逃げ水の鎮守府-艦隊りこれくしょん-   作:坂下郁

108 / 109
 仁科大佐の過去へと話が進み始める。


108. 胸に秘めた焔 - 前編

 「さして難しい手術でもありませんでしたが、なぜ態々私の手を煩わす必要があったのでしょうね。やはり実験兵装として、右腕に精神感応波をエネルギー変換する銃でもつけた方が…」

 「大佐、あんなに可愛い子の右腕が銃だなんて……想像すると意外と…悪く、ない…?」

 

 顎を僅かに支えながら小首を傾げる大鳳は、先ほどまでの来客を思い出し危うい感想を口にしている。口では物騒な事を言ってる仁科大佐だが、さすがに本気ではなかった。自分の力を必要とする患者が日本から危険を押してこの地を訪れると、ドーベルマンのようにガラの悪い不健全な知人に頼まれれば断りにくかった。

 

 「まぁ、最大の理由は暇だったから、ということにしておきましょう。……まさか昔を思い出したとは、言いたくないですし。まったく、最近どうも感傷的になってしまいますね…」

 

 軽く肩を竦め何かを思い出したような表情に変わった仁科大佐は、ふと相好を崩す。

 「感傷的ついでに、前から検討していた事をしましょうか。大鳳、出かけますよ」

 

 

 「FuXXing Batmobile, pull over!!(そこのバッ○モービルッ、止まれっ!!)

 背後から猛追してくる数台のポリスカーが、大鳳は気になって仕方ない。ちらちらと後ろを振り返り、仁科大佐の横顔に視線で訴えるが、ハンドルを握る大佐は一向に気にせず、アクセルをべた踏みする。500馬力超の大排気量V8エンジン+小型ジェットエンジンを搭載した、二人の足となる一台の軍用特殊車両『タンブラー』。形状はそのまんまビギンズやライジングに登場したバット○ービル的サムシングである。果たしてあっという間にバックミラーのポリスカーは米粒より小さくなり、タンブラーは目的地の小高い丘の頂上まで駆け上がっていった。

 

 「元々槇原南洲用の特殊車両だったようですが…だとすればこの車両の名は、タンブラー(曲芸師)ではなくトライアングラー(三角関係)の方がしっくりきますね」

 

 乱暴で短時間のドライブを経て、辿り着いた小高い丘の頂上からはパールハーバーとホノルルの市街を見下すことができる。風に白衣を靡かせ股間をそよがせながら、さて、と大佐は大鳳を振り返る。白衣の中はお馴染みのホットリミットスーツではなく、黒のブーメランパンツだけを着用し、その両脇を伸ばして交差させるように肩に通している。その表情はいつもとは違い真剣な相を張り付けている。あまり見ない大佐の表情に大鳳も何か重要な事が語られる、と身構える。それは想像していたより大事だった。

 

 「アリゾナに目覚めてもらおうかな、と。随分長い事眠りこけているようなので、ちょっと大きな()()()()が必要かと思いましてね」

 「ええええええぇぇぇぇーーーーーっ!!」

 大鳳が大きく叫び、視線は大佐の背後に現れた陸奥の41cm連装砲の砲塔に集中している。砲身に陽光を反射させる鉄の暴力の象徴。大鳳には整備と補給に難ありと説明、実際にはあと数回しか使用できず大佐自身がその不使用を決めていたはずの力。それに、この砲でアリゾナを起こすというのは、すなわち砲撃を加えることに他ならない。

 

 「いえ、別にそんなつもりは元々無かったのですよ。パールハーバーを手に入れてからゆっくり起こせばいいと思っていたのですが、予定を早めてでも実行しておいた方がよいかと考えが変わりまして」

 

 大佐が最後に呟いた、貴女の護衛も必要ですしね、の言葉は小さすぎて風にかき消され大鳳の耳には届かなかったものの、流石に言ってる事が理解できない、と首を傾げ怪訝な表情を見せる。理解されない事が理解できないと言わんばかりの表情で、大佐は静かに、そして熱く語り出す。

 

 「彼女は無残なまでに、ヒトのセンチメタリズムとパトリオティズムを満たすため利用されている。多少撃たれなければ、自分が戦船だということも思い出せないでしょう。手荒く無粋な方法ですが、必要な時もあります。目覚めた後には、私が再調整を加えます」

 

 決然とした表情で腰を落とし、砲撃体勢を取り始める大佐。補給や整備等の現実的な問題、あるいは真珠湾強奪という目標、それらを度外視してもなお砲撃を敢行しようとする姿を見て、大佐は本気なんだ、と大鳳は感じざるを得なかった。でも…でも―――。

 

 「…どうしました、大鳳?」

 

 必死の表情で背後から連装砲の砲塔にしがみ付く大鳳に、僅かな不愉快さを滲ませながらも、大佐は冷静に問いかける。

 

 「………す、…め…です。……ダメですっ!!」

 

 たっと走り出した大鳳が大佐の前に回り込み、小さな体全体を使い立ちはだかる。

 

 「大佐…私が艦娘として甦るまで随分長い時間がかかりました。それは…私に戦う準備と決意が整うまでに必要だった時間です。アリゾナさんの魂が今どこに眠っているのか、私には分かりません。でも、彼女が目覚めないのには理由があるはずですっ。お願いです…お願いですから…」

 

