森の大きく開けた場所、そこに真紅の鎧を纏いうつむいたまま微動だにしないシャルティアを胡坐をかいて座る白い人狼が一定の距離を保ち警戒しながら注視している。
すると人間には聞き取る事の出来ない距離の断末魔の悲鳴が耳に届いた。
(あ、死んだか、しかしユグドラシルでもこんな状態は見たことないな)
届いた悲鳴はイグヴァルジのものであったが特に気にすることもなく再び意識をシャルティアへと向ける。
アンデッドであるシャルティアは精神作用を無効化する。ならば精神支配など受けるわけがない。それはフェンリルも知っていること、ならばやはりモモンガの言っていた通り我々の未だ知りえないこの世界の何かによるものなのだろうか、だがそれほどまでに高度な魔法もしくは技術ならば情報収集を行っている他の守護者の誰かの耳にしているはずだが、その欠片も入っていないのはどういうことなのだろうか。
そんなことを考えているとアルベドに先導されモモンガが来た。
「お疲れ様です。何か動きは?」
「何もありません、ずっとあのままです」
たしかに〈水晶の画面〉に映った姿格好と何も変わっていない、その姿勢すら少しも動いた形跡が見受けられない。
「シャルティア」
モモンガの問い掛けにシャルティアは何の機微も見せない。モモンガにその名を呼ばれただけで嬉しさを示すほどに忠誠心に溢れていたナザリックのNPCにあり得ない行動にモモンガはしげしげとシャルティアを眺める。
無視したのではない。その見開かれた真紅の瞳は空虚なもので、意識がそこに宿っているようには思えなかった。
アルベドがそんなシャルティアに憤怒の炎を上げる
「シャルティア!言い訳の言葉すら無く、さらにアインズ様に対しての無礼―――」
「静まれ!動くな!シャルティアに近づくことは許さん!」
一歩踏み出しかけたアルベドを乱暴な口調で制止する。普段であれば滅多に取らない行動であるが、この瞬間だけは自制が利かなかった。
それほどまでにシャルティアの現状に衝撃を受けていた。
「まさか・・・そんな・・・信じられん・・・」
「どうしました?」
「確定です。シャルティアは今精神支配を受けている」
「アンデッドが精神支配?ふむ・・・色々疑問はありますが、何の行動もしないのはおかしくありませんか?」
フェンリルの問いにモモンガは腕を組み、シャルティアを鋭く睨む。
「確かに何故という疑問はありますが、おそらく何者かによって精神支配を受け、そして命令を受ける前に何かが起こった。この場合相打ちになったと考えて、そして命令が空白の状態で置かれた」
モモンガの推理にアルベドとフェンリルが頷く。
「となると不用意には近づけないですね」
接近したり、攻撃をすれば防衛行動を取る可能性がある。悪属性に偏っているシャルティアがとると考えられる行動は攻撃だ。
「アインズ様、ここで時間をかけるのはシャルティアを精神支配した何者かが生きていた場合、長居は危険かと」
「全くだな」
どうやって精神支配を受けたかは謎であるが、ここに居続けるのはモモンガも危険であるため
「これで手っ取り早く無効化するとしよう」
モモンガが指を動かす。そこにはまっている指輪を見てフェンリルが驚きの声を上げた。
「それは!まさか!?」
モモンガが勝ち誇った笑みを浮かべた。
「そうです。超位魔法〈星に願いを〉をリスク無しに、三度まで行うことが出来る。超々希少アイテム、流れ星の指輪です!」
課金ガチャのアイテムの中でも、その出現率の低さに運営が意図的に絞っているんじゃないかという炎上騒ぎにまでになったアイテムだ。
フェンリルも金額はあえて言わないが、中々につぎ込んだが結局出なかったアイテムだ。
「おぉ、実物初めて見たー!!」
〈星に願いを〉は自分の経験値を消費して使う超位魔法である。そして消費した経験値によって魔法の効果が選択肢としてランダムに出て来るシステムになっている。
