筆者の都合でずいぶん長いこと空いてしまいました。読者の皆さまにはただ謝罪の気持ちしかありません。
とうとう奴が陸に上がってくるんですよ、ええ。
9/10 政府の対応などがよりリアルになるよう、大幅に改稿しました。
今回の話ではまだ国民保護サイレンは発動しません。
【2054年11月3日 20:37】
この時、千葉県太平洋沿岸部の住民達は奇妙な現象に遭遇した。
一瞬、漆黒であるはずの空に、ぼんやりとした白い光が満ちたのである。
ほぼすべての住民がこの異変に気付き、そして多くのものが外を見まわした。
すると、太平洋の水平線上から、赤く丸い火の玉が、ぼうっと浮かび上がってくる様子を目の当たりにしたのである。
その時には、空は夕暮れのように赤く彩られ、電灯の付いた屋内でも外の異変が分かるようになっていた。
夜空に舞い上がった火の玉は、少しずつ少しずつ大きく膨張しながら、明るさを失って空の黒に溶け込んでいった。
住民たちが、消えていく火球に言葉もなく見とれていた、ちょうどその時だった。
突風が、突然沿岸から陸地に攻め寄せてきたのである。
傘を持った人間ならひとたまりもなく吹き飛ばされてしまいそうな、強烈な台風のような突風が、何の前触れもなく突如として千葉県沿岸を覆いつくした。
住民たちは激しく混乱し、悲鳴と豪風の音だけがひたすら飛び交っていた。
その中に、ほんの微かに、大地を揺るがすような咆哮が混じっていたことなど、誰も気付かなかった。
【20:39 陸地に衝撃波が到達】
そうして初めて、何割かの人間が、沖合で恐るべき規模の爆発が起きたことを認識した。
ある人は慌ただしく避難の準備を始め、ある人はどうすべきか分からずただ怯え、またある人は興味関心をもって爆発が起きた先を見つめ続けていた。
◆◆◆
安川家で最初に異変に気付いたのは、父親だった。
「風、強いな」
びゅうびゅうと風の音が鳴る窓の外を眺めながら彼は呟く。
「俺が帰ってきたときはなんともなかったんだけどなあ…」
すると、彼が見ていたテレビから警報音が鳴り、同時にテロップが現れた。
『【緊急速報】 千葉県沖で原因不明の大規模爆発を観測 念のため今後の情報に注意してください 』
「爆発…?」
父親は怪訝な顔で画面を眺めていた。
◆◆◆
【20:45頃 内閣危機管理センターが大規模爆発の情報収集を開始】
「状況はどうなっている?」
総理官邸地下・内閣危機管理センターを訪れたのは、その時たまたま官邸に居残っていた桐谷官房長官であった。
「千葉県九十九里東方約40㎞の海上で大規模爆発を観測、衝撃波と思われる突風が陸地に到達した模様です」
内閣危機管理監が答える。
「被害状況は?」
桐谷官房長官は空いている椅子の一つに腰かけながら続いて尋ねる。
「まだ確認がとれておりません」
「そうか。爆発の原因として考えられる要因は何かわかるかね?」
次に桐谷は、その場に集められた役員たちに尋ねた。
「気象庁の役員と無線を繋げます」
気象庁と防災無線がつながると、向こうの担当役員の声がその場に響き渡った。
「爆発地点は水深が200m程度と浅く、また非常に巨大な噴煙が衛星写真に記録されていることから熱水噴出孔とは考えづらく、新たな大規模海底火山による水蒸気爆発、もしくは海中核爆発が原因であると考えられます」
気象庁・地球環境海洋部海洋気象課課長がそのように述べた。
「海中核爆発…」
桐谷の眉間にしわが寄る。
「しかし、衝撃波が突風となって40㎞先の陸地にまで到達したとなりますと、海底火山としてはあり得ないほどの爆発規模となります。やはり原因は海中もしくは海上核爆発と考えられないでしょうか?」
同・地震火山部火山課課長が反論すると、役員たちは混乱の様相を呈し始める。
「我が国は核攻撃を受けたのか?」
「しかし弾道ミサイル発射情報は出ていないぞ!」
「核機雷の誤爆ということか?」
「そんなものが我が国の接続水域内にあるわけがないだろう!」
「ここで躍起になってどうする。冷静になりたまえ」
桐谷が一喝すると、紛糾していた議論は一挙に沈静化し、役員たちは自らの向こう見ずさを恥じた。
「総理到着まではあとどれくらいだ?」
「15分ほどです」
内閣官房副長官が答えると、「わかった」と答えて桐谷は立ち上がった。
「総理到着後、すぐに総理レクを始める。引き続き情報の収集にあたってくれ」
「はい!」という内閣危機管理監の返事を背に受けつつ、桐谷は一旦危機管理センターを後にした。
そして慌ただしく人が通り過ぎる廊下を歩きつつ、密かに横を歩く副長官に耳打ちした。
「総理と蒲田君に連絡を。直ちに怪防会の招集を要請したい」
◆◆◆
吉道は、いつものようにベッドの上でスマホをいじりながら寝転がっていた。
スマホの画面には、怪獣に関する様々な都市伝説や信憑性の疑わしい情報が並んでいる。
”ゴジラは鉄塔を溶かした”
”その怪獣は東京を一晩で焼き尽くし、数万の人を灰へ変えた”
”戦車砲弾や航空攻撃をものともしなかった”
「怪獣って、なんだ?」
それは、話を聞くだけではおとぎ話のようなものだ。
まるで小さな子供が強い生き物に憧れて夢想するような、そんな生き物が本当に存在するのだろうか?
