本文に救いは無いよ?
長月を本気で苛め抜くよ?
ガバガバ文だよ?
それでは、ご覧ください
少女だ
"灰"が彼女を見た時の第一印象がそれだった。
ロスリックの高壁。ロスリック城を囲み外からの侵入を正に高壁の如く拒む様から呼ばれるようになった城壁。その物見台の一つにある篝火。祭祀場から転送してきた"灰"はたまたま"それ"を見つけた。
こんな亡者達しかいない場所にどうやってたどり着いたのか、体躯も10をようやく過ぎたかのような小ささで、しかし捨て子のようにがりがりに痩せ細っているわけでもない。外界からの情報をすべて遮断するように怯え、吹けば飛びそうな存在感はまさしく少女。
死んではいない。生きている。風に身を震わせているのがその証拠。
寂れたロスリック城を背景に背負い膝を抱えて丸くなる少女は、調和という文字を忘れたように浮いていた。
だがそのうちに秘められたソウルはそばにある、人が木になったような奇妙なオブジェとも違う不気味さを醸し出し、また消えかけてはいるが篝火とはまた違う温もりのような、言うなれば正の印象を持ち合わせているように"灰"は感じた。
そしてなにより少しくすんでいるが、その透き通るような「緑色」の髪は"灰"には見たことが全くなく、全くの未知の存在に興味を持った"灰"は声をかける。それはゆっくりと"灰"の方を向き、
絶望に濁った緑色の瞳に"灰"を収めた。
◆ ◆ ◆
ふと気が付いたら、暗闇の中で意識を失っていた。意識を失う直前の記憶はなく、いつものように駆逐寮に割り当てられた一室のベッドで眠りに落ちたのか、それとも何者かに無理やり昏倒させられたのか、まるで覚えていなかった。
混乱の中、そこから這い出てようやく石棺の中に収められていたことが判明し、また自分が身に着けた覚えのない艤装を身に着けていることに気付いた。軽く点検してみたがどこも異常はなく、いつでも戦闘は可能だろう。
棺の周りには墓石が乱雑に重なっていた。後ろを見上げれば、城が荘厳な佇まい見せており、海の気配は全く感じない。どこか山岳地帯の内陸部であるように思ったが、どうもしっくりこない。絵画の世界が現実になったような、奇妙な感覚を覚えた。
「一体、何がどうなっている?」
深海棲艦の仕業? それにしては不可解すぎる。そもそもなぜここに私はいる?
誰が、いつ、どこで、どうやって、何をしたかが全く分からない。謎が謎を呼び、わからない事だらけの状況に答えなど出るはずもなく、一人自問自答して、結論はわからないことが分かったことだけ。
とにかく、まずは周辺状況の確認をしよう。何もかもがさっぱりだ。情報も、なにもかも不足している。何か手がかりを見つけなければ始まらん。
ひとまず方針を決定し、私は緩やかな下り坂を下って行く。幸い、足はしっかり地面を踏みしめ、違和感は感じない。身体的、精神的コンディションは万全に近かった。
その時の私はそのせいもあってか、少し混乱していただけで済んでいた。過去となった今はこう思う。もっと謎を恐怖するべきだったと。この世界にきてしまったという事実の深刻さを私はこれっぽっちも理解していないかった。
◆ ◆ ◆
12.7ミリ単装機銃
使用用途は対空であるが、可動域はとても広く、かなり汎用性がある。対PT小群などには牽制目的でよく用いられる。
艦娘の艤装の特徴として、「火器の威力は実物のものに準拠する」という性質がある。例えば、46センチ砲が見かけ上46センチに見えなくても、それに内包される威力は46センチ砲が着弾した時の威力と同じになる。
もちろんこれは12.7ミリ単装機銃にも言えることであり、
これを人間に向けて撃てばどうなるかは想像に難くない。
少し歩いた所に、ボロ切れを纏った人が壁に向かってたたずんでいた。とりあえず無人の場所に放り出されたわけではないと安堵したが、それはすぐに撤回されることだった。
そいつはゆっくりとこちらに振り返ったかと思えば、いきなり腕を振り上げ切りかかってきた。
驚愕に目を見開くが、私とて伊達に場数は踏んでない。単調な振り下ろしを冷静に回避する。機敏な動きとは裏腹にボロ切れから垣間見える四肢は死人のように白く、また皮と骨しかない程細い。
機銃を構えて制止を促すが、フードの中の眼光は、私への殺意を如実に示していた。
その風貌、あり方は、まさに亡者。
亡者が再び地面を蹴る。迎撃を選択。折れた剣を振りかぶる手を取り、そのまま力任せに投げる。体格はひ弱な少女でも艦娘の力は人間のそれをはるかに上回るので、人一人ぶん投げるのも造作もない。
投げつけられた亡者は地面を転がって行くが、すぐさま起き上がりこちらに向かって足を動かしてくる。
「止まれ! 止まれと言っている!」
一縷の望みをかけた私の必死の警告に、そいつは全く耳を貸さない。
その問答無用の殺意に私は困惑した。が、行動不能にしなければいつまでも襲い掛かってきて埒が明かないのもまた事実。
許せと口の中で呟いて、亡者の足を撃ち抜く。甲高い銃声が聞こえた後、足を吹き飛ばされた亡者はもんどりうって倒れ、それでもなお私に向かって這いずってくる。
その醜態を見せつけられてやっと、私は気づいた。こいつに理性などなく、ただ本能に従って私を襲っているのだと。
ずるずると迫る亡者の後ろから、よろりよろりと新たに複数の亡者が現れる。どの双眸も先ほどの亡者と同じ色をしていた。
三叉路。左多数右一人。後ろは行き止まり。
右からくる亡者の足を打ち抜き、倒れる横を駆け抜ける。ここにいる全員に敵としてみなされているらしい状況に私は若干恐怖を感じ始めていた。とにかくここを離れ、亡者たちを撒くべく疾走する。
「そんな」
だが、その疾走もすぐに終わった。抜けた先は行き止まりで、切り立った崖が囲う袋小路。当たり前だが直角に近い崖を上る技術など艦娘は習得していない。
振り返れば、先ほどの亡者がわらわらと通路をふさいでいた。
逃げ道は、ない
「……許せ!」
私は不殺を諦めた。
「くそ。くそ、くそ!くそ!!」
数瞬後、今まででも一番の悪態を私はついた。毎分700発で発射される弾丸は期待通りに働き、亡者を瞬く間に文字通り肉片に変えた。動いているものは、私以外いない。だが、その光景に切り抜けた安堵どころか、降ってわいた不条理に苛立ちが募るのみ。
これは正当防衛だ。どうしようもなかった。これ以外に方法は無かった。理性が無かった。ナイフを振りかぶってきた。明らかな攻撃の意志があった。警告を無視した。
「仕方なかった!」
必死に理屈をこねてこねて平静を取り繕った。しかし、人型の深海棲艦を殺すのとは違う、言いようのない忌避感とい気持ち悪さが私を蝕んだ。
