ、だが。かつて南洲の暴走を止めるための緊急用として、ケガを負った際の治療用として用いていた残り。最近は使うことが無かったが、まさかこんな所で…いいえ、これも南洲のためです、はい。

 

 

 「おおお~、豪華なディナーやなぁ。どれどれ……ん! めっちゃ美味いやんコレ、いやぁハルはいいお嫁さんになれるで、ホンマ」

 ひょいっとポルチーニ茸のパン粉揚げを摘みあげ口にした龍驤が、ニヤニヤしながら春雨の料理を褒める。その言葉に春雨はてれてれと顔を赤くし、ビスマルクと鹿島は不機嫌そうな表情になる。

 

 「ま、まあ見た目は悪くなさそうね。でもドルチェはどうなのかしら。感謝してもいいのよハル、このビスマルク、日本生まれのあなた方のために、本物のヨーロッパの味を持ってきてあげたわっ」

 白いファーコートを脱いだビスマルクの姿は、ノースリーブの赤いレース素材の超ミニワンピースで、全員がぎょっとする。ちょっと屈んだりすれば色々見えるのは間違いない。言いながらひょいっと手に提げていた包みを持ち上げ軽くウインクするビスマルク。テーブルの上で広げられたそれは、シュトレンである。

 

 「こ…こんな贅沢なお菓子、本当にいただいてもよろしいでしょうか…?」

 ちらりと涎を口の端に浮かべながら、秋月がキラキラした目で覗き込んでいる。シュトレンはドイツとオランダでは伝統的にクリスマスに食べられるもので、ドライフルーツやナッツが練りこまれた生地を焼き上げたケーキで、真っ白くなるまで粉砂糖がまぶされる、見た目にもホワイトクリスマスを連想させる美しさである。

 

 …まぶされた粉砂糖に睡眠薬が混じっていなければ、だが。こんな手、使わずに済めばと思ったけど、今日はビスマルク()だけの時間にさせてもらうわっ!

 

 

 「わぁ~、可愛いですねー。食べるのがもったいないくらい、うふふ♪」

 

 鹿島も持参したボトルをテーブルに置く。赤ワインと白ワイン、そしてシャンパンの三本。ヨーロッパ生まれのビスマルクはワインには詳しく、そしてうるさい。鹿島の持参したワインのラベルをじっくり眺めると、ちょっと驚いたような表情に変わる。

 

 「これって…二本ともヴィンテージクラスじゃない? よく手に入ったわね。シャンパンはまあ、それなりだけど、これだって悪くはないわよ」

 肩をすくめるようにして微笑む鹿島がワインについて説明しようとしたところで、春雨の携帯が鳴り出す。

 

「あ、南洲? うん、うん。ああそうなんだ……大丈夫です、はい」

 

 春雨の表情だけで、なんとなく状況は分かった。南洲の帰りが予定より遅れる、そういう類の話だろう。他の五人も顔を見合わせる。だからと言って帰るという選択肢も取れない。さてどうしたものか、と全員の空気がやや重くなったのを吹き飛ばすように、鹿島が声を掛ける。

 

 「じゃぁ、せっかくですし、シャンパンでも飲みながら南洲さんの帰りを待ちませんか? その後の事はその後で考えるとして…うふふ♪」

 

 ぱあっと表情が明るくなった秋月、ええアイデアやと頷く龍驤とビスマルク、羽黒はグラスやオードブルの用意を始めた春雨を手伝う。女だけのパーティもたまには悪くない、そう気持ちを切り替えると、なにやら龍驤が担いでいた袋から色々取り出し始めた。

 

 「やっぱりパーリーゆーたらゲームやろ。人生ゲーム、ツイスターゲーム、後は何や…適当にその辺にあったもん突っ込んできたからよー分からんけど、まあええやろ。ほな乾杯や乾杯っ」

 

 用意されたグラスに鹿島がシャンパンを注ぎ、一つずつ丁寧にグラスのふちを拭くような素振りを見せる。黄金色の微発泡酒が注がれたグラスが全員に行き渡ると、龍驤の音頭で全員がグラスを持ち上げ軽い乾いた音が鳴る。口に含むと羽黒の表情がぱぁっと明るくなる。

 

 「こんなおいしいシャンパンを飲んだのは初めてです」

 

 …気分が高揚する怪しげなクスリが混入されていなければ、だが。鹿島はジャ○ネットアカシなるオンラインストアでそのクスリを手に入れていた。全員で訳分かんなくなっちゃえば、お酒の上の過ち、という口実を隊長さんにプレゼントできますから、うふふ♪

 

 

 結論から言えば、六人揃って訳分かんなくなって人生ゲームは異様な盛り上がりを示し、そうかと思えば急な眠気に襲われ一人また一人とリビングダイニングで雑魚寝をする羽目になった。

 

 

 

 「んー、なんかお呼びじゃなかったみたいなんでね」

 

 宇佐美少将の将官室で、南洲はおでんをツマミに日本酒を飲んでいる。無論相手は部屋の主である宇佐美少将。健康診断を終え自分の宿舎に帰ると、なぜか自分の部隊六人が全員揃い、そして揃いも揃って床で寝ている。ああ、俺の帰りが遅くなると思ってクリスマス女子会、ってことにしたのか、とあっさり納得した南洲は、クローゼットからブランケットを取り出し、全員に掛けるとまた部屋を後にした。

 

 昼間は意外と暖かかったが、やはり夜になると空気がひんやりと冷えてくる。白い息を掌に当てながら、これからどうしようかと南洲はぼんやり考える。食事は春雨が用意してくれているとばかり思っていたし、予定など特にあるはずもない。適当にぶらぶらしていると、買い物帰りの大淀に出会い、そのまま宇佐美少将の部屋までやって来た、という顛末である。

 

 「なんだおい、寂しそうな口ぶりじゃねーか。まあいいさ、お前さんも早い所腰を落ち着けるんだな。ほら、これは俺からのクリスマスプレゼントだ」

 

ひょいっと小さな箱を放り投げてくる宇佐美少将。南洲は怪訝な顔で箱を開けると、そこには指輪が二つ入っていた。

 

 「悪ぃ、いくら体の四分の一が艦娘の組織だからって、これは受け取れないな。それに俺はストレートだ」

 一気に酔いが醒めた、という表情で南洲が立ち上がろうとする。すぐさま南洲の誤解に気が付いた宇佐美少将は慌てて説明を始める。

 

 「だぁーっ!! 俺だってストレートだ! これはお前とお前の部隊にいる艦娘のための指輪だっ。提督でもないお前にケッコンカッコカリを許可させんの、大変だったんだぞ。誰に渡す気か知らんが、大切にしろよ」

 




重かった第四章のリハビリ的に、ちょい軽めのお話を入れてみました。

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