逃げ水の鎮守府-艦隊りこれくしょん-   作:坂下郁

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 第四章後段、本編再開です。

 報告書を書き直しながら寝落ちした南洲の見る夢、それは彼が大切にしていた日々の終わりであり、今に続く道の始まり。話の後半は視点が代わり、扶桑を中心に第一艦隊の救援に動いた第二艦隊の動きを追います。

※展開的にここから先は重くシリアスな感じなので、そういうのが苦手な方はブラウザバック推奨です


45. 記録に残らない戦闘詳報

 こんこん。

 

 ノックしても返事がありません。

 

 こんこんこん。

 

 やっぱり返事がないです。いないのでしょうか…? 春雨()はいったんお盆を床に置き、ドアノブに手を掛けます。あれ、開きますね。ということは…椅子の背もたれにがっつり凭れかけて、南洲は眠っています。まったく、やればできる人なのにすっかり書類が嫌いになっちゃったんですね、はぁ…。お尻でドアを押さえながらお盆と一緒に執務室に入ります。テーブルにお盆を置くと南洲のデスクに向かい、ゆさゆさと南洲を揺すり起こします。

 

 「おぉ、春雨(ハル)か…」

 ぼんやりとした表情で南洲がこちらを見ながらゆらりと立ち上る、というか私に凭れかかってきます。もう…おうちじゃないんですよ。これでも艦娘ですから、南洲一人くらい楽々支えてソファベッドまで移動します。とりあえず座らせると、南洲は目を擦りながら、そのままソファベッドに凭れ再び寝息を立てはじめました。これはすぐに起きなさそうですね。仕方ないので南洲に寄り添うと、体の温かさと規則正しい心音で私もなんだが眠くなってきちゃいました。

 

 

 南洲はどんな夢を見てるのでしょう…?

 

 

 

 刻々と入る連絡に俺は居ても立ってもいられず、ウェダの港で一昼夜をまんじりともせず過ごした。春雨が直撃弾、時雨、五月雨、敷波は機銃掃射で小破から中破、曳航していた大発五隻とほぼ全機の瑞雲を喪失。あげくに敵の駆逐艦部隊に四時間にわたり追跡を受け、何とかこれを撃退しての撤退戦だ。

 

 聞けば聞くほどはらわたが煮えくり返る。とにかく聞かされていた情報が軒並みおかしい。敵艦隊は重巡一、軽巡三、駆逐艦は五以上。だがな、表現上正しくても、駆逐艦の数が五以上と一四じゃ意味がまるで違うんだよ。そしてホーランジアの敵航空戦力はほぼ二倍、何より、俺達を航空援護してくれるはずのビアク島航空隊はとっくに潰滅、飛行場も敵に奪取されていたとはな。

 

 これだけの状況が先に分かっていれば、同じ危ない橋を渡るにしても、もっとやり様はあった。参謀ってのは味方を危機に陥れるために作戦立ててんのかね。あの辻柾とかいう参謀め…まあいい、今はあんな奴の事を考えてる暇じゃない。やっと水平線にみんなの姿を見ることができた。少しずつ港に近づいてくる姿をじれったく思いながら、着岸する端から手を貸し突堤に引き上げる。

 「とにかく()()()()で帰ってきてくれてよかった。入渠優先度選別(トリアージ)は済んでいるな? ドックの空きの関係もある、中破以上は遠慮なく高速修復剤を使えっ。」

 

 俺は傷ついた艦娘達に指示を出す。とにかく体と心を休めてほしい。失った物資など問題じゃない、そんなものは取り返せる。どうした、なぜ泣いている? たかが一回くらいの負け、どうってことないだろ。なあ、春雨…ってどこだ?

