グロリアス軽戦車   作:景浦泰明

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『グロリアス軽戦車 第八話』

 

 

 

 試合はみほの乗るⅣ号の空砲によって始まった。

 

 エキシビションマッチと銘打ってはいるが、別に正規の手続きを経て成立した試合ではない。そこに審判はいないし、開始の合図もこんなものだ。とはいえ敵も味方も戦車道で名を馳せた実力者だらけだ。お遊びで済ませる気はない。

 

「良い? まずはこのカチューシャ様を先頭にガンガン走ってガンガン突っ込むわよ」

 

 カチューシャからの通信を受け、各車がカチューシャを一番槍として矢印の先端のような陣形――魚鱗――を作って動き出す。徐々にスピードをあげながら進んでいく戦車のなかで大きく息を吐いた。幸いこの戦場に遮蔽物や隠れられる場所はない。おそらくみほはまずこちらの動きを伺い、それに対応するように動く。サンダースとアンツィオの新隊長がどう動くかはわからないが、向こうのメンバーもおそらくこちらと同じく小細工なしでぶつかり合うことを望んでいるだろう。

 

 そう考えればカチューシャの指示は間違っていない。まずは最速で会敵。それからは各隊長がそれぞれに争うことになる。この車両数では小細工を仕掛けようにも数が少なすぎるし、試合開始から既に敵は見えている。

 

 風が頬を撫で、カチューシャのKV-2がひきちぎった草が風に流れて飛んでいく。そして一瞬のあと、私のすぐそばにセンチュリオンの砲弾が落ちる。

 

「撃ってきたな」

 

 砲撃にパンターの車体が大きく揺れ、嗅ぎ慣れた硝煙の匂いが鼻腔を刺激する。戦場の匂いに培ってきた血が沸き立つのを感じ、抗えないものだなと自嘲した。

 

 無線通信でダージリンがカチューシャの名を呼び、彼女が大声で「わかってるわ!」と返す。大きく展開しながら鶴翼の陣に移行する我々の後ろでカチューシャだけが停車し、次いで先ほどのセンチュリオンの砲撃よりもはるかに大きい砲撃音が戦場に響く。

 

 流石はKV-2だ。あれを撃つのはさぞ楽しかろうと思う。特大の砲撃を受けた高校チームはそれによって大きく陣形を崩し、そこに我々が殺到していく。前方でも敵戦車が随分先行しているが、あれはやはり知波単か。どうもあの癖は抜けないらしい。こちらから声を聴くことなど到底できはしないが、間違いなく意気揚々と「突撃!」と叫んでいるのだろう。このまま鶴翼で囲い込めればこちらの有利だが、果たしてどうなるか。

 

 ――とはいえ、西住流も前進あるのみ。突撃はこちらも得意だ。

 

 運転手の背につま先で触れると、足元の彼女が顔も見せずに親指を立てる。全くよくわかっているやつだ。別に呼んでもいないのに砲手もこちらを見上げてニヤリと不敵な笑みを浮かべている。ではこちらも続くとするか。

 

「ではまほ車も突撃する」

 

「まじかー!?」

 

「What!?」

 

「まほさん、西さんばかりだけでなくあなたまで……」

 

「カチューシャを置いていくなんてズルよ!」

 

「行進間射撃で突撃しつつ接敵する! カチューシャはサポートを頼む!」

 

 やけくそのようなカチューシャの声を聴きつつ、速度をどんどんあげながら突撃する。前方の西車が迂回し、そのすぐ後ろからエリカのティーガーⅡが現れた。しゃらくさいことだ。だが、エリカなら私が止まらないことをわかっているだろう。彼女の車両から一度、二度と砲弾が放たれ、それをかいくぐる。

 

「思いっきりぶつけてやれ!」

 

