逃げ水の鎮守府-艦隊りこれくしょん-   作:坂下郁

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失くした物を取り返すには、得た時の何倍もの努力が必要になる。それでもそうせずにはいられない、一人の元提督と艦娘の物語。


Mission-1 追いかける男
01. メイド服と元提督


 防波堤に腰掛ける一人の少女。その横には幾匹かの魚が入った、フタのついた大きな黒い飯盒がバケツ代わりにされている。慣れている、とは到底言えないおっかなびっくりな手つきで餌をつけ、ひょいっと釣り糸を海へと投げ入れる。

 

 「はぁ…急になめろうが食べたいとか言い出すなんて。でも、こうやっていそいそと釣りに来ちゃう私も私ですね」

 

 なめろうとは、房総半島沿岸に伝わる郷土料理でたたきの一種。青魚の三枚おろしを捌いた上に味付けの味噌・日本酒とネギ・シソ・ショウガなどを乗せ、そのまままな板の上などで、包丁を使って粘り気が出るまで細かく叩く、漁師料理が原型ともいえる料理だ。その調理法から、使う魚の鮮度が命とも言える。

 

 釣りをしている彼女は、依頼したであろう人物について愚痴をこぼしながらも、クスクス微笑み始める。まんざら悪い気もしないのだろう。おそらくはなめろうに舌鼓を打つ依頼主の姿でも想像したのか、紅い瞳が嬉しそうな形に変わり、長い桃花色の髪の毛を頭の左側で片括りにしたサイドテールが揺れる。

 

 白露型駆逐艦五番艦 春雨。

 

 その服装はおなじみのセーラー服を模した制服ではない。頭にホワイトブリムをつけ、フリルで飾られた白いエプロンを付けた、いわゆるメイド服だ。バレンタインデーにも着たことがある格好だが、今は季節が違う。半袖にフリルのついたミニスカート仕様だ。すらりと伸びる脚は膝上まである黒いストッキングで覆われているが、その形の良さは隠しようがない。いずれにせよ釣りに似つかわしくないのは確かだが、本人は気にしていないようだ。

 

 「これだけあれば十分ですね、はい」

 

 それでも5匹目の魚を釣り上げ、悪戦苦闘しながら釣り針を外しバケツに放り込もうと体をひねると、妙なものが視界に飛び込んできた。

 

 「にゃあ…にゃあ!…にゃ?…にゃぉん!?」

 

 四つん這いで近づいてきた少女が、魚を盗もうとしている。緑色の襟がついたセーラーの上着にホットパンツ、薄い紫色の髪、どうみても猫ではない。

 

 目が合う。

 

 「猫です。多摩じゃないにゃ」

 「や、やめて~!」

 

 どこから見ても球磨型軽巡洋艦二番艦の多摩である。確かにこの防波堤は鎮守府に近く、野良多摩が出没しても不思議はない。

 

 慌てた春雨がバケツ代わりの飯盒を抱きかかえるように盗難を防ごうとした拍子に、手にしていた魚が手を離れ海へと放たれてしまった。魚の行方を目で追っていた多摩は、つられて海へ向かって飛び込んでいった。

 

 派手な水音を背に、春雨は釣り道具を片づけると、魚が4匹入った飯盒を携え、防波堤を後にし、鎮守府とは反対の方向へと歩いてゆく。

 

 

 

 歩くこと15分、さびれた港の商店街を抜けると、木々に囲まれた小さな寂れた神社がある。神職が不在になり随分経つのだろう、至る所が荒れている。春雨は神様の通り道の真ん中を避けて鳥居をくぐり、玉砂利の敷かれた参道を歩き拝殿へと進む。なめろうの依頼人は拝殿の廊下にだらしなく横になっていた。

 

