――やっぱり、空からであれば探しやすいし、調べやすいなぁ。
チェルシーは しんどい思いをしつつも、改めてそう思っていた。
空を飛んだ為、山道も、もう少しで終わる事も確認出来て、よりテンションが上がる気持ちだった。
「鳥は……、疲れるけど、まぁ よしとしようかな。目当てのモノ、見つかったしっ♪」
チェルシーが変身している姿は、メガフクロウと呼ばれる人程の大きさの鳥。元々この辺りにも生息している為、擬態としては十分過ぎるだろう。一応、警戒をして選んだ事と、この種が最近になって、少しだが慣れてきた事もあって、チェルシーはこれを選んだのだ。
そして、目当てのモノ――、そう 丁度良いサイズの湖だ。
透き通る程、綺麗な湖で 上空から見てみても、そこには大型の生物は存在していないし、見えているのは、小魚が数匹。底まで見える程の綺麗さだった事も、喜ばしい事だ。水浴びに最適だと言えるから。水棲生物も、出来ればいない方が有りがたいので、いるのが無害な魚だけで良かった。
「よっ……っと」
翅を畳み、滑空して 手頃な岩に着地すると、変装を解除。
「ふぅ。うふふ……、こーいうの、待ってたのよね……。最近、野宿が多くて多くて……。まぁ、欲を言えば、終わった後に温泉が一番なんだけど、この際贅沢言わないわ」
綺麗な湖は、自分の身体を洗い流すには最適だ。
更に言えば、
「んー、誰もいないとは言え、流石に全裸になるのは、ちょっぴり不安だからね。(タエコさんは、思わないと思うけど)」
と言う訳で、水着に着替えたチェルシー。
空からも確認したし周りには誰もいないけれど、万が一が有りえる。……その辺りの羞恥心はしっかりと持ち合わせている様だ。
ゆっくりと、足から湖の中に入っていく。
「……ひゃー、冷たくて気持ち良い~。ほんと、生き返る~……」
足をゆっくりつけて、温度が低めの湖の水の冷気が頭にまで昇ってくる。……山道で汗を掻き、更に空を飛んで、色々と疲れた身体には最高のモノだ。
そして、今度は、水を手に掬って、身体に掛けて慣れさせると、軈ては全身を浸からせる。
「う、ぁぁぁ~~~」
思わず悶えてしまいそうなチェルシー。
久しぶりに味わう至福の時、と思っているのだろう。……この後は温泉であったまり、そしてあったかい布団の中に入る……、そんなコンボだったら、一体どーなってしまうのか? とチェルシー自身も思ってしまっていた。
だけど、そんな事よりも、時間は有限。それも休憩時間ともなれば、更に短い。今の至福を堪能する事に集中させていた。
「(あんまり遅いと、
後ちょっと、後ちょっと、と誰に対して言っているのか判らないけど、チェルシーは延長を所望している様子だ。後で、己の身に色々と降りかかってくるだけなので、別に問題ではないよ、と言いたい。
だが、そうも言えない事態が起こる。
突然、湖に何かが落ちた様で、“ぼちゃんっ!!” と言う音が聞こえてきたのだ。
チェルシーは、仰向けになって、耳まで水の中に浸かっていたから、更に大きく聞こえてきた様だ。
「っ!」
今は静寂な世界だった、小鳥の囀りさえ聞こえなかったのに、突然音がした為、チェルシーは 咄嗟に忍ばせていた道具を使用し、水面から飛び上がり、翅を羽ばたかせた。空へ逃げるのではなく、まずは湖から出て、そして瞬時に、周囲に生えている木々に紛れる様に化けた。
この湖の上は空しかない。
別に大きな木の枝があったりする訳じゃないから、空から何かが落ちてきた、としか考えられない。
もしも、空に危険種の類がいたりするのであれば、今空へと飛びあがるのは得策ではない。だから、まずは地上から様子を見る事にしたのだ。そして 逃げる事を第一に考えた。
「(人が気持ちよく泳いでたのに……邪魔するのは誰よ……! って、怒って出てったりしないけどね……、ぜーったい……)」
