どうでもいい世界を守るためにークオリディア・コード 作:黒崎ハルナ
工科の生徒たちから話を聞いたときにある程度の覚悟はしていたが、作業現場は想像を上回るほど広範囲だった。
唯一の救いは、俺たちパー組が担当する千葉側の作業現場が、太陽の下で工科所属の健康的な男女が和やかに汗を流す、それはそれは恵まれた労働環境だったというとこだろう。
好天の青空。穏やかな日差しを弾いて煌めく水面。みゃあみゃあと鳴くウミネコの鳴き声。素晴らしいの一言だ。
「あれ? 日下じゃん。なんだよ、とうとう戦闘科をクビになったか?」
現場に着くなり、工科時代の知り合いたちが身もふたもないことを漏らす。その変わらない接し方に実家に帰って来たような安堵感を感じる。
軽く再会を祝してハイタッチを交わし、俺は警備に来たことを知り合いたちに伝えた。途端、知り合いたちは皆揃って不安そうな顔になる。
「警備って、おまえが?」
「おう、不安そうな顔するのやめーや。ちゃんと俺以外にもいるっての」
俺は軽く顎で増援のいる方を示す。
そこには三輪の美しい華が咲き誇っていた。
「と、いうわけで、警備と、あとお手伝いで来ました。よろしくお願いします」
頬をほんのり赤く染めてはにかむように微笑む東京次席・宇多良カナリア。
「だるいし、ちゃっちゃと終わらせて帰りますか〜」
その実力に裏付けされたアンニュイな言葉が頼もしい千葉首席・千種明日葉。
「あっちと、どっちが早く真ん中につけるか勝負だね! がんばっていこうー!」
小柄な体躯とあどけない笑顔の奥に溢れんばかりのカリスマ性を漂わす神奈川首席・天河舞姫。
三都市の中で実力、容姿、人望の全てがトップクラスの美少女三名の来訪に、現場にいた工科生のテンションはわかりやすいくらいに上がった。
そして、
「神や……あんた神やで……」
「俺、日下と友達やってて良かった……」
「生きてるって素晴らしい!」
何故か千葉の工科生徒たちから神様扱いされる俺だった。
「よっ……とっ」
太陽の下で工科の生徒から借りたレンチを使って、くるくるとボルトを回す。
戦闘科に入る前、工科時代に散々やった作業だったが、意外と体が覚えているものだ。軽い説明を工科生徒から受けた後は、だんだんと思い出してきたのもあって、今では何の問題もなく作業を続けられている。だからと言って、区画丸々一部を任すのはどうかとは思うが。
「ふわー、凄いね」
感心したような声が後ろから聞こえたので振り返れば、カナリアがほへー、と口を開けていた。
しゃがんで作業をしていた俺に視線を合わせる為か、中腰に屈んでいるせいで、視線が無意識にその豊満なバストに向いてしまう。
カナリアの大きな蒼い瞳が尊敬の眼差しでこちらを見つめ、中腰のせいで余計に強調されるたわわな胸元が眼前でぷるんと揺れる。目に毒ってレベルじゃない。
毎回思うのだが、カナリアはガードが緩いというか、自分の性的魅力についてかなり無頓着だ。
すらりとした手足とか、見事に育った胸とか、白くて細い首筋とか、形のいい唇とか。そういうものをまったくの無警戒無防備で目の前に見せつけてくるという状況は、思春期の男子としてかなりつらい。よく壱弥はこれを毎日見せつけられて我慢できるなぁ、と思う。──もしかしてわざとやってますか、お姉さん?