確かに亡者であり、理性もない。しかし、その血だまりはどうしようもなく赤々しく、人間のものだった。
殺人とは、こんなにも気持ち悪いものなのか
「本当に、どうなっているんだ」
こみ上げる吐き気を押さえつけ、殺めた命に黙とうをささげる。殺人への後悔を状況の把握に努めることで覆い隠し、足早にその場を去る。
守るべき人間を手に掛けるという艦娘のあり方を真っ向から否定する所業は、私の心に重い傷跡をつけた。
二回目の殺人は一回目よりも抵抗がない、というのは誰の言葉なのだろう。
聞いた時の私は一笑に付した。普通の倫理観ならあり得ないだろうと、自分は関係ないと、心にも留めなかった。
だが今私は、二回どころではない数の殺人を犯している。
道中の至る所に亡者がいた。そしてその全てが私を視認すると襲い掛かってきた。
そして始まる一回目の焼き増し。
警告し、無視され、発砲する。一人が撃ち抜かれ倒れても、まるで見えていないかのように体を踏み越えあるいは這って、まるでゾンビの如く折れた剣、かけた槍、ボロボロの盾を持って突進してくる。その全てを蹂躙した。手が吹き飛び足がねじ曲がり鮮血が舞い、それでも尚、皆自分の命すら顧みず私を殺しに向かってくる。そんな狂気の光景を一つずつ丁寧につぶしていった。
マニュアルをこなすような殺人に忌避感が無くなりつつあるのに気付いて、思わず乾いた笑いが出た。
「何を、しているんだろうな……私は」
残弾を確認しつつ天を仰ぎ、己を嘲笑する。うっそうとした雲は空に居座り続け日光を遮ったまま晴れる気配はなく、その空の下の地平線には広大な山脈が続き、私の周囲の地獄のような光景とは対照的に幻想的な様相を呈している。少なくとも私の記憶にはないものだ。
「ここは一体……」
どこだ?
このまま進んで、私は無事に帰れるのか?
「もし帰れなかったら、とんだ殺人鬼だな。私は」
あやめる必要性のない人々を殺めてしまった私に、人々を守る艦娘である資格はあるのだろうか?
混乱と陰鬱な感情を内包しつつ、眼前に見える塔に向かって足を動かす。
人を殺めた正当性を少しでも失わないために、なんとしてでも手がかりを見つけたかった。
石造りのアーチをくぐると、ボロボロの円形の広場に出た。
左手には巨大な枯れ木があり、根が広場の一部を囲むように張っている。そしてその周りには、多くの墓がこれまた乱雑に立てられていた。対して右手は切り立った崖になっており、その下は霧で見えない。落ちたらひとたまりもないだろう。
そして中央、水たまりの中に島のように盛り上がっている部分に〝それ”はあった。
左ひざを地につけ、跪く姿勢で鎮座している灰色の鎧。それなのに近づいてみれば、高さは私の身長を優に超えており直立すれば三メートルはあるのだろう。
右手の近くには灰色の斧槍。心臓部には剣が突き刺さっており、明らかに致命傷だと見てとれる。少なくとも、動く気配は感じられない。
そして、背後に回った時、それを見て思わず口を抑えた。
背中から、黒い触手なようなものがうぞうぞと這い回っている。どう贔屓目に見てもいい物とは思えない。
余りの生理的嫌悪にたまらず目を逸らし、逃げるように再び正面に回る。
改めてもう一度鎧を観察すると、鎧の足元に光る文字があるのに気付いた。
「剣……?抜け、ということか?」
メッセージに従うまま、物は試しと恐る恐る胸に刺さった剣に触れる。鎧に足をかけ、刺さった剣を思いきり引き抜く。
傷口からおびただしい血が吹き出し、それは私にも降りかかる。複にかかるのを嫌い数歩後ずさりした直後、鎧に生気が戻るのを感じた。
がくりと重力にひかれたのは一瞬で、すぐさま斧槍に右手をかけしっかりとした足取りで地面を踏みしめる。
その佇まいは、正しく武人。
なれど行動は狂人だった。
いきなり灰の鎧が左に回り込む。つられて私もそちらに向けば、それはすでには斧槍を振りかぶっていた。
誰もがわかる。これを食らったら死ぬと。
「ちぃ…!」
そいつの横薙ぎになりふり構わず身を投げ出し、水たまりにダイブする。
派手な水しぶきは無視し、警告なしに機銃を発砲。
甲高い金属音が数回響いたのち、鈍く生々しい音と共に灰の鎧の左腕が吹き飛んだ。
これにはたまらなかった様で、鎧はよろけ、傷口から黒いタールのようなものを吹き出しながら膝を付いた。
右腕も続けて吹き飛ばすという選択肢もあったが、矛をおさめてくれる可能性を捨てきれず、そのまま砲を沈黙させる。
起きてから、敵意以外の感情をぶつけられたことが無かった。だから、無意識で求めていたのであろう。敵意以外の感情を表してくれる存在を。だから私は攻撃に躊躇した。攻撃すれば、帰ってくるのは敵意だけだから。
私のそんな迷いをよそに、ぼこりと鎧の背中が盛り上がった。割れ目から飛び出しす黒い球体はまるで心臓のようにどくどくと波打っている。余りに非現実な光景に、思考が真っ白になる。
そしてそれも一瞬のことで、球体は鎧の上半身と共に瞬く間に黒に覆われていった。
人間が一瞬で異形に変化していく。そんな異常事態をまざまざと見せつけられてどうして呆けないことができようか。
そして目を見開く私は、いつの間にか左肩から生えていた爪の攻撃に気付けなかった。
しまった。という暇もなく、爪は地面をえぐりながらこちらに突き進み、私は弾き飛ばされる。
転がりつつも受け身をとって体勢を立て直し、顔を上げる。戦術的にその行動は正しいが、私は後悔した。
「ば、化け物……」
そこには灰の鎧は最早存在せず、巨大な漆黒の化け物の双眸が私をしっかりと捕らえていた。体長は10メートルに迫り、尋常ならざるモノであるのを示すかのように揺れる輪郭は縄のように黒い何か束ねられているように見え、しかし常に循環するように流動し、生理的嫌悪を逆撫でした。
排除しなければ。こんなものあっていいはずがない
理由などない。本能が、魂がこいつの存在を許さず、それらに従う形でこいつを排除しようと12㎝単装砲を構える。使命にも似た殺害衝動。だが、かすかに残った理性が引き金を引かせてくれない。自分がもっとも慣れ親しんだ砲であるが故、その威力もまた然り。この距離での発砲は自身にも意見が及ぶ可能性があるぞ、と。
ふいに化け物が蛇のようなおどろおどろしい鳴き声を発した。
それだけで、かろうじて踏みとどまっていた私の理性は壊れてしまった。
こちらも危ないから不殺という消極的非殺生すらその声は薙ぎ払い、切り捨て、私の思考は排除一色に染まった。
「うああああああああああ!!!」
声にならない声に明確な殺意を乗せながら、引き金を引く。10m程度の距離では外しようもない。
死ね! 死ね!! 死ね!!!
