────重い瞼を開けた。
広がっていたのはどこまでも続く水平線。
どうやら浜辺にいるらしい。
辺りを見渡すものの、黄昏に輝く浜辺にはどうやら独り。
波の音が永遠に物悲しく木霊している。
何故こんな所にいるかは分からない。
確かそう、ここに来る前は──────いや、忘れてしまった。
とてもこの風景が懐かしく、心地良く想えてくる。
余計な考えなど不要というように、海に洗い流されてしまう。
と言っても、この穏やかな風景始めて眺めたものだ。
俺が観ていたのは…………確か────
「───おやおや、迷い込んでしまったか?■■■・■■■■」
気配は皆無だった。
だが、確かに俺の後ろから声がした。
最後の方は何故か聞き取ることが出来なかったが……。
振り向くと、黒いボロボロのマントを羽織った男が一人立っていた。
「アンタは……?」
この男の雰囲気は不気味だ。
違和感と言っていい、同じ人間とは思えない。そんな感覚。
見た目は陰険な痩せ型の男であるが、その瞳には俺に語り掛けているにも関わらず、俺の姿はまるで写っていない。
「名乗る名は多々ある。
が、此処では『カリオストロ』と名乗っておこう」
彼はそう名乗った。
「カリオストロ」という名前に少々の疑問を覚えたが、何か事情があるのだろう。
詳しいことは聞かなかった。
今はこの場でゆっくりとしていたい。
この男なんてどうでもいい。
そんな気分になっていたからだ。
「安息を求めるのか。
残念だが、お前にこの場は似合わんよ。
安らぎを求めるにはまだ早いというものだ」
「……どういうことだ?」
だが、それを彼は拒んだ。
抑揚はないが、どこか舞台染みたような口調で語る男。
口から出る台詞は、まるで俺に呪いでも掛けるかのように紡ぎ出された。
「例え、前世であろうが後世であろうが、必ずお前は復讐を一つ遂げなければならない。
それは最早使命だ。
恨み憎み続け完遂するまで、想いは留まることを知らない」
「ま、待ってくれ……復讐って……」
「それを乗り越えた時、お前に安息を約束しよう。
こう見えても、剣に封じたあの女と違いお前には少々期待をしている」
一方的なその語りは、ふと記憶にある出来事を思い出させた。
そう。俺はあの時────「彼女」を見て意識を失った。
思い返せば、目の前の男を見て感じている違和感と、「彼女」を見た時の感覚はどこか似ている。
今になって何故この事を思い出したのか。
直感的に彼の言う「女」と俺の思った「彼女」が同一人物だと思ったのだろうか。
俺自身にも理解できなかった。
「さて、元の世界へと帰る時間だ。
断罪の姫と正義の剣、両方を想い形取れ。
名の通り、罪を断ち、己の渇望する正義を生かせ。
そして唱えろ。
『─────■■、■■■■■■■■』と」
駄目だ。
言ってることが全く理解できない。
どういうことだ。
一体俺は何を見て、何を聞いてるんだ……。
そもそもこれは、本当に夢なのか。
妙に現実味がある。
「お前の最初の祝詞。
力を有意義に使い、復讐を成し遂げてみるがいい」
彼の最後の言葉。
その言葉が耳に聞こえたその刹那、黒マントの姿の後方、遠い砂浜の向こう側に金髪の少女を見た気がした。
◇
「────結局、あれは何だったんだろう……」
「さあな。夢占いなんてやってないし、俺に聞かれても分かんねえよ。
けど、これから良くないことでも起きるかもな」
あれから、気付けば病室で寝ていた。
美術展で気絶した俺は、即座に地元の病院へと運ばれ、それから一日中眠っていたらしい。
そして身体中を検査したのだが、結果は原因不明で、異常なしとの診断。
それから一日だけの入院を経て、今日退院したに至るわけである。
「そんなこと言うなよ……」
「んなこと言ったって、気失う前に『幽霊』なんてもん見たんだろ?