存在するのだからこそ、こうして日本史の教科書にも100年前の悲劇が乗せられているのだろう。
それは吉道にもわかっていた。
だがしかし、どうしても彼はそのような生物の存在を信じることができなかった。
ニュースで言っていた、マリアナ海溝の海底爆発についても調べた。
しかし、今一つその原因を特定できそうな情報はない。
もし、本当に”ゴジラ”がいるのなら――――
なぜ、100年間もの間現れなかったのだろう?
100年経った今、ゴジラを目覚めさせるような何かが起きたということなのだろうか?
◆◆◆
【21:00頃 吉田総理、官邸入り】
吉田総理が官邸入りすると、直ちに総理レクが開始された。
「―――このように、今回の爆発は極めて大規模かつ膨大なエネルギーを伴うものであり、海底火山や熱水噴出孔などの自然現象由来のものとは考えにくいという見解が出されております」
「他国の戦略原潜の自爆・メルトダウンという可能性は考えられませんか?」
「現場は水深が浅く、原潜が行動できる海域ではありません」
駒場防災担当相の問いかけは、磯谷防衛相に即座に却下されてしまった。
「とはいえ、弾道ミサイルも発射されていないのに核爆発というもの随分おかしな話ですが…本当に核爆発で間違いないのですか?」
金田総務大臣が訝しげに尋ねる。
「核爆発というよりは、”核爆発級の超大規模爆発”と呼ぶのが正しいでしょうが……そのような爆発がどのようにして起こるのかは皆目見当も…」
「可能性が一つだけあります」
駒場防災担当相の言葉に、蒲田怪防担当相が答える。
「未知の巨大生物……すなわち、怪獣です」
その一言に、閣僚たちはにわかにざわつき始める。
「やはりか…」
氷川環境大臣が呟く。
「この爆発の状況、先月の南太平洋上海中爆発と似ている。ともなれば、原因は怪獣にあると考えるのが道理だ」
彼の言葉は、皆が内心で感じていたことだった。
「なんだか、この前もこんな議論した気がするなあ」
桜坂財務相が呆れ気味に呟く。
「先ほど桐谷君から怪防会召集の話を持ち掛けられたが、桐谷君もこれを怪獣の活動に起因すると考えているのか?」
吉田の問いに、桐谷は「はい」と答えた。
「過去百年の間に、怪獣の出現の可能性を予報し、海上警備行動を発令した事例は三件ありますが、探査機の誤認や軽度の爆発・海水温上昇であった過去の件とは異なり、今回のケースは非常に大規模のエネルギーを伴う現象が既に発生している他、先月の海中大規模爆発との関連もあります。最悪のケースを想定し、直ちに海上警備行動の発令を行うべきと考えます」
桐谷は簡潔に自身の意見を述べた。
「しかし桐谷長官。今回の爆発は先月の南太平洋上海中爆発で確認された”光の柱”のようなものが確認されておりません。よって現時点では自然現象の可能性も捨てきれず、悪戯に海上警備行動を発令するとなると野党や世論の反発を招きかねません」
と、土井文科相は反対意見を述べた。
「そんな悠長なこと言ってる場合ですか! 件の化け物がいったん上陸なんてしたら、日本はオシマイなんですよ! 分かってます?」
すると、桜坂財務相が猛然と土井に詰めかかった。
「落ち着いてくれよ、桜坂君。こんな時に殺気立っちゃかなわんよ」
それを駒場防災担当相が何とか押さえる。
「火山の爆発で成層圏まで伸びるキノコ雲ができますかって話ですよ! 異常すぎる! 怪獣、もしくは他国の核攻撃の可能性もあるんじゃないの?」
桜坂は苛立ちを押さえきれない様子で、椅子に深く座りなおした。
