逃げ水の鎮守府-艦隊りこれくしょん-   作:坂下郁

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 月下美人の花言葉、それは『はかない恋』。


46. 月下美人

 後にビアク島沖海戦と呼ばれた第二次渾作戦、そしてその後断続的に生起した夜戦や防空戦で、皮肉にも俺は評価を上げる結果となった。強行輸送は果たせなかったものの、当初想定を遥かに上回る優勢な敵を相手に、()()()()()()()のみで撤退戦を成功させた有能な提督だそうだ。そもそも認識が間違っている。俺は一人も喪失していない、MIA(戦闘中行方不明)が一人出ただけだ。必ず帰ってくる…言いながら自嘲してしまう。分かっているくせに…ただ認めたくないだけだ。春雨は、かつてと同じマノクワリ沖に還っていった、と。

 

 

 

 

―――呼ぶ声が遠くに聞こえる。けれど、どうして悲しそうなの?

 

 

 

 

 俺は最初の指示から第二次渾作戦の終了に至るまで、参謀本部からの指示命令、それに対する俺の反論、増援要請、敵部隊動向、戦闘詳報等、精緻な報告書を辻柾とのやりとりを記録した音声ファイルと一緒に提出した。それを見れば誰がどう判断しても現地情勢を無視して参謀本部が無謀な作戦を現場に強要したことが明白になる。だがこれで終わりじゃないぞ。

 

 辻柾を始めとして参謀本部の連中はよほど肝を冷やしたのだろう、掌を返したように俺の作戦指揮や艦娘達の奮闘を称え出し、ニューギニア西部こそ決戦海域であると狂ったように強調し始めた。そのために俺があれだけ何度要請しても黙殺されていた航空戦力の増派があっという間に決定し、他にも戦力が増強されることになった。

 

戦艦: 扶桑

正規空母: 蒼龍、飛龍

重巡: 妙高、羽黒、青葉

軽巡: 神通、能代、鬼怒

駆逐艦: 島風、朝雲、満潮、野分、山雲、白露、時雨、五月雨、白露、敷波、風雲

 

 眉唾物だが、状況次第では大和や武蔵の投入まで検討しているとか言ってたな。むしろその情報、"大物"をエサに深海棲艦隊を釣り上げようってことか。渾作戦を開始した頃に比べると、現在のウェダ基地には充実した戦力の配備が完了した。さあここで第二弾だ、俺は大本営艦隊本部に軍事法廷の開廷を上申した。結局一番悪いのは俺だ、それは誰がどう言おうと変わらない。俺が無謀な作戦を拒めずに春雨を失うことになった。だが、第二第三の春雨を生まないためにも、参謀(バカ)どもにも多くの責任があることを明らかにしてやる。

 

 そんな動きはさておき、戦況は今、ビアク島を新たな拠点とする深海勢に対し、マノクワリ沖からワルマンディ沖の海域を第一防衛線として敵の西進を食い止めるため日夜激戦を続けている。それにしても蒼龍と飛龍の二航戦コンビは強力で、あれだけ苦しめられていた敵航空戦力を見事に封じ込めた。これだけの戦力があの時あれば、春雨は…。

 

 

 

 

 

―――また今日も何かが水底に落ちてきます。あいたっ、白くて丸くて大きな口のついた…飛行機? がこつんと頭にあたりました。…何だったかな、これ…。覚えているような気もするけど、思い出せナイ。

 

 

 

 

 「ごめんなさい、起こしてしまいましたか?」

 何かが顔に触れる感触で目を覚ます。隣に寝ていたはずの女が上体を起こしぼんやり俺を見ている。長い黒髪が俺の顔にかかったのか。朝日に白い裸身を輝かせる扶桑は、俺が眠りから覚めたのに気付くと、起きるのを許さないかのように俺に覆いかぶさり唇を塞いでくる。

 

 俺と扶桑は、いつしか体を重ね合う間柄になっていた。古参の艦娘は受け入れつつも眉を顰め、特に時雨は口もきいてくれなくなったな。新たに着任した艦娘達はあたかも最初から扶桑が秘書艦であるように認識している。

 

 扶桑もまた自分を責め続けていた。彼女はあの夜俺の私室を訪れ、あふれる涙を拭おうともせず、振り絞るように自分の感情を吐露した。

 

 

 『あの時、私は動けなかったのか、それとも動けるのに動かなかったのか、今でも分かりません。ただ春雨さんが眩しくて羨ましかった…。提督…お願いです、私を轟沈するまで酷使してください。私には何も返せるものがありません、せめてあなたの矛として、春雨さんを奪った深海棲艦を一人でも多く道連れにして果てさせてください…』

 

 

 涙を指で拭い静かな微笑みを浮かべながら、自らを死地に送れと懇願するこの女を、俺は放っておけなかった。ドアを背に立ちこちらを見つめる扶桑に向かって俺は歩き出す。ほとんど密着するような距離、身長差があるから扶桑は俺を見上げるように顎を少し上げる。その細い顎をクイッと支え、壁に空いた方の手を付く。

 

 「俺達は軍人だ、死ぬ理由なんて山ほどある。むしろ生きる理由を見つけろ。どうしても見つかんねーなら、俺のために生きろ。お前が死ぬときは―――」

 それ以上の言葉を続けられなかった。扶桑の白く細い腕が俺の首に絡みつき、そのまま唇を重ね合った。

 

 

 俺達にしか分からないものは確かにあった。人は傷のなめ合いと言うかも知れない、だがそうして俺達は心の奥底に蓋をして何かを忘れながら、寄り添うことでしか前に進めなかった。

 

 

 

 

―――最近、呼ぶ声が微カニシか聞こエナイ。ドうしたノカナ…?

