逃げ水の鎮守府-艦隊りこれくしょん-   作:坂下郁

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 参謀本部、艦隊司令本部、技術本部…軍政を司る巨大組織に抗うには、南洲はあまりにも小さな存在。三者三様の利害が一致し、ウェダ基地に迫る危機。

(20161219 一部変更)


48. 月夜に踊る

 これは槇原南洲という灰色の男が生まれる序曲―――。

 

 

 大本営艦隊司令本部において、一際贅を尽くした将官室に座す一人の男は、目の前に立ち直立不動の姿勢を崩さない一人の参謀を冷たい目でじろりと見やる。武官の頂点に立ち、誰にとっても無視できない影響力を発揮する三上源三(みかみ げんぞう)大将。そんな彼が口をおもむろに開く。

 

 「つまり、拿捕した深海棲艦の引き渡しを拒んでいる奴も、事もあろうに参謀本部を被告とした軍事法廷の開催を求めている奴も、同じ跳ねっ返りという訳か。ウェダ基地の責任者は…槇原…南洲? 知らんな、だが佐官ではないか、何を思い上がってるのか」

 

 不愉快そうにぎいっとイスを鳴らした三上大将は顎に手をやりながら考える。艦隊司令本部の命令だけでなく、今となっては深海棲艦の確保は()()()()が興味を示している以上最優先事項だ。それを邪魔しているのがたかだか一介の佐官であると知り、苦々しい気分になった。それに目の前の辻柾参謀もまたその男に手こずっているらしい。罷免すればそれで終わりだろうと思ったもののすぐに思い直す。

 

 第三次渾作戦のための戦力集中は最早手遅れで、ニューギニア方面での深海棲艦勢力の膨張によりその活動を制限されている。結果として反抗的な責任者に、本土から遠く離れた拠点と強大な戦力を与えたことになる。しかも渾作戦の推移に関しては、どう贔屓目に見ても参謀本部の情勢分析の甘さと戦力の出し惜しみに大きな責任がある。そうなると現地側がこちらの命令を素直に聞くとは思えない。つまり反乱の恐れがある、と三上大将は警戒している。あくまでも可能性の話でしかないが、今や槇原南洲と言う男は厄介者以外の何物でもなくなってしまった。

 

 「最前線ゆえに()()()()()()()()いつ潰滅しても不思議はないだろう」

 手元のファイルをぺらぺら繰りながら、まるで明日の天気を気にする程度の気軽さで、三上大将は辻柾参謀に笑いかける。そしてこの辻柾という参謀も決して無能ではなく、言外に込められた意味を過たずに汲み取り、ただちに作戦の概要を披歴し、無駄に手回しの良い奴よ、と三上大将の苦笑を買った。この時点で辻柾参謀は三上大将を味方に付けたと言ってよいだろう。

 

 辻柾参謀が退出した後、十分な時間を取り三上大将はどこかへ外出した。そして将官室に戻ってくると、どこかへ内線を掛け始める。

 

 「ああ私だ。今回の出撃は技本の実験への協力でもある。派遣する艦隊だが連合艦隊で頼む。いや、水上打撃編成だ。作戦海域はハルマヘラ海。作戦概要は参謀本部の辻柾とかいう参謀に聞いてくれ」

 

 自らの作戦指導の失敗を隠ぺいしたい辻柾参謀は口封じのため、反乱の恐れありと一方的にレッテルを張った三上大将は彼の考える秩序維持のため、さらに技術本部は駆逐棲姫(春雨)の捕獲と技術実証の機会のため―――三者三様の利害が一致し、水上打撃編成の連合艦隊と技術本部の開発した実験装備で武装した特殊部隊を送り込み、ウェダ基地を攻略することが決定し、着々と準備が整えられた。作戦決行日、それは春雨が指輪を薬指に通す扶桑の姿を目撃した夜から二週間後のこととなる。

 

 ある意味では、南洲の行動こそがウェダ基地の命運を決したとも言えるが、そう言い切るのは流石に酷に過ぎるだろう。

 

