逃げ水の鎮守府-艦隊りこれくしょん-   作:坂下郁

47 / 109
 夜間哨戒中に発見された新型の深海棲艦は、『帰らなきゃ』との言葉とともに一路ウェダ基地を目指す。一途な思いが引き寄せるウェダ基地崩壊の序曲。


47. 綺麗な愛じゃなくても

 「提督、これは…? あっ、いえ、何でもありません…」

 執務机の上を片づけ、書類の束を整理して所定の物を所定の場所へと片づける扶桑が、疑問の声を上げ、そして沈んだ声になる。俺は応接用のソファから身を起こし、扶桑の方に視線を送る。

 

 秘書艦だけを働かせて俺はのんびりしている、という訳ではない。何もさせてもらえない、といった方が正しい。実際、扶桑は極めて優秀な秘書艦だ。作戦立案への助言、山のような書類仕事、それ以外にも俺の身の回りの世話など実に甲斐甲斐しく行ってくれる。とにかく気が回る、というのが一番正解かもしれない。聞けば『あら…そんなの当然でしょう?』と上品に口元を隠しながらくすくすと笑うが、よほど俺の事を見てないとできないと思うのだが。

 

 そんな扶桑にも言わず、引き出しの奥に隠すようにして仕舞いこんでいたものがある。だが彼女にはそんな小さな隠し事などは通用しなかったようだ。不安に揺れる瞳がこちらを見ている。

 

 ケッコンカッコカリ-艦娘の練度上限を解放するための特別なシステムであり、そのための装備が指輪となる。最初の一つだけは大本営から支給される、デザイン的にはありふれた銀の指輪で、提督が自腹さえきればいくらでも同じものを購入できる。提督側には戦力強化の一手段として捉える向きも多く艦娘側も多少はその傾向はあるようだが、最初の一人に選ばれるという事、そこに大きな意味を見出している艦娘は非常に多い。このウェダ基地にも当然支給されていた。

 

 そして今、机の奥に仕舞いこんでいたそれが発見されたってことか。あの時以来何も変わっていないから、きっと扶桑は目にしたのだろう、可愛らしい字で『予約済み』と書かれた紙が貼られた指輪の箱を。

 

 -もう潮時なのかも、な。

 

 俺は軽く反動をつけソファから起き上がると扶桑の元へと進んでゆく。近づいてくる俺から目を逸らし、どこから怯えたように体を強張らせる彼女を一瞥し、引き出しを開け指輪の箱から『予約済み』の紙を外し、くしゃりと手の中で丸める。その時の俺の表情がどうだったのか、自分ではわからないが、きっとぎこちない、下手な笑みでも浮かべてただろうな。

 

 「時が来れば貰ってくれないか?」

 

 気持ちは前を向かねばならない、例え後ろ髪を引く想いがあるとしても。こうして俺は、実質だけではなく、名分としても扶桑を妻とすることに自分を押しやった。そんな中夜間哨戒中の鬼怒から入った緊急電で、俺と扶桑は現実に引き戻される。哨戒中に発見した新型の深海棲艦を拿捕し曳航するという。ワイゲオ島沖からならあと数時間だ。俺と扶桑は思わず顔を見合わせる。

 

 

 

 「………………………」

 「………………………」

 

 

 朝日が照らす港に沈黙が流れる。

 

 

 

 「あの…すみません。それはなにか新しいコミュニケーションなのでしょうか?」

 

 突堤の付け根、基地への入口へと続く道のあたりで、俺は鎖で雁字搦めに縛り上げられた深海棲艦と向かい合っている。羽黒が恐る恐る、といった態で遠巻きに声を掛けてくる。その背後にはこわごわ、と言った態で駆逐艦勢が鈴なりになり、前の者の肩越しに顔を出しこちらを覗き込んでいる。その左右には重軽問わず巡洋艦娘が艤装を展開しこちらに照準を合わせ、二航戦(蒼龍と飛龍)は弓を構えすでに矢を番えている。

 

 

 -帰ラナキャ

 -どこへ?