 普段は大佐に逆らう事のない大鳳が必死に訴えかけ、大鳳の望みを断る事のない大佐が一歩も引かない。どれだけの間二人は見つめ合っていただろうか。視線を外した仁科大佐が、ふうっと溜息を吐き艤装を格納する。両掌を上に向け大げさに肩を竦めて首を横に振る、見ている相手を意外とイラっとさせるアメリカンなポーズでおどけ、大鳳に優しい表情で語りかける。

 

 「…アリゾナの件は保留にします。貴女にそんな顔をさせる価値のある事は、この世界に一つもありません」

 

 ぱあっと笑顔を浮かべた大鳳だが、目の端にはうっすらと涙が浮かんでいる。すっと伸びてきて来た仁科大佐の指がこぼれる直前の涙を掬い上げ…そのまま涙を口元に運んでゆく。

 「うむ…弱アルカリ性、組成は…水分98%、あとはアルブミンとグロブリンによるコクと、リン酸塩による仄かな塩味。大鳳、あなたの涙は美味ですね。体の一部がHOTになります」

 

 満足そうに指をぺろぺろ舐めながら単装砲の仰角を目いっぱいに上げる白衣の男を、安堵と笑いの両方で止まらない涙を拭いながら、大鳳は安心したように思いの丈を口にする。

 

 「…こんな時でも変態……でも好きっ」

 

 -たとえ偶然でも、貴女がその言葉を口にする度、私は救われるのです、大鳳。

 

 何も言わずにっこりと笑った仁科大佐は改めて大鳳に手を伸ばす。その手を取った大鳳とともに、二人はタンブラーに乗り込み家路につく。

 

 

 

 それからしばらく経ったある日、正装へと着替えた仁科大佐は、ゲストルームのソファに座り、来客-ハワイ自治政府暫定大統領-と会談の真っ最中だった。そこに大鳳がトロピカルティーを運び、グラスをそれぞれ来客と大佐の前に置くと大佐の座るソファの左斜め後ろに立ち来客とそのSPに警戒の視線を送るようで…送っていなかった。

 

 「ありがとう、大鳳。どうしました? そんなにまじまじと私を見るなど? …ああ、これですか、本来私が着るべき衣装ではありませんが、こういう時には必要でしょう。久しぶりだと思いますが、しばらくの間我慢してください」

 

 大佐はそう言った。だが大鳳はそう思わない。真っ白な第二種軍装に身を包んだ仁科大佐の堂々とした姿と振る舞いは、一軍を率いる指揮官としてどこに出しても恥ずかしくない。普段のエキセントリックな恰好も捨てがたいが、これはこれでまた違った魅力がある、とぽーっと頬を上気させ見とれていた。

 

 結論から言えば、アメリカ政府はパールハーバーの管理をハワイ自治政府に委嘱し、同政府は真珠湾を仁科大佐の租借施設として認める、という内容で合意に至った。国と個人間で租借条約が締結されるなど前代未聞である。ただしアメリカに対し方法の如何を問わず敵対的行動を起こさない、深海棲艦の攻撃を受けた際にはハワイの防衛義務を負う、平時の物資補給は自前で、真珠湾外ではハワイ自治政府の定める法を居住者として遵守する、着衣の布面積を増量する、等細々と仁科大佐を縛る条件が付されている。

 

 艦娘の開発技術では日本の遥か後塵を拝するアメリカが、偶然手に入れたロシアの艦娘ガンクートの修理に困り果てていた時に、ハワイに不法入国していた仁科大佐を利用したのが事の発端だった。以来アメリカはエージェントを送り込み大佐のラボからデータを盗もうとしたり、大佐がウォール街を標的に金融テロを企てようとしたり等、水面下ではどっちもどっちの争いを繰り広げた結果、多くの部分でアメリカ政府が折れた格好になる。

 

 「よろしいでしょう、これまで取り決めた内容に対する齟齬は見られません。では私も署名するとしましょうか…む、インクの出が…。やはり私の愛用の万年筆でなければ」

 

 ソファから立ち上がりキャビネットへと向かった仁科大佐を見て、ハワイ自治政府暫定大統領も大鳳も口をあんぐりと空けるしかできなかった。

 

 正面から見れば真っ白な第二種軍装を着こなした折り目正しい海軍軍人、振り返った後姿はまっぱ。首から背中、臀部、裏腿から脹脛に至るまで裸である。第二種軍装は前半分だけの装いであった。

 

 「何を驚く必要があるのです? どうせお互い守る気のない条約ですが、当分は有効でしょう? アメリカ政府もあなた方(ハワイ自治政府)も、裏で何か企んでいるのは明白。私もそれに合わせた装いにしただけのことです。………さあ、署名は完了しましたよ。用が済んだらさっさと帰ってください。こう見えて私は忙しいのです。それとも、身をもって技本の技術を体感したいですか? いつぞやの男のように」

 

 にやり、と凄絶な笑みを浮かべた仁科大佐に恐れをなした来客一向は、ほうほうの態で逃げ出し、応接間には大佐と大鳳が残された。

 

 「さあ、次は貴女の番ですよ。定期検査には少し早いですが、ラボで検査です」

 

 第二種軍装(前半分)を脱ぎ捨ていつもの白衣を纏うと、すたすたと地下のラボへと向かう大佐を慌てて大鳳は追いかける。大佐にそれを話したのは、数日前の朝食の時。最近ボーっとする事があって、ちょっとした事を忘れてる時がある、という内容。大佐もその場では、おやそうですか、とハイビスカスティーを優雅に飲みながら何気ない返事を返していた。ただそれだけの話だったと大鳳は思っていたが、大佐の本心は違ったようだ。

 

 「大鳳、万一があってはいけません、入念にチェックしますよ」

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。