 

 

 

 「帰って来い、って言ってたのに…」

 

 その口調は最早深海棲艦のそれではなく、春雨そのもの。ウェダ湾をほとんど出て外洋のハルマヘラ海に差し掛かる辺り、駆逐棲姫は波静かな海面に立ち、長いサイドテールを揺らしながらぼんやり月を見上げている。扶桑が指輪を薬指に通したのを目撃して以来、工廠や港近くの洞窟に隠れたり、夜になると海に出たりしていた。南洲が自分を探しているのはもちろん知っているが、南洲と顔を合わせずらく、避けるようにしている。そんな彼女の目に映るのは滲んだ大きな月と、そこを一瞬で横切る影。

 

 「鳥…? こんな時間にそんなはずない、ですよね?」

 不審げに首を傾げた春雨だが、すぐにその正体に気が付いた。九十八式水上偵察機が自分を中心に周回を繰り返している。ウェダの艦娘達はこんなことをしない。なら相手は―――? 瞬間、轟音と同時に発砲炎が光り、春雨の周囲に砲弾が高速で落下する時特有の風切音と、それらが着水し立ち上がるいくつもの水柱が突如として出現する。降り注ぐ海水の雨が収まると、春雨の目は自分に向かい六人の艦娘が突入してくるのを視界に捉えた。そして真正面から探照灯の光を浴び、完全に視界を奪われ水面で大きく体勢を崩す。

 

 「前衛艦隊、とにかく生きたまま捕獲することが目的だ。やりすぎるなよ。我々本隊も警戒態勢を取りつつ前進」

 

 三上大将が春雨の拿捕とウェダ基地攻撃のために送り込んだ連合艦隊の中心に陣取るのは旗艦である長門型戦艦一番艦の長門。長い黒髪を潮風になびかせながら腕を組み、すうっと目を細め突撃中の前衛艦隊に視線を送る。

 

 抜錨前に与えられた指示、それは『反乱部隊に占拠されたウェダ基地を艦砲射撃にて殲滅しつつ、抵抗があれば排除し新型の深海棲艦を拿捕せよ』というものだった。長門に加え同型二番艦の陸奥、高雄型重巡一番艦の高雄と二番艦の愛宕、秋月型駆逐艦二番艦の照月という重編成の部隊を本隊とし、前衛艦隊は水雷戦隊で構成される。

 

 「相手は新型と聞く。この磯風、腕が鳴るな」

 「逃がさないって言ったでしょ?」

 

 阿武隈を旗艦とする前衛艦隊は、第一水雷戦隊を拡充した陣容で、浦風、磯風、谷風、浜風、天津風が先を急ぐように駆逐棲姫(春雨)に向かい突撃を敢行する。春雨の機動を制限するため高雄と愛宕が牽制の砲撃を続けているが、阿武隈の探照灯の照射をまともに浴びた春雨は動けずにいる。駆逐艦勢の突進に慌てた阿武隈は周囲をキョロキョロする。そして既にはるか先を行く五人の駆逐艦娘の背中にむなしく呼びかける。

 

 「みなさーん、私の指示に従ってくださぃぃぃぃいぃィィィィッ!!」

 

 

 春雨の目がようやく視界を取り戻した時には、眼前まで浦風が迫っていた。

 

 「よっしゃぁーっ! ウチが一番槍じゃっ」

 

 右手に持った12.7cm連装高角砲を春雨の太腿に向け発砲する。ウェダ基地の面々ならいざ知らず、他の艦娘の目にはどう見ても深海棲艦にしか映らない春雨に対し、浦風は一切躊躇いを見せなかった。

 

 「これで逃げられんじゃろ、大人しゅうせいや」

 

 両脚の膝上あたりを撃ち抜かれた春雨は立っていられずに下半身を海中に沈めたような格好になるが、必死に沈み込みそうなる自分の体を支えようと海面を叩き続ける。

 