 

 

 

 

 参謀(バカ)どもが机の上で都合のいい青写真を描いている間にも状況は動く。奪取したビアク島を拠点に加えた深海棲艦勢は、頑強に抵抗を続ける俺達を尻目にパラオ泊地への圧力を強めてきた。ビアク島からパラオまでは一直線、ここを失陥すればマリアナまで遮るものが無い。放っておいても俺達は無力化できる。大小さまざまな拠点が縦深配置される東南アジア南部に侵攻せずとも封殺しておけば事足りる、そういうことだろう。深海側にも目端の利く奴がいるようだな、いっそ海軍の参謀どもと交代してくれないかな。

 

 だがこの局面は、ウェダ基地に別な問題を齎すこととなった。敵の主力をニューギニア西部海域へと誘引した上で、パラオ艦隊と挟撃し、さらに各地に展開する航空戦力を集中して大勝利を狙った、いわば第三次渾作戦。だが敵は西方に対しては徹底した航空攻撃でその活動を封殺し、戦力をパラオに向ける構えを見せている。

 

 つまり、戦力を集中したものの東方へ投入できなくなったのだ。しかもその基地の提督はよりによって参謀本部を被告人として軍事法廷の開廷を求めている問題児。この状況に不安と焦りと覚えるのは、一体誰なのか―――?

 

 

 

 

―――最近、海が静カ…。そういえば、私、イツカラ、ううん、どうしてコンナ所ニイルンダろう…? もしかして大切ナコト、忘れテル…?

 

 

 

 

 「扶桑?」

 シャワーを浴びた後、バスタオルで髪の毛をわしゃわしゃしながら寝室に戻ると、さっきまで嬌声を上げ続けていた女の姿はベッドになく、乱れたシーツの上に一枚の紙が残されていた。

 

 『裏庭でお客様とお話しています。すぐに戻りますので』

 

 取りあえず着替えて執務室へと向い、自家製ニッパワインをロックで用意する。デスクの後ろにある窓から裏庭を見渡してみる。月明かりに浮かぶ白い影は扶桑か。そしてお客様とやらが一人、襟元と袖口が白い黒のミニセーラー…時雨か。からん、とグラスの中の氷が音を立てる。

 

 

 「もうちょっと前を閉めた方がいいんじゃないかな」

 「あら、艦娘同士で恥ずかしがることはないでしょう?」

 かろうじて制服を着ているものの、緩く閉じられた上着の袷から扶桑の胸元はほとんど見えている。苦笑いの時雨は、三つ編みにしたお下げの髪をいじりながら少し気まずそうに訪問の目的を切り出す。

 

 「…君と提督のことは、ずっと受け入れられずにいたけど…もういいのかな、って思って。今までごめんね、扶桑。提督の事、春雨の分までよろしく頼むね」

 

 時雨だけは頑なに『提督の秘書艦は春雨』と言い続け、扶桑と南洲とはほとんど口をきかなくなっていた。そんな彼女にも思う所があったのだろうかーうっすらとした笑みを浮かべながら小さく頷くだけで、時雨の言葉に扶桑は直接答えようとはしなかった。時雨は何となく所在無げにうろうろすると、目に留まった小さな花壇の前にちょこんとしゃがみ込む。

 

 「この花壇、直したんだね。でも、花は植え替えたのかな?」

 以前春雨がいたころはピンクのチューリップが植えられていたが、今目の前にあるこの花は…? 時雨の知識の中にない花だった。扶桑は夜天に輝く満月を見上げながら、自分に言い聞かせるように呟く。

 

 「その花は月下美人っていうのよ。ねぇ時雨……月が綺麗ね」

 

 

 

 

―――思い出しタ。私には、大切ナ人ト大事ナ約束ガアッたのニ。ナノニ…誰ガ邪魔ヲシタノ? 許サナイ、ノデス。まぁいイデス、帰らナキャ…帰ラナキャ…帰ラナキャ。

 

 

 

 

 「新型っ!? 提督に緊急電っ!! マノクワリ沖に新型と思わる深海棲艦出現、艦種は…サイズからして駆逐艦かしら?」

 夜間哨戒に出ていた鬼怒を旗艦とする五月雨、白露、敷波、風雲から成る部隊は、突如現れた新型の深海棲艦に遭遇することとなり、慎重に相手を包囲しその輪を縮めてゆく。青白い肌、同じように青白い長い髪を左側で片括りにしたサイドテールは毛先だけが薄いピンク色をし、頭には角の生えた大きめの黒い帽子、そしてノースリーブのセーラー服。手には鎖で繋がれた白い深海艦戦。その深海棲艦は、包囲網が狭まるのを気にする様子もなく、夜天に輝く満月を見上げながら、誰に言うともなく呟く。

 

 

 

―――ツキガ……月が、きれい……




ピンクのチューリップの花言葉は『愛の芽生え』。

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