 -…帰ッテコイ、ッテ

 

 鬼怒の話によれば、こちらの質問には何も答えず、それだけ言うと深海棲艦は西方に向かって進み始めたらしい。敵対行動を取る気配もないので、遠巻きに監視しながら追尾すると、ワイゲオ島を通り過ぎても一路西へと進んでゆく。この先にあるのは、自分たちの基地があるハルマヘラ島になる。慌てた鬼怒達が制止しようとした途端、急加速を始めた深海棲艦との追いかけっこを続ける事およそ一時間、数に勝る哨戒部隊は何とか拿捕に成功し、基地に連行した、というのがここまでの顛末のようだ。

 

 

 そして今、俺と深海棲艦は、羽黒の言葉通りお互いじっと見合うだけで何の言葉もない。知識や情報としては知っているが、これだけの至近距離で実物を見るのは初めてだ。相手もきょとんとした顔でこちらをまじまじと見ている。艤装や服装などの細かな点は色々と違い、肌や髪の色も違う。それでも、俺は思い出さずにはいられず、不意に口を突いて出た言葉は―――。

 

 「少し、痩せたか?」

 

 なぜそんな言葉が口から出たのか、自分でも分からない。ただ俺が思ったのは、春雨のあのぷにぷにした頬っぺたと違い、すっきりした顎のラインだな、そう思っただけだ。そしてその言葉に自分自身大きな衝撃を受けてしまった。

 

 俺は目の前の深海棲艦を『春雨』だと認識しているのか? 外見上確かに春雨を彷彿とさせるイメージはある。だがそれは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということを肯定することになる。我知らず大きくぐらりと体勢を崩してしまった。

 

 それを見た目の前の深海棲艦は、無表情のまま無造作に自らを縛る鎖を苦も無く引き千切ると、俺のすぐそばまで近づき、ふわっと抱き付きながら一言だけ告げた。

 

 

 

 -遅カッタ、カナ?

 

 

 

 とにかくウェダ基地は大騒ぎとなった。深海棲艦の拿捕、しかも意思疎通が限定的ながらできるという事実。そもそも深海棲艦と意志疎通できるなど確認されていない。それが事実なら大本営は天地を引っくり返したような大騒ぎになる、それどころかこの終わりの見えない戦争を終結させる大きな一歩になるかも知れない。だがそれ以上に、多くの艦娘を震撼させた推測―ここにいるのが春雨なら、轟沈した艦娘は深海棲艦になるというのか―? 同じ沈没地点、良く似た外観と雰囲気、二言三言とはいえ言葉が通う、そしてその言動。

 

 青葉は興奮が冷めやらない様子で深海棲艦の写真をこれでもかと撮りまくり、深海棲艦はイヤな顔をしながら俺の背中に隠れようとしている。それを見た青葉がカメラのファインダーから顔を上げ、実に複雑そうな表情を浮かべる。

 

 「前と一緒ですねー。やっぱりこの深海棲艦、はる「それ以上は言うな、青葉」」

 

 青葉の言葉を遮るように、俺は思わず語気を強めた。正直に言って混乱している。背中越しに伝わる温度はひんやりとして春雨とは違う。どう見ても深海棲艦、だが、春雨であることを肯定も否定もできない。

 

 

 そしてこの光景を、さらに離れて遠くから見つめていたのが扶桑だが、混乱の極みに合った俺は彼女が騒然とする港にいないことに気付いていなかった。

 

 

 

 

 駆逐艦サイズ、人型をしているので姫級、その二つを合わせて『駆逐棲姫』ということになったこの深海棲艦の扱いを巡り、ただちに大本営に報告の上指示を仰ぐ、という至極全うな意見から、危害を加えそうな様子もないしこのままウェダの所属にしようとの意見まで、議論は揉めに揉めた。やがて俺は、会議室が静かになったことに気が付いた。