 足元からみんなの怒号が響き、勢いのままにパンターがエリカの車両に激突する。轟音が響き車体が大きく揺れるが、そんなものに構っている余裕はない。激突した時既に砲塔の旋回は終わり、私は背後で「こんなのあり?」と呟くエリカに不敵な笑みを向ける。目の前にはまだ何が起こったのかよくわからないままの西車が停まっており、我が砲手は何も言わずともそこに砲弾をぶちこんだ。

 

「うぁー! 不覚!」

 

「まずはひとり」

 

 その瞬間に即座に後退するも、気を取り直したエリカがすぐに追随し、アンツィオのタンケッテがこちらの進路を妨害する。

 

「悪いけど黒森峰の隊長にはここで退場してもらうっすよ!」

 

「隊長は私よ! 隊長はもう隊長じゃないの!」

 

「ぺパロニ! ちゃんと前を見て運転して!」

 

「なんだかわっかんねえなあ……。とにかく逃げさせせせせ!」

 

 彼女が言葉を言い終わるよりも先に横合いから安斎が飛出し、アンツィオの隊長を横転させる。それを見て「カルパッチョの言うことをちゃんと聞くべきだったな!」と笑う安斎の横を通り過ぎ、去り際にエリカに向けて一撃お見舞いする。これでエリカも討ち取れればと甘いことを考えたが、逆にエリカの後ろから追い付いてきた他戦車隊の猛攻を受け、安斎と二人で泡を食って逃げる羽目になった。

 

「全く無茶をなさるから」

 

「まほってあんなことするっけ」

 

 ケイの言葉に笑い、少し悪ふざけが過ぎたなと思う。何はともあれ接敵した。こちらがひとり討ち取って車両数も揃い、ここからが本番といったところだろうか。

 

「こちらのすることは変わりませんわ。常にカチューシャの砲撃で敵にプレッシャーを与えつつ、行進間射撃で敵をかく乱しつつ攻撃。簡単ですわね」

 

「でも向こうも黙ってやられてはくれないみたいだよー!」

 

「そうでなくちゃつまらん!」

 

 安斎の言葉が終わるか終らないかという頃、敵戦車が一斉に散会し散り散りとなる。カチューシャからのプレッシャーがある以上固まって動くのは危険という判断だろう。数の利がない以上あちらもこちらもやることは変わらない。チームワークでの各個撃破か、あるいは。

 

「まさかの一対一か」

 

 こちらへ向かって走り出したみほ車と愛里寿車から吐きだされる煙に、嫌な思い出がよみがえる。あれは黒森峰の時に使われた「もくもく」だろうが、まさかここで使ってくるとは思わなかった。煙幕を張って我々を視認しづらくしたうえで一対一に持ち込むつもりかもしれないが、そんなものはKV-2の爆風ですぐに晴らしてしまえば問題ない。

 

 風上から流れてくる煙幕から逃れるように後退しつつ、カチューシャを囲むように各車を配置する。この場においてもっとも足が遅いKV-2を守るにもこのほうが都合がいいだろう。敵は既に煙幕の中にすっかり煙幕の中に潜り込み、その姿を窺い知ることは出来ない

 

 やがて煙幕の中から多数の砲撃が飛出し、我々もそれに負けじと砲撃を返す。ダージリンがチャーチルの側面を突き出すような姿勢で戦車を停止させ、その厚い装甲で我々を守る。やがて砲撃戦を続けている間に煙幕がこちらを包み、私は無線でカチューシャに指示を送る。

 

「いますぐ撃つわ。しゃらくさい煙なんてぶっとばしてやるんだから」

 

 背後でKV-2の砲身がキリキリと音を立てて動き、鈍い音を立てて砲弾が装填されるのがわかる。だが……。

 

「向こうの砲撃が少ない。失敗したわね」

 

 砲弾が発射される寸前にダージリンの声が響き、その瞬間に全員でカチューシャの背面を守るように移動し始める。しかし既に遅い。一瞬遅れてKV-2の砲弾が発射されて煙幕が晴れると、側面から猛スピードで接近するⅣ号の姿があった。