焼けつくような爆風にも構わず、4、5発程度打った後だろうか、気付けば化け物は跡形もなくなっていた。鎧すらも原型も無く散らばり、只の破片と化し、地形もいくつかのくぼみができており、それらはいかに一方的な戦闘であったかを物語っていた。
何故か笑いたくなってほほを釣り上げるが、失敗した。
「あ……うぁ……」
笑いたかったのは、生きているという実感が欲しかったのだとすぐに気づいた。
だが助かった、という安堵は一切こみ上げてこず、代わりに到来したのは言いようのない感情の奔流。それは滂沱の涙となって体の外に溢れた。
殺人の罪悪感に泣いた。
慣れる自分が愚か過ぎて泣いた。
理不尽な暴力に泣いた。
化け物への恐怖で泣いた。
孤独感に泣いた。
司令官や姉妹に会えない事に泣いた。
一度決壊すればもう止まらない。今までため込んだ全てがここで溢れていた。
「皐月」
姿は見えない
「文月」
気配すらしない
「水無月ぃ」
声が聞きたい
「みんな」
姿を見たい
「司令官……」
助けて
◆ ◆ ◆
灰の鎧がいた広場の先にある、私が目指していた祭祀場と呼ばれる場所。
結論から言うと、そこにはちゃんと理性ある人がいた。言葉をかければ、言葉が返ってくる。それだけなのに不覚にも感動してしまった。それだけ私が追い詰められていた証左でもあったのだが。
そこで、火守女という、目を布で覆った女性からある程度の情報を入手できた。
ここは、この世界は滅亡に瀕しているらしく、その滅亡を回避する為に、"灰"となった者たちは過去に行われたひつぎの儀式を再現する為に、王座を捨てた王のソウルとやらを取り戻す使命を帯び行動している。何の因果か、私もその"灰"とやらになってしまったらしい。他にも、広場に落ちていた螺旋の剣を中央の盆に刺して、転送とやらをすれば王の下に導いてくれるとか、そんなことも分かったがこれは置いておく。
漫画好きの望月から言わせてみれば異世界召喚系というものか。どうやらそれに私は巻き込まれてしまったらしい。そして世界を救ってくれと来た。望月なら……いや、こんな世界、だれもお断りだろうな。
私は質問した。艦娘について、深海棲艦について、日本、果ては地球を知っているか、というものまで。
火守女はこう答えた。否と。
祭祀場の侍女に問うた。
侍女は気色悪く嗤った。無意味であると。
鍛冶屋の大男に聞いた。
考えない方がいいと忠告された。
王座へ続く階段に座り込んでいる男に聞いた。
諦めろと、この呪縛からは逃れられないと、笑いながらたしなめられた。
どうやらここが異世界であるという事は間違いない。この世界についてもある程度は把握した。
だがどうして私がここに来たのかてんででわからなかった。というよりも、皆が皆、出自に全く無関心であり、逆にこだわることに疑問符を付けられる有り様だった。
『出自なんか<灰>になった時点で、いやここに流れ着いた時点で捨てた方がいい。騎士も、戦士も、魔術師も、狩人も、そこらの市民も、俺や、お前も、あいつらは火継ぎの儀式を再現できるなら誰だっていいのさ。そもそも、"灰"がもとの形に戻れると、本当に思っているのか?』
心折れた騎士ホークウッドは、嘲笑しながら私の願いを否定した。
その態度に顔が赤くなったがその男のにじみ出る悔恨に、そして忠告にもとれるその言葉に何も言えなくなってしまう。
「ここに来る前は何をしていた?」
「……殺戮さ」
そう答えたきり、ホークウッドは口を閉じた。
ホークウッドから離れた私はある疑問を火守女に投げかけた。
「私の名前は長月だ。今一度質問する。私は使命なんてどうでもいいし、果たす気すらない。それでも私に仕える気があるのか?」
「はい。"灰"の方。あなたがよろしければ、私をなんなりとお使いください」
よどみなく、火守目は清涼な声でこう答えた。それに私は黙ったまま踵を返した。そのまま盆の前まで歩を進める。
ここにいる皆、私を"灰"としてしか見ていない
それが私の結論だった。だれも私を、艦娘の睦月型8番艦長月としては見ていない。ただ火継ぎの再現の為の道具としてしか認識していない。皆、私を<灰>と呼び、一度たりとも名前で呼ばない。それがなりよりの証左。
そしてホークウッドは別として、火守女たちもまた駒なのだろう。"灰"が使命を果たせるようにサポートする、感情ある道具(人間)。
結局、ここでもまともなのは自分だけか
もはやこの祭祀場は私の安息の地ではなくなった。亡者たちの狂気が剣のような鋭い、排除の狂気とすれば、ここにあるのは絡みつくようなどろりとした液体の、利用の狂気。
私は"灰"ではない。艦娘だ
理性ある人間でさえ狂っていたという事実は、先ほどの感動をとても強い言いようのない脱力感に変えた。心の中で艦娘であると自分に言い聞かせて抵抗するのが精一杯だった。言ったとしてもどうせ無視されるだけだろう。
もう一秒たりともここにはいたくない。狂気に絡み取られる。帰りたい。なぜ私はこの世界に連れてこられた?
