いわゆる
「はい、どうぞ。春雨特製、麻婆春雨。たっ、食べて!」
時刻は
「ん、さんきゅ。じゃぁ遠慮なく
日は暮れ、森に囲まれた神社の境内は南洲たちが起こした焚火以外に灯りはない。南洲もすでにサングラスを外し、昼間ビスマルクに接していたのとは打って変った優しい目付きになり、くだけた口調で春雨に応じている。
作戦活動中の軍人の食事と言えばレーションと相場が決まっているが、これについては春雨がよほどのことがなければ認めない。あくまでも自分が作った食事を三食南洲に用意すること、それが春雨にとって大事なルールとなっている。
「も、もう、南洲ったら…」
焚火に照らされているので顔色の変化は分からないが、それでも春雨が恥ずかしそうな嬉しそうな表情をしているのは誰の目にも明らかだろう。メイド服を着た桃花色の長い髪の少女は、自分が作った食事を黙々と、それでいて健啖に食べ進む体格のいい軍人を満足そうに眺めながら、自分も箸を進め出す。
◇
「ねぇ南洲、本部からの指示は
食後に用意したジャスミンティーの入ったマグカップを膝に置き、春雨は南洲に話しかける。ビスマルクが依頼した提督と秘書艦の暗殺に対し、本部からの指示は提督の暗殺。その違いを春雨は指摘する。
「女の敵は女、ってやつじゃねーの? 指揮命令権上明確に上位にある提督からの無理難題と、秘書艦とはいえ本来同じ立場にある艦娘に強制されるそれでは、受け取る側の感情がまるで違うんだろう…。本部にとってもあのイカれた辻柾の行動は看過できないが、戦果は挙げているようだしなかなか手を出せなかった。そこでビスマルクの願いを聞き届ける態で暗殺が指示された、ってところか。艦娘同士の事は艦娘同士で勝手にしろ、ということだろうな」
ビスマルク、というよりは鎮守府内の他の艦娘達の心理を忖度しながら、南洲もジャスミンティーを飲みつつ答える。
後部ハッチを開け放ったハンヴィーのカーゴルームに隣り合って腰掛ける二人。その距離を少しずつ春雨が縮めてゆく。それに気づいていても南洲は何も言わず、春雨のしたいようにさせている。
春雨が南洲の左肩に頭をつける。残念ながら南洲との身長差が大きく、春雨が望むような、肩に頭を預ける、という訳にはいかないのが、彼女にとって悩みの種でもある。
「要は二人が鎮守府からいなくなればいいんだ。抹殺も排除も結果としては同じことだ。羽黒があの羽黒なら回収する。そもそも俺の部下なんだしな。辻柾には俺の知りたいことをどんな手を使ってでも全て吐いてもらう。その後? …お前が気にすることはないさ」
羽黒を自分の部下、と言った南洲の言葉に悲しそうに目を伏せる春雨。どれだけ時間が経っても、
春雨は頭を南洲の肩に付けたまま、彼の腕に強くしがみ付く。
◇
かつて『渾作戦』と呼ばれる、深海棲艦の勢力下にある海域での強行輸送作戦が企図され、作戦遂行およびそれにより生起する海戦の勝利、事後の海域支配のため設置された前進基地があった。今はもう存在しないその前進基地こそ南洲が率いていた場所であり、羽黒はその主力を成す高練度の重巡であった。
春雨の暖かさを左腕に感じながら、南洲はその視線を消えかけている焚火へと彷徨わせている。今回の目標は、すでに南洲にとって鎮守府の提督ではない。ある日突如として行方を眩ませた作戦参謀の辻柾信彦。この男には、何が何でも確認しなければならないことがある。
◇
-
鎮守府の西側に広がる森林の中。鬱蒼と茂る木立の間を抜け、南洲と春雨は身を潜めながら前進を続ける。もう少しで、鎮守府の正門が窺える位置まで進出できる。
春雨は、昼間の服装とは微妙に異なり、戦闘に備え肌の露出を避けた長袖と膝丈のメイド服を着ている。動きにくいだろうに、との指摘もあるだろうが、艦娘の運動能力を考えれば大きな問題ではないのだろう。既に艤装を展開している春雨の姿は、彼女を艦娘だと知らなければ異様なものだ。深夜の森を行く、背中に大きなHトップの煙突を背負い、左手には砲塔を備え、右手には肩に巻かれた鎖から繋がる白い
その春雨の後方から南洲が進む。さすがに夜間の今、サングラスは勿論つけていない。昼間とは異なる、NWUパターンの
「さあ
春雨が無言でうなずきながら、エプロンのポケットから液体の入ったアンプルを2つ取り出し、パキッと先端を折る。その傍らで南洲は、右袖を肩で留めている4か所のボタンを外し、袖を外す。夜目にも鮮やかな白い右腕がむき出しになり、その肩は厚手の包帯のような布で幾重にも巻かれている。
「南洲」
春雨はアンプルの一つを南洲に渡し、自分も残った一つを飲み干す。南洲は少しの間だけアンプルを眺めると、嫌そうな表情で飲み干す。反応速度に運動能力や筋力、そして感覚を強化し、戦闘能力を一時的に大幅に向上させる。そして何より―――。
「ったく、何で必要ないのにお前までアンプルを飲むんだよ? 止めろって何度も言ってるだろうに…」
艦娘である春雨は、
現実逃避と愛情が綯い交ぜになった複雑な感情に、春雨もまた深く飲まれてゆく。
そんな春雨の姿に悲しそうな視線を向ける南洲の両目は、赤く輝く右目と漆黒の左目から成っていた。昼間にビスマルクが感じた、サングラス越しに赤く光る南洲の目。それは単なる感覚ではなく事実だった。
「ご武運を」
春雨が言葉を掛ける。それをきっかけに、南洲が自らの右肩に巻かれている厚手の包帯のような布を、浅黒くゴツゴツした左手で乱暴に引きはがす。右肩から先、指先に至るまでの右腕全体は真白く、まるで他の誰かの腕を接ぎ木したような違和感を見せる。そしてその白い右腕は、夜目にもはっきり分かるほど輝き始めた。