来年の夏までには本作を完結させたいです。
呉号作戦第一段階発動からやや時はさかのぼる。
千葉市では屋内退避指示が解除され、代わりに多目的シェルターへの避難指示が発令された。
「よし、必要な荷物は持ったね? じゃあ行こう」
父の言葉を受けて、吉道たち家族は荷物を背負って外に出た。
外には、避難する人々が道を埋め尽くすくらいにごった返していた。
交通の混乱を防ぐため車での避難は禁止されており、住民は消防や警察の避難誘導を受けて徒歩で多目的シェルターへと向かっている。
「本当に怪獣なんているの…?」
愛菜の苛立ちの混じったつぶやきにため息をつきながら、吉道は父の背中についていった。
「人混みが多いからはぐれないように注意しろよ! 俺は途中でひいおばあちゃんを迎えに行くから、三人はマップ見て先にシェルター行ってて!」
「はーい!」
喧騒の中で放たれた父の声を辛うじて聞いていた母が答える。
「でも、こんなに人がいて入れるかな……」
周囲の人々の流れに目をやりながら母が呟く。
「締め出されるかもね、うちらだけ」
愛菜が相変わらず嫌味を言うと、母は「そんなわけないでしょ」と冗談っぽく笑った。
我が家の女子は二人ともなかなかタフな精神だなと吉道は思った。
やがて、歩みを進める人々は、上空から何か物音がするのを耳に拾った。
吉道も何かに気付いて上を向くと、そこには驚くべき光景が広がっていた。
見たこともないほどの数の航空機の群れが、列をなして東の空へと飛んでいるのだ。
これが昼間の空であったなら、それらの機体に赤々と日の丸マークが描かれていることも確認できただろうが、あいにくの暗闇の中では吉道の目にはそれらしいものは見えなかった。
しかし、誰が言いだしたか、「自衛隊だ!」「自衛隊の輸送機だ!」というざわめきが群衆の中に広がっていった。
吉道は改めて目を凝らして航空機の群れを見たが、やはり機体の灯火以外は暗くてほとんど見えなかった。
だが、数が多いことやゴジラが出現したと言われる方角に飛んでいることから、確かにそれが自衛隊の機体であることを確信した。
「頑張れー!!」「お願いしますー!!」
人々は上空を進む自衛隊機に、手を振ったり声援を投げかけたりしていた。
「ほら、吉道! はぐれちゃうよ!」
いつの間にか茫然と立ち尽くしていた吉道は、母の声で現実に引き戻され、人の流れの中に混じっていった。
◆◆◆
【11月4日 0:20】
怪防会。
「第四対戦車ヘリコプター小隊、全滅との報告です…」
辻統合幕僚監部代表の報告に、怪防会の面々に沈黙が走る。
「どういうことだ!? どんな怪獣でも倒せるんじゃなかったのか!?」
動転した役員の一人が辻に詰め寄る。
「最新鋭の対戦車ミサイルが効かなかったのだ!! 奴の外皮の防護能力は予想をはるかに超えている!!」
「だから何故それを予測できてないんだ!! 何のための百年だったんだ!!」
「やめないか、君達」
いきり立つ両者の間に池田議長が入り、興奮していた両者は距離を取って一呼吸おく。
「ゴジラの外皮の組成は分からないが、それほどの硬度を誇るならば、核融合炉を損傷させて反応を停止させる計画は非現実的かもしれないな…」
福原副議長が眉間にしわを寄せて呟く。
「しかし現時点ではそれ以外に明確な駆逐方法はありません。自衛隊の攻撃が通ることを祈るしかありません…」
「…まだ作戦は第一段階です。機甲科と航空部隊の攻撃ならば確実に奴を倒せるはずです……」
辻はそう告げたが、一同の重い表情が変わることはなかった。
「…百年前のゴジラを倒したのは、いったい何なんだ…?」
池田の問いに答えられる者はいない。
百年前に怪獣王を葬った最恐の兵器、
核兵器に次ぐ大量破壊兵器である酸素破壊剤を世界に拡散させないための判断だったが、それによって後世の人間は唯一無二と言ってもよい”確実なゴジラの倒し方”を見失ってしまったのである。
◆◆◆
「観測機墜落に伴い、衛星観測と防衛ラインからの直接観測に移行」
「現在目標生物は九十九里町市街地を進行中、間もなく東金市に侵入。送れ」
「了解。”200mm
国道468号線上に整然と並んだ各中隊の榴弾砲が一斉に砲身を上げる。
「目標、敵胸部! 距離7600! 発射五秒前! 四、三」
榴弾砲の砲身は天空を睨み、数㎞向こうの大敵との戦いを今か今かと待ちわびているようだった。
「
その瞬間、200mm榴弾砲が一斉に火を噴く。
「弾着まで15秒!」
ゴジラは、相変わらず紅蓮に染まった九十九里を歩き続けていた。
ただ純粋な”怒り”に身をゆだねて、まっすぐに一歩ずつ。
「五、四、三……弾着、今!!!」
観測士が叫んだ瞬間、ゴジラの体は猛烈な爆炎に包まれた。