なんでもいい。帰れるなら、なんだってしてやる。
鎮守府をとりまいている状況がどんなに恵まれているか、まさかこんな形で実感するとは思ってもみなかった。
不穏な焦燥感が私を包む。いつか自分もこうなってしまうと、火継ぎのための道具になってしまうと。
螺旋の剣を差し込むと根本から炎が伸び始め、すぐに剣全体を覆い尽くす。だが不思議と熱いと感じることはなく、ほのかな温もりが手を包む。一瞬ボッと爆発するように火の粉が飛び散り、目を開けた時にはすでに炎の勢いは収まっていて、篝火は誕生していた。手は剣から離さず、温もりを無視してそのまま念じる。
王の許へ、と
直後、視界が黄金色にかすみ始め、体もどんどん透けていく。やがて視界が黄金一色にそまり、
気付くと私は、ロスリックの高壁に転送されていた。
◆ ◆ ◆
私の目の前で揺れる炎。人骨が垣間見える灰から立ち上り、ゆらゆらと揺れるそれは時折吹く風をモノともせず、普通の炎と明らかに違うことを証明している。
そして、その異質な炎に拠り所のような温もりを感じているこの体にどうしようもなく苛立ちを隠せない。
「違う。私は艦娘だ。灰などでは断じてない!」
荒々しく立ち上がり、篝火のそばから周囲を見下ろせば、人と木が一体化したような不気味なオブジェ、それを前にして救いを求めているのかひたすら祈りをささげる者、絶望し壁に力なく体を預ける者、そして死体。誰一人まともである要素は見つからず、この世の地獄とも言ってよい光景に思わずめまいがした。
こんな世界、あっていいはずがない
ここには何もない、鎮守府も、提督も、姉妹も。あるのは自分の体一つと艤装のみ。
「今からでもいい。夢なら覚めてくれ……」
強烈な孤独感と絶望に抗いながら、私はロスリック城へと歩を進める。火守女のいう通りならば、あそこに王がいるはずだから。
篝火を離れると、すぐさま亡者たちが私に狙いを定めてきた。私はそれらを淡々と処理していく。襲ってくるのだから仕方がない。
玉詰まりを起こさないよう、機銃は丁寧に扱う。応急修理や点検ぐらいはできるが、破損すればそれ以降の使用は絶望的だ。
一発一発撃つごとに、面白いように亡者達は死んでいく。だが、道中の亡者たちは大体は私に刃を向けた。暗所での不意打ちや投げナイフの投擲攻撃など、だんだんと行動も狡猾になってくる。艦娘の身体能力の前では単なる小細工に過ぎない。道中ドラゴンがいたときはさすがに驚いたが頭に単装を打ち込むとすぐに沈黙した。
おそらくこの世界では、私は無類の強さを誇っている。今後どのような脅威も一蹴できるという確信が生まれるのに時間はかからなかった。
だが、それでもなお亡者たちは私をしとめるべく行動している。少なくともここに私の味方は皆無だった。
まるで世界中が敵になったような錯覚に陥る。いや事実そうなのかもしれない。
鎮守府の面々が恋しい。半日もたってないのに、ずいぶん間が開いたような錯覚をするのは、それほどこの世界が異常であることを際立たせ、それに恐怖し、それはまたいきなりこの身に降りかかった理不尽、不条理への怒りに変わる。
自分がこの状況に慣れ始めているのもまずかった。狂気に慣れるということは、すなわち自分も狂気に染まっていることに他ならないからだ。
実際、先に進むごとに自分の中に何かがたまって行くのを肌で感じていた。
自分の体が前と違っている、変わっていることはこの世界に対する恐怖を加速させた。
一体この世界にどれほどの価値があるのだろうか。皆が正気を失い、だらしなく徘徊し、わけのわからないオブジェに救いを求めて祈り、死も厭わなくなるこの世界に。それとも火継ぎの儀式が再現されればこの光景もなくなるのだろうか?
積み重なる死体と、ぶちまけられた鮮血。その上にまた黒い何かが屋上を汚す。亡者から変化した例の真黒な蛇の化け物を単装砲で木っ端みじんにしながら、化け物につぶされ死んだ亡者を見てそう思わずにはいられない。
「違う。帰る方法だけを考えろ」
思考がこの世界の行く末に流れかけたのを無理やり矯正する。少なくとも今のこの世界からは一刻も早く脱出したいのが本音なのは事実だ。余計なことを考えてはいけない。
「王がこの先にいるはず、それで火継ぎの儀式を終わらせれば、帰れるかもしれない」
そう自分に言い聞かせれば、少しだけ気分が楽になった。
入口の前の通路に、ロスリック城の騎士が徘徊しているのを視認する。当てもなくさまようその行動は亡者のそれ。
すぐに機銃の照準を胴体に合わせ、発砲。騎士は胸に大穴を開けて倒れた。すぐに駆け寄り頭を撃ち抜き、殺しきる。銃声を聞きつけた他の兵士を順番に落ち着いて狙い、殺していく。
やはり銃声が敵を呼び寄せるのが問題だな。余計な弾の消費になっている
すぐに通路一帯の制圧完了し。場に静寂が訪れる。クリアしたことを確認し、私はロスリック城に踏み入れた。
この世界は、狂っている
使命を果たせば、きっと鎮守府に還れる。皆に会える。だから邪魔をする者は
◆ ◆ ◆
「お待ちしておりました。火のない"灰"よ」
「あなたにお伝えしなければならないことがあります」
「薪の王たちは、この城にはおりません。皆、帰って行ったのです」
「この城の麓に流れ着き、淀んだ、かつての故郷へと」
ロスリック城の入口のホールのような場所で私を迎え入れたのは、黒いローブで全身を覆った祭儀長だった。
そして、祭儀長は語りだす。王の不在を。
まるであらかじめ決められていたかのような、台本を読むような口調で。
ああ、なんだこいつもか。こいつもあれらと同じ感情ある道具(人間)か
「おい、嘘をつくな」
「残念ですがこれが真実なのです。どうか私の言うとおりに「黙れ!」」
「私が聞きたいのは一つだけだ。ここからどうやって城に入れるのかだ」
殺気を込めて悠長に座っている祭儀長の襟を掴みあげる。
「もう一度聞く。王はこの城のどこにいる?」
祭儀長は黙り込み、私の腕を振りほどこうとしている。なんてばからしい。人間が艦娘にかなうはずがないのに。
「喋らなければ、殺す」
彼女の首に手を回す。
「王は、この城に……い、ない……」
女は頑なに口を割らない。そのことに私の苛立ちは募り、自然と手に掛ける力は強くなっていく。
ああ煩わしい。何故白状しない。どこまで愚かなんだこの女は!