相手が何なのか、そもそも相手そのものがいるのかどうか、それすら全く判らない状況ではあるが、それでも用心するに徹するチェルシー。……極端に言えば、変に深入りせず、寧ろ臆病を心がける事で、生き残る可能性を更に上げていたりしている。
いや、それが、生き延びる為に必要である感性、だと言えるだろう。
何故なら、この世の中は甘くない。……生き延びる者は、強者か臆病者であり、生半可な力を持つ無鉄砲者、言うなら、勇者は死ぬのだ。それが現実である。殺し屋として生きる事を決めたチェルシーは、長く見てきた事であり、今までの自分自身経験から導き出していた。
湖を、そして その上を凝視するチェルシー。暫くは何も起こらず、心配は杞憂か? と思い始めたその時だった。
「(っ!?)」
擬態をしていると言うのに、思わず声を上げてしまいそうになる。
だが、寸前で何とか呑み込む事が出来た。
空から――、何もない上空から、
黒い霧の様な、靄の様な、影がゆっくりと上から降りてきたのだ。……自分自身の頭の中に備え付けてある辞典の中に、あんな生物? は存在しない。全種知ってる訳ではないし、博識である訳でもないが、それでも知る限り、危険種でも あんなのは見た事は無い。一瞬、今所属しているチームの頭領が従えているモノ、に見えなくも無かったのだが、全くの別物である事は判った。
見れば見る程、判らない。……闇だったから。まだ明るい時間帯だと言うのに、その場所だけ、夜が現れた? と思える程に暗い。
「(何……? アレ……?? でも、何かヤバイ。……間違いなくヤバイ。ヤバイって信号が出てる)」
未知との遭遇は、この仕事をしていて、別段珍しい事ではないが、これまでの経験から育まれた感性が、チェルシーの中で警告音を盛大に鳴らしていた。
――動いてはダメ。逃げようとしてもダメ。
変身していても、まるで 意味を成さない。何故か、そう思えてしまうのだ。一刻も早く、離れたいのに、離れる事が出来ない。木に変身したから、まるで根が地中に延びてしまった、と思える程、足が縫い付けられてしまった様に動けなかった。
「(こんななら、タエコさんと一緒に……っ。で、でも ダメ。私じゃないと、こんな隠れ方出来ないから)」
身体が身震いしてしまう。見れば見る程、身体が震えてしまう。恐怖から、と思っていたチェルシーだったが、何か判らない。恐怖以外にも、何かがある。自覚は無いけど、何かを感じていた。
軈て、その闇の塊は、湖の上に立つ様に浮かぶと……ゆっくり、ゆっくりと 闇が薄くなっていく。そして、闇の中心部が一瞬光ったかと思えば、次の瞬間 闇が周囲に吹っ飛んだ。
「(!!)」
そこに現れたのは、男だった。……目算ではあるが 大柄の男、と言う訳ではない。自分よりは大きい。タエコより少し大きいくらいだろうか。黒い髪が一陣の風で靡く。……闇色の髪。そして 黒いコートを羽織っていて、そのコートも風で棚引いていた。
『んー……んん?』
男は、周囲をキョロキョロと見渡していた。
まるで、何かを探しているかの様に。
「(……まさか、私っっ?? 私探してるのっっ!?)」
――私、何か、悪い事しましたか!?
と、思ったチェルシーだが、現れた相手に、直接確認できる様な度量は間違いなくありません。
とりあえず、裸じゃなくて良かった、と一瞬だけ思ったけど それどころじゃない。
突然空から何かが降りてきて、その何かは闇? を纏ってて、それが晴れたかと思えば人間(多分)が出てきて……、何から何まで 妖しすぎる。
「(帝具使い……、そう考えるしかない、かな? 只者じゃないって事は間違いなさそうだし……。……もうっ、益々動けないじゃない! ああ、なんだってこんな事に……)」
チェルシーは 木に化けたのは正解なのか、不正解なのか、判らなくなってしまっていた。
ここからが、ちょっとしたチェルシーの災難だったりするのである。