 

 舌打ちを飛ばして砲塔を旋回させるが、既に遅きに失している。すぐにⅣ号の砲身がKV-2の車体の間に突き刺さり、轟音と共にKV-2から白旗があがった。そのままの勢いでⅣ号の砲身が回りだし、同時にサンダースの隊長車が現れ挟撃となる。判断。

 

「KV-2を盾にしつつシャーマン!」

 

 ケイの叫びが通信に響き、即座に行動に移る。砲塔を旋回させながら後退するとⅣ号との間にKV-2が挟まれ、こちらへの遮蔽物となった。たぶん車内でカチューシャが喚いているだろうが、仕方あるまい。ダージリン、ケイとともにサンダースの隊長車を囲み、三方向から砲撃を浴びせてまた散開する。これで再び敵とこちらの車両数がそろう。

 

 一度距離を取ろうと平原を走っていくと、遠くで安斎とアンツィオ校の隊長たちが互いの車両をぶつけ合いながら相争っており、あれはまあ、ああいうものだと思って放置することにした。

 

 仕切り直しだ。そう考えてケイ、ダージリンとともに陣形を組みなおす。視線の先にこちらへ向かってくる戦車が見える。ここからが正念場だと思い、そして敵の車両が一両足りていないことに気付く。

 

「後ろだッ!」

 

 それに気が付いた瞬間に車内に向けて叫び声をあげ、運転手の背を押して車両を急旋回させる。勢いよく振り回された砲身が激しい衝撃と共に受け止められ、目の前で驚きに目を丸めた島田愛里寿と向かい合うこととなった。

 

「絶対に仕留めたと思った」

 

「私はそう甘くない」

 

 しばし彼女と睨みあい、それからすぐに互いの車両を前進させる。それぞれの車両がぶつかりあって火花を立て、拮抗して半回転しながらお互いを弾きだす。

 

「ケイ! ダージリン! そっちは任せる!」

 

 耳元に響く了解の声を聴きながら再び島田愛里寿と向かい合い、お互いの車両から放たれた砲弾が戦車をかすめながら遥か彼方へ飛んでいく。車両の運用に関してはほぼ互角だが、彼女には次の瞬間何をしてくるかわからない奇抜な動きがある。常に正道を行く西住流に対し、後の先をとってこちらを翻弄する島田流はやはりやりにくい相手だ。

 

 まるでコンピューター制御されているかのように動く車両と、それに合わせて一糸乱れず動く砲身。先ほど車両の運用に関しては互角と言ったが、その点においては我々よりも上回っているかもしれないなと舌を巻く。

 

 幾戟、幾合。我々はまるでワルツを踊るように至近距離で自由自在に動き回り、何度も互いの戦車を打ち取るため砲撃を放つ。お互いがそのどれもをギリギリのところで交わしては次に移る。一瞬がどこまでも引き延ばされるような感覚。過集中のような状態に陥り、極度に疲労していく。

 

 だがこの状況では一瞬たりとも敵から目を離すことは出来ない。私はチーム内の無線を使って車両のメンバーに言葉を伝える。

 

 再び島田車と接近する。こちらへまっすぐ向かう車両に向けて砲撃を放つと車体の左側にほんの少しだけ掠り、それを確認するかしないかのところですれ違い、そのまま走り去る。ここでダージリンやケイと合流し、なんとか態勢を立て直す。

 

 だが、向かった先には既にみほが回り込んでいた。

 

「愛里寿ちゃん! ここでお姉ちゃんを!」

 

「わかってる」

 

 前門の虎、後門の狼。ここで停まれば挟撃され良い的になるだけだ。みほを撃破しながら駆け抜けるしかないと考えるが、その瞬間に背後に衝撃が走る。おそらく島田愛里寿が戦車をぶつけてきたのだろう。