「これを脅しだと思っているのか?! いいから答えろ!!」
「王は……この城に、いない」
「ッ!」
気道を完全に締め上げる。女の口から唾液が溢れるが、私はもはやそれすら気づかず、彼女を詰問していた。
さあ吐け! 吐け!! 吐け!!!
「これが最後だ!! この城の入り方を教えろぉぉぉ!!」
帰りたいんだ。私は皆の所に帰りたいんだ。睦月型の皆と一緒に過ごしたいんだ。一生遠征組でもいい。なんでもいいんだ。ただ皆の顔が見たい。見たいんだ。
そのささやかな願いすら奪うと言うのならば……ならば!!
「お、う……はこ、の し ろ に い な 」
パキンと、彼女の首が90度曲がった。
手を放すと彼女は椅子から転げ落ち、それっきり彼女は動かなくなった。
全て彼女のせいだ。嘘をつき、私を王から遠ざけようと謀った。だから死んだ。
だけど何故か、無性に恐ろしくなった。
「私は帰る。皆の所に帰る。何としてでも……」
だから、進まないと
私は何かに押されるように聖堂の探索を始めようと、祭儀長から目を離す。
視界の端に、椅子を背後に何かが立てかけてあるのを見つけた。祭儀長が座っている時には影になって見落としていたようだ。
そして手に取った瞬間、それがトリガーだったのか灰の鎧の時と同じメッセージが地面に浮かび上がる。
曰く、前を見ろ。
ご丁寧に青い幻影まで現れるそれが指し示していたのは、剣を突き立て、そこに首を添えて今まさに自害しようとしている騎士の像。だがその剣は不自然に空中にあった。
水盆をそこにおけと、そういう仕掛けか
不意に、風がうなじをくすぐった。次いで、鈍い金属音。振り返れば、今まさに扉がひとりでに閉まろうとしていた。
扉からの光は無くなり、灯りは上の窓からのみ。その窓の光も今、いつの間にか現れた黒の靄に遮られている。
そこから降り立ったのは三メートルは軽くあるであろう長身のヒト。全身にまとう鎧には踊り子のような装束が施されており、左手に持つ曲剣は灼熱の炎を纏っており、少し振るうだけで火の粉が飛び散る様はその熱量の大きさを如実に物語っていた。
直観的に悟った。これは祭儀長の罠で、こいつも私の邪魔をするのだと。
「どいつもこいつも……!」
こつんこつんと足音を響かせ優雅に歩くその姿は、剛健たるあの斧槍の英雄とはまた違う、技巧の妙手としての強者の余裕、絶対の自信を想起させる。
私はそれを嗤った。
強者だろう。強いだろう。だが、私はそれらを軽くひねりつぶしたぞ?
亡者も、ロスリックの騎士も、化け物も、斧槍の英雄でさえ、あっけなく私の前に沈んだぞ?
ゆらりゆらりと揺れる踊り子に単装砲の照準を合わせる。
こいつも同じだ。有象無象と結局変わらない。
「死ね」
引き金を引いた。瞬間、狙ったかのように踊り子が視界から消した。
砲弾はそのまま直進し、内壁に直撃する。驚愕のまま単装砲を視界からどかすと、這うような姿勢の踊り子が一足で一気に接近していた。この距離では単装砲のリロードはおろか、機銃すら間に合わない。
そのままの勢いで踊り子は左肩を前に突き出し、状態を上げる。直後に逆袈裟の斬撃が来ると、直観的に左に跳んだ。
だが予想した内容は全く現実とは合致しなかった。予期した逆袈裟は飛んでこず、その時私の足は宙に浮いている。それだけの時間がありながら、まだ剣は振られていなかった。
人型であるが故、人間の動きに縛られるとそのはずだった。しかし実際、踊り子の腕の長さとしなやかさは想像の外の動きを可能にしていた。
死の予感が全身を駆け巡る。一刻も早く、踊り子の間合いから逃れなければ。
曲剣が赤い軌跡を残しながら、鞭のように迫る。逆袈裟ではなく、横の一閃。無我夢中で後ろに跳んだ。
チリチリと剣の炎が髪を焦がす。あまりの熱気に顔をしかめた。だがそれだけ。ギリギリ躱した!
勢いそのままに尻餅をつく。臀部から来る鈍い痛みを無視して右手を支えに急いで立ち上がる。
なんだ? おかしい。何故私は倒れている? 右手、どうなっている?
体が命令と全く違う動きをする。それに混乱する私は自然と異変の元の右手を持ち上げる。
無かった。手首から先が無くなっていた。避けきれていなかった。見るまで気づかない程切り口は鮮やかで、炎によって焼け爛れていた。
「あっあああ」
激しい焦燥感に視界を巡らせ、単装砲の行方を追いかける。
ぐしゃりと丁度、踊り子につぶされていた。砲身が曲がり、もう使い物にならない。危機感にも似た焦燥感が私の中で激しく燃え上がる。
「この」
左手で機銃を構える。できなかった。そのままポロリと零れ落ちた。
左手も親指から中指まで切られていた。もう私に引き金を引くどころか銃火器を持つことすらできない。すなわち、踊り子を殺す手段が無くなった。
焦燥が絶望に、変わる。
殺される。殺されてしまう!
「や、やめろ。来るな」
明確な死の確信から遠ざかろうと、とにかく距離を取ろうとした。だが足が震えて言うことを聞かない。涙で視界がゆがむ。バランスがとれなくてまともに動けない。コツンコツンと|死<<踊り子>>が迫る。音を聞くたびに気が狂いそうだ。
遂に踊り子が眼前まで肉薄した。頭を垂れるような前傾姿勢は今、私に覆いかぶさり得物を捕らえる檻のようで。
私はもう、彼女から逃げられない。
「死にたくない……」
願望か、はたまた懇願か。私は踊り子の顔面を視界いっぱいに入れる中、消え入るような声で私は口を動かした。
鎧越しの目が、嗤った。
「ひ」
それに恐怖を感じ顔を引きつらせるのと同時、彼女の右手が腰を乱暴につかみ、空中にさらわれる。骨盤を砕かんばかりの握力で振り回される私の目に、左手の曲剣が逆手に移る光景が反射した。
まさか、まさかまさか!