一瞬で体全体を覆い隠すほど天高く舞い上がった業火は、すぐに夜空へ消えていった。
その中から、ゴジラは悠然と姿を現す。
「全弾命中! 目標、以前進行中! 進路、速度に変化なし、送れ!」
「次弾、射撃用意!」
すぐさま松田中隊長が命じる。
榴弾砲部隊と時を同じくして第六射撃中隊の”38式地対艦誘導弾システム”が射撃を開始。
富士駐屯地に残った第五射撃中隊の多連装ロケットシステム”MLRS改”も長射程ミサイルにて攻撃を開始。
十数両のMLRS改が一斉にミサイルの弾幕を打ち上げる様は、半世紀以上前の湾岸戦争を髣髴とさせた。
◆◆◆
首相官邸地下には、ゴジラとの戦闘映像がリアルタイムで映し出されていた。
「ヘリ部隊が全滅とは……。ついに我が国から戦死者を出してしまったか……」
吉田が視線を下に落として無念そうにつぶやいた。
「これが…怪獣……」
蒲田はモニターを見ながらわなわなと振るえていた。
モニター上では作戦第二段階が発動され、ゴジラが特科部隊の猛攻を受けている姿が映し出された。
「統幕長、今後の作戦展開はどのように?」
桐谷官房長官が井村統幕長に尋ねる。
「第二段階は特科と戦車部隊による攻撃、第三段階は航空部隊による空爆、それでも目標生物の進路に変化がない場合、第四段階として千葉港付近に配置された護衛艦隊による誘導弾攻撃を実施する予定であります」
「なるほど……。外務相、米国の動きは?」
続けて桐谷は
「先ほど国防省が日本への支援の意を表明しましたが、具体的な行動についてはまだ…。国務省も現在対応を協議中であるとの返答です」
「そうか…………」
桐谷はモニターを注視しながらも深く熟考していた。
「失礼します。総理、会見の準備が整いました」
そんな折、首相補佐官が吉田にそう告げた。
「…しかし、今は作戦の趨勢を見極めなければなるまい。会見はもう少し…」
「いえ、総理。恐れながら、一刻も早く国民に日本の現状を知っていただくことが重要と考えます」
金田総務大臣が吉田に反論した。
「同感です。今日本が建国以来の危機に晒されていることを直ちに国民に理解していただかなければ!」
「…うむ。そうだな。ではこの場は桐谷君に任せる。原稿を持ってきてくれ」
そう言って吉田は席を立つ。
去り際、彼は振り返ってもう一度モニターを見た。
猛火を浴びながら、怪獣王はゆっくりと前に進んでいた。
一瞬、吉田は怪獣王と目が合ったような気がした。
◆◆◆
十数分ほど歩いたのち、吉道たちは千葉市
大規模な地下鉄駅のような大きい入口から長い階段を経て地下に降りると、いかにも避難場所というふうな、体育館のような広い空間へと出た。
2mほどの壁で区切られた四畳ほどの狭い部屋がズラリと奥の方まで並んでおり、ここが避難民の居住スペースとなるようだ。
「入居中の札が張られていない居住スペースを利用してください。お好きな場所を使用していただいて結構です。後から来られるご家族様などはいらっしゃいますか?」
避難誘導の任務に就く消防隊員が尋ねると、母が「夫と祖母が…」と答える。
「では、後ほどご本人様が来られたときに確認を行いますので、お名前と入居される部屋の番号を…」
隊員と会話を交わす母をよそに、吉道は人々でごった返すシェルター内を見回した。
トイレとシャワーは共用のものがこの空間の端の方に設置されている。
「これ、うちらが入る部屋ないんじゃないの? もっと下の階行った方がよくない?」
愛菜が面倒くさそうに言った。
長い階段をさらにずっと降りると、ここと同じ空間がさらにもう二層ほど地下の深くにあるようだ。
避難訓練などでその内部構造や仕組みは嫌というほど聞かされていたものの、実際に見てみると新鮮なものだな、と吉道は思った。
不謹慎であることを自覚しながらも、どこか未知の経験への興奮を抑えられない自分の存在を認識していた。
結局、安川一家は最深層である地下三階の一角に入居することとなった。
部屋の中には非常食と湯を沸かすためのポッド、ガスコンロや最低限の調理器具などが揃っていた。
地下であるためスマートフォンなどのインターネットは通じていないが、部屋に備えてある小さなテレビは外からの電波を受信して映像を見ることができた。
どこのチャンネルを回しても怪獣上陸の臨時ニュース一色だった。
「お父さん、ひいおばあちゃん連れてここまで来られるかな…。ほとんど体も動かないだろうし…」
母が荷物をまとめながら心配そうにぼやいた。
「不自由な人はエレベーター使えるらしいし、そこは問題ないんじゃない? 隊員さんがちゃんとここの場所教えてくれるだろうしさ」
吉道はテレビ映像を見ながら答えた。
「ならいいんだけど…。それにしても、こんなことになるなんてねえ…。今朝は想像もしてなかったよ」