 

 「…提督……通信を聞いてなかったのかい?」

 至る所制服が破れ、露出した白い肌に血を滲ませながら、よろめきつつ時雨が近づいてくる。ああ、聞いていたさ、春雨が直撃弾を喰らったんだろ? 急いで入渠させてやらなきゃ。俺はきょろきょろと春雨の姿を目で探し続ける。

 

 「提督っ、こっちを見てよ!!」

 時雨の鋭い声に逸らしていた視線を彼女の顔に向ける。白い頬は砲煙で煤け、瞳には涙を湛えている。その後ろでは五月雨や白露が堪えきれないように大声を上げ泣いている。羽黒も妙高の胸に縋る様に肩を震わせている。鬼怒は悄然と項垂れ、青葉は空を見上げながら震えていて、風雲と朝雲が取りすがっている。時雨は決然とした顔で俺を見据え口を開く。何だよ、お前ら、まるで…。

 

 「春雨は…敵の反跳攻撃(スキップボミング)をまともに受けて…そのままマノクワリ沖で…」

 

 思わず俺は時雨の胸倉を掴みあげた。喉が締まる苦痛に時雨の表情が歪む。

 「俺は春雨に『必ず帰ってこい』って言ったんだっ! あいつは約束を破るような奴じゃないっ!!」

 

 不意に白い手が俺の拳に重なる。

 

 「提督、時雨ちゃんもケガをしてるのですよ。お願いですから…」

 その言葉の先を見ると、扶桑がいた。赤い瞳からは止まることなく涙が流れ続けている。その言葉に我に返った俺の目に、堪えきれずぐすぐすと泣き出した時雨の姿が映った。誰も言いたくないことを、敢えて俺に伝える役を買って出たのだろう。力なく時雨から手を離すと、重ねて入渠の指示を行い、俺はふらふらと歩き出した。自分でもどこに向かっているのかよく分からないが。

 

 

 

 「凄まじい腕前ですね、提督。ですが…木々が可哀そうです」

 背後から掛けられた声に振り向きもせず冷たい声で応える。

 「…何の用だ、扶桑」

 

 執務棟、と言っても簡素な平屋建のログハウスだが、その裏手にある俺専用の場所。剣の稽古をする場所が欲しかっただけだが、春雨と一緒に整地した小さな裏庭。さらにその奥の、鬱蒼と樹々が茂ってい()中に、俺は抜身の刀を携えてゆらりと立っている。刀の届く範囲にある若木や枝は全て斬り払った。それ以外に感情のぶつけ先が見つけられなかった。形も何もあったもんじゃない、ただ力任せに自分の声とは思えない叫び声を上げ、手当たり次第に刀をぶつけた。体勢を崩し何度転んだだろう。

 

 「…羽黒さんと鬼怒さんが報告を、と…。それに大本営の辻柾参謀からも何度も連絡が…」

 躊躇いがちに口を開く扶桑に近づき、まじまじとその顔を見る。一見無表情で冷静にも見えるが、むき出しの肩は小さく震え、拳をきゅっと握りしめている。

 「私は…罰を受けに来ました。マノクワリ沖で対空戦闘をしている強行突入部隊を援護できませんでした。体が…動かなかったんです…。久しぶりの実戦で、『資源の無駄遣い』『欠陥戦艦』と罵られ続けた事を思い出し…」

 

 着任した時と同じ強張った表情の扶桑は、それ以上言葉を続けられず、嗚咽を繰り返す。なぜこの女はこんなにも内罰的なのだろう。春雨の件で扶桑なりに心を痛め思いつめているのだけは分かる。だが俺には扶桑を罰する理由などない。目の前で泣きじゃくる扶桑をどこか他人事のように眺めながら、俺は闇雲に駆けた裏庭、春雨が手入れしていた小さな花壇を蹴散らしていたことに気付いた。

 

 「春雨(アイツ)はさ、そこに花を植えてたんだ。執務室にも潤いが欲しいとか言い出してさ。ある日花束を抱えて執務室に来た時は何事かと思ったけど…。でも、俺が踏み荒らしたんだな」

 