これが良くないと言わず何なんだよ」
目覚めた後、気絶する前の事、眠った後の夢の事、全てをこの友達に話した。
彼の「幽霊」というのは勿論、あの「銀髪の少女」のこと。
「ま、暫くはゆっくり休め。
とりあえず家までは送ってやるよ、『
退院した俺をこいつは待ってくれていた。
口は悪いし、変な趣味を持っているが、こういう優しい所は本当に良い所だ。
ちなみに「薊」というのは名前。
「
生活態度は可もなく不可もなく。
目立ったことは苦手。
友達関係もこの友達を除けば浅く広く。
運動、学力は得意ではないが悪くはない。
割とどこにでもいる奴だと俺は思っている。
「なんか…いろいろとごめんな。
『
この友達の名前は「
多分顔はそこそこカッコいい類。
学力は優秀。運動も得意。
先に言ったように口は悪いが、優しく面倒見が良く、人望もある。
刀とか剣が好きとか、その他諸々の変な趣味を除けば、完璧な男だろう。
俺達は熊本に住み、進学校に通う高校二年生として暮らしている。
来年には、大学に通うための受験で大忙しという生活を控え、今は冬を目の前にした秋。
刀や剣の美術展に行ったのは、学校の休日と祝日の休暇を利用して行っていた。
友達─────もとい、龍雅に連れられて隣の県まで出向いたのだが、まあそこで例の事が起きたわけである。
夢の事もそうだが、あの少女は誰だったのか。
やっぱり幻覚だったのか、龍雅の言う通り幽霊だったのか、それとも別の何かだったのか…。
今となっては全て謎のままだ。
「…別にどうってことはない。
病院に運ばれた時はひやひやしたが、何もないようで良かったぜ」
何にしろ、どうしよもなく今の俺が現実であることに違いないだろう。
不思議体験なんて、ある人はあるというものだ。
そんな体験を出来ただけ、不吉な予感として捉えるのではなく、ラッキーだったと、そう思うことにした。
「まあ、兎に角ありがとう。
明日から連休明けの学校だ。帰りにでも何か奢らせてくれ」
次の日からまた勉学に励む日々が始まる。
背負い込んで無駄にストレスを抱えるわけにはいかないわけだ。
考えたところでそもそもよく分からないというのもあるが、一刻も早く忘れることが吉だろう。
龍雅にお詫びに奢る約束をし、家へと辿り着いた俺は、それから何事もなく一日を終えた。
◇
────某所。美術展会場。
美術館は既に閉館し、館内は暗く、静けさを存分に感じさせた。
「────処刑人の剣は持ち主を見つけたようだな」
そんな静けさを切るように、足音と男の声が響き渡る。
男は何も展示されていない台座を目の前にし、さも残念そうにしていた。
「また探さなくてはならないか……。
全く面倒なことだ……」
勿論、突然起きた異変に対して、この美術館には警備員が数人配置されている。
毎日閉館時間になると、館内に異常がないか監視カメラで様子を確認したり、自分の足でそれを行ったりと、警備を熱心に行っていた。
だが、館内に侵入者が堂々と居る中、誰一人と警備員は駆けつけない。
「────ローラント様。
館内に居た者は、全員始末しておきました。
それと捜索を行いましたが、やはり既に剣は持ち去られているようです」
「そうか。ご苦労」
「ローラント」と呼ばれた男の後ろ。
明かりのない闇の中から、黒い軍服を着用した一人の少女が姿を現す。
見た目では分かり難いが、その服からは鮮血が次々と滴り落ちていた。
「では次の仕事だ。消えた剣を探してこい。
持ち主となった者のことも調べ尽くしてな」
「……心得ました」
少女は男に頭を下げ、彼女のものではない血溜まりを残し、再び姿を暗い闇に溶け込ませた。
「さて私も動くとしよう……。
それにしても一体どんな奴なのだろうな。剣の持ち主とやらは……」
そうして男もまた闇夜に姿を消す。
美術館の館内は、以前にも増した完全な静寂に包まれることになった。