どうでもいい世界を守るためにークオリディア・コード 作:黒崎ハルナ
──欠けた記憶を見ている。
真っ白い天井と壁。
それが、俺が──日下神楽がコールドスリープから目覚めて最初に見た景色だった。やたらと臭い薬品の匂いが充満した部屋で、白衣を着た大人たちが俺を取り囲むように立っていて、酷い頭痛と吐き気に襲われてパニクったのは今でも軽くトラウマになっている。
大人たち曰く、俺が眠っていたコールドスリープ施設は〈アンノウン〉に襲撃されたらしい。
結構な被害だったそうで、大人たちは必死に施設を守ろうと奮闘してくれたそうだ。そのおかげで──俺を含む数名の子供だけが生き残れた。
不満はない。施設を守ってくれた大人たちには感謝してもしたりないし、死んだやつには悪いけど、自分は生き残って良かったと子供心に安堵した。
「君の名前は?」
白衣を着た大人がそう訊いてくる。カラカラに乾いた喉で、俺は自分の名前を言おうとして、ようやく異変に気付いた。
「なまえ……? 俺のなまえは──ッツ!」
自分の名前がわからない。言葉が出なかった。息がつまる。
口が何度も声を出そうとするも、発するべき言葉がわからない。
沢山の人の未来を犠牲にして、俺は生き残った。
だが、生き残った代償として、俺は自分の記憶の全てを喪失してしまったらしい。
過去の記憶。
家族の名前。
友達の名前。
そして、自分の名前すらも。
辛うじてわかったことは、コールドスリープの装置に書かれていた日下神楽という名前と、ずっと見ていた夢の世界のことだけ。
その時悟った。俺は全てを失ったのだと。
──欠けた記憶を見ている。
記憶喪失になってしばらくして、俺を訪ねて一人の大人が病室に来た。
「……だれ?」
「はじめましてかしらね。
「はぁ……」
「今日は貴方にこの世界を知ってもらいたくて来たの。少しいいかしら?」
そう言って、真昼と名乗った女性は今の世界の現状や、自分のような子供たちが持つ異能力についてを説明してくれた。
「──というわけで、コールドスリープから目覚めた子供たちには、特別な能力が発現することが確認されているの。頭の中にイメージしている空想を現実の世界に再現させる力。私たちはそれを〈世界〉と呼んでいるわ」
「……〈世界〉」
ピンとこなかった、というのが正直な感想だ。なにより真昼医師の説明はわかりやすいが、内容が事務的過ぎて頭に入りにくかった。小学生相手に専門用語を用いて話されても、ぶっちゃけ理解が追いつかない。しかし、真昼医師は理解の追いつかない俺を無視して話を続ける。
「〈世界〉の形成には、当人の欲求や、コールドスリープ中に見ていた夢が関係してると言われているの。それは記憶を失っている貴方も例外ではない。つまり、コールドスリープ中に見ていた記憶を思い出せれば、貴方にも〈世界〉は使えるのよ」
「夢……」
「そう、夢。貴方はどんな夢を見ていたの?」
「どんな……っていわれても……」
夢の内容を覚えていないわけではない。むしろ、今の空っぽな自分に唯一残ってる記憶だ。だけど、それを他人に説明することができる口がない。
「男の子と女の子が出てくる夢……かな? 夢の中で、俺とその二人はいつも一緒で、ご飯を食べたり、遊んだりしてた」
「それは……貴方のお友達だったのかしら?」
「うーん……友達……かな?」
たぶん……夢の中にいた二人は友達だったのだ。
夢の中で俺は男の子のことを霞と、女の子を明日葉と呼んでいた。
二人に会えば、自分の記憶が戻るのだろうか。そんな、淡い期待を抱いてしまう。
たどたどしい俺の説明を訊いていた真昼医師は、ふーん、と素っ気ない態度で頷き、
「……そう。なら、その夢が貴方の〈世界〉の発現に繋がっているかもしれないわね」
「そうなのかな? よくわかんないや」
「わからなくても今はいいわ。……ねぇ、もしも夢の中にいた二人に会える方法があるとしたら……貴方はどうする?」