 

 「ん?」

 気付けば皆の視線が俺に集中している。正確には、俺と、俺の膝の上に乗り髪の毛を気持ちよさそうにブラッシングされている深海棲艦に、だ。だけど深海棲艦で体温が低すぎ、俺の体まで冷えてきた。

 

 「提督だけだよ、何も言ってないのは?」

 「………この深海棲艦の目的や意図がはっきりしない。それを確かめるまで当基地にて身柄を預かり、いずれ然るべき上に報告し対処を決める。以上だ」

 皆が拍子抜けした表情になる。それはそうだろう、この深海棲艦の意図や目的を確かめるまで、といった所で言葉での交流は二言三言しか成り立たない。つまり俺はこの基地に深海棲艦を匿う、と言っているようなものだ。一部の艦娘を除き、不満が澱のように溜まっているのが伝わってくる。

 

 

 

 今駆逐棲姫は、俺の執務棟で一緒に暮らしている。と言ってもベッドは別だが。なにより、彼女が俺にまとわりついて離れようとしない。 以前に比べ語彙も増え始め、喋り方もたどたどしいカタカナ語から、徐々に滑らかなものに変わってきた。話せば話すほど、彼女は春雨の生まれ変わりなのか、そう思わされる。そうだとして、俺は一体どうすればいい?

 

 俺の答えのない煩悶を余所に、詳細ともに誰かが駆逐棲姫の情報をリークしたらしい。それが誰かを特定する気はないし、ある意味で当然のことだ。以来今日に至るまで約一週間、連日大本営の艦隊本部や技術本部から引き渡しを求める執拗な連絡が来ていた。

 

 簡単に引き下がる連中とも思えないが、たまには凪の日でもいいだろう。しばらくぶりに鳴らない電話を満足そうに眺めた俺は、続いて執務室の床に目をやる。床にぺたんと座り込んだ駆逐棲姫が楽しそうな表情でこちらを見ている。

 

 「さあもう寝る時間だぞ?」

 今度ははっきりと不服そうな表情を浮かべた駆逐棲姫に苦笑いを返したところで、ドアがノックされた。

 

 このノックの音は扶桑か。この一週間、駆逐棲姫にかかりきりでロクに喋ってもいなかった。というか、彼女の方から俺の方を避けてた節もある。まぁ、分からなくもないが…。だがそんな彼女の方からやってくるとは。ドアが開くと、入れ替わる様に駆逐棲姫が部屋から出てゆく。正直に言って、彼女は扶桑のことが好きではないようだ。

 

 「…どうした」

 「あら、妻が夫を訪ねるのに理由が必要なのですか?」

 

 わざと拗ねたような表情になった扶桑は、すぐに明るい笑顔を見せると、俺の執務机の方へと進んでゆく。

 

 「大丈夫です、信じていますから。けど、たまにはこうやって形あるもので確認したくなるんです」

 そう言いながら引き出しを開け、指輪の入った小さな箱を取り出す。蓋を開け指輪を左手の薬指にそっとはめると、窓越しの月明かりに誇る様に左手を差し上げる。

 

 「きれい…。ケッコンカッコカリ、例え仮初めだとしても、私はあなたの妻になれて、本当に幸せなんですよ?」

 

 

 

 -花壇、きれい。デモ、チューリップじゃない。

 

 部屋を抜け出した駆逐棲姫は、上体を屈めるようにして裏庭の花壇を覗き込みむと、空を見上げポツリと呟く。

 

 ―月が…きれい

 

 ふと背中越しに部屋から漏れてくる光の陰影が変わる。隣の窓枠に手を掛けそっと部屋の中を覗きこむ。そこでは扶桑が指輪を指にはめ窓越しの月明かりに照らす姿と、複雑な表情を浮かべる南洲の姿があった。

 

 

 

 -ソレハ……………………ソノ人ワ…………私ノ、私ダケノモノ。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。