 「戻りましたよ南洲(ナンシュー)、…罰当たりな格好ですね、あなたは」

 呆れたように春雨が言う。拝殿の廊下に斜めになって横になり、片足は廊下の縁からだらんとおろし、もう片足はブーツのまま廊下に置かれている。自分の右手を枕にし、気だるそうに首だけを動かし春雨の方を見る。姿勢のことをさておけば、短く揃えられた髪型にサングラス、大柄で筋肉質な体型と日に焼けた浅黒い肌は、モルスキンのカーゴパンツとレザーのライダースジャケットと合わせ、精悍な印象を与える。

 

 「気にすんな春雨(ハル)。この神社はとっくに廃れてる。神様御不在ってやつだ」

 

 春雨は肩をすくめてやれやれという表情を浮かべる。

 

 「すぐに用意しますので待っててくださいね」

 境内に勝手に乗り入れたハンヴィーから調理道具を取り出す春雨。まだ生きている手水場(ちょうずば)へと魚を持っていき、そこで捌きはじめる。釣りとは対照的に、慣れた手つきで鱗を落としゼイゴを取る。内臓もきれいに取り除き、手水場の湧水で魚を洗う。この二人、どちらも確実に罰当たりだ。

 

 「神様に怒られるよりも、私は南洲がお腹を空かせてる方が嫌ですから」

 

 なめろうの調理自体は難しくない。とんとんとんと魚を叩く音が境内に響く。

 

 「さぁできましたよ、私も一緒にいただいてもいいですか」

 日本料理は目でも楽しむというが、せっかくのなめろうが盛られているのは軍支給のアルミ皿だ。実に味気ない。南洲と呼ばれた男は、体を起こすと、あごで車を指す。春雨がいそいそと車に行き、日本酒と、これまたアルミのカップを持ってくる。が、渡さない。

 

 「…飲みすぎないって約束してくださいますか?」

 背中に酒瓶とコップを隠し、じっと南洲を見つめる春雨。

 

 「…結局飲むのに、毎度毎度このやりとり必要か? お前は俺の嫁かよ…まぁいいや、約束するよ」

 言いながら手を差し出し催促する南洲。『俺の嫁』の言葉で、春雨はむしろ顔を赤くしながらお酌を始める。

 

 時ならぬ神社での宴。拝殿の廊下に膝を開いた横座りで座るミニスカメイド服の春雨と相変わらず寝そべっている南洲。二人の中央にはなめろうと日本酒が置かれている。春雨のその姿勢では、南洲からミニスカートの中が見えそうだが、うまい位置に置かれた日本酒の四合瓶が南洲の視線を遮る。

 

 

 槇原 南洲(まきはら よしくに)、通称ナンシュー(そう呼ぶのは春雨だけだが)。

 

 彼はかつて泊地はおろか警備府にも届かない、小さな前線基地の司令官だった。統治期間の前半は春雨、時雨、白露、村雨、青葉などを中心とする部隊、後半は扶桑、妙高、羽黒、飛龍、蒼龍を中核とする部隊がそれぞれ配備され、作戦目標となる渾作戦遂行のため、前線基地にしては過剰ともいえる戦力が配備されていた。戦況は日に日に激しさを増す中、それは起きた。

 

 その夜、彼の基地は急襲された。既に深夜であり混乱の中反撃もままならず南洲自身も瀕死の重傷を負い、多くの艦娘が犠牲となった。深海棲艦の攻撃か、それとも事件か事故か、あるいは艦娘の反乱か…原因は判明せず、結局謎は謎のまま、体面を重んじる艦隊本部の命により南洲のいた基地は閉鎖された。

 

 

 死の淵から生還した南洲は、軍の諜報・特殊任務群と呼ばれる特務部隊に所属することとなった。表に出ない()()の遂行と、技術本部の開発した新兵装の試験で機能効果の検証を行う。南洲は汚れ仕事を請け負う『狗』として、春雨を唯一のパートナーに、いつ終わるとも知れない殺し合いの日々を送る。

 

 自分たちを襲った敵を追い求め復讐を果たし、生き残った艦娘のためもう一度安住の場を取り戻すこと、それだけを心の支えにして。


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