腰の圧迫感が無くなる。空中に放り出された私は必死にもがく。死にたくないその一心で。それをあざけるかのように踊り子は曲剣を高らかに振り上げる。艦娘としての戦術眼が冷徹な死の事実を導き出した。
ダメだ。避けられない。死ぬ
こんなところで? どことも知れない場所で、誰にも気にかけてもらえずに、朽ちていく?
「やめ」
無慈悲な落下が始まった。
曲剣はその歪な形故、本来刺突には向かないはずなのにあっさりと何の抵抗もなく艤装を貫いた。そのままの勢いで背骨を砕き、内臓を切り裂いた。
内臓から血がせりあがってくるのを感じた。その時間も無く蒸発した。剣に封入された膨大な熱量が内臓を焼き焦がし、血液さえも蒸発させ、内部で荒れ狂う。
突き刺した剣から立ち上る火柱は容赦なく私を嬲った。建造用バーナーのような何かを創造する優しい炎ではなく、何もかもを焼き尽くす暴力的な炎に制服は一瞬で着火し、タイツは解け、肌は爛れ、髪は艶を失い焦げた。
内と外からじっくりと業火にさらされた後、最期に踊り子が乱暴に剣を引き抜けばすでに炭化していた腰は割れ下半身と上半身は泣き別れた。
それでもまだ、私は生きていた。
下半身が無くなり、内臓がほぼ焼き尽くされ、皮膚どころか肺内部の至る所が焼け爛れても艦娘にとっては即死しない損傷だったのだろう。この時ばかりは艦娘の頑強性を恨んだ。
致命傷なのは変わらない。最早歩くことすらかなわず、手も炭化寸前の状態で這うことも難しい。触覚神経はとうに焼き切れ、熱さ冷たさはあべこべだが、全身から発せられる神経の焼ける痛みははっきりしていた。肺と喉の爛れは呼吸を阻害し、酸素の補給もままならなく、死んだ方がましな状態だった。
艦娘とは斯くもしぶとい存在だったとは、なぁ。
あの串刺し攻撃を受けてなお本能的に腕でかばったのが功を奏し、五感の内視覚だけは何とか生き残っていた。
私は自分の一部のなれの果てを焦点の合わない目で無意識に追っていた。
腕にへばりついていた服が宙に還って行く。
制服、新しいの必要だな。司令官にどやされる。
散らばった艤装の破片は融解し、素人目に見てもとても復元は不可能だった。
艤装、明石と夕張が頭を抱えるだろうなあ。
炎に包まれ悪臭を放っていた下半身は半ば灰の山と化しつつあった。
全部、燃えていく。灰に還って行く。私の証が無価値になっていく。私も……
イヤだ。そんなの認められない。
恐怖だ。死の恐怖ではない。元の世界とのつながりが無くなる事への恐怖を今更になって自覚してしまった。
「あ゛ か゛ 」
なにか、何か残っていないのか
狭まる視界の中、必死に証を探す。ふと、光物が気にかかった。窓からの光を反射するそれは太陽光を反射する三日月のように見えた。イヤ違う、本当に三日月の形をしている、あれは私の、睦月型姉妹の髪留め。私が睦月型であることの証!
「み゛ん゛な゛」
霞がかった視界が一気にクリアになる。両腕に力は戻る。爛れた両腕は、今はちょうどいい滑り止めとして機能し、軽くなった体重は移動を可能にしていた。
何故とか、疑問はどうでもよかった。腕や腹が床に引きずられ、ボロボロと崩れても構わなかった。あれは私の命より大事なもの。睦月型としての誇り。私の唯一のよりどころ。
だから頼む。私の体、もう少しだけ、あと少しだけ、どうか。
ああ、待ってくれ 動いてくれ。 後四五回這えば届くんだ。なんで視界が勝手に揺れる? 髪留めが見えないじゃないか。 頼む動いてくれ。くそ、目も見えなくなってきたじゃないか。どうして、なんで
み ん な
◆ ◆ ◆
「長月」
その言葉で、意識が覚醒した。
周りに視線を巡らせればそこは見慣れた執務室。間取りも装飾品も、窓から見える景色もどこも記憶の通り。
私は確か……、どうなっている?
ついさっきまでの凄惨な状況からの急激な場面転換に頭が付いて行けない。
「長月」
司令官の声が鼓膜を震わせる。反射的に気を付けの体勢を取り、司令官の方を向く。混乱のさなかにいる私を司令官の眼光が射抜く。その意思は虚偽を許さぬ、追及の色。おふざけをたしなめるそれではなく、厳粛に事を進める断罪の態度。
悪寒が全身を駆け巡った。
「なぜ殺した」
問われたのは、殺人の動機。一際心臓が高鳴った。沈黙は許されない雰囲気に、私は震える声で口を開く。
「し、司令官? 何を言っている。私が殺人などと「とぼけるな」」
「お前は30名あまりの人間を艤装を用いて殺害している。それは紛れもない事実だ」
「ち、違う! あれは向こうが襲ってきたからで、仕方なかったんだ!」
「仕方なかった、か。では証人を呼ぼう」
何? と声を上げる暇もなく、その女性は音もなく現れた。司令官はその異様な現れ方を気にする様子もなく話を進める。
「では証言を」
「はい。私は祭壇の間にて、灰を待っておりました。………」
何故?! 何故こいつが!?
しわがれた声に全身を古びた黒いローブで覆う女性はまごう事なき祭儀長だった。彼女はよどみなく、淡々とその時の状況を述懐していく。
私は悪くない。彼女の死は彼女自身が引き起こしたこと。私は悪くない。
なのにこの焦燥感はどうしてこんなに激しい?
「私が王はここにはいないと答えると、彼女はいきなり私の言葉を嘘だと断じ、掴みかかってきたのです」
「あれは! お前が嘘をついたから!」
「私は真実を訴えようと同じ答えを言い続けました」
「お前だって、水盆を隠していた!」
「ですが彼女は全く取り合ってくれず、しまいには私の首を「黙れ黙れ黙れえええええ!!!!」」
いつの間にか持っていた機銃を忌々しい祭儀長に向ける。
早く殺さなければ、知られてしまう。司令官に。早く早く早く!