 「まタ…沈む…そンナの、絶対イヤッ!」

 

 再び春雨が海面に激しい水しぶきを立てながら浮上する。損傷を受けた両脚は、腿から先が深海棲艦特有の大きな口で歯をむき出ししたユニットに変容している。青白いオーラを纏い怒りに燃えた目は最早春雨の優しい瞳ではなく、くぐもった声で怒りを露わにし、浦風に対峙する。

 

 「イタイジャナイ…カ…ッ!」

 

 慌てて再び射撃体勢に入ろうとした浦風に向け、手にしていた鎖で繋がれた白い深海艦戦をまるで棘鉄球(モーニングスター)のように投擲する。右手に握っていた12.7cm連装高角砲の射撃ユニットを弾き飛ばされ隙の出来た浦風に間髪入れず5inch連装砲を連射すると、直撃を受け海面にへたり込んだ浦風を置き去りにして一気に加速し距離を取る。

 

 「浦風っ、大丈夫ですか!?」

 「てやんでい、逃がすもんかいっ!!」

 浜風が浦風の救援に向かう中、谷風が春雨を追走するがその距離は開く一方で、はるか先を行く春雨は上体を横転寸前まで左に一気に倒し急角度でUターンすると、左手の5inch連装砲と脚代わりの深海棲艦ユニットの左右に装備される四連装22inch魚雷後期型で一斉砲雷撃を加える。

 

 「オチロ! オチロッ!」

 

 回避も迎撃も間に合わず全弾の直撃を受けた谷風は一撃で大破し、意識を失い波間に漂流する。谷風を助け起こそうとする磯風をすれ違いざまにモーニングスターを放って吹き飛ばすと、射撃体勢に入っている天津風を攻撃するため急角度でターンし、再び一斉砲雷撃で沈黙させる。

 

 僅かの間に四人もの駆逐艦娘が中大破に追い込まれ、現時点で健在なのは浜風のみ。その様を呆然と見ていた阿武隈が我に返った時には、すでに春雨はウェダ基地へと向かっていた。というよりその方面にしか動けない、と言う方が正解だろう。

 

 そうはさせない、と言わんばかりに41cm連装砲の一斉射撃が加えられ、春雨の行く手を塞ぐように、先ほどとは比べ物にならない巨大な水柱が林立する。

 

 「ふむ、大人しく投降すればこの長門も鬼ではない、悪いようにはせぬ」

 「あらあらあら、どこへ行くのかしら? あなたの帰ろうとしている場所、これから焼き払わなきゃならないの、ごめんねー」

 

 春雨と前衛艦隊のハイスピードバトルの間に、口調こそ穏やかだが圧倒的な威圧感を放つ長門と、飄々としながらも冷徹に告げる陸奥を中心に、主機を全開にして前進してきた本隊が迫ってくる。

 

 「ワタシノオウチ…ヤラセハ…シナイ…ヨ……ッ!」

 

 陸奥の言葉に反応した春雨は急停止すると振り返り、迫りくる相手に敵意をむき出しにした目を向ける。ゆらりと春雨が動き、敵本隊に突入を開始しようとした瞬間、再び砲撃音が響き渡る。

 

 春雨はぽかーんとした顔で、自分の背後から飛来する中小口径弾が次々と着水し水柱を上げるのを眺めていた。中には長門や陸奥に直撃しそうな砲弾もあったが、長門は自分に迫る砲弾を無造作に右の拳で払いのけ、陸奥はさりげない最小限度の動きで綺麗に躱してしまった。

 

 「春雨、大丈夫かいっ!? 早くこっちへ………へぇ、力づくで春雨を攫いにきたん(大本営はそういうつもりなん)だ」

 

 ウェダ沖で突如始まった砲雷撃戦の砲火と轟音は、深夜のウェダ基地を驚かすのに十分であり、時雨を先頭に急行してきた数名の艦娘は、眼前に立ちはだかる長門以下の艦隊を見て事態を容易に理解した。


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