 

 ――ここまでか、と口に出しそうになり、それを一呼吸で飲み込む。ここで諦めれば今度こそ私は腐ってしまうかもしれない。負けても良いし、立ち止まっても良い。だがこれ以上自分を嫌いになるような真似だけはしたくない。気迫だけで勝てるはずはないが、それでも眼に渾身の気迫を込めてみほを睨む。

 

 せめて相撃ちにしてやると睨みつけた瞬間、Ⅳ号に動揺が走りみほが体勢を崩す。彼女の背後に紅茶を飲む優雅な立ち姿を認め、思わず笑みがこぼれる。

 

「感謝してほしいものね」

 

「優雅点をやろう」

 

 Ⅳ号から二本目の砲身のように伸びたチャーチルの主砲が私の背後を狙う。こちらの砲身も既にみほの乗るⅣ号をとらえていた。みほが慌てて車内に向けて「全速前進!」と叫び声をあげるが、それはもう遅い。パンターとチャーチルに挟まれたままでは思うように逃げられまい。パンターの主砲が轟き、一瞬遅れてチャーチルのそれも放たれる。ダージリンの表情から察するにそちらは外れたようだが、Ⅳ号からは白旗があがった。

 

「まほさん! すぐセンチュリオンが来ます!」

 

「わかっている!」

 

 戦場を見渡すと、既に残っている戦車はあと三機。私とダージリンと島田愛里寿だけだった。エリカとケイが相撃ちし、たったいま安斎も後輩との熾烈な争いにひと段落つけたらしい。なんだか感動してしまったらしく号泣しながら三人で抱き合っているが、アンツィオに入るとみんなああいうノリになっていくのだろうか。佑が見たらきっと怖がって逃げていくだろう。

 

 ダージリンの駆るチャーチルの後を追うように走り、二機で島田愛里寿の車両を狙う。数の上ではこちらが有利。奇しくも大学選抜の最後と同じ構図となり、拳を強く握りこむ。あの時とは違いただ一面何もない平野で彼女は何を仕掛けてくるだろう。背後からパンターの主砲を差し向けた瞬間、突如としてセンチュリオンが百八十度回転しこちらに砲身を向ける。

 

「これは!」

 

「ウチのCV-33ターンっす!」

 

「いけませんわ」

 

 センチュリオンの砲身がこちらを向いた瞬間にチャーチルが急ブレーキをかけて車体を横に向け、直後に砲撃音が鳴り響く。チャーチルから気の抜ける音がして白旗が上がり、ダージリンがやれやれと首を振る。どうやら紅茶はこぼれていないらしい。

 

 私と島田愛里寿はチャーチルをはさんで向かい合うこととなった。

 

「これであとはあなたひとり」

 

「それはこちらも同じことだ」

 

 こちらを見詰める島田愛里寿の瞳に感情はうかがい知れない。とはいえそれもまたお互い様だろう。私の心は自分でも不思議なほどに落ち着いていたし、身の裡から激しい感情がわき出ることもなかった。かつて私とみほを追い詰め、そしてふたりの力を合わせてようやく勝てた相手と向かい合っているというのに。

 

 風が頬を撫でた。少し見ないうちにずいぶん雲の形が変わっている。

 

 ほんの一瞬風がやみ、我々の間に静寂が訪れる。そして風が吹いた瞬間、最後の交戦が始まった。

 

「右!」

 

 先ほどまでパンターがあった場所に砲弾が直撃し、大きく土煙が上がる。突進しながら砲撃を放ったセンチュリオンがすぐそばを通り過ぎ、駆け抜けていくその機体めがけてこちらも砲撃を放つ。どちらの砲撃も互いの車体をかすめながら有効だとなることはない。

 

 我々は互いに大きく円を描きながら距離を取り合い、その間にも絶え間なく砲撃を放ちあった。威嚇程度にしかなりはしないが、彼女相手にどこまで慎重になってもなりすぎということはないだろう。