「……え?」
真昼医師の言葉に、俺は息を呑んだ。心臓がトクン、と強く跳ねた気がした。
「〈世界〉が使えるようになった子供たちはね、湾岸防衛を任ずる防衛都市に行くのよ」
「ぼうえいとし?」
「ええ。私たちは〈アンノウン〉を撃退することには成功したものの、今も〈アンノウン〉は虎視眈々とここを狙っているの。それに対抗するために作られたのが、東京、神奈川、千葉の防衛三都市よ」
「えっと……つまり、〈アンノウン〉と戦うための場所ってこと?」
「端的に言うなら、そういうことね」
戦う。その意味はわかる。要するに、あの化け物と戦って、その防衛都市とやらを守ればいいのだ。かつて、大人たちがが自分たちを守ってくれたように。
「日下神楽君。貴方の力を人類を救う為に使わせて貰えないかしら?」
行く、とその時の俺は即答できなかった。
──欠けた記憶を見ている。
外に出るようになった。
とは言っても、出れる範囲は病室から少し離れた場所に限定された、海沿いの道だけだ。
海岸線。そこにはただ荒れ果てた廃墟群が広がっている。ウミネコの鳴き声と、澄み切った青空があることを除けば、特別な場所はどこにも無い。
あれから、少しばかりの時間が過ぎた。
記憶が戻る気配はなく、手掛かりも見つかっていない。ただ、時間だけが消費されていく毎日。
でも、その日々も長くはない。
防衛都市に行くのを躊躇った子供は、戦う意思無しと判断され、そのまま安全圏である内地へ移送されるらしい。戦う道を選ばなかった子供には戦争以外の道が用意されていると、真昼医師は言っていた。それがどういう道なのかは教えてくれなかったが、少なくとも危険な目に合うことはないらしい。
このまま防衛都市に行く道を選択をしなければ、俺も内地に移送される。そもそも未だに〈世界〉の発現すらしていない俺が内地に行ったとして、マトモな場所があるのだろうか。
だが、仮に防衛都市に行ったとして、〈世界〉が使えないという評価は変わらないし、防衛都市に夢で見た二人がいる保証はどこにもない。もしかしたら、内地と防衛都市ですれ違ってしまう可能性もある。
なにより、〈アンノウン〉と戦うことが、俺はたまらなく怖かった。
一度世界を、人類を滅ぼした敵と戦う。それは当たり前だが、命がけの戦いで、場合によっては死ぬことだってある。しかも俺は〈アンノウン〉という存在を覚えていない。周りの大人たちの言葉と、ほんの僅かな映像でしか〈アンノウン〉を知らない。
空っぽになってでも生き残った命の使い道が、そんなよくわからない相手と命がけで戦うこと。そんなのは真っ平御免だ。
でも、その道には俺の失った記憶の手掛かりがあるかもしれない。
空っぽの命の使い道が見つかるかもしれない。
戦うことに対する恐怖と、未知の未来に対する希望。その板挟みが堪らなく辛い。
「──答えは出たかしら?」
背後から声をかけられ、反射的に振り返ると、ここ数日ですっかり見慣れた白衣に制服姿の真昼医師がいた。
それを見た瞬間、俺はなんとなく察する。
きっと、今日がタイムリミットなのだと。
まだ選択に迷っていて、戦う道に恐怖を感じていることは、当然真昼医師も気付いているはずだ。
けれどこの人は、そんなことを考慮しない。あるのは選ぶ権利を与える温情と答え。そこまでの過程や経歴は、この人にとってどうでもいいのだろう。
「……もしも、もしも〈アンノウン〉との戦いで〈世界〉が通用しなかったら、どうなります?」
「さあ?」
真昼医師は他人事のように言った。とぼける素振りも見せず、真昼医師はただありのままの答えを教えてくれる。
「世界を滅ぼした相手に負けた役立たずの末路よ? どう転んでもロクな終わりじゃないのはわかるでしょ?」
瞳を閉じて、その瞬間をイメージした。
最悪の結末が直ぐに浮かぶ。身体中に悪寒が走る。
死にたくない。死なせたくない。
誰を死なせたくない?