「凄くねぇよ。前に工科にいたことがあるだけだ」
恥ずかしさを誤魔化すためにぶっきらぼうにそう答える。
童貞にカナリアのパーフェクトボディはキツ過ぎた。
「あっ! 工科と言えば、いっちゃんも首席になる前は工科にいたんだよ」
「ふーん」
だからどうしたと言いたかった。だけど、カナリアがあんまりにも嬉しそうに話すものだから、つい真面目に訊いてしまう。美人に弱い自分が恨めしい。
って、ちょっとまて……
「……工科? あんだけ戦えるのに?」
防衛ランキング四位。男子生徒の中ではぶっちぎりの一位にして男子最強の朱雀壱弥が工科にいたという事実は、俺を驚愕させるのに十分だった。
「いっちゃん、『デュアル』持ちじゃないから」
ああ、とカナリアの簡潔な説明を訊いて納得。
当然と言えば当然なのだが、対〈アンノウン〉戦での制空権を制することが目的の東京校では、戦闘科は全員が飛行に関する〈世界〉を持つのが最低条件とされている。その為、そこからさらに〈アンノウン〉に対する明確な攻撃能力のある〈世界〉を追加で持つことを要求される厳しい環境でもあった。
飛行と攻撃手段。東京校ではそうした複数の〈世界〉、あるいはそれに準じた能力を持つ生徒を『デュアル』と呼称しているのだが、驚くべきことに東京校首席・朱雀 壱弥は単一の〈世界〉だけしか持たない『シングル』なのだ。
イレギュラー中のイレギュラー。もちろん首席になるまでの過程には、俺なんかでは到底想像もできないほどの過酷な過去があったに違いない。
縦横無尽、自由気ままに誰よりも高く空を
カナリアは得意げに語る。
「でもいっちゃんは凄いんだよ。私なんか東京次席なのに空を飛べないし、作戦も立てれないし、というか何もできないけど、いっちゃんは私と違って空も飛べるし作戦も立てちゃうしで何でも全部一人できるんだよ!」
優秀な弟を自慢する姉のような口調で話すカナリアの表情は明るい。
俺はそれを黙って、だけど作業をする手を止めることなく訊いている。
随分と前に一度だけ訊いた話だが、カナリアはコールドスリープ中の事故が原因で、自らの〈世界〉が他者よりもずっと脆弱らしい。しかも、その事故の影響で本来なら年下だったはずの壱弥と同い年になってしまったそうだ。
そういった経歴からなのか、カナリアはやたらと自分を過小評価し、逆に他人を過大評価している気があった。本人に訊いたわけではないので、あくまでも俺個人の主観ではあるが。ともあれ俺は、
──それがなんとなくだが、気に入らない。
「……それを言ったら宇多良だって凄いだろ」
「ほえ?」
予想外と言わんばかりに目を丸くするカナリア。
俺は手に持つレンチでカナリアを差し、
「あのいっちゃんさんに付き合えるやつなんて、俺の知ってる中じゃ宇多良だけだぜ」
強いて言えばウチの霞もそれに当たるが、本人たちは否定するだろう。なにより第三者の俺にすらわかるくらいに、壱弥はカナリアを気にかけている。ぶっちゃけ異性として惚れていると断言してもいい。
それに、と俺は一呼吸入れて、
「戦場で宇多良の歌に俺たち千葉がどんだけ助けられたと思ってんだよ。何もできないなんてこと、絶対にあり得ないっての」
そもそも、直接的に〈アンノウン〉と戦う術を持たず、強化の〈世界〉だけで防衛ランキング十位に居座る人間を無能とは言わない。
戦争が日常化している俺たちの〈世界〉は基本的に他者を、〈アンノウン〉を傷つけるためだけに特化した〈世界〉ばかりだ。そんな中で誰かを傷つけず、誰かを癒すことに特化したカナリアの〈世界〉は、世界で一番優しい〈世界〉だと俺は思う。
「はう〜」
何故かカナリアは嬉しそうに惚けていた。俺、なにか変なこと言ったか?