 

「今度はこちらから仕掛ける」

 

 足元からの了解の言葉を受け、それまでセンチュリオンと一定の距離を保っていた我々がまっすぐに敵を見つめられるよう旋回する。仕掛けなければ活路はない。円を描くように走っていた勢いをそのままに、パンターが一直線に駆け出す。センチュリオンの砲塔がこちらを向く。私はそれが完全に固定される瞬間を待ち、その一瞬手前で左にそれるよう指示を出す。センチュリオンの砲撃は私の顔のすぐ横を掠めるようにして飛んでいき、今度はこちらの砲撃を受ける前にすれ違うように走り去った。

 

 旋回。対峙。再び一直線に向かい合う。なんとなくこれが最後の対峙となるような気がしている。私は勘としか言いようのないあてずっぽうの指示を車内のチームに伝え、彼女たちの困惑するような表情に笑顔で応えた。大丈夫。なんとなくそんな気がするんだ。

 

 直後にセンチュリオンがこちらに向けて走り出す。また過集中。世界がスローモーションになったように変化し、パンターから打ち出される牽制の砲撃すら肉眼で視認できるようだ。

 

 ――佑、いまどうしている。

 

 パンターの手前でセンチュリオンが旋回し、横滑りしていく。いわゆるドリフトだ。この感じはよく覚えている。全国大会の決勝戦の時と同じだ。だが今度はこちらの方が少し早い。ドリフトするセンチュリオンがパンターの後ろに回り込むよりも少し早く砲塔が旋回し、敵の姿を砲身がとらえる。すれ違った島田愛里寿の顔に驚愕がありありと浮かぶ。

 

「撃て!!!」

 

 パンターの砲撃がドリフト中のセンチュリオンを襲い、勢いを殺しきれなかったセンチュリオンが横転した。砲撃の煙が周囲を白い闇の中に隠し、やがてそれが晴れ、横になった車体から白旗があがるのを見る。

 

 ――あぁ、どうやら今度は勝ったらしい。

 

 公式戦でないため、試合終了のアナウンスが流れたりはしない。静寂の中で私はハッチから抜け出して戦車の上に立ち、握りこんだままの拳を大きく振りかざした。

 

 

 

 試合が終わった後、すぐに電車に乗り込んで約束した場所へ向かう。試合に参加したメンバーからはもう少し一緒にいようと引き留められたが、いまは一刻も早く家に帰って佑に会いたかった。みほとエリカだけはどうやら何かを察したらしく、僅かに苦笑して私のことを見送ってくれる。

 

 試合会場を後にするとき、島田愛里寿がこちらに駆け寄る。早歩きの私を走って追いかけてきたようで少しだけ息がはずんでいた。私は立ち止まって彼女の方を振り返り、いったん落ち着かせる。こうして並んで立つと本当にまだまだ子供だと思う。末恐ろしいことだ。息を整えた彼女が鋭い眼差しでこちらを見詰める。

 

「みほさんにもあなたにも、次は勝つ」

 

 その堂々とした宣言に笑みがこぼれ、私もはっきりと「受けて立とう」と答える。その舞台がどういった場所になるかはわからないが、きっとそう遠くないうちにやってくるだろうとは思っていた。

 

 来た時と同じ電車に乗り込み、再びあの海から続く道を揺られる。心地よい疲労が全身を包み、うまく端の席に座れたことに幸運を感じた。私は手すりにもたれて目をつむり、二度三度と大きく深呼吸をする。そうしてようやく落ち着いてくると、今日の試合のことが次々と胸に浮かんでは消えた。

 