モモンガが狙う願いは対象の全効果の打ち消しだ。それ以外にもいくつかあるが直接的な効果としてそれを狙う。
「指輪よ!IWISH!」
だが、この時、モモンガもフェンリルもシャルティアはこの世界のまだ見ぬ魔法や技術のせいで精神支配を受けていると思っていた。だがユグドラシルにもたった一つあったのだ。超位魔法を超える力が
「シャルティアに掛けられた全ての効果を打ち消せ!」
ただの魔法とは違う。強力な超位魔法の発動にモモンガは勝利を確信して叫んだ。
だが超位魔法は発動しなかった。いや発動はしたのだがそれよりも巨大な何かに願いは打ち消されたのだ。
「なん・・・だと・・・」
主人の動揺に不安げにアルベドが声を掛ける。
「どうかなさいましたか、アインズ様?」
ユグドラシルを長く遊んだ経験と攻略サイトで得た情報、そしてこの世界に来てから得た様々な情報を結び付け、〈星に願いを〉を使用した時に流れ込んできた情報と使用感。結論が出た瞬間
フェンリルも同様の結論を出していた。
「モモンガさん!」
「撤収だ!アルベド!フェンリルさん!早く!」
転移の魔法を発動させ、ナザリックのすぐそばまで戻ってきたが、余裕なく命じる。
「アルベド!追尾して転移してくる者に警戒せよ!」
「はっ!」
武器を構えアルベドがモモンガの傍に立つ、モモンガとフェンリルも変化する状況に対応できるように身構える。
そのまま時間が過ぎ、モモンガが緊張を解くとフェンリルとアルベドも戦闘状態から平常状態へと戻る。
「クソが!」
緊張感が落ち着くと、モモンガに湧き上がったのは憤怒だった。抑え込まれる怒気だがその度に新たに湧き上がってくる。
「クソ!クソ!クソ!」
モモンガが地面を蹴り上げるたびに大量の土が掘り出される。
主人の今まで見た事のない憤怒にアルベドが恐る恐る声を掛ける。
「あ、アインズ様、どうかお怒りを御静めください・・・」
アルベドの声にモモンガの冷静さが急速に戻る。
「すまない、今の失態は忘れてくれ」
絶対の主人らしからぬ行動を取った事を謝罪する。
「とんでもございません。私のお願いを聞いていただきありがとうございます!ご命令通り全てを忘れさせていただきます。ですが、いったい何がアインズ様のご不快に思わせたのでしょうか?お伺いできれば二度と―――」
「お前のせいではない、アルベド。指輪は発動したが、その願いが聞き届かれなかったと知ったからだ」
黙したまま聞き入るアルベド、そこに割って入るのはフェンリルだった。
「モモンガさん、あれは・・・」
「超位魔法で敵わない力は一つです」
モモンガと同様の答えを導き出したフェンリルは忌々し気に吐き出す
「となると、やはりワールドアイテムですか・・・」
ワールドアイテム、ユグドラシルに存在した二百のアイテム、他のアイテムを超越した世界一つと同等の力を持つバランスブレイカー、それであるならばアンデッドの精神支配など容易いことだ。
「そうです」
それを失念していた。こちらがギルド拠点ごと転移したなら他の誰かが同じく転移したとしてもおかしくはない。そしてその誰かがワールドアイテムを所有していてもおかしくはない、自分が持っているのだから、そうあって当然だ。
そして思い出したのは外に出ている他の守護者達の事だった。
「アルベド、外に出ている守護者をすぐにナザリックに戻せ。帰還したら精神支配を受けていないか調べる必要がある。すぐに玉座の間に戻るぞ、それが済み次第、宝物庫に向かう」
モモンガがシャルティアとの対決の準備を済ませ、戦いの場へと赴こうとしたときフェンリルが自分も共に行くと言い出した。
その申し出に首を横に振る。
「これは私がやります」
フェンリルの力を借りればシャルティアを圧倒し何もさせぬまま倒すことが出来るだろう。