顔を真っ赤に染めて、テストで百点取って親に褒められる子供のように笑う姿は正直ちょっと引いた。「えへへ……」とはにかむカナリアは確かに可愛いのだが、その分頭が悪そうな残念娘っ子オーラが余計に際立つ。端的に言って、少々気持ち悪かった。
なんか誤解されそうな光景だなぁ、と俺が考えた直後、
「……なにしてんの?」
「うおっ!」
不意打ち気味に頭上から女子の声が聞こえた。
声の主は高々と積まれた鋼材の上で胡座をかく明日葉だった。むしろおまえが何してんだよ。
「なにって、お手伝いだけど」
明日葉が不機嫌そうに言う。なんでそんな機嫌悪いのかと訊いてみれば、悪くないしと返された。女というのはいまいちよくわからない。
「まぁいいや。行こう、おヒメちん」
「ほーい」
よいしょ、と舞姫が膨大な量が積まれた鋼材を頭上で胡座をかく明日葉ごと担ぎ上げて、アクアラインを跳ねるように渡ってゆく。積み上げられた高さは、優に明日葉や舞姫の数倍はある。重量に換算すれば数乗だろう。それだけの量を運んでいる舞姫は、まるでお気に入りのぬいぐるみでも抱いているかのように笑顔だった。
積み上げられた鋼材の上で明日葉の指示が飛ぶ。
「はーい、おヒメちんまっすぐーまっすぐー十歩歩いたら止まってー!」
「はいはーい」
遥か足元にいる
サッカーボールを蹴るかのごとく弾き出された鋼材は、勢いよく海へとダイブするかに思えたが、そのスピードよりも速く明日葉はスカートに隠れたホルスターから銃を抜いて引き金を引いた。そして、明日葉の〈世界〉を帯びた弾丸は、蹴り飛ばした鋼材を氷結させてその勢いを停滞させる。
緩慢な速度で地面へと落ちていく鋼材を最後まで見届けず、明日葉は銃口から立ちのぼる硝煙を西部劇のガンマンよろしく「ふっ……」と慣れた息遣いで霧散させた。
「すげぇ……」
アスファルトの上で作業を続ける工科生徒の誰かがぽつりと言った呟くような声。それとほぼ同瞬に地道な〈世界〉を使っていた工科生徒たちが喝采にも似た賞賛を明日葉と舞姫に贈る。
「いやぁ……大したものだね」
作業現場を監督・指揮をしていた管理官の大人──山田さん……だったかが、そんな事を言った。
たしかにな、と俺は頷く。
戦闘科とは防衛都市の花形。とりわけ戦果を示すランキングの一位と二位に名を連ねる明日葉と舞姫は、人類の誇りにして希望そのものだ。
あれに比べたら、カナリアに褒められたことすらおこがましく感じてしまう。
そんなネガティヴな思考に入りかけた時、
「あっ」
と、明日葉のつぶやきが聞こえた。
「神楽ー、そこ危ないよ」
「はっ?」
明日葉の声の方角に振り向くと、眼前に鋼材が迫っていた。……え? なんで?
うっかり明日葉が俺のいた場所に鋼材を蹴り飛ばしたのだと理解するよりも速く、俺は自らの〈世界〉を使って時を止めた。
赤い〈世界〉の中で俺は近くにいたカナリアの手を引いて、全力でその場から離れる。直ぐ様空が割れて世界に色が戻り、鋼材は俺がいた場所を押し潰すように落下。ドゴン! と鈍い音がアクアライン上に響いた。
「あっぶな……」
舞姫に続いて明日葉にまでうっかりで殺されかけるとは。
冷や汗をかきまくる俺とは対照的に、周りからまた喝采があがった。どうやらその喝采は俺に向けられたものらしい。途切れ途切れに「今、瞬間移動したよな」だの「消えた!」と言った驚きの声があがる。
傍目には瞬間移動したように見える〈世界〉なので、実は俺の〈世界〉はその本質を知らない人には受けがいい。実際は時を止めている間に全力で逃げているだけなんだけどなぁ。
俺は小さく溜息を漏らす。
「神楽」
「なんだよ……」
「今投げたやつの仕上げよろしく」
「そっち!」
謝罪じゃないのかよ、とつい明日葉にツッコミを入れてしまう。
明日葉はにやりと笑って、
「カナちゃんの手を握っていたこと、東京の人に教えちゃおっかな」
「……よーし! お兄さん張り切って作業しちゃうぞ!」
「神楽って、たまにお兄ぃばりにちょろくなるよね」
「誰のせいだ! 誰の!」
とまぁ、そんなちょっとしたトラブルもありながらも、俺たちパー組こと千葉方面隊は概ね好評だった。
カナリアなターン。
原作でもあの壱弥ですら恐怖を抱き、偽善ですらない狂気にも似た自己犠牲なカナリア。神楽は無意識にその本質に触れて、気づいているのでなんとなくカナリアが苦手です。所謂同族嫌悪に近いかも。
毎回誤字報告をしてくださる方々、何時もありがとうございます。今後も気をつけますが、また誤字や設定の矛盾があれば遠慮なくどうぞ。
本編裏話 アニメで作業中にカナリアが歌っていた理由
カナリア「ほわっ!」 レンチが固くて回らない。
カナリア「ひょえ!」 転んで工具やらをぶちまける。
カナリア「ふぁいとー!」 非力過ぎて鋼材が持ち上がらない。
神楽「――もういいから、おとなしく歌でも歌ってなさい」
そもそもカナリアに力仕事とか無理じゃね? という話。