「また殺すのか? 身勝手に」
その司令官の一言に完全に凍りついた。今まで言葉にできなかった焦燥感を私は正確に理解した。そして何をしようとしたのかを理解し、そしてその罪をやっと理解した。
「確かに、仕方がなかった時もあったかもしれない。だが、殺さなくても済んだ時もあったはずだ。殺さなくてもいい人を殺した。自ら進んで殺人を犯した。違うかね?」
「ち、がう。違う……、私は……」
落胆と、失望。司令官の目の色は断罪からそれにとってかわっていた。頭から血の気が引く。体が寒い。次に語られる言葉が息も出来ないぐらい怖い。
「お姉ちゃん。残念にゃしい」
響いた声にバッ、と左を向けば、睦月が、如月が、姉妹たちがいた。その全てが司令官と同じ顔をしていた。
「あなたそんなことをする子だと、思ってもみなかった」
「弥生は……悲しい、です」
「うーちゃんも同じ気持ちだぴょん……」
「違う!! 私は殺したいなんて」
「僕、君のこと勘違いしてたよ」
「長月の行動、何もわからないよ……」
「あたし、もう信じられないよぉ」
「待って、待ってくれ……」
「もう共には行けないのだな……」
「長月。あなたとはもう……」
「流石にあたしもこればっかりは、ねぇ」
「どうして、どうして分かってくれない……」
姉妹からの失望の言葉に私は必死に反論した。だが姉妹たちの態度は微動だにせず、私の言葉に全く取り合ってくれなかった。姉妹にさえも見限られた、そんな失望感と無力感は気付かぬうちに頬を涙で濡らし、立つ力さえ私から奪い力なく膝をつく。
「どうして、どうして……どうして」
あの世界で、あれだけ頑張ったのも、殺したのも、全部、全部……!
「お前にここにいる資格はない」
ぞわりと床が波打った。直後、床から生えてきた数多の手に両手足を掴まれる。干からび、皮と骨だけになったその手には見覚えがあった。我武者羅に拘束を解こうと力を込めるが、何故か全く振りほどける気配はない。
「何で、この……!」
司令官と姉さんたちは私の窮状を無視し、踵を返す。話は終わったと言わんばかりの行動に、私は力の限り叫んだ。
「待ってくれ司令官! 私は! 私は皆の下に帰りたかっただけだ!! いつもと同じように皆と一緒に笑って、勉学に励んで、任務につきたかった。ただそれだけの為に何でもしただけだ!!!」
床から手の主の亡者が姿を現し、私の体を押さえつけようと覆いかぶさってくる。それでも私は叫び続ける。
「どうしてわかってくれない! あの世界で私がどれだけ辛かったか、分かろうともしてくれないのか!?」
「それでも、お前が人を殺していい理由にはならないし、ここに殺人犯の居場所はない」
ずぷり、と足が床に沈んだ。最早亡者の拘束からは逃れようもない程に雁字搦めにされ、なすがまま沈んでいく。
床の遥か下に灯りが見えた。地獄のような世界で唯一の安息を感じてしまった、篝火の灯り。
強烈な悪寒がした。沈む先あの世界だと、直観的にわかってしまった。
「い、いやだ。あそこに戻るのは嫌だぁああああ!」
執務室はいつの間にか無くなり、司令官の姿はもう見当たらなかった。恥も外聞もなく、背を向ける姉さん達に最期のあらん限りの力で助けを叫ぶ。
「誰か助けて! 姉妹を、私を見捨てないでくれぇえええええ!!」
ゆっくりと、姉さん達がこっちを向いた。
"あなたはもう、姉妹じゃない"
トプン
◆ ◆ ◆
どこからか聞こえる悲鳴で、私は飛び起きた。体中が冷や汗にまみれ、過呼吸になりそうなほど荒い息、そして先ほどまでの悲鳴が自分自身から発せられていたものだと気付いた。
パチパチと篝火の心地よい音が耳に届く。周りを見渡して、思考がまとまらずも、ここがロスリックの高壁だとわかった。
恐ろしい、とても恐ろしい夢を見た気がする。気分が悪い
両手で上半身を支えているのに何故か違和感を感じた。訳も分からぬまま、確認の為両手を持ち上げる。
手首から先がない黒焦げの右手と、指が半分無くなり、残りも炭化して崩れている左手。そんな手がごく普通に視界に入ってきた。
余りにグロテスクな光景に発狂し、手足をばたつかせて後ずさる。その最中にも、フラッシュバックは止まらない。
今までの行い全てが、さっきまで見ていた夢が私の脳の中の奔流となって押し寄せた。
湧き上がる吐き気に逆らえず、腹の中のものを全てぶちまけた。
「私は、なんてことを」
襲われたのは仕方がない。やらなければやられていた。百歩譲ってそこはいい。だが、祭儀長だけはどう取り繕っても、私から喜々として殺していた。
この世界の残酷さに、閉塞感に絶望して、頼れるのは自分だけだと、自分だけはまともだと思い込んで、無意識の全能感に自分が正義だとおごり高ぶっていた。
最低だ、反吐が出る。
「私は、艦娘として失格だ……!」
司令官の言うとおり、私に鎮守府に居る資格は無い。それどころか、艦娘としたの矜持も忘れ睦月型としての誇りも失ってしまった。それだけの過ちを犯してしまった。
好き勝手に殺戮をもたらす。その行為は深海棲艦の所業とドいう違いがあるのだろうか。
締め付けるような罪悪感に涙が溢れる。自分を抱きしめ、殺めた命にひたすら懺悔した。
果たしてその懺悔は罪滅ぼしか、ただの自己満足か。ただ言えるのは、驕りのツケは今ここにこうして散乱している艤装が払ってくれていた。踊り子によって破壊された艤装は、その全てが破片として散乱しており、この世界での復元は不可能と断言できた。つまり、今の私は力が強いだけの丸腰の少女。
これまで敵対者を無双できていたのも、アウトレンジから掃討できる重火器があってこそ。剣の扱いも体術の心得も無い私に、亡者ならまだしも、英雄相手に張り合えるわけがない。そもそも今の心境では相手を傷つけることすら抵抗を覚えてしまう。
これでは、王の巡礼どころか、帰還の手がかりをさがす事さえ困難だった。不可能の三文字が、只でさえボロボロに歪んだ心の柱に罅をいれる。
全て失った。艤装も、単装砲も、機銃も、服も、何もかも。
ここで朽ちるのが、私の罪なのだろうな
全能感の象徴である艤装が完膚なきまでに破壊され、己の罪を自覚した私に、帰還という目標に向かう活力も意気込みも無くなっていた。最早諦観に似た面持ちで、その罪を受け入れる。その果てが亡者であろうとも構わない
筈だった。
「…………無理だ」
罪を償うべきだ。この世界で生きるしかない。私は鎮守府に帰るべきではない。
そう自分に言い聞かせて諦めようと心を殺しても、そのたびに姉妹の顔が脳裏にチラつき心を閉ざすことができない。
「会いたい、会いたい会いたい会いたい!!」
声に出してしまえば、もう止まらない。思いの丈を声に載せて空に、周りに大声で放つ。
顔を見たい! 声を聞きたい! 話をしたい! 軽蔑されても、侮辱されてもいい。ただ会いたい!