 俺はそれ以上何も言わず、扶桑を残したまま執務室へと戻ってゆく。そこで俺を待っていた羽黒と鬼怒の戦闘報告により、事態の全容を把握することができた。

 

 

 

 「第一艦隊、対空戦闘をしつつ後退し第二艦隊と合流っ! 全員速やかに撤退しろっ!」

 

 今までに聞いたこともない、提督の厳しい声です。マノクワリ沖で空襲を受けている第一艦隊旗艦の鬼怒さんから緊急電が入り、一気に事態が緊迫しはじめます。司令官から即座に撤退の指示が入り、第二艦隊もまた騒然とし、扶桑()は思わず着物の袖をきゅっと握りしめます。第一艦隊の直掩につけた瑞雲隊からの連絡は既に途絶しています。今手元にあるのは第二艦隊(こちら)の直掩を担当している一〇機ですが、すぐさま第一艦隊の援護に差し向けます。

 

 羽黒さんが先陣を切って第一艦隊へと向かい疾走を始めると、妙高さんがそれに続きます。ちらりと振り返ると、しばらく逡巡していた青葉さんが、覚悟を決めたような表情で屈伸を始め、それに従う様に風雲さんに朝雲も準備運動をしています。トラック勢は現地司令の保全命令が優先されていたのでは?

 「進行方向にいる敵勢力と()()()()出会ったら、排除しないと流石に危ないですからね~」

 気軽そうに言いながら、主機の回転を上げ羽黒さんを追いかけはじめました。

 

 「扶桑さん、敵艦隊も動き出しているようです。最大砲戦距離に入ったら全門斉射お願いしますっ!!」

 

 皆それぞれの決意と覚悟で、空襲に見舞われている第一艦隊を救援すべく向かっています。みるみる小さくなる背中を見送りながら、私は…それでも動けませんでした。

 

 -また大破だと? 超弩級なのは修理費と消費資源だけか、まったく…。

 -時代は変わったんだよ。お前のような欠陥戦艦が生き残れる戦争じゃないんだ。

 

 かつて佐世保に提督の言われ続けた言葉が私の手足を縛ります。私だってこの国の古称を背負う超弩級戦艦です、例え速度が遅かったり防御に不安があっても、全力で戦いたかった。ですが繰り返し言われ続ける否定の言葉に、いつしか私の心は自分自身を受け入れることができなくなっていました。それでも、卑劣で破廉恥な要求だけは拒み続けました。その結果、無理な作戦に駆り出され、損傷もそのままに単艦で放り出されるように転属を命じられ、ここに辿りついたのね。

 

 『だいたい満足な整備もせずに出航させるなんて佐世保は何を考えてるんだか…。まず入渠、その後補給を済ませてくれ』

 

 当たり前のようにそう指示を出した、一人の男性の薄い笑顔が唐突に脳裏に浮かびます。そう、槇原大佐が今の私の提督。屈託のない笑顔と折々の軽口に、私もつられて笑うことが増えてきました。それに自分で気づいた時、それ以上に色々な事に気付きました。すでに私は提督の一挙手一投足を目で追う様になっていること、そしてその視界の中にはいつも春雨さんも一緒にいること、そして…私はいつもそれを見ているだけのことにも。なぜ私じゃないの―――?

 

 通信にはひっきりなしに羽黒さんや妙高さんから連絡が入りますが、耳には入っても頭には入ってきません。ですが、最後に耳に飛び込んできた言葉で、私は我に返りました。

 

 「扶桑、春雨たちを守ってくれ。全員が無事に戻ってくるのにはお前の力が必要だ…頼む」

 

 私は…何を呆けていたのでしょう。『お前の力が必要だ』-艦娘としての私がずっと待ち焦がれていたその言葉に、体中の血が湧きたつような感覚に襲われます。壊れてもいい、主機を全開以上に上げ、マノクワリ沖に向かい突撃を始めます。

 

 

 たどり着いた先に待っていたものは、第一艦隊の()()でした。私が…動けなかった、から…いえ、動かなかった…?


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