断る事は非合理的だと自分でも思う。勝つための手段、それも必勝という重要なピースを自分で手放すなど普段ならばあり得ないことだ。
だが、シャルティアを殺す。これは他の誰にもさせる事が出来ない、自分だけが、ギルド長である自分にしかできない仕事だ。
それにフェンリルにこれを手伝わせてしまえば守護者達に無用な恨みを買わせてしまうかもしれない。
「そうですか、モモンガさんならそう言うと思ってました」
「え?」
断っておきながらモモンガはフェンリルがあっさりと引き下がった事に不思議に思った。
「まぁ断られると思っていました。モモンガさん責任感強いですから、俺にシャルティアを倒す手伝いをさせる事で他の守護者に恨みを抱かせるような事はさせないだろうなって。それにアインズ・ウール・ゴウンのギルド長としてこれは他の誰にもさせる気はないでしょ?」
見透かされていたのかとモモンガは頭を掻いた。
「そうですね。変だと思われるでしょうけど、私は守護者達の事を子供のように思っています。そしてその子供たちが殺し合うのを見たくないんです」
「そんな事はありませんよ、誰でも大切なものはあります。守りたいんですよね。アインズ・ウール・ゴウンの全てを、だからギルド長としての仕事をしようとしている」
「そうです。アインズ・ウール・ゴウンは私の全てです。だからこれだけは私がしないといけない」
「分かりました。でも付いて行きますよ。モモンガさんの邪魔をさせない為に周囲の警戒くらいはさせてくださいよ」
「危険です!シャルティアを精神支配した相手はワールドアイテムを持っているんですよ!」
どこにその相手もしくはその仲間が潜んでいるか分からない、だがフェンリルは特に恐れる態度を出さない。
「あぁ、それなら大丈夫ですよ。俺ワールドアイテムの効果受けないんですよ。まぁそのおかげでワールドアイテム装備できないんですけどね」
ハハッとまるでその日の天気でも言うように軽く言い放った言葉に、モモンガは驚いた。
「え!?何でですか!?」
「俺の種族忘れてませんか?」
「人狼ですよね?」
「それも一つですけど、俺の種族〈世界を喰らう魔狼〉ですよ。隠し特性でワールドアイテムの効果を受けない、また所持できないってのがあるんですよ」
今、思い出した。そうだフェンリルはユグドラシルで世界の敵とされている種族であった。
「そうでしたね」
「ゲーム内でもなれる人が限られる、というよりなる人が少ないレア種族ですからね。それにその情報が出たら更になる人が少なくなってしまって、そのお陰でなれたっていうのもあるんですけどね」
〈世界を喰らう魔狼〉という種族はユグドラシルでは各ワールドで一名のみがなることが出来る非常に珍しい種族である。公式に世界の敵という設定である為非常に強力で凶悪なスキルやステータスを秘めている。
ある条件と幾つかの特殊なクエストでのみ稀にドロップするアイテムを大量に必要とする為、そのアイテム収集で挫折する者が多く、さらに初めてなった者がその隠し特性の情報を流した為、実際になったことがある者はフェンリルを入れて30人にも満たないレア種族である。
そして何よりも目指す者が少ない理由は、死んだ場合、種族を剝奪されその座が空席になり再度なるには再び大量のアイテム集めが必要となる。その苦行と維持し続ける困難からなろうとする者が少なかったのである。
「だから行きますよ。モモンガさん、せめてそれ位はさせてください」
「分かりました。では周囲の警戒お願いします」
モモンガの言葉にフェンリルが胸を叩く
「任せてください。誰にも邪魔はさせませんよ」
「それじゃ行きますか」
モモンガとシャルティアの戦いは熾烈を極めたものであった。
戦いの場となった大地が乾いた砂漠となるほどに。
シャルティアは打ち取られモモンガの第一目的は果たされた。
だが懸念されたワールドアイテムを使用した者、もしくはその仲間は現れる事は無かった。