声につられて感情もまた涙となって溢れ出た。取り返しのつかないことをしたのはわかっている。だけど私は……!
唐突に右わき腹に鋭い痛みが走る。突然、なんの前触れもなく
矢だ。矢が背中から刺さっていた。振り返ると、崩れた塀の合間から、下手人であるクロスボウを持った亡者兵士が緩慢な動作で装填作業を行っていた。
「この……!」
再び兵士が矢を射出する。弦の巻き取りが甘いのかそこまでの速度ではない。痛みを無視して軽く身を反らして躱し、一気に肉薄し掴みかかる。
クロスボウを挟み私と亡者の力比べが始まる。体格では劣るが、力の面では私に分がある。徐々に兵士を後ろに押しやり、そのまま下に突き落とそうとさらに力を込めた。
正に兵士が足を踏み外したその瞬間、兵士はいきなり私の腕をつかむ。咄嗟のことで振り払う時間もなく私も一緒に落下してしまった。
運のいいことに兵士がクッションになったおかげで、特に怪我もなく落下を切り抜けられた。一方で兵士もすぐに私の下で暴れはじめる。側に合った煉瓦を手に取り、止めを刺すべく振り上げた。
また殺すのか? 身勝手に
心臓が、跳ねる。体が硬直し、息が詰まる。
また、私は……!
影が私を押し倒す。犬だ。がりがりに痩せ細った亡者の犬版ともいうべき生物が私に覆いかぶさっていた。
「やめっ! この!」
亡者犬は私にかみつこうと大口を開く。どす黒く乾いた牙は血に汚れ、故に殺傷力の高さを証明している。私は咄嗟に私は犬の顔を掴んで阻止する。犬は抵抗して顔を引っ込めようと足に力を籠めたり腕を引っかいたりするが所詮は犬で、兵士よりもかける力は余裕がある。そのまま腹を蹴り飛ばそうと右足を犬の下に潜り込ませた。
「ぎっ?!」
左足を嚙まれた。視線をずらすともう一匹、犬が私のふくらはぎににかみついていた。
そいつは食欲に応じるまま、肉を引きちぎろうと首を激しく揺り動かす。体重は少女のそれである私の体はその動きに簡単に振り回されてしまう。
捕まえている犬をくぐる形で引きずられ、背中に刺さった矢がそのたびに体内をえぐる。その痛みにたまらず犬の後続が緩んでしまった。
犬の顔はするりと腕をかき分ける。
一直線に向かう牙の矛先は、喉。
石畳の上に鮮血が吹き荒れた。
息ができない。声が、でない。
「あ゛ ご 」
出血元を押さえても、心臓が鼓動するたびに噴水のように吹き出る鮮血。手が、顔が赤黒く染まって行く。
犬たちは追い打ちとばかりに、思い思いの部位の肉を食いちぎる。ふくらはぎ、太もも、わき腹、二の腕、頭さえも嚙みつかれ、頭皮が捲られおびただしい血が髪を濡らす。
それでも、死なない。死ねない。
すでに腹は割かれ、犬共は喜々としてはらわたを鼻で漁り、外に引きずり出して咀嚼している。それでも意識ははっきりしていた。全身から発せられる狂ったような痛みも、内臓を物色される気持ち悪さも、血液で溺れる窒息感も、流れでる血液の喪失感も、全部感じ続けていた。
痛い
気持ち悪い
苦しい
寒い
もういやだ
もう耐えきれない
誰か早く
殺してくれ
視界にハルバードの刃先が入ってきた。
私の頬は吊り上り、喜んで首を差し出した。
この世界は、地獄だ
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「…………」
気が付いたら、私は再び篝火の前にたたずんでいた。
そのまま塀の隅に行き、静かに腰を下ろし両足を曲げて顔に膝をつける。
もう、このままでいい
"灰"の使命とか、この世界から脱出したいとか、鎮守府に帰りたいとか、姉妹に会いたいとか、今の私にはそんなのどうだってもよかった。
死にたくない。殺されたくない
踊り子の時も、さっきも苦しみに苦しみ抜いて死んだ。どんなに致命傷でも心臓が、脳が止まらない限り私の意識はあり続ける。全てが嬲り殺しとなってしまう。
"死"が怖い。恐ろしい。もう味わいたくない
故に、廃れることにした。誰にも気づかれず、ひたすらじっとここで縮こまり、亡者になるのを待つ。そうすればもう"死"に怯えることも無くなるだろう。
今や"死"の恐怖は私の全てを凌駕し、支配していた。"死"を遠ざけられるならば、亡者になることだって厭わないぐらいに。
乾いた風が髪型を崩した。
そういえば髪留めだけは、無事だったなぁ。もしかしたらまだ……
踊り子戦の最後の記憶の、暗い中光り輝く三日月の輝き。
「すまない、みんな」
その記憶に
「すまない」
私はもう、睦月型ではない
蓋をした。
こうして、私の心はそこで折れた
……私を殺しにきたのか?
殺しに来た >そうではない
なら、放っておいてくれ
私は何もしたくないんだ
……もの好きなやつだな
お前、"灰"だろう?
こんなところでうつつを抜かしてないで、さっさと使命とやらを果たしてくればいいだろう
もうどっかにいけ! 私に話しかけるな!
……ハァ
そんなに私と話したいなら、私が無くした三日月の髪留めをもってくるんだな
そうすればいくらでもお前の話し相手になってやるさ
さあさっさともってこい!それまではお前とは一切口を聞かないからな!
三日月の髪留めを渡しますか?
>はい いいえ