日下神楽?
──違う。
「真昼先生」
「なに?」
「俺……防衛都市に行きます」
俺は淡々とそう答えた。真昼医師は眉を少しだけ上げて、
「どうして?」
「ほかに、自分のやりたいことが見つからないから」
「それが最悪貴方が死ぬかもしれない道だとしても?」
「俺には」
言いかけて、苦笑する。こんなことを言っても意味なんてないし、自分でもこんなことを言ったところで、何が変わるわけもないのはわかっている。しかし真昼医師は、黙って、俺の言葉の続きを待ってくれた。
「俺には記憶がないんです。日下神楽という名前も、与えられた名前でしかないし、もしかしたら俺は日下神楽じゃない、別の誰かなのかもしれないって考える時もあって」
つまりは偽物。日下神楽という人物をなぞっているだけの、紛い物。それが俺なのだ。しかしそれは覆しようのない事実。
俺は誰なのか? その答えを知る方法は一つだけ。
「──でも、コールドスリープ中にずっと見てきた夢だけは本物だった。はっきりと、そう言える。あれは嘘でも幻でもない。あそこには、確かに日下神楽がいたんだ」
だからこそ、俺は行かないといけない。
「だから、どんな結末になったとしても、この夢を見続けてきた意味を知らないと、俺はこの先もずっと前に進めない。失った過去を繋ぎ合わせて、今の時間に繋げないと、俺の時間は止まったままだ」
なにより俺は、あの二人に、霞と明日葉にもう一度会いたい。
たぶんそれが一番の理由だ。自分が防衛都市に行くのを決断したのは。
空っぽでも、記憶がなくてもいい。
「霞と、明日葉と、夢の中で俺はなにか大切な約束をした気がするんです。俺はその約束を守りたい」
ぼんやりと夢で見た光景。それだけが、今の日下神楽を肯定する。
だったら、それにすがるしかない。
その為ならなんでもする。俺の命の使い方を、あの二人なら教えてくれるかもしれない。
そう思う一方で、それら全てが嘘だったらどうしようという不安がある。もしも見つからなかったら、見つかっても二人が俺のことを知らなかったら。そんな不安に押し潰されそうになる。だから、
「だから行きます。止まってしまった時間を動かす為に、もう一度二人に会う為に」
「そう」
脈絡のない俺の話を聞き終え、真昼医師は、小さく声を上げて笑った。その笑みの意図はわからないが、機嫌が良くなったのはわかる。
「なら貴方にも〈世界〉を使えるようになってもらわないとね」
真昼医師の言葉に、俺は動きを止めた。微笑む彼女の手に握られていたのは、一枚の紙。そこには写真が貼り付けられていた。
「クオリディア・コード。この装置を付ける手術を明日行います。無事に手術が終われば、貴方の望みは叶うでしょう」
そう言って大國真昼は、世にも美しい表情で微笑んだ。
そう。まるで邪悪な契約を持ちかける悪魔のような微笑みで──
──欠けた記憶を見ていた。
忘れていた記憶を思い出した。
俺にとっての世界は明日葉と霞が全てだ。
それ以外は全部どうでもいい。
どうでもいい世界なんて。
だけど、どうでもいい世界に俺の守りたい全てがある。
だから、
「どうでもいい世界を守るために──俺はここにいる」
日下神楽の過去話。という名の尺稼ぎ。
記憶喪失な子供に洗脳仕込む医務官とか、薄い本が厚くなる展開。
本編裏話 IFもしも記憶喪失じゃなかったら
大人「君の名前は?」
神楽「フランシスコ……ザビ――」
真昼「言わせねぇよ」
神楽「ア、ハイ。日下神楽です」