「うん…。まあ、避難もできたし、とりあえず大丈夫なんじゃない? ゴジラに家を壊されないかだけが心配だけど…」
大切なものを大量に家に残してきた吉道にとっては、それだけが気がかりだった。
当然だが、彼らは知らない。
十分に防護されていたはずの九十九里の多目的シェルターが既に壊滅していることを。
シェルター跡地には一人の生存者もなく、濁流と化した溶鉄の中で大量の遺体が炭の山となっていることを。
あるいは、知らないままの方が幸せなのかもしれない。
◆◆◆
「総理、間もなく記者会見ですが、会見では自衛隊の被害については発言をお控えいただけるようお願い申し上げます」
首相補佐官が吉田にそう頼んだ。
「国内の武力行使反対派への配慮…ということか?」
「はい。既に自衛隊による武力攻撃に対し、野党や左派の一部から懐疑的な意見が出ております。もし自衛隊から戦死者が出たことがこの段階で明らかになれば、国内にさらなる反対と混乱をもたらす恐れがあります」
「………。君の言うことはもっともだ。…だが、それでも私は敢えて、隠すことなく真実を述べたい」
吉田は強いまなざしでそう答えた。
「この会見の本意は、国民に今の日本がどれほどの危機に直面しているかを認識してもらうことにある。既にゴジラは国土を蹂躙し、爆風で家屋に甚大な被害を与え、果敢に立ち向かった自衛官の命すらも奪った。この事態を、決して画面の向こうの出来事と捉えてもらうわけにはいかない。怪獣は画面の向こうではなく、日本。我々が生きるこの日本にいるのだ。例え自衛官の戦死が戦闘の結果として批判の的に晒されたとしても、それを含めて私は日本人に現実を伝えなければなるまい……」
重い口ぶりで吉田は述べた。
そこには、日本国総理大臣としての覚悟と義務が感じ取れる。
「………差し出がましいことを言ってしまい申し訳ありません。総理がそこまでお考えになられているのであれば、何の不安もありません。総理の思うように真実を述べてください」
吉田は強くうなずき、会見場へと入っていった。
◆◆◆
【0:32 吉田総理の緊急記者会見】
「総理の記者会見だってよ」
吉道はいつの間にかテレビにくぎ付けになっていた。
「あれ? さっき記者会見してなかった?」
「それは官房長官だよ。閣僚の名前も覚えてないの?」
吉道は母の無知さに呆れた。
「総理もこんな時間に働かされて大変だな……。ちょっと音量上げるよ」
「うるさくしないでよ」
毛布にくるまって隅に座り込む愛菜が相変わらず不機嫌そうに言い放った。
『 都民・国民の皆様、夜分遅くに失礼します。内閣総理大臣の吉田です。
日本国非常の事態に際し、現状と政府の対応について述べさせていただきます。
先日11月3日20時38分ごろ、千葉県太平洋沖にて大規模な爆発が観測され、約一時間後、同規模の爆発がより沿岸部にて観測されました。その後、海上自衛隊の哨戒機が千葉県九十九里浜付近に巨大生物を発見、これを怪獣であると認め、怪獣対策基本法に則って防衛出動の発動を下令いたしました。
今現在、怪獣は千葉県沿岸部から内陸部へと進行中であり、これを阻止するため、自衛隊は陸・海・空の各部隊を統合任務部隊として編成し、今もなお千葉県内陸部で怪獣と交戦中であります。怪獣は百年前に日本に上陸した”ゴジラ”と同個体であり、自衛隊による観測では身長は約260mと報告されております。
被害状況としましては、二度目の爆発の衝撃波による家屋の倒壊が多発し、現在判明している分で死者123名、今後も数字は増大すると思われます。また、怪獣との交戦におきまして、自衛隊の攻撃ヘリコプター及び観測ヘリコプター多数が撃墜され、搭乗員全員が死亡いたしました。
自衛隊の苛烈な攻撃にもかかわらず、怪獣は依然として内陸部へと進行を続けております。このまま進行を続ければ、都心部へと到達する恐れもあります。
先に述べました通り、既に我が国は怪獣によって重大な被害を被っております。これは演習や物語の中の出来事ではありません。断固として現実なのであります。その自覚をもって、都民・国民の皆様は、混乱をきたすことなく、各自治体の指示に従って迅速に身の回りの安全を確保していただけることを願います。今後は、自衛隊が全力をもって侵略者の排除に当たると共に、わが政府が国民の皆様の安全を守るべく万全の態勢で臨む覚悟であります。
もう一度申し述べますが、これは現実です。事実として起きていることです。怪獣は我々の住む世界のすぐ目の前に迫っているのです。日本国有事の事態におきまして、皆様のご理解とご協力を伏してお願い申し上げます。
…では、質疑応答に移ります…。 』
「現実……」
吉道は震える声でつぶやいた。
人類生存数:92億8653万人