「核攻撃はあり得ない。ミサイルの発射情報も、該当海域に不審船などが侵入した情報も確認されていない」
磯谷防衛相は改めて否定した。
「原因の究明は後でもできるだろう。今は対応の確認を急ぐべきだ」
吉田総理の言葉を受け、閣僚達は黙り込む。
「怪獣出現の可能性を鑑みて海上警備行動を発令、避難区域を指定し速やかに多目的シェルターへの避難誘導を実施する。異議のあるものは?」
吉田の問いに答える者はいなかった。
「では、閣僚会議を行います。皆さんは至急会議室へ」
桐谷の呼びかけにより閣僚達は席を立った。
◆◆◆
【21:15 磯谷防衛大臣が海上警備行動を発令、千葉県沿岸地域に避難指示】
状況が気になった吉道は、もう一度リビングに降りてニュースをつけた。
「ただ今、磯谷防衛大臣は海上警備行動を発令しました。また政府は先ほど、爆発の原因が怪獣である可能性を発表しました。もう間もなく桐谷官房長官が記者会見を開く模様です」
来た。
吉道が最初に思ったのは、ただそれだけだった。
本当に、来たんだ。
吉道は、自分の心臓がバクバクと脈打つのを確かに聞いていた。
ニュース画面の上の方に、避難指定区域がテロップとなって流れていた。
「うわ…東金も八街も避難区域かよ……こりゃこっちもいつ避難指示されるか分かんないぞ」
父が不安げな声でつぶやいた。
「本当に来るんだ……怪獣……」
「母さーん!! こっち来てー! 愛菜もー!!」
大声で家族を呼ぶ父親の声も、吉道の頭には入ってこなかった。
【21:17 海上自衛隊館山航空基地より、哨戒ヘリSH-60L(第51航空隊所属)が現場に向け発進】
◆◆◆
【21:36 千葉県太平洋沿岸部にて不明物体の目撃情報が寄せられる】
避難指示の発令より、20分あまりが経過したころ。
避難区域である九十九里浜町の住民たちは不思議なものを見た。
月明かりに照らされている水平線上に、黒い何かが浮かび上がっているのである。
「ままー、変なの浮いてるよー」
ベランダから海を眺める幼児が声を上げた。
「ゆうちゃん、お外出ちゃダメ!! 避難の準備終わるまで大人しくしてて!!」
母親の焦燥交じりの叫び声に、幼児はしぶしぶ屋内に戻ろうとする。
だが、その視線は未だに海上の”何か”に向けられていた。
”何か”はか細い月明かりのもとでは視認しにくかったが、岩の塊のように見えた。
やがてそれはゆっくりと大きく上に伸びていった。
まるで、海から巨大なものがはい出てくるように。
カタカタ、と家が細かく振動し始めた。
「やだ、地震!?」
ただでさえ避難準備で慌てている母親は、ますます顔色を悪くした。
それに対して幼児は、揺れていることにも気付かない様子でじっと海の方を見つめていた。
そして母親は、それが断続的な地震ではなく、一定のリズムを刻んで起こる揺れであることに気付く。
その揺れは次第に大きくなっていく。
言葉に表せないほどの未知の恐怖が母親の背筋を撫で回した。
「ゆうちゃん!!!」
母親が叫ぶのと、視界が閃光に包まれるのは同時だった。
雷が光った時のような一瞬の閃光、その光度は太陽にも勝るとすら思えた。
そして、その十数秒後に訪れた絶大な衝撃波が、家屋をはじめすべての構造物を跡形もなく吹き飛ばした。
音速で飛来した瓦礫に叩き潰される直前、親子が最期に知覚できたのは、この世のあらゆる絶望を凝縮したかのような巨大な咆哮だった。
【21:38 二度目の大規模爆発が千葉県沿岸部で観測される】
人類生存数:92億8655万人