 良い試合だった。車両数が多くないだけに派手な展開や戦略的な醍醐味こそなかったが、私は満足している。普段の自分とは違うことを沢山出来たし、各車に指示を伝えることが主だった高校時代とは違う戦いができた。奔放に戦場を駆け回り、強敵と思う存分戦う快感。そのぶんダージリンには苦労を掛けたような気もするが、またいつかその借りは返せばいい。共に試合をしたメンバーのことを想いだし、戦車道とは良いものだなと思う。またこんな試合を出来ればいいと思う。

 

 そんなことを考えているといつのまにか眠ってしまっていたらしく、気が付くと乗り換えの駅にたどりついていた。私は荷物を持って慌てて電車から飛び降り、それからまた気を取り直して次の電車に乗り継ぐ。昔お母様とふたりで電車に乗って戦車道の試合に向ったことを思い出し、帰るまでが試合だなと笑う。

 

 二つの電車を乗り継いで見慣れた駅で降りる。荷物を抱え直し、それからいつもの山道を登っていく。彼にあったら最初に自分の気持ちをはっきり伝えようと考えていた。もう曖昧なままにしておきたくはない。私たちはお互いに傷を舐めあうだけじゃなく、ふたりで先に進んでいけると思えた。

 

 私たちの家が見える。家庭菜園はすっかり育ちすぎて野生化していた。今年はもう無理だなと考え、また来年やればいいと思う。家の前に立ち、引き戸を開こうとすると鍵がかかったままになっていた。彼はどこかに出かけているらしい。荷物の中から鍵を取り出し、家の中に入る。久しぶりに帰ってきたが家のなかの雰囲気は変わらず、しんとした空気に古い木造建築の香りが漂っていた。

 

 私は自分の部屋にはいって抱えた荷物を下ろし、ようやく一息つく。ずいぶん密度の濃い一日だった。正直すぐにでも眠ってしまいたいような気持だったが、なんとなく彼が帰ってくるのを待ちたいような気持ちがする。私はしばらく電気もつけずに部屋のなかでぼうっとしていたが、やがて本でも読もうと思って彼のアトリエへ上がっていく。

 

 考えてみると、あの猫の出てくるSF小説はすごく面白かったんじゃないかと思う。あのときはありふれた内容だと思ったが、いま読み返せばまた違う感興が湧き出るかもしれない。あれは彼のお気に入りだからきっとアトリエに置いたままだろう。

 

 階段をのぼりアトリエの扉を開く。ほんの少しの黴臭さと油絵の具の匂い。いつも通り、月明かりに照らされた部屋の真ん中にキャンバスが置かれている。私はおっかなびっくりといった感じで部屋の電気を探し当て、明るくなった部屋でひとつの違和感を覚えた。白いままだったキャンバスに布がかけられている。

 

 なんとなく引き寄せられるようにそれに近づいていく。破廉恥なことをしているような気がして鼓動が少し早くなり、罪悪感で少し手が震える。だがキャンバスにかけられた布をはぎ取る自分の手を止めることはできなかった。

 

 果たして、そこには一幀の完成された絵があった。絵具の状態からして描かれてからまだそんなに時間は過ぎていないだろう。

 

 それを見たときの私の気持ちをどう表せばいいだろう。驚き、喜び。気恥ずかしさもあり、同時に深い感動もあった。額に描かれていたのは私だった。毅然とした態度で虚空を睨むような、それなのにどこか微笑むような姿が温かみのあるタッチで描かれている。突然、脳裏にそれを描く彼の姿が思いうかぶ。震える手を必死に押さえつけ、真っ白のキャンバスと格闘するように絵を作り出す彼が見える。よく見ると周囲にはタオルや着替えが散乱し、その中に何本ものペットボトルが転がっていた。

 

私はキャンバスに元通り布をかぶせながら、やはり気恥ずかしさが強いなと唇を噛む。高熱を出したときのように顔が熱い。

 

 だが、ありとあらゆる感情よりもただうれしかった。彼も勝利したのだと思う

 

 私は再び胸を張って自分のことが好きだと言える様な気